選んでくれたから。②
湖畔の砂利道を少し歩いた先にある、ほどほどの大きさの木の枝葉が屋根になったベンチにメルティエさんは座っていた。
私が、メルティエさんの目の前で泣きはらしてしまったベンチ。
そこで、ぼんやりと青い月を見上げて何かを考えているように見えた。少し離れたところで足を止め、その様子を眺めながら、声をかけようかどうしようかと考えていると。
「フィルカちゃん?」
メルティエさんに気が付かれてしまった。これはもう何か話す以外の選択肢はない。
……というのは体のいい言い訳で、実は気づいてもらいたかったのかもしれない。
「すみません。お邪魔でしたか?」
「ううん。そんなことないよ。どうしたの?」
「あ、いえ。……目が覚めたらメルティエさんが居なかったので。……どうしたのかなと思って。」
「あっ。ごめんね。心配させちゃったよね?」
「……考え事、ですか?」
「うん。そんなところ。大したことじゃないんだけどね。フィルカちゃんもこっちに来て座る?」
「いいんですか?」
「うん。ど〜ぞっ。」
メルティエさんの横に座ると、私達の間に置いた私の手に、自然とメルティエさんの一回り大きな手がかぶさってきた。
まだ少し肌寒さの残る夜の中の唯一の温かさのように思えた。
「フィルカちゃん、
「触っただけなんですけどね。」
「それだけでなんでも封印を解いて回れちゃうんだからすごいよっ。そういえば、なにか思い出したりした?」
「いえ。何も。」
「そっかぁ。おとぎ話とかだと、ああいう不思議なモノに触ると突然記憶が戻ったりとか、よくある展開だから。」
「むしろ、以前にも増して自分が何者か分からなくなった気がします。」
「う〜ん。星樹の中を探索したらフィルカちゃんに関する何かが見つかったりするかなぁ。」
「私のことよりもメルティエさんのことの方が先ですから。」
「もうっ!フィルカちゃんはすぐそうやって自分のことを蔑ろにするんだからっ。」
「いえ。そういうつもりではなくて……。」
「うん?じゃあどういうこと?」
「……私、もう記憶は戻らなくてもいいのかなって思っているんです。どうしてそう思うのかは、はっきりと言葉にはできないんですけど……。なんとなく、思い出さなくてもいいのかな、って。」
「えっ。でも……。」
「私がどこの誰で、もともとはどういう人間だったかって、気にならないわけではないです。ひょっとしたら、今のメルティエさんみたいに、記憶を失くす前も誰かのお世話になっていて、もしそうならその人にお礼の一つでも言わないと、なんて思ったりもします。でも、今の私は、メルティエさんに拾ってもらって、ふたりで協力して星樹を探索して、最近は余裕を持ってのんびりと暮らせています。今の私にはそれがあれば十分すぎることですから、思い出せないものを無理やり思い出す必要もないのかなって。思い出せたら幸運だった、ってくらいかなと。」
「……フィルカちゃんはそれで、本当に何も思い出せないままでいいの?」
そう聞かれれば、大抵の人は言葉を詰まらせて考え込むはず。
でも、私に限っては、そんなことは全く無くて。
「はい。今の私はメルティエさんと一緒に居られればそれで幸せですから。」
勢い余って思っていたことをそのまま口にしてしまったことに気がつく。全て巻き戻して口の中で飲み込んでお腹の中に押し込めたいくらい。
今のは無かったことに……。
「なんか告白みたいでドキドキしちゃうんだけど〜。」
「あのっ!そのっ!べ、別に他意があるわけではなくてっ!その、そのままの意味で!あっ!でもそのままの意味ではなくて、その……。」
「あたしは他意があっても気にしないんだけどなぁ〜。」
「メルティエさんっ!!」
「えへっ。冗談だよっ。フィルカちゃんって意地悪しがいがあってかわいいなぁ〜っ。」
悔しいけれど言い返せない。嫌な気持は無いから。むしろ、メルティエさんにそうやって構えてもらえて喜んでいるフシがあるのにも気づいてしまっているから。
だけど、負けっぱなしなのはやっぱり悔しいので黙って抗議の視線だけ送る。ただそんな私の負けん気も、メルティエさんが、よしよし、と優しく頭を撫でてくれると落ち着いてしまった。
「フィルカちゃん、機嫌直してくれた?」
「直ってないです。」
「あらら。残念。」
メルティエさんの手が頭から離れて、少しばかり心細さを感じてから。
「フィルカちゃんは、『
「いえ。ない、と思います。」
ただ、ほしよみ、という単語には引っかかるところがあった。
「むか〜しに居たって言われている、特別な魔法使いのお話で、生きていく中で迷ったり悩んだりした人たちに道を指し示したり、少し先の未来を見通すことで、時には国のことについて助言していたの。その中でね、星詠みの魔法使いを守る、『
そこまで言ってから、私を見て
「どうしましたか?」
「ううん。フィルカちゃん、あたしがこれから言う事、笑わないでね?」
「……はい。笑いません。」
「ありがと。あのね、あたしが魔法使いの修行を始めたきっかけが、星詠みのお話に出てくる星姫士さまに憧れたからなの。運命付けられた大切な人を、自分の魔法を駆使して守るって、とっても素敵だなぁって。それでお師匠様に弟子入りしたんだ。私も星姫士さまみたいに誰かを守れる魔法使いになりたい、って。」
気恥ずかしそうな笑みをこぼしたメルティエさん。
あまり驚きはなかった。
メルティエさんなら考えそうなことだなって。それだけ正直で真っ直ぐな人なのは、この半月ほどで良く分かっていたから。
「素敵なことだと思います。そうやって強く思って、実際に魔法使いの修行を続けているわけですし、私は立派な魔法使いだと思っています。」
「そう、かな?」
「はい。現に、ここにいるメルティエさんの弟子が証言していますから。」
「それじゃあ、もうあたしは1人前かなっ?」
「そうですね……、0.9人前、でしょうか。まだメルティエさんのお師匠様の元からは卒業してませんので。」
「それって素直に喜んでもいい、のかな!?」
「私は褒めているつもりです。」
「むぅ〜。ちょっと気になるけど、フィルカちゃんがそう言うなら、そういうことにしておいてあげるっ!」
メルティエさんは、えへっ、と小さく笑ってから。
「お師匠様に弟子入りしたのが10歳くらいの時、だったかな?その時は本気で星姫士さまみたいになるんだっ!て思ってたんだ。今はさすがに、星姫士が空想上の存在だって分かっているつもりだったんだけど……。」
「だけど?」
「ある日、通りがかりに助けた女の子が、星姫士さまそのもの!みたいな女の子で、実はおとぎ話が全部本当になんじゃないかって思ったりすることがあるの。」
「つまり、私が星姫士、ということですか……?」
「うん。おとぎ話の星姫士さまは、星詠みさまを守る時には魔力で姿を変えて戦うの。戦いが終ったら星詠みさまがゆっくり休ませてあげて、また次の戦いの時に備えて。……何だか、あたしたちみたいだなぁ、って。」
ちょっと恥ずかしそうにしながらも続けるメルティエさん。
「星樹もね、伝承の研究が始まった頃から星詠みとの関係があるんじゃないかって言われてて、それで星の樹、星樹って名前が付いたらしいの。と言っても、そのはっきりとした証拠は見つかって無いらしいんだけど。でも、学者さんの間では今もその学説は一定の支持されているんだって。」
「メルティエさん、研究のことについても知っているんですね。」
「おとぎ話のこと、マーニャさんに話したら流れで教えてもらったの。だからその受け売りですっ!」
「そんなに胸を張るようなことでは……。」
「えへっ。大好きなフィルカちゃんがあたしの
大好き。
その言葉が私の心をくすぐって、むず痒くて、噛みしめるたびに段々と落ち着かなくなる。そんな言葉だから、さっさと遠くへ投げ飛ばしたい気もするけど、そらはあまりにも勿体なくてどうしてもできそうにはなかった。
「……私はきっと、そんな大層な魔法使いでもないです。それよりも、メルティエさんの方が、その、星詠み、でしたっけ?それっぽいなぁって思いました。」
「えっ?あたしが?」
「はい。右も左も分からない私を先へ先へと導いてくれたのはメルティエさんですから。私にとっての星詠みさま、です。」
「あたしがフィルカちゃんの……。それ、いいかもっ!じゃあ、フィルカちゃんは、あたしの星姫士さまっ!今日までずっとあたしのこと、守ってくれたからねっ!」
私がメルティエさんの……。
誇らしいような、でも恥ずかしいような。
会話の流れでしかない。そんなのは十分分かってはいるけど、メルティエさんが私のことをそうやって選んでくれたのであれば。
「わ、分かりました。メルティエさんを守れるようにもっともっと精進します。」
「うんっ。これからも頼りにしてるよっ!あたしの星姫士さまっ!だからふたりで明日も頑張ろうねっ。」
「明日は探索、行けませんけどね。」
「あっ!そうだった……!」
「メルティエさん。そこで、というわけではないんですけど、ちょっと相談があって。」
「なになに?お師匠様に聞かせて?あっという間に解決しちゃうよっ。」
「明日とは別に探索のお休みをもらいたいんです。そろそろお金も貯まってきたので、服とか、生活に必要なものとかを買い揃えておきたいな、と思っていて。もしよければ、メルティエさんにも手伝ってもらえたらと。」
「もちろんだよっ!そうだよね、ずっと探索ばっかりだったもんね。いい機会かもしれないから……、明後日!明後日にしよっ!」
「あの、そんなに急ぎではないので……。」
「あたしが急ぐの!フィルカちゃんとお買い物かぁ。えへっ。楽しみっ!」
どのお店がいいかな、とか、何が私に似合うかな、とか、すっかり買い物モードに入ってしまったメルティエさん。
すると。
「へっくちっ!」
大きなくしゃみをしたメルティエさん。
「そろそろ宿に戻りませんか?風邪を引いたら買い物、行けなくなってしまいますし。」
「それは困るっ!よ〜し、明日の管理局でのお話とやらも、早めに切り上げてお買い物できるように頑張っちゃおうっ!」
私の手をきゅっと握ったメルティエさんが立ち上がる。私もそっと引き上げられた。
「私達が頑張ったところでどうにかなるわけでもなさそうですけど。まぁ、私が覚えていることはほぼ無いに等しいので早く終わってしまいそうですが。」
「お昼には終わるかな?」
「さぁ。それはあちら次第でもありますから。」
「むぅ〜。でも一応、お店は考えておくねっ。」
「お願いします。」
手を繋いで砂利道を宿へと戻る。
手を繋いで……。途中で気が付いて、途端に恥ずかしくなって解きたくなったけど、今更、そんな事を言うのも憚られて。
だから、極力意識しないようにして、でもふわふわな心地で夜の道を歩いた。
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