星樹の門②

 次の日は、朝日が完全に登り切る前に宿を出た。

 いつもは片付けや掃除で忙しそうにしているソミアさんが、今日に限っては見送りに来てくれた。

 玄関で靴を履き終えたメルティエさんと外へ出る。私が来たばかりの頃に比べたら暖かくなってきたけれど、朝早い時間はまだまだ寒い。私の変身後の衣装が肌の出る部分が多いから、かもしれないけど。

 メルティエさんは、いつものウエストポーチよりも大きなリュックを背負っている。行き来に1日と星樹の麓で1日過ごす3日間の行程のことを考えて、必要なものと迷宮内で集めたものを運ぶために、二人でお金を出し合って急遽きゅうきょ、買ったもの。それを揺らしながら軽い足取りで石畳の上を歩いていくメルティエさん。

 ふと振り返ると、ソミアさんが軒先のきさきまで出てきていて、私達をじっと見つめていた。はっきりとは見えなかったけれど、どことなく寂しげにも見えた。

 星樹の門まで行くと言っても、道中はこれまで探索してきた道と大して変わらない。景色もモンスターも代わり映えのしない薄暗い道を淡々と進むだけ。それだけなのに、ちょっとだけ楽しくもあった。

 行程の半分を過ぎたところで迎えたお昼には、ソミアさんが焼いてくれた保存の効くパンを齧る。外側は硬いけれど、中はふわっとしていて噛むたびに甘さがほんのりと口の中いっぱいに広がる。

 美味しい。

 何個でも食べられそう。

 メルティエさんも私と同じ感想を持ったみたいで、もう1個食べようとしていたけれど、ソミアさんから1食1個で3日分と予備の1日分だから、と出発前に念押しされたのを思い出す。ごそごそとリュックの中を漁って紙袋に包まれたパンを取り出そうとするメルティエさんを止める。

 そんなこんなありながら薄暗い迷宮を進むと、やがてまっすぐ続く通路の先に小さな光が見えた。

 

「フィルカちゃん!出口だよっ!」

「走ると危ないですよ。」

「へーきへーき!っとっとっとぉ~っ!」


 くるくると回りながら駆けていくメルティエさんが、注意したそばから足をもつれさせてしまった。

 何だかんだ、モンスターと戦いながらここまで歩いてきている。それは慣れている、とは言っても途中からは知らない道だからそれなりに疲れているはずなのに、軽くはしゃいでしまっているように見えた。


「走らないでください。一緒に来ましょう。まだ迷宮の中ですから。」

「はぁい。」


 ちょっと不満そうに返事をしたメルティエさんに私が追いつく。二人で並んで明かりのもとへと歩いていく。


「えへっ。」

「どうかしましたか?」

「新しい景色、一人で見に行くのも楽しいけど、ふたりだと、フィルカちゃんと一緒だともっと楽しいなぁって思っただけ~。」


 メルティエさんは、私の心をくすぐる言葉ばかり投げかけてくる。特に、ここ最近になってからは。そのせいで、日に日に気恥ずかしさが増している。


「……そんなものでしょうか。」

「え~。フィルカちゃんは楽しくない?」

「い、いえ。そういうわけではない、ですけど……。」


 素直に、「はい。」とうなずけない私。

 私って、こんなに自分の気持ちに素直になれないような人間だったのかな……。目覚める前の記憶はないから、そんなことを考えたって仕方がないのだけど。

 それに、きっとメルティエさんだって、「楽しいです。」って答えた方が嬉しいに決まっている。それが私の本音ならなおさら。

 それは分かってはいるんだけど、どうも最近、私の心は私の言うことを聞いてくれない時があって。

 自分に対してしっくりこない。

 それはどうしてなのか、なんて答えが出無さそうなことを考えながら歩みを進めると、徐々に薄暗さが振り払われていく。

 眩しく赤い夕焼けの光。一瞬、暗がりに慣れた目が光りに眩む。それも徐々に視界が晴れると、まるで巨大な壁のような木の幹が視界の左右に大きく広がっていた。幅だけでなくて高さも。見上げると後ろに倒れてしまいそうなほどに高く、赤い夕焼けの空に枝葉が届いている様が目の前にあった。

 きっと、この世界の何物よりも大きいのだろう。私の“知っている”世界はまだまだこのあたりだけなのだけど、おそらく、ここまでのものが他には存在しないという確信を抱かせるには十分な迫力だった。


「すっごいねぇ……。」


 メルティエさんは私の隣で、ぽかん、と口を大きく開けて星樹を見上げていた。


「そうですね……。」

「近くで見るとまた違うなぁ。」

「……これ、本当に木なのでしょうか。」

「う~ん。でもでも、見た目は木だし、大昔からあるらしいから、こんなに育っちゃった、のかも?」

「それにしても、ですけど……。」

「だねぇ~。ほらほら、あそこに星樹の門も見えるんだけど~。」


 私達の目の前には星樹の茶色い根と深く落ちていく断崖だんがいに囲まれた平らな広間があって、いくらかテントが張ってある。どのテントも、町の小さな家1軒分はありそうな大きさのものばかりだけど、それと比べてもはるかに大きな石の門が星樹の幹に張り付いている。

 そんな門すらも、星樹の前には小さく見えて、人とのスケールの違いを見せつけていた。


「ひとまず、門の近くまで行ってみましょうか。」

「うんっ!」


 広間の草を踏みしめるたびに、白いマナの光がふわりと宙に舞い上がる。メルティエさんはそれが気に入ったらしくて、私の隣でくるくる周りながら歩数を稼いでマナの光が舞う景色を楽しんでいる。

 可愛らしくて、ちょっぴり幻想的なメルティエさんの様子を一つ後ろで追いながら楽しんでいると、思ったよりも早く門の前まで辿り着いた。

 星樹に比べたらはるかに小さいのだけど、それは比べる相手を間違っているといった具合に、これもまた大きくて。これだけでも、町にあるどの建物よりも大きい。

 3年も開かずのままとは聞いたけど、こんな大きなものを人が開けられるわけがないんじゃないのかな。

 ふと、目の前を見ると不思議な模様が、ちょうど私の視線と同じくらいの高さに彫ってある。風化してしまっているのか、かなりうっすらとして見辛いけれど……。

 これ、私の魔法陣に似ているような……。

 惹かれるようにそれを手で触れてみようとした時。


「こんばんわ。探索者の方ですか?」


 穏やかな若い男の人の声。

 振り返ると、胸に三日月のバッヂか付いた白いローブを纏い、銀縁のメガネをかけた男の人が立っていた。


「はいっ!」


 メルティエさんが元気よく答えた。


「すみません。町で既にお聞きになっているとは思いますが、この『星樹の門』から先はまだ探索ができません。見ての通り、門は封印されていまして。解く目処すら立っていませんので……。」

「やっぱりまだなんですね〜。あっ、もしかして、お兄さんは学者さんですか?」

「はい。私は星樹伝承を専門としているレイバスと申します。」

「レイバスさん!私はメルティエっていいます!アイアエーテ森の里出身の魔法使いです。こっちの子は――。」

「フィルカといいます。魔法使いみたいなことをしています。」

「メルティエさんにフィルカさんですね。よろしくお願いします。」


 礼儀正しいお辞儀につられるように、私も小さく頭を下げた。


「噂には聞いていましたけど、まだまだ開きそうにないんですね。」


 ……メルティエさんの敬語がちょっと新鮮に感じる。なんて言ったら怒られるかな?


「そうですね。3年も研究が続けられているのですが……。」

「お兄さんは3年間、ずっとここに?」

「お兄さんは恥ずかしいので。レイバス、で構いません。」

「それじゃあ、レイバスさんっ。」

「ありがとうございます。私はこの間、この広間に来たばかりでして。」

「そっかぁ……。っと!そうそう、学者さんに聞きたいことがあって、あたしたち、ここまでやって来たんですっ!」

「それはそれは。わざわざこんなところまでお疲れさまでした。私に答えられることであればなんでもお答えしますよ。」

「その、あたしたち、星の光枝を探しているんですけど、何か心当たりとかってありますか~?」

「光枝ですか。そういえば、調査団の記録に何か書いてあったような気がしますが……。時間をいただければ資料を探してきますが。」

「なにか分かるのならお願いしたいですっ!あっ……。フィルカちゃんもそれでいいかな?」


 メルティエさんが私を窺うように見ている。

 ふたりで話し合って決める。それをきちんと守るように意識してくれているんだと思う。


「はい。そうしましょう。」

「分かりました。ちなみに、お二人は今日、野宿されるんですか?」

「はいっ!仲良く野宿ですっ!」

「なんだか楽しそうですね。もし良かったら調査団のテントでお休みになりますか?実は今、調査団は全員、管理局への定期報告のために町に帰っているので。」

「いいんですか!?」

「はい。調査団の方には私から事後に報告しておきますから。」

「あの、レイバスさんは調査団では無いんですか?」


 二人の会話の間を縫って聞いてみると。


「はい。調査の協力はしているのですが、お二人と同じ探索者の身分です。私は魔法も使えて戦いの心得も人並みにはありますので、パーティーに入れてもらって探索をしています。と言っても、お二人と同じで、ここで足止めをされてしまっていますが。」

「なるほど。」

「では早速、と、その前に。お二人も門に触れていってください。」

「門にですか〜?」


 メルティエさんが不思議そうに首を傾げた。


「はい。探索者の皆さんは記念に触れていく方が多い、というのもあるのですが、色々な人に触れてもらうことで、なにか封印に反応がないか見たい、というのもありまして。もし、よろしければ。」

「おお〜。ここで封印を解いちゃったら有名人になっちゃうチャンス?」


 メルティエさんは期待に瞳を輝かせているけど、私はどちらかというと、人目に触れずに平穏な日々を送りたいと、思ったり思わなかったり。

 

「あたしから触っていい?」

「はい。」


 私は一歩下がってメルティエさんに譲る。

 メルティエさんは星型の魔法陣のような模様に手を触れた。

 ……。

 …………。

 ………………。

 何も起こらない。静けさだけが辺りに漂う。

 するとメルティエさんは、ふんっ!と力を込めて門を押し込んでみたり、魔法陣を展開させてみたり、両手で何度も押してみたりし始めた。

 だけど、やっぱりびくともしない。

 その場に崩れ落ちたメルティエさん。


「うう……。フィルカちゃん、ごめんね。あたしには無理だったよ……。」

「ま、まぁ。そんなに気を落とさないでください。」

「あとは頼んだよぉ〜。」


 頼まれても……。

 開かないものは開かない。私たちにとってはただの記念だし、研究者さんにとっても、もはやただの慣例になっているようなことなんだろう。

 ぴょんっ、と跳ねて後ろに下がったメルティエさんの代わりに、門の前に立つ。そして、風化した魔法陣のような模様にそっと触れた。

 途端、白い雷のようなものが、バチィッ、と音を立てて走った。思わず手を引っ込める。

 私を見守っていたメルティエさんもレイバスさんも、きょとんとした様子で。


「フィルカちゃん、どうしたの?」

「えっ。今……。」


 ふたりには見えていなかったみたいで、私の様子を怪訝そうに見ている。

 痛みも何も無かったけれど、確かに何かが手に……。

 私の見間違い……?

 もう一度。

 今度は軽く指先で触れてみる。けれど、何も起こらない。

 やっぱり見間違いだったのかな……?

 そのまま手のひらを当てると、今度は門の表面を波紋のように白い光が広がった。

 ぐいっ、と門を押し込んでみる。

 押し返されると思っていた手には、あまりに拍子抜けな軽い感触しかなくて。ゴゴゴゴッ、と辺りに響く音を立てて中へ中へと開く。最後に、ひょいっ、と突き放すように手を放すと、後は自然に最後まで門が開いてしまった。


「フィルカちゃん……。」


 メルティエさんが目をパチパチさせている。


「あの、開いちゃいましたが……。」

「そんな、こんなことって……。」


 レイバスさんも、信じられないと行った様子で私と開いてしまった門を交互に見やる。


「なんだぁ〜?妙な音がした、が……。」


 テントから顔を出した探索者と思しき無精髭ぶしょうひげの男の人が、開いてしまった門を見て動きを止めたかと思うと。


「門が空いているじゃね〜かっ!」


 良く通るその声に反応して、他の探索者もテントから顔を出して目を見張った。


「こうしちゃいられねぇっ!おいっ!女どもは!?」


 他の探索者もがちゃがちゃと装備の音を鳴らしながら急ピッチで支度を済ませると、我先にとテントを飛び出し、私たちの横をすり抜けて星樹の中へと駆けていく。

 レイバスさんも。


「ほらっ!レイバス!ぼさっとするなっ!いくぞっ!!」

「で、ですがぁ~……。」


 最初に顔を出した男の人に連れられて星樹の中へと消えていってしまった。

 星樹の門の前に残されたのは私達と深くなりつつある夕焼けの静けさ。


「あはは……。みんな行っちゃったね。」

「そうですね。長い間、待っていた人たちもいるでしょうから。でも、光枝のこと、聞きそびれてしまいましたね。」

「うん〜。……ねぇねぇ、フィルカちゃん。」


 なにか言いづらそうにしながら私をうかがい見るメルティエさん。

 メルティエさんが何を言いたいのか、少し分かったような気がして。


「私達も少しだけ、中を見て回りますか?」


 ぱぁっ、と輝きを取り戻したメルティエさん。


「うんっ!行きたいっ!」

「あまり深入りするのはやめておきましょう。食べ物もあまりありませんし、なにより今日は1日中、探索した後ですから。」

「はあいっ!」


 本当に分かってくれるのかな。

 ちょっと心配になるくらいに元気な返事をしてくれたメルティエさんを追いかけるように、星樹の中へと踏み入った。

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