一緒に考えて、一緒に決めて。①

 メルティエさんは結局、目を覚ますことは無かった。

 マーニャさんは大丈夫って言っていたけど……。大丈夫、なのかな……。

 隣のベッドで眠っているメルティエさんは、心地よさそうな寝息を立てているので、そんなに深刻なものではない、というのは本当なんだろうけど、私の心は揺れ続けたまま。

 既にランタンの明かりは落とした、静かで暗い部屋の中、天井をただひたすら見続けて無理やりにでも落ち着こうとする。それでもやっぱり眠れない。

 ……少し、外の空気に当たってこようかな。それで、眠れるようになるのかは分からないけど、今、ここに居るよりはずっといいような気がする。

 そっとベッドから抜け出す。忍び足で、音を立てないように部屋の扉まで。変わらず、すやすやと眠っているメルティエさんを確認してから部屋をあとにした。

 廊下も、階段も、音を立てないように。1階のカウンターの奥のソミアさんの部屋も既に暗い。さすがにもう寝てしまったみたいだった。玄関の端っこにある、共用の外用サンダルを履いて夜の帳が降りた外へと歩みを進めた。

 夜の風が私のほほを撫でる。天を貫く岩山から吹き下ろしてくる風は少し冷たくて、むしろ目が覚めてしまいそうだった。

 見上げると、暗い夜空の3分の1を占めるほどに大きな青い月。そして、白い輝きを放つ星樹の枝葉が伸びている。

 星樹は、まるで……、そう、星。星のような光を枝葉から降らせている。それは、“本来は”夜空に散らばっているはず……。どうして、星が空にあるものなのか、というのは上手く説明ができないけれど、何となくそんな気がした。

 頭上に広がる夜空に違和感があるのは、きっとその“思い込み”のせいなんだろう。

 星の無い夜空の下、湖畔こはん沿いに伸びる砂利道を進む。じゃらじゃらと音を鳴らして、向こう岸が遥か遠くに見えるほどに大きな『アルバリア湖』の波紋一つ無い水面を眺めながら。

 どのくらい歩いただろう。そんなに長い距離ではなかった。砂利道の右手に木で出来た2人用のベンチと、そのすぐ横に佇んだ木が、自然の屋根のように張り出して、ベンチの上を覆っている。

 あまり遠くまで行く気にもなれなくて、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。

 目の前に広がる湖面は、私の心と対をなして、吹き抜ける風にすらほとんど動じず、青い月の夜空を映し出していた。

 ……メルティエさんが目を覚ましたら、なんて話をしよう。

 このまま、一緒に探索を続けさせて欲しい、って言うのかな……。

 メルティエさんは、マーニャさんやソミアさんにいろいろ相談してくれているみたいだけど……。

 それでも立ち行かなくなってしまったら……。

 今からでも遅くは無いから、別々になった方がいいんじゃないのかな……。

 そうすれば、メルティエさんは、私に出会う前までの探索が続けられる。私がどんなに頑張ったところで、メルティエさんの足を引っ張るだけなのは、この1週間で嫌と言う程、分かってしまった。

 でも、メルティエさんはなんて言うだろう。

 それでも私と一緒に居てくれるのかな……。

 それとも……。

 ……ひょっとしたら、私が目の前の湖のほとりで倒れていたのも、誰かに捨てられてしまったからなのかもしれない。

 魔法みたいなものが使えるだけの役立たずで。誰かの足を引っ張って。それでいよいよ、見放されて……。

 たとえ、そんな私だったのなら……、ううん、そんな私だったのならなおさら、メルティエさんのために力になりたかっただけなのに。折角拾ってもらった命をせめて恩返しのために使いたかったのに……。

 本当に、それだけだったのに……。

 今となっては、それはきっと私のわがままでしかないのかもしれない。

 思考が先へ、先へと進むにつれて、ふやふやと視界が歪み、ぼやけ始める。

 どうしたんだろう……。

 目を擦ろうとした時、大きなしずくが零れてほほを伝って落ちて行った。

 私、泣いてる……?

 急いでぬぐってみても、次から次へとあふれ出てきて。

 泣きたいのはメルティエさんの方だよね。

 私のこと、うっかり拾ってしまったから、捨てに捨てられなくて。

 きっと、私よりもずっと、どうしていいか分からないはず。何も覚えてなくて、ただただ手がかかるだけなんだから。

 だから、私が泣いたって仕方がない。そんなのは、頭では分かっているのにぽろぽろと落ちる涙は止まってくれない。止めようって、目をつぶってもだめで。指で押さえてもあふれてきて。

 でも、今ここで涙を枯らしてしまえば、訪れるかもしれない最悪の結果が現実になった時に、メルティエさんの目の前で泣かなくて済むかもしれない。そうすれば、必要以上にメルティエさんを心配させることも、迷惑をかけることも無いだろうから……。


「フィルカちゃんっ!?」


 誰かが近づいてくるのなんて全く気が付かなかった。

 その声に、呼びかけに、身体が自然と反応して振り向いた。

 目の前には、さっきまで私の隣のベッドで眠っていた女の子が立っていた。

 息は少し荒く、肩が上下している。


「メルティエさん……。」


 なんとか、くしゃくしゃになった顔をどうにかしようとするけれど、自分ではもう止められそうになくて。


「フィルカちゃん大丈夫!?何かあったの!?」


 すぐ目の前まで駆け寄って来たメルティエさん。


「いっ、いえっ……、な、なんでもっ……。」


 息を吸うのもやっとで、言葉が途切れ途切れになった上に目詰まりを起こす。


「あわわっ!?ほら、大丈夫だから。ねっ?」


 これ以上、心配も迷惑もかけたくないのに……。


「ごめっ、……さいっ。ごめんっ、なさいっ……。」

「謝らなくて大丈夫だよ?ねっ?」


 メルティエさんに優しくされると、胸がきゅっと締まって、苦しくなって。

 こらえていた声も涙も全部吹き出してしまった。

 どうしょうもなくて、隣りに座ってくれたメルティエさんが静かに貸してくれた膝の上にうつ伏せになって、ひたすら泣いてしまった。

 言葉になりかけていた気持ちが全部、涙に変わっていく。

 どれくらいそうしていたんだろう。

 ただひたすら泣いて、ようやく落ち着いて、顔を上げることができるようになっても、まだ青い月が見下ろす夜の世界のままだった。


「フィルカちゃん、大丈夫そう?」

「はい……。すみません。みっともないところを見せてしまって……。」

「そんなこと無いよ。」


 メルティエさんは何があっても寄り添ってくれる気がした。嬉しいはずなのに、その優しさがまた私の胸を締め付けてくる。


「……メルティエさん、もう具合は大丈夫なんですか?」

「うんっ。いっぱい寝たから!ごめんね、心配かけちゃって。」

「いえ。私のせいですから。私が魔力をもらいすぎたせいで……。」

「フィルカちゃん……。」


 途切れた言葉。

 山から吹き下ろしてくる冷たい風すらも、気まずそうに私達の間を流れていく。


「……メルティエさん。」

「なあに?」


 怖い。

 これ以上話してしまったら、メルティエさんとはそこでおしまいになってしまうかもしれない。

 でも、きちんと言わないといけないと思った。


「メルティエさんはやっぱり、一人で探索をした方がいいと思うんです。助けてもらった私がこんな事言うのもおかしいかもしれませんけど……。私が居てもメルティエさんの足を引っ張っているだけですし、また今日みたいなことがあるかもしれません。ですから――。」

「嫌。」


 メルティエさんに短く、力強く、遮られた。

 私を見据みすえる瞳もやや厳しくて。


「あたしは嫌。あたしは、フィルカちゃんのこと、足手まといだなんて一回も思ったことないよ?むしろ感謝してるんだから。」

「……感謝?」

「うんっ。あたし、敵の足止めとか護身用の魔法は得意だけど、攻撃魔法は苦手意識があって……。それでね、フィルカちゃんがいなかった時は毎日、傷だらけで帰ってきてソミアさんにずっと心配されてたんだ。ソミアさんからは、どっかのパーティーに入れてもらった方がいいって言われてたんだけどね。でも、星樹を攻略するわけでもないのにパーティーに入れてもらうのもなぁ、って思ってたの。そこでフィルカちゃんと出会って、あたしがちょっとワガママを言って手伝ってもらうようになって、それからあたしは無傷で帰ってこれるようになったんだよ。フィルカちゃんがモンスターをぜ〜んぶ、倒してくれるから。だからね、本当に感謝してるの。」


 すっかり、いつもの無邪気な笑顔を見せてくれるようになったメルティエさん。

 ……私がメルティエさんのためになっている。

 だけど……。


「だけど、お金のことも……。」

「あっ!もしかして、ソミアさん、話しちゃったの!?」

「は、はい……。聞いてしまいました……。」

「もうっ!ヒミツにしておいてって言ったのにっ!」

「ソミアさんを責めないでください。その、二人できちんと話をしたほうがいいって言われて、その流れで教えてくれたんです。それに、マーニャさんも。」

「マーニャさんも!?」

「その、メルティエさんが最近、毎日お店で私のことを相談しに来ているって。」

「もうっ!二人とも……。フィルカちゃんが心配しちゃうかもしれないから言わないで、ってお願いしてたのにっ。でも……。」


 メルティエさんは、ふぅ、と一息ついてから。


「でも、あたしもマーニャさんに言われたんだ。そういうことはフィルカちゃんにも話しておいた方がいいよって。むしろ、秘密にされた方が心配しちゃうんじゃないかなって。」

「そう、ですね。心配でした。私と探索するのは難しそうだから、他の人を探しているのかもとか、もう帰ってきてくれないのかな、とか……。」

「そうだったんだね……。ごめんね。その、あたしもフィルカちゃんのためになればと思って頑張ってるつもりだったんだけど。余計に心配させちゃったみたいで。」

「いえ。むしろ、ありがとうございます。私なんかのために――。」

「なんか、じゃないよ。フィルカちゃんは。そういう言い方、あたしは好きじゃないかもっ。」

「すみません……。」

「うんうん。フィルカちゃんはとっても強いんだから。他人のことを考えてくれているし、ちっちゃくて柔らかいし、ぎゅってすると暖かいし。」

「それはちょっと……。」

「でもでも、それもフィルカちゃんのいいところだから仕方がないでしょ?フィルカちゃんにはいっぱい、いいところがあるんだから、“なんか”、じゃないんだよっ。」

「そう、なんですかね……。」

「うんうんっ。実はね、今日、もう少し探索してみようって言うのも、進捗というよりはお金が少し心配だったの。」

「結構厳しいんですか?」

「ううん。まだちょっと余裕はあるの。だけど、今後のことを考えると、少しでもお金があった方がいいかなって。それに、マーニャさんに相談していたこと、そろそろ動き出せそうだったから。それが上手く行けば、お金も探索も心配しなくて済むかなって。」

「どんなことなんですか?」

「それはお楽しみっ!マーニャさんの進捗次第だからねっ。」


 ふと、夕方、マーニャさんが話していたことを思い出して。


「そういえば、マーニャさんがいつでもいいから時間がある時に二人で店に顔を出してくれって言っていたんですが、もしかしてそのことですかね?」

「おおっ!きっとそうかも!マーニャさん、さっすがぁ!じゃあ、早速明日の朝、お店に行って受け取ったらそのまま探索に出かけようっ!」

「明日は大事を取って休んでおいた方が……。」

「問題ないよっ!早速試したいからねっ!」

「でも、やっぱり心配です。また今日みたいなことになったら……。」


 メルティエさんは、う〜ん、と少し考えてから。


「じゃあ、無理はしないっ!フィルカちゃんが帰るって言ったらそうするって約束するから。どうかな?」


 メルティエさんがねだるように私の顔をのぞき込んでくる。

 自然にやっているのか、それとも全て計算しているのか。

 たぶん前者なんだろうけど、どちらにせよ、私はそれに抗う術を持ち合わせてなくて。


「……分かりました。」

「えへっ。ありがとっ!上手くいけば、ふたりで探索、続けられると思うの。それに、きっと、ううん、必ずうまく行くから。だから、ふたりで頑張ろう?」

「ふたりで……。」

「そうっ。フィルカちゃんとあたし、ふたりで探索するんだから。だから、フィルカちゃんだけで抱え込まないで欲しいなっ。」

「それなら、メルティエさんも抱え込まないでください。差支さしつかえなければ、きちんと話してもらいたいです。その、不安になってしまうので……。」

「ゔっ……。気をつけます……。」


 メルティエさんが、しゅんっ、と小さくなった。

 それと同時に、ぐぅぅぅ〜〜、と言う音が、それまでの真面目な雰囲気が全て吹き飛ばしてしまった。


「ああ〜……。」

「メルティエさん、晩御飯、食べてませんもんね。確か、ソミアさんが残りをラウンジの机の上に置いてくれていたはずなので。」

「ほんと!?」

「はい。真夜中にメルティエさんがお腹を空かせて目を覚ましたら食べさせてあげて欲しいって。」

「さっすがソミアさん!」

「宿に戻りましょうか。……すみません。こんなところまで来てもらって。」

「あたしが来たかったから来たの。だから謝っちゃだ〜めっ。」

「すみ――。」


 人差し指を唇に当てられて封じられてしまう。


「だ〜めっ。」

「……はい。えっと、ありがとうございます、はいいですよね?」

「好きで来てるだけって言ってるんだけどなぁ。でも、それならギリギリ、許してあげる。」


 にひっ、と青い月よりもずっと明るい笑顔を見せたメルティエさんは、すっ、と立ち上がって私に手を差し伸べてくれる。そして。


「帰ろっ!」

「はい。」


 手を取り立ち上がると、行きは一人だった砂利道を二人並んで歩いた。

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