第1層 黒い根の先に

大切な人のために……。①

 夜が明けて迎えた朝は、胸がきゅっと締まった心地だった。

 手早く朝ご飯を食べ終えると、メルティエさんは部屋に戻って着替えや支度を、私は変身だけ済ませてラウンジの一番窓際の席に座って待つ。窓の先に見える、波一つ無い、どこまでも広い湖を眺めていた。

 私には少し高い椅子に座って、浮いた足を小さく揺らしていると、メルティエさんが奥の階段から降りて来た。

 私が目を覚ました時と全く同じ格好。大きな三角帽子にちょうどスカートにかかるくらいの丈の前の開いたローブ姿で。


「フィルカちゃ~ん!準備できたよっ!」


 そう言ってメルティエさんが手を振ると、背負った杖がカチャカチャと音を鳴らした。私も席を立ってメルティエさんの元へ向かう。

 メルティエさんは、つま先が三角帽子のようにとんがっている独特な黒のショートブーツを履き終えると。


「ソミアちゃん!行ってくるね~!」

「は~い!いってらっしゃ~い!」


 調理場の方からソミアさんの声だけが返ってきたのを聞いて、ふたりで宿をあとにした。

 青空の下、昨日も歩いた石畳を大通りに出て、そこから右に曲がり、きっとこの世界の何よりも大きい星樹の方へと歩みを進めた。やがて、町の建物が途切れて道だけとなる。先に見えるのは、黒くうねった……、ツタ?いや、根っこのようだった。

 おそらく、星樹の根っこ。それがこんなところまで張り出している。道の先には、びっしりと絡みついて壁のようになっている黒い根の割れ目があった。

 あそこから中へと入れる、のかな?

 その、黒い根の入口には、鼠色ねずみいろ甲冑かっちゅうを全身に着込んだ兵士さんが二人。片手には、ただでさえ屈強そうな持ち主の背丈の倍はある槍を持っている。その槍とほぼ同じくらいの大きさがある石の扉が、兵士さんのたちの後ろで、開け放たれた状態でこちらを見ている。

 メルティエさんは、一方の兵士さんに近づいて行って。


「おはようございますっ。」

「おはよう。お嬢ちゃん。一昨日くらいから見なくなったから、もう探索は諦めたのかと思っていたよ。」

「町で色々とやることがあったのでっ。」

「そうかい。ん?後ろの子はお嬢ちゃんの知り合いかい?見ない顔だが。」

「はい!町で知り合って、探索を手伝ってもらうことになったんです。」

「へぇ。」


 甲冑かっちゅうの中の表情とかはよく分からないけど、私を物珍しそうに見ているのはなんとなくわかった。


「お嬢ちゃんも魔法使いなのかい?それにしては可愛らしい服を着ているが。」

「はい。そんな感じです。」

 私が手短に答えると、兵士さんは顔をすっぽりと覆う兜を小さく縦に動かして。

「魔法使いと言うと、そっちのお嬢ちゃんのみたいに、暗い色のローブや帽子をかぶっているものだと思っていたが。」

「この子はちょっと特別な魔法使いさんなんです!」

「なるほどね。っと、すまないね。おじさんと話すより早く中に入りたいだろうに。」

「話すのは楽しいので大丈夫ですよっ。」


 メルティエさんは、大きめのウェストポーチから二人分の通行証を兵士さんに渡す。兵士さんは扉の横の木の模様が描かれた石碑に槍を立てかけてから通行証の裏表に軽く目を通す。

 ややして、また小さくうなずいてから。


「大丈夫そうだね。ふたりとも、気を付けて。」

「ありがとうございますっ。」

「ありがとうございます。」


 イマイチ揃わない私とメルティエさんの声。

 メルティエさんは兵士さんから返してもらった通行証をポーチにしまい終えてから。


「じゃあ、中へごーっ!」


 兵士さんたちは、元気いっぱいのメルティエさんを見て微笑ほほえましそうな声をこぼした。

 私も兵士さんの気持ちは分かるのと同時に、ほんのちょっぴり恥ずかしくなった。

 そんな私を気にも留めずに中へ入って行ってしまうメルティエさん。私も置き去りにされないよう後を追いかけた。

 中は、黒い根が壁や天井のように張り巡らされて、通路のようになっている。

 『黒き根の道』。朝、メルティエさんが教えてくれた、今日から潜る迷宮の名前の意味がすぐに理解できる景色だった。

 幅は人が4~5人くらいは横に並んで歩けそうなくらい。それも、均一では無くて、所々広くなったり、狭くなったりしている。天井は人の背丈の倍くらいの高さがあるけれど、これも場所によってまちまち。ただ、どこも普通に立ったまま歩けるほどの高さは確保されている。

 陽の光は届かず、薄暗い。薄暗い、で済んでいるのは、誰かが壁をなす黒い根に括りつけてくれたランタンが、小さな明かりで足元を照らしてくれているのと、地面からふわふわと湧き上がってくる青白い光のおかげ。

 それにしても、なんだろう。このふわふわ。

 手で触れても通り抜けてしまい、何物にも邪魔されることなく、ゆらゆらと舞い上がっていく。


「それはね、マナだよっ。」


 メルティエさんは、そんな私の様子を見て取ったのか、何も聞かずとも答えを私に教えてくれた。


「魔法を使うための、って言っていたやつですか?」

「そうっ。普通は見えないんだけどね。マナ濃度が濃い場所とか、高度な魔道具を使ったりすると目に見えるようになったりするんだ。あっ、身体に悪いものじゃないから安心してね。いて言うなら、魔法が使いやすいのと、明かりにちょうどいいって感じかな。」

「なるほど。」


 もう一度だけ、浮かび上がってきたマナの光をつかもうとしてみる。だけどやっぱり、何事も無かったかのように天へと昇って行ってしまう。

 そんなことをしながら歩き進めていると、十字路に出くわした。


「え~っと、この道はどっちだったかなぁ。」


 メルティエさんはポーチから地図を取り出して、ばさっ、と広げて確認し始めた。

 私も後ろからのぞき込んでみる。地図の紙自体も大きいけれど、そこに細かく中の様子が記されていて、この迷宮がかなり大きいことが見て取れた。それに、所々、黒いインクで書き足されたところがある。文字もあれば絵もある。

 メルティエさんが、気が付いたことを書き足しているのかな。

 私がまだ、ここに来る前のメルティエさんの足跡。メルティエさんの秘密を盗み見ているような気がして、小さな罪悪感が芽生えてしまう。それに負けて、地図から目を離して、3方向に分かれた分岐の先を見回した。

 右、前、そしてメルティエさんの向こう側にある左へと続く道へと目を向けた時だった。

 言葉にしがたい、不気味な雰囲気が通路の先に漂っているのを感じた。

 ……何かが来る。

 “何か”は分からないけど、それが決して“いいもの”ではないことは気配だけでも分かった。


「メルティエさん、下がって――。」


 私がメルティエさんに伝え終えるよりも早く、迷宮の奥から迫る黒い影は私達を捉えようと風を切って襲いかかってきた。

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