第19話 酒のツマミになる話ではない母との会話

 バイトが終わって、へとへとで家に帰る途中。

 スマホから着信音が。

 嫌な予感はするが、出ないわけにもいかない。


「あんた、乃絵美ちゃんにセクハラして怒らせたって? ほんとだったら殺すよ?」


 母親からの電話に出たら、最悪の言われようで怒られた件。

 母親が息子に殺すとか言うなよ。


「いや、セクハラじゃないんだよ。別にツッコミと称しておっぱい触ったとかじゃなくて」

「そんな痴漢やったら死刑よ」


 母親が息子に死刑とか言うなよ。

 そして、これでこの作戦は実行することが絶対にできなくなってしまった。言わなきゃよかった。

 じゃなくて。弁解しないと。


「あいつがなんか一方的に怒ってたから、あの日かって言っただけだよ」

「――自首しなさい」


 息子をすぐに犯罪者扱いするなよ。なんらかのコンプライアンス違反になるかもしれないけど、犯罪ではないだろ。


「なんの罪なんだよ。謝ればいいとかじゃなくて?」

「だって菓子折り持って土下座くらいじゃ済まないでしょ」

「ええ? そんなに? じゃあ、なにすりゃ許されるんだ?」

「そうねえ、爪の間に熱した針を指すとか」

「いや、古代中国の拷問か。それで許すやつ怖いだろ」

「耳をひとつ削ぐとか」

「ゴッホか。どんなお詫びの仕方だよ。耳を削いだ真相がそんなんなわけあるか」

「右腕に漢字で忍者って入れ墨するとか」

「日本好きの海外の格闘家か。なんでそれで許すんだよ」

「わさびたっぷりのお寿司食べるとか」

「いきなりバラエティ番組の罰ゲームじゃねーか。それで許されるならやってもいいよ別に」

「まあ今のは冗談だけど」

「全部冗談であってくれよ」


 なんなんだよこの母親。

 バイト終わりになんでこんな疲れるやり取りしなきゃいかんのだ。

 

「だって乃絵美ちゃんを怒らせた男だよ? あんた、他の男がそうしたらどう思うの」

「は? んなもん死んで詫びろよって思うね」

「ほらそうじゃないの」

「くそーっ! 死ぬしかねえーっ!」


 客観的に言われたら自殺することになってしまった。くそ、なんてこった。


「骨は拾ってあげるわよ」

「母親が言う事じゃねーなあ……」

「そもそもなんでそんなこと言ったわけ。乃絵美ちゃんが怒るなんて」

「あー。俺がボケなかったからだよ」

「どういうこと?」


 俺は自分が有利にならないように、やり取りをなるべくそのまま説明した。

 途中で家に到着し、座椅子に倒れ込む。


「てなわけよ」

「なるほどねえ」


 話を聞き終わると、落ち着いた様子で深い相槌をいただいた。

 最初から話を聞いてくれと思わなくもないが。


「わかった?」

「わかった」

「何が」


 死ねとか死刑とか言ってた人が、ここまで落ち着くからには何かを理解したのだとは思ったが。何か確信したようです。


「これは愛だね」

「なんでだよ」


 どういうことなんだよ。

 あんなブチギレるやり取りのどこに愛があんだよ。


「だって、乃絵美ちゃんはあんたのために怒ってんじゃない」

「は?」

「あんたが自分を犠牲にしていると思ったのよ」

「いや、そうじゃないんだが」

「あんたがどう思ってるかなんて聞いてないの。乃絵美ちゃんはそう思ったの。そういうこと言ってるとモテないわよ」

「ぐっ」


 母親に「あんたモテないわよ」って言われるのすげーヤダ。死ねとか死刑の方が全然マシだ。


「あんた乃絵美ちゃんのことしか考えてないでしょ」

「んなわけないだろ。コンビのことを考えてんだよ」

「どういうコンビよ」

「そりゃ乃絵美の良さを」

「――ほら、乃絵美ちゃんじゃない」

「いやだって」

「――いやだってじゃないのよ。否定ばっかしてるからモテないのよ」

「ぐぬぬ」


 くっそ。

 俺は缶ビールの蓋を開けた。酒のツマミになる話ではないが、飲まずにやってられっか。


「あたしはね、そりゃお笑いコンビのことはわかんないわよ。でもね、母親だからね。夫婦のことはわかる。お笑いコンビってのは夫婦みたいなもんだろ」

「んー」


 夫婦がわからんからなんともいえないが、ここで違うと言ったところでまた「だからモテないんだ」と言われるだけなので黙ってビールを飲む。


「コンビのことを考えてる。それは夫婦も同じよ。あたしだって夫婦のこと、家族のことを考えてはいるわよ」

「なるほど?」

「あんた、お仕事ご苦労さま。いやいや家事も大変だろ、ありがとな。お互い、感謝はするわよ」

「うん」

「だけどね、俺はお前らを食わせるために我慢して仕事してんだ、なんて言われたらぶん殴りたくなるね」

「あー」


 まあ、それはそうかも。

 じゃあ一人だったら仕事しねえのかよって思うし。

 

「こっちだって、そう思うことはあるよ。掃除をやりたくないときだってある。おむつを替えるのめんどくさいときだってある。でも、やるよ。家族のためだから」

「うん……」


 ビールが苦いぜ。そのうち親孝行しとこう。


「でも、望んで夫婦になったんだ。欲しくて子どもを産んだんだ。そういう人生にしたいと思ってしてるんだ。家族の犠牲になるなんて言い方は腹が立つ」

「うん」


 言わんとしてることはわかった。確かにそういう意味では同じだ。俺がボケなかった理由。似たようなことを言ってた。


「どうせ楽しくやってなかったんだろ。ふてくされてやってたんだろ。俺は、俺のためじゃなくてコンビのためにやってんだ、って言わんばかりに」

「……」

「塾の勉強をやってあげてる、やりたくないけど親のために。あんた、そんな感じだったね?」

「……そうだったかもな」

「塾に行くのはあんたのためだろ。こっちはあんたが塾に行くためにパートしてんだよ」

「ああ……」

「でも、塾に行って偉いね、ご褒美あげないとねー、って言ってただろ。それはあんたに塾に行って欲しいから。あたしが行って欲しいからだもの」


 そうだよな……。

 塾に行かせてもらったうえに、大学進学はしないでお笑い芸人になった。マジで申し訳ない。


「わかった?」

「そうだな、つまり」

「――いや、あたしに言わなくていい。後はふたりで話しな」


 一方的に切られた。

 くっそ、勝手だな。

 はあ……ビールも残ってるし、冷凍シュウマイでもチンするか……。

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