決断

 翌日。唯が大阪へ発つ日だ。

 見送りへ行くべきなのか空也は決めかねていた。

 自宅で勉強している間も、つい今後のことを考えてしまいまるで身にならない。

 シャーペンを放り投げ、腕組みをしてどうするべきかを真剣に考え始める。

 二択しかない。遠距離にはなってしまうが唯を選ぶか、やっぱり付き合えないとはっきり言うか。自分の心に蓋をするか、唯を傷つけるか。どちらかだ。

 選択肢はこれ以外にないことを真実との一件で学ぶことはできた。しかし、決断をすぐに出せるかどうかは別の話だ。

 答えの出ない空也の思考はスマートフォンの通知音で中断された。確認すると、珍しい人物からのメッセージだった。


 校門前で待っていると、5分ほどしてみやこが現れた。

「おまたせしました。行きましょう」

「ああ」

 2人自転車を押して歩き始める。

 以前唯から「2人も連絡先交換したらー?」と言われ一応みやことも連絡先を交換していたのだが、まさかメッセージのやり取りをする日が来るとは空也も思っていなかった。

「唯先輩が今日出発すること知ってますよね」

「まあな。奥田は前から知ってたのか?」

 なんとなく空也が予想していた通り、話題は唯のことだった。

「もちろんです。見送りには行きたいのですが、当日は大事な人に送ってもらうからってお別れ自体は昨日済ませました」

 みやこは無遠慮な視線を空也に向けてくる。『大事な人』とはつまり自分のことなのだと空也はすぐに分かった。

 それにしても、あれほど好きな先輩が遠くへいってしまうというのに、みやこは妙に落ち着いているように見える。昨日お別れを済ませた、と言っていたので昨日で感情をすべて吐き出したからだろうか。

 それはともかくとして、以前『唯へ想いを伝えたらどうだ』という提案をしたときのみやこの発言や態度が腑に落ちた気がして、軽はずみな発言をしてしまったことに罪悪感が湧いてきていた。

「すまなかった」

「知らなかったなら仕方ないです。それに須藤さんにデリカシーは期待してませんから。そんなことより、もちろん須藤さんは見送りに行くんですよね」

「まあ」

 曖昧な返事でごまかした後ろめたさから、みやこから視線をそらす。

「須藤さん」

「なんだ」

 名前を呼ばれ、視線を戻す。

「卑怯者」

「なっ」

 真顔で言われた言葉に、空也は言葉を失った。

「私は気持ちを伝えないという『決断』をしました。それなのに須藤さんは唯先輩の気持ちに答えずに、そしてこのまま唯先輩から逃げるつもりですよね。私をけしかけるだけけしかけておいて、自分は逃げるんですね。そんなに逃げるのが好きなら、陸上を始めたらどうですか?」

 空也は地面に視線を落とす。

 逃げ続けると様々なものを失うと身を以て知った。もう逃げるのは終わりにしたい。

 だから、昔の自分を捨てなければならない。嫌なことから逃げて、それで不本意な状況になったとしても仕方ないと諦めている自分とは今日でお別れだ。

「……そんな訳あるか」

 顔を起こし、まっすぐにみやこを見つめる。

 みやこは無言で見つめ返してきた。空也の言っていることがその場しのぎではないか見抜こうとしているのだろう。

 もちろん空也の本心だ。負けじとみやこの目をじっと見る。

「……」

 間を置いてみやこはため息とともに空也から視線を外すと自転車にまたがり、

「約束ですからね」と言い残し、その場を去っていった。

 どんなことがあっても行くつもりだが、大見得を切ったからには行くしかない。

 とりあえず一旦家に戻ろうと思ったところで真実からメッセージが届いた。

『涼ちゃん今日行くって』

 続けて送られてきた飛行機の出発時刻は18:10だった。


 18時ちょうど。唯は隣市の駅の改札前にいた。

 焦燥感で落ち着きなく動く体を押さえ、通行人の中から空也の姿を探す。

 きっと来てくれるはず、と根拠もなく信じていたが、さすがにこの時間になっても姿を現さないとなると信念が揺るぎ始めてしまう。

 ホームは改札を通り抜けてすぐのところにあるのでギリギリまで改札前にいることができるが、駅に設置されている時計を確認すると、『18:01』。もうホームに向かったほうがよさそうだ。

 空也は結局来てくれなかった。無性に泣きたくなってくる。「きらい」と無意識のうちに口に出してしまう。

 しかし無理もない。最後に空也を怒らせるようなことを言ってしまったから。

「わたしのばか」

 自分の性格がイヤになってくる。だけどやっぱり空也も悪い。いや絶対に悪い。

「くーくんのばか」

 つぶやいた瞬間目尻から涙が垂れていた。鼻水も出てきた。これでは改札の前で突然泣き出し始めた変な女だ。

 もう行った方がいい。カバンから切符と特急券を取り出し、改札へ向かおうとしたところで「唯」と後ろから声が聞こえた。

 振り返ると、走ってきたのか肩で息をする空也が立っていた。

「くーくん」

 来てくれないと思っていたけど、ギリギリだけど、来てくれた。

 よく見ると空也は荷物で膨らんだカバンを背負っていた。もしかして一緒に大阪に来てくれるのだろうか。と思ったが、さすがにありえない。しかし、とにかく来てくれたことは事実だ。

「唯、話がある」

「うん」

「やっぱり、俺は唯のことを――」

 唯は息を呑んだ。望み薄だと思っていたけど、最後に空也は自分を選んでくれた。

 と思ったが、この言い方だとどっちにも取れることに気づき――

「選ぶことはできない」

 ずっと鳴っていた盲導鈴の音も何もかも、聞こえなくなった。まるで自分だけ違う空間に切り離されたかのようだった。

「……うん、そっかー」

 思いっきり泣いて困らせてやろうかと思ったけど、ギリギリのところで思いとどまって、今にも崩れてしまいそうな笑みを無理やり作った。

「すまん」と空也は頭を下げる。

「いいよ別に。仕方ないよ」

「悪い」

 空也は頭を上げると申し訳無さそうに顔をしかめる。

「ううん。じゃあ、元気でね」

「ああ」

 空也は背を向け、去っていく。

 これで終わりだ。本当に終わり。最後は期待させておいてこのオチ。

 次の瞬間、体が勝手に動いていた。

「バカ!!」

 空也に走り寄り、尻に向かって蹴りを入れる。予想外だったであろう衝撃に、空也はつんのめり、倒れた。

 時刻が気になり時計を見ると、『18:05』。振り返ることなく改札に向かうと、困惑する駅員を尻目に自動改札機へ切符と特急券を入れ、ホームへと走る。

 すでにホームに入ってきていた電車に乗り込み、自分の席に腰を下ろす。

 一息つくと、怒りがこみ上げてきた。断るためだけにわざわざ顔を見せに来るなんて。ふざけるな。期待してしまったじゃないか。

 幼い頃から何度も告白し続けて、6回目にOKをもらったと思ったら他の女に持っていかれてしまった。自分の今まではなんだったのだろう。

 ふと昔読んだマンガか小説で、自分みたいな状況になってしまったキャラクターのことを『負けヒロイン』と呼ばれていることを思い出し、すぐに何が負けヒロインだ。と腹が立ってきた。

 なんで恋愛に敗れたくらいで『負け』の烙印を押されなきゃならないんだ。

 外野がわかりやすい属性をつけて面白がるためだけに、なぜこんな不名誉なラベル付けをされなきゃならないんだ。一生懸命恋に生きてきたヒロインに失礼だとか思わないんだろうか。

 自分は負けちゃいない。幸せになって、自分を選ばなかったことを後悔させてやるんだ。

 ベルが鳴り、ゆっくりと電車が動き出す。

 今までのことがフラッシュバックし、涙腺が壊れたかのように涙が溢れ出した。

 泣くんじゃない。車窓に反射する自分の間抜け面をにらみつける。本当にひどい顔だ。笑いたくなってくる。なのに、車窓の風景が変わり、徐々に外が暗くなり始めるまで涙は止まらなかった。

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