過去の咎
その日の深夜。空也は眠れずにいた。
意味のないことをしていると眠くなるとどこかで聞いたことを思い出し、天井の模様が何に見えるか考えてみたが、それでもやっぱり眠れない。
枕元のスマートフォンのスリープを解除すると、時刻は1:30。この時間となるとセミも鳴いておらず、本当に無音だ。
通知が一件だけあった。唯からのメッセージで、内容は『起きてる?』と一言だけ。送られてきたのは5分前だ。
迷った末『起きてる』と返すと、すぐに『ちょっと出てこられない?』と返ってきた。
こんな時間に話したい内容だ。些細な内容ではないだろう。
『橋の前で』とメッセージを送ると、空也は外に出た。
2分も経たずに唯はTシャツにショートパンツというという格好で現れた。胸の形がもろに出ていて、視線に困る。
「で、どうしたんだ」
唯と向き合わなくて済むように欄干の前に移動すると、唯も空也の横にやってきた。
「……暗いね」
唯は返事の代わりに、橋の下へ視線を向ける。
橋の3メートル下には川が流れていて、月の光を反射している。
「昔はホタルがいたらしいけどな」
氾濫が何度も起こり、それ以外の要因も重なってホタルの幼虫が成長できない川になってしまったからだ。
「くーくん、喉乾いた」
「じゃあ、来栖の家に戻れよ」
さっきから会話がろくに成立していない。もしかして寝ぼけているのだろうか。
「冷蔵庫勝手に開けるの気が引ける」
「水でいいだろ」
「お茶が飲みたい」
この辺に自動販売機なんて便利なものは存在しない。つまり、唯の狙いは家に上がることなのだと空也は理解した。
「我慢しろ。俺はもう寝る」
空也が歩き出そうとしたところで唯が腕を掴んできた。
「お願い」
俯いていて表情を見ることはできなかったが、声から切実さが伝わってくる。
空也はしかめっ面で額を掻くと、ため息をついた。
「分かったよ」
「やった。これでなんとか一命を取り留めることができそう」
唯は顔を上げ、笑みを浮かべる。
「大げさな」
幼なじみに強く出ることができない自分に呆れながら、唯と並んで無言で須藤家へ向かった。
「ほれ」
空也は自室のベッドに腰を下ろしている唯に、麦茶の入ったグラスを渡した。
唯は受け取るなり、本当に喉が乾いていたのか一気に飲み干すと、
「生き返った〜」
一応時間帯を意識しているのか、リアクションの割には控えめな声で言う。
今、深夜の自室に幼なじみが寝間着姿でいる。健全な男子高校生の1人である空也も、当然不健全なことを考えてしまう。
「お茶飲んだなら送ってくから。ほら」
だからこそ、唯を長居させるわけには行かなかった。
グラスを受け取ろうと唯に向かって手を伸ばす。
「えー。3分だけ。3分だけでいいから。おねがい」
唯はグラスを持っていない右手だけで祈るポーズを取る。
嫌な予感がしたが、力づくで帰らせるわけにもいかない。
「分かったよ」
唯の横に座ると、グラスを差し出してきたので受け取り、一旦床に置く。
「で、何を――」
話すんだ、と言おうとしたところで空也の視線は天井を向いていた。唯に押し倒されたのだ。
唯は空也を押し倒したまま体を移動させ、空也の顔の真上に唯の顔が来る格好になる。
「何のつもりだ」
「ねえ、くーくん」唯は空也の質問を無視して真剣な目で空也を見る。「私の足も結構よかったでしょ」
空也は答えなかったが、内心では頷いていた。唯の無駄のない足と黒タイツの組み合わせは、涼佳という空也の中で唯一の存在を脅かすほどだったからだ。
答えようとしない空也に、唯は「私のこと、可愛いと思う?」と次の質問をぶつけてくる。
それももちろん思う。小学生の頃はそうでもなかったが、中学生になった頃から唯は変わり始め、唯の幼なじみだからか、周りから「彼氏がいるのか」と何度も聞かれるようになった。
自分たちのことを知らない人間が今の状況を見たら、「ウジウジしてないで受け入れればいいだろう」と思うに違いないと空也は思った。
だがそれはありえない。自分にはそんな資格はない。唯に酷いことをしてしまったのだから。
「私、気軽に男の子の部屋に入るほど軽い女じゃないよ。これでも、緊張しているんだから」
よく見ると、確かに唯の表情は固く、緊張しているように見えた。
空也の視界に映るのは唯の潤んだ目、暗い部屋でも分かる夏の果実のような瑞々しい唇、そして白い肌。視線を下げれば、Tシャツの柄がかわいそうになるほどの2つの丘が出来上がっている。
空也の理性の糸は、繊維の最後の一本が切れる寸前だった。
しかし。
「ッ……ダメだ」
首を可動域いっぱいにまで横に向け、明確な拒絶を唯に示す。これが空也の答えだ。
3秒の沈黙の後、ゆっくりと唯の手から力が抜け、唯は空也から離れる。
「これだけしても、ダメなんだね」
感情を抑えた声で言うと、一度も視線を合わせることなく部屋を出て行った。
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