冷笑

 その日の夜。3人はその後石原家に移動し、唯も含めて当たり前のように夕飯を食べていた。

「……矢倉に見つかったときはどうなるかと思った」

 空也は右手に箸、左手に茶碗を持ったままため息をつく。

「まあ、日頃の行いがいいわたしと涼ちゃんが『ただ写真撮ってただけです』って言えば万事解決だよねー。あ、真実さん今日は麦茶なんですね。健康的でいいと思います」

 喧嘩を売るわけでもなく上機嫌で唯が真実に話しかけ、

「まあ、うん」

 真実は曖昧に答えて麦茶を飲む。

 とりあえずは真実に絡むのはやめたようだ。横目で2人のやりとりを見ていた空也はため息をつくと、ご飯を口に運ぶ。

 一時はどうなるかと思ったものの、状況が落ち着いてきた。完全に問題が解決したわけではないが、一旦は先送りにすることができそうだ。

 心が平和だとご飯が美味い。

 空也はお茶を一口飲むと、ホッとため息をついた。


 夕飯を終えると、松子は様々な種類の入った花火セットを4人に見せた。

「そういえばこんなもの買ってきたんだけど、どうだい?」

「いやいや、子供じゃないんだから」

 見るからに子供向けなパッケージに空也は乗り気ではなかったものの、

「わー、やりたいです」

「私も」

「じゃあ3人でやろっか」

 空也を残して涼佳、唯、真実の3人は外に出ていってしまった。

「……」

 残された空也は口をポカンと開けて出口を見ていたものの、

「し、仕方なくだからな」

 後を追って外に出た。


 玄関の前でろうそくを台紙に立て、それぞれが火をつけていく。

 先端の紙が燃えはじめ、弾けるような音ともに、にぎやかな光を放ち始めた。

 辺りを火薬の匂いが漂い、その匂いに『夏』を感じた。空也が最後に花火をしたのは小学生の頃だから久しぶりではあるのだが、セミの鳴き声と同じように夏を感じるものの1つになっていたようだ。

「昔はこうやって花火したよね」

 横では真実が空也とは違う花火を手にしていた。光で真実の顔が明滅する。

「確かに昔は毎年やってたな」

 昔の記憶が蘇る。当時も真実と2人でこうやって花火をしていた。

 それにしてもここまで花火の音と火花って大きかっただろうかと思ったものの、音自体には不思議と安心感を覚えた。

 一本目の火が消えると水の入ったバケツに放り込み、次の花火を手にとって火をつける。

 花火なんて子供の遊びだと思っていたが、久しぶりにやると思ったより楽しい。

 2メートルほど離れたところでも、涼佳と唯が手持ち花火を楽しんでいた。

「私花火するの初めてなんだけど結構楽しいね。夏って感じがする」

「そうなんだー? じゃあ今夜は涼ちゃんに花火の楽しさを知ってもらわないとねー」唯は手にしていた花火が消えると、袋から置いて火を付けるタイプの花火を取り出した。「そしたらやっぱこれだよねー」

「わあ、どれからにしようかな」

 唯が手にしている花火のどれから火を付けるか涼佳が迷っていると、

「じゃあ全部かなー」

 唯は等間隔で花火を置いていく。

「おいちょっと待て」

「何?」

 流石に危なくないかと空也がツッコミを入れようとしたときには時既に遅し。唯はすべての導火線に火をつけ終えていた。

「ほらほら危ないよー」

 唯が小走りでこちらへ向かって来るのを見て、空也も花火から距離を取る。

 直後、手持ち花火の何倍もの火花が飛び散り始め、さらに打ち上げ花火からロケットのように光の玉が頭上に飛んでいく。

 一気に火を付けたせいで一瞬辺りが薄明るくなり、花火たちの音が入り交じる。

 田舎の一戸建てだけあって石原家の敷地は広い。近くに燃えやすいものもなく、火事のリスクは気にしなくても問題ないとはいえ、空也は不安を抱いていた。

 しかしいざ一斉に花咲く花火たちを見ていたら、不安がどこかへ行ってしまった事にも気づかず、花火を見入っていた。

 涼佳と唯の2人も、

「なんだかテンション上がってくるね」

「たまや〜って感じだねー」

 子供のようにはしゃいでいた。

 やがて花火が消え、辺りは静かに、そして暗くなる。

「ほら、まだ花火はあるし続きやるぞ」

 あとに残った寂しさをかき消すように空也が両手に持った花火に火を付け始めると、

「あれ、須藤くんは子供じゃないのにずいぶん楽しそうだね」

 火の付いた花火を手にした涼佳が空也の左側にやってきた。

「花火は夏の風物詩なんだから子供も大人もないだろ」

 本当は単純に楽しくなってきたのだが、それっぽく聞こえる言い訳でごまかす。

「ふふ。そうだね」

 そこで会話が途切れ、火薬の匂いと花火の音を堪能していると、空也の視界の右側が一際明るく、うるさくなった。

 視線をそちらへ向けると、唯は両手で3本ずつの、計6本の花火を同時に点火していた。

「どうだ明るくなったろー」

「おい何やってんだ」

「一度やってみたかったんだよねー。あ、さすがにちょっと熱いね」

 さすがに危ないだろと注意しようと思ったところで、

「唯ちゃん」

 涼佳が唯へ近寄っていった。きっと注意してくれるのだろうと思ったものの、

「私もやりたい」

 まるで友達が持っているおもちゃを自分も欲しいと言いだした子供のようだった。

「注意するんじゃなかったのかよ」とツッコミが口に出てしまう。

「とか言ってー。くーくんもやりたいんでしょー?」

「1本あれば十分だ」

 ちょうど消えた花火をバケツに入れると、一本だけ火をつける。

 本音を言えば確かに楽しそうだが、あんなに何本も火を付けたら風流さがなくなってしまう。

 そうしみじみと感じながら火をつけたばかりの花火を楽しんでいると、

「ちょっと怖いけど、このよくないことをしている感が楽しいね」

「でしょでしょー」

 唯と涼佳が両手に持っている合計12本の花火が光と音を放ち始めた。

 別に羨ましくない。花火は1本で十分。これが日本の夏だ。羨ましくなんてない。

 何度も自分に言い聞かせていたものの、2人が楽しそうでついに我慢ができなくなった。

 空也も両手に3本ずつ花火を持ち、火をつけた状態で2人の横へ歩いていく。

「あー、結局くーくんもやってる。素直じゃないなー」

「う、うるさいな」

 結局唯たちに屈してしまったのが悔しいが、少し危険だと分かっていつつも、何本も同時に花火が弾ける光景は自分の中の童心を刺激してしまう。これは楽しい。

 気がつけば線香花火以外の他の花火をすべて使い切ってしまった。

「じゃあ、最後に線香花火でシメかなー」

 空也たち3人で三角形を作るように向かい合った状態でかがみ、中心に置かれたろうそくで火をつける。

 さっきまでの花火たちと比べると地味だが、その地味さが締めくくりとしてぴったりな気がした。派手なアクション映画でも、ラストシーンは地味な方が余韻が残るのと同じ理屈だ。

「あれ、そういえばばあちゃんたちどこ行ったんだ?」

 空也が首だけを動かして辺りを見渡すと、いつの間にか真実と松子は並んで玄関の横にある縁側に座っていた。真実は缶ビールを、松子はお茶を手にしている。

「私たちのことは気にしなくて大丈夫だから〜」

 真実は手を振りながら呂律が怪しい声で言う。

「結局飲んでるのかよ」

 空也は誰にも聞こえない大きさの声でツッコミを入れた。


 唯は居間に入ると、涼佳に「お風呂入ったよ」と声をかけた。

「うん。じゃあ今度私入るね」

 入れ替わりに涼佳が居間を出ていく。

 最後にしめやかに線香花火を楽しんだあと、唯は松子に「今日は泊まっていったら」と提案され、お言葉に甘えることにした。

 畳に腰を下ろし、ホッとため息をつく。古い家だが冷房はちゃんと効いていて気持ちがいい。

 涼佳から借りたTシャツの胸元をつまむ。少しきつくて無意識のうちに優越感を覚えていると、

「どうぞ」

 松子が麦茶を差し出してきた。

「ありがとうございます」

 受け取るなり一気飲みしてしまう。火照った体にはたまらない。

「涼ちゃんとは仲良くやれてるかい」

「はい、もちろんです」

 自分の中で一番の笑みを松子に向ける。

 正直涼佳に対して思うところはあるし、彼女が何を考えているのか分からないときもある。

 だけど女の子は仲が良くない相手とも仲良くできる生き物で、涼佳とはそうしているだけだ。

 以前のように感情のままに空也に食って掛かっていても、嫌われてしまうだけだ。だから、『おしとやか』にチャンスを待つのだ。

「あれ?」

 そういえば脱いだ服を脱衣場に忘れていた。流石にまだ涼佳は浴室にはいないだろう。今のうちに取りに行くのがよさそうだ。

 居間を出て脱衣場の半開きになっているドアを開くと、下着一枚になっていた涼佳がそこにいた。

「きゃっ」

 すかさず涼佳が胸元を隠す。

「あ、ごめんね」

 謝罪とともにドアを即座に閉めると、「うん、大丈夫」とドア越しに声が聞こえてくる。

 一瞬見ただけだったが、涼佳の白い裸体をはっきりと頭の中で思い描くことができた。

 胸と足の細さは多分勝っているが、くびれるべき所はバッチリくびれていて、あんなに大食いなのに最近まで運動部だった自分よりもしかしてスタイルがいいかもしれないと思うと、「ずるい」という気持ちが芽生えてくる。

 しかし唯がより強く印象に残っていたのは、涼佳の足に残された傷口だった。

 つまり、涼佳はあの傷を隠すためにずっとタイツを履いていたのだ。確かにデニール数が高ければ分からないだろう。

 空也は涼佳の足を大絶賛していたが、あんな傷があればガッカリするに決まっている。

 何一つ「あの女に勝てる気がしない」と思っていた。でも、案外そうじゃないかもしれない。

 笑うにはまだ早い。まだ武器を手に入れただけだ。勝手に上がろうとする口角を無理やり下げようとしたものの、意思に反して上がり続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る