承認欲求

 午後3時。空也は士郎と聡の3人で『ジャコウコーヒー』に来ていた。以前みやこも含めた6人で行ったカフェだ。

 4人掛けの席に座り、向かいに座る士郎と聡に最近あったことを所々ぼかしながら話す。

「訳がわからん」

 粗方話し終えると、士郎は呆れた表情でソーダフロートに刺さったストローを吸った。

「同感だね」

 横に座る聡も同様のようで、腕を組んだ状態でうんうんと頷く。

「とりあえず言えることは」士郎は胸の前で広げた左手に右拳を打ち付ける「お前を一発殴ったほうがいいのか?」

「奇遇だね。僕も同じことを思ったよ」

 聡が笑顔でパキパキと拳を鳴らす。2人とも筋肉質だ。殴られたらただでは済まないだろう。冷房が効きすぎているわけでもないのに寒気がしてきた。

「待て! 平和的に解決しよう」

 空也は上体を反らし、2人に向かって両手のひらを向ける。

「それなら、和平にあたっての草案を提出してもらおうか」

 士郎はテーブルに両肘を着き、組んだ両手の上に顎を載せる。

「……なんて言ったらいいんだろうな」

 士郎の迫力に押され、空也はテーブルの上の水滴に視線を落とす。

 不誠実なことをしているのはわかっていた。唯の想いを知った上で、涼佳とは友人同士ではしないことをしている。

 唯に自分の考えをきっぱりと伝えるか、涼佳とのこの謎の関係を終わらせて唯と向き合うか、どちらかを選ばなければならない。

 しかしどちらにせよ逃げ続けていた唯との関係に区切りをつけねばならず、前に踏み出すには大きな勇気とエネルギーが必要だ。つまり、身動きが取れなくなっていた。

「このままでいたいって感じだね」

 顔を上げると聡と目が合った。目が細い聡はいつも上機嫌に見える顔をしているが、今はその表情が内心を見透かされていそうで怖かった。

 確かに、このままのらりくらりとしながら、大きく関係を変えずに時間に任せたいという気持ちはあるし、できるならばそうしたい。

 空也が黙りこくっていると、士郎が口を開いた。

「空也、いいか。お前が関係を変えようとしなくても、周りはそうじゃないんだ。変えたくないなら相応の努力が必要だ。何もしなければ、壊れるぞ」

「っ、分かってるよ」

 士郎の言いたいことも分かるし、自分のことを思っての発言だというのも、空也は分かっていた。だからこそ、士郎の目を見ずに愛嬌のない返事をしてしまう。

「それならいいが」

 士郎がわずかに残ったソーダフロートを飲み干したところで、店内に客が入ってきた。

 女の子3人組で、見覚えのある部活のジャージを着ているので、空也と同じ高校の生徒のようだ。

 3人が空也たちのいる席の前を通り過ぎようとしたところで、1人が足を止めた。

「須藤さん」

「奥田?」

 みやこだった。

 空也がつい近くに唯がいないかあたりを見渡していると、

「唯先輩ならいませんよ。部活休んでますから」

 空也の心を見透かしたようにみやこが言った。

「そ、そうなのか」

「ところで須藤さん、ちょっと話があります」

 みやこは一緒に来ていた2人に「先に頼んでいて」と断りを入れると、出口を顎で示した。

「分かった」

 椅子から立ち上がり、みやこの後に続く。直感的に唯の話だと思った。

 外は相変わらず暑いが、店内の冷房が強かったこともありちょうどよく思えてくる。

 対してみやこはすぐに出ることになってしまったからか、不機嫌そうだ。

「……この前の合宿で、唯先輩が仮病を使って途中で帰ってしまいました」

 みやこは敷地の端へ空也を誘導すると、振り返るなり言った。

「唯が?」

「はい」

 空也には信じられなかった。

 唯は中学から陸上を続けており、高校に上がってからは部内のエースポジションにまで上り詰めたほど実力がある。

 それだけに、部活に真剣に取り組んでいた唯が仮病を使うなんて空也には信じられなかった。

「本当に体調悪かったかもしれないだろ?」

「いえ。私は唯先輩の後ろ姿だけで体調や喜怒哀楽を把握することができます。だから断言できます。絶対にあれは仮病です。そのうえで」みやこは空也を指差す。「須藤さん。あなたのせいです」

「……なんでそう言い切れるんだ」

 自覚はないことはない。しかしみやこに決めつけられてしまうのは心外だった。

「先輩は事あるごとに『くーくんがね』と須藤さんの話をしてきました。うっかり私もくーくんと呼んでしまいそうになったことがあるほどです。なのに今はわざと避けているようにすら見えます。それに、須藤さんも心当たりがあるんじゃないですか」

 にらみつけるというよりは、心の奥を覗き込むような目でみやこが見てくる。

 みやこの言うことは正解だ。空也は罪悪感を抱かざるを得ない状況に陥っていた。

「言いましたよね。『唯先輩を悲しませたら許しませんから』って。どうせ須藤さんのことです。唯先輩の好意は知っているくせに、はぐらかして向き合うとせず、挙句の果てに涼佳さんとくっついちゃったりしてるんじゃないですか?」

 空也は無意識のうちにみやこから距離を取る。

 みやこの鋭さには驚きだが、それにしてもなぜここまで唯のことを慕っているのか疑問だった。先輩後輩の関係にしてはみやこの思いが強すぎる。

 ――ふと、空也の中で一つの仮説が芽生えた。

「奥田ってもしかして唯のこと好きなのか」

「はい。先輩として尊敬しています」

「そうじゃなくて、恋愛的な意味で好きなんじゃないか」

「何言ってるんですか。先輩も私も女の子ですよ?」

 みやこは低い声で吐き捨てる。

「性別は関係ないだろ。それに、奥田から向けられている敵意からそう思うんだよ」

 お互い視線をそらすことなく、時間にして5秒見つめ合うと、

「……はあ。大人しく鈍感でいてくれればいいのに。本当にあなたのことは好きになれません」

 みやこは視線をそらし、髪を気だるそうにかきあげた。

「想いを伝えてみたいとか思わないのか」

「いいえ。あと少しの辛抱です。このまましばらく我慢すればいいだけですから」

「本当に後悔しないのか」

 あと少しとはどういうことなのだろう。唯が卒業するまでということならばまだ長い気がするが、今はそれよりも大事なことをみやこに尋ねる。

「しません」

 みやこは迷う様子を見せることなく即答した。

「それ、俺の目を見て言えるか」

「何思い上がってるんですか? 余裕に決まってますよ」

 みやこは空也をにらみつけてきた。普段ならば萎縮してしまうはずなのだが、今のみやこは威勢を張っているように見えてまるで怖くなかった。

「唯に迷惑かかるとか考えてるんじゃないのか」

「私が我慢さえすればいい話ですから」

 その一言でついさっき士郎に言われたことを思い出す。みやこは胸の奥にある感情を常に押さえながら過ごしている。それはエネルギーを使う行為で、気持ちを押さえ続けなければならない自分の境遇に辛いと思ったことも一度や二度ではないはずだ。

「俺が力を貸すって言ったら?」

「傷を負って帰ってきた私を都合よく籠絡するつもりですか。ゴミですね」

 口汚く罵ってくるが、いつもより罵倒にキレがないせいで怖くなかった。

「もちろんムリにとは言わない。だけど、唯と奥田両方に面識がある俺はうってつけじゃないか?」

「……」

 みやこは無言で空也をしばらく睨みつけた後、呆れたようにため息をついた。

「話になりませんね」みやこは空也に背を向け、歩き始めたかと思いきやすぐに立ち止まった。「私だって何度も考えたに決まってるじゃないですか。その上でこれが私の答えなんです。その程度さえ想像できないんですね」

 言い終えると、今度こそ空也の前から去っていった。


 空也がみやこの胸に秘めた想いを知った夜。唯は自宅で1枚のA4用紙に自分の名前を書いていた。用紙の上側には『退部届』と書かれている。

 本当はギリギリまで部活を続けるつもりだったが、このままでは空也の心を完全に涼佳に奪われてしまう。やめることに躊躇がないわけではないが、今の唯にとっては優先すべきは部活よりも空也だった。

 名前を書き終え、三つ折りにしてカバンにしまうと、スマートフォンを取り出す。

 SNSで調べてみたところ、少数派ではあるが、足が綺麗に見えるということから夏にもタイツを履いている人がいることを唯は知った。

 その中に、気になる投稿があった。

『#黒タイツ』とハッシュタグつきで投稿された、黒タイツを履いた足だけを写した写真の中に写っているベッドに見覚えがあったのだ。涼佳の部屋にあったものと酷似している。

 これは偶然なのだろうか。だが、直感的にこれは涼佳の部屋で撮られたものだと女の勘が告げていた。

 とはいえ、これを突きつけてどうこうというつもりはとりあえずない。

 ただ、なぜ涼佳がこのような写真を投稿していたのかが疑問だった。

 あんなにきれいで、勉強もできるのにSNSに写真を上げてチヤホヤされたい欲求があるなんて信じられない。

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