撮影会再び

 翌日。今度は思ったより早くやってきた。

 空也は父親に何度も頼み込んで借りたカメラを手に涼佳の部屋にいた。

「今日はカメラなんだね。本格的」

 麦茶の入ったグラスを手にした涼佳は姿勢を落とし、カメラのレンズを覗き込む。

「というかなんで制服なんだ?」

「特に意味はないよ。なんとなく須藤くんは好きかなって思って」

 涼佳は麦茶をベッドの脇にあるミニテーブルに置き、ベッドに腰を下ろす。

 涼佳の言うことは当たっていた。制服のスカートから伸びる足は空也のお気に入りだ。

「……撮るぞ」涼佳から見て左側へ移動する。「左膝を立てて、上体を後ろに倒してくれ」

 涼佳が指示に従い、ファインダーには涼佳の下半身のみ映り込む。

 太ももの裏側からお尻へかけて、スカートの中に消えていくゆるやかな曲線。膝を曲げたことで透けが強くなりできあがるグラデーション。そしてふくらはぎの膨らみ。なぜかは分からないが、見ているだけで肌がひりつくような感覚を抱く。

 何枚か写真を撮ると、カメラを涼佳の部屋にあるノートパソコンに繋ぎ、その場で確認する。

「うーん、確かにきれいだけど、前のほうがよく撮れてる気がするんだよね」

「まだ撮り始めたばかりだからだろ」

 否定したものの図星だった。膝枕をしてもらうことで頭がいっぱいで、さすがの空也といえども集中力を欠いてしまっていたのだ。自分で見ても、『いいものを撮る』という目的が消え、ただ撮るだけになっていたのが否めない。

 カメラ自体は決して悪くない。レンズと合わせればスマートフォンを何台も買えてしまう値段をしている。ただ、空也が使いこなせていないのだ。

「あ、分かった」涼佳は立ち上がると、ベッドの上に足を伸ばして座る。「これでしょ?」

「なっ……」

「図星だね」

 涼佳は目を細め、満足げに微笑む。

 正直のところ、今すぐにも涼佳の太ももに頭をうずめたかった。しかしがっついてるようで格好悪い。空也はその場を動こうとせず、抵抗の意思を見せる。

「我慢はよくないよ? ほら、おいでよ」

 涼佳は自分の太ももをぺしぺしと叩き、その音を聞いた瞬間、空也は花の香りに吸い寄せられる虫のように涼佳のもとへ歩き始めた。

 そしてベッドに乗り涼佳の太ももに頭を載せた瞬間、脳がバターのように溶け出したかのような快感が広がった。

 太ももは程よい弾力で空也の頭を包み込み、黒タイツの肌触りと伝わってくる体温は、体が液状になりベッドに吸い込まれていきそうな安らぎを与えてくれる。

 空也は気の抜けた表情で天井を眺めていた。頭の中は程よい温度の湯船に浸かっているかのような心地よさが流れていくのみで、何も考えられない。不安や悩みがあったはずなのに、すべて他人事のように思えてくる。

 ふと、涼佳と目が合った。涼佳は一瞬困ったような表情を見せると、視線をそらし、自慢の黒髪で顔を隠す。

「下から見るのはなし」

 涼佳にしては意外な反応で、空也も至近距離で目が合ったのには気恥ずかしさを感じ、

「す、すまん」

 視線を涼佳の頭とは反対側に向ける。

 しばらくそうしているうちに、時間感覚がなくなってきた。

 まだ5分しか経っていないような気がするし、1時間はすでに経過したような気もしている。

 だが、何時間経過していようがいまいが空也には関係なかった。ただ、このまま永遠にこうしていたい。

「ねえ」

「ん?」

「ちょっと脚が痛くなってきたかな……」

 しかしこの至福のひとときは永遠には続かなかった。人間の頭は意外と重いのだ。

「分かった」

 名残惜しいが仕方がない。

 空也は太ももに張った根を引き剥がすように頭を離し起き上がった。自分の仕事を忘れてしまったかのように、まるで頭が働かない。

「喉乾いちゃった」

 涼佳も立ち上がりミニテーブルに置かれているお茶を取ろうとしたものの、足がしびれていたからだろう、足をミニテーブルにぶつけてしまい、足にお茶がかかってしまった。

「あーやっちゃった」

「おい、大丈……」

 水を被り、光沢が強くなったタイツが視界に入った瞬間、空也は魂が抜かれたかのように固まった。まさに天啓を受けた瞬間だった。

「来栖。今から外に行くぞ」

「え? でもこぼれたお茶を拭かないと。それにタイツも濡れちゃったし」

「外って言っても家の前に出るだけだ。行くぞ」

 空也は視線でドアを示し、困惑する涼佳とともに部屋を後にした。


 2人は玄関を出ると、石原家の裏口側に回った。そこには農機具を洗うための蛇口があり、傍らには長いホースが置かれている。

「ここでなにするの?」

 空也は答えの代わりにホースを繋ぎ、蛇口をひねると、水を涼佳の足にぶっかけた。

「きゃっ」

 水に濡れたタイツは涼佳の足に張り付き、水着のような光沢を放っていた。そして、より黒が強くなる。

 困惑して目をぱちくりさせる涼佳をよそに、空也は首からかけていたカメラを構えると、写真を1枚撮り、すかさず液晶モニターで確認する。

「素晴らしい」

 思わずため息が出てしまう。

 これは邪道だと空也自身も分かっていた。黒タイツの良さが失われてしまう。まさしく芸術品に水をぶっかける行為だ。

 ただ、女の子の足特有のくの字のラインと、濡れてしまっていることによる頼りなさが恐怖とも興奮とも言えない感情を空也に抱かせ、夏だというのに身震いがしてくる。

 これから何枚も涼佳の足の写真を撮ることになるとしても、この1枚は下位にくることを撮る前から確信していて、そしてその予想は間違っていなかったようだ。ただ、インスピレーションが撮れと言っていた。

「よし、もう1枚!」

「須藤くん待って」空也がカメラを構えようとしたところで、涼佳が手を前に突き出した。「これはナシ」

「あと1枚だけでもダメか?」

「ダメ」

「そこをなんとか」

 空也は両手を合わせ懇願する。

「じゃあ、一回カメラを置いてここにまた戻ってきて」

「え? ああ、分かった」

 何をするのかは分からないが、これも写真のためだ。

 空也はカメラを涼佳の部屋に置いてくると、小走りで涼佳の元へ戻り――そして水をぶっかけられた。

「なにすんだよ」

「さっきのお返しだよ〜」

 涼佳はいたずらに夢中になっている子供のような笑みを浮かべると、ホースの口を指で抑え、再び空也に向かって水を放出する。

「ちょ、おい、もう借りは十分返し……ひゃう!」

 無意識のうちに涼佳に背中を向けたものの、冷水を浴びせられ間抜けな声が出てしまう。

「ふふ。さっきの声女の子みたい」

「う、うるせえ」

「ほら、いい声で鳴きな~」

 再び涼佳は空也に向かって水を放出する。

「アッ! ヒャッ……」

 空也は背中を丸め、涼佳から逃げ惑う。涼佳がこんな子供みたいなことで楽しそうにしているなんて、士郎や聡に話しても信じてもらえないだろう。

 しかし、こんな涼佳を見ることができるのは自分だけだと思うと優越感が湧いてきて、なぜだか分からないがこのひとときを楽しいと思ってしまったのだった。


 ちなみにその後何度も涼佳に頼み込んだものの、結局あの1枚しか撮らせてもらうことはできなかった。

 余談だが、自分もしくは他人の衣服が水で濡れたり汚されたりする行為に性的興奮を覚えることは『WAM』と呼ばれている。

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