初撮影
テスト期間も終わり、夏休みは目の前だ。
唯もギリギリ補習も回避でき、すでに2人はデートの約束を交わしていた。
空也はテスト期間だからといって勉強量を増やしたりしない。毎日時間を取って真面目に取り組んでいるからだ。
その日も放課後になると早々に帰宅し勉強していると、涼佳から電話がかかってきた。
『今からうちに来られる?』
「勉強中なんだけど」と答えながらノートに文字を走らせる。
『約束、覚えてるよね?』
無論忘れてはいない。
初めて涼佳の足を目の当たりにしたとき、確かに写真に収めたいと思った。
しかしいざ『ごほうび』を前にすると、「本当にいいのか」と冷静になってしまう上に、 唯に悪いのではないかとも思う。
とはいえ、すでに網膜に焼き付いてしまっている涼佳の足を思い出すと、体の奥底から熱が湧き上がり、じっとしていられなくなってくる。
それに不埒な行為をするわけではない。涼佳の足という芸術作品を写真に収めに行くだけだ。
「もちろん覚えてる。今から行く」
空也はノートも参考書も机の上に広げっぱなしにしたまま部屋を飛び出した。
石原家の玄関は昔ながらの日本家屋特有の玄関土間になっており、入ってすぐの右側には、空也の胸くらいの高さの靴箱が置かれている。
空也が石原家に訪れるのは久しぶりで、足を踏み入れると懐かしい香りがした。
空也たちの住むあたりでは、家を尋ねるときは呼び鈴を押すのではなく、まず戸を開けて中に入る。空也もクセでそうしてしまったので一度外に出て呼び鈴を押しに戻ろうとすると、
「あれ、空くんどうしたの?」
前方に真実がいた。玄関から続く廊下はT字に伸びており、ちょうど横線にあたる廊下を通りかかったようだ。
真実は空也へ向かって歩いてくる。
なんと答えたものか。真実に正直に用事を言うわけにはいかない。
「そっ、その、来栖とテストの振り返りをしようって話になって」
とっさに出た言い訳だった。
「ふーん」真実は空也の心を見透かしたような微笑を浮かべた。「感心感心。勉強熱心なのはいいことだね」
「まあ、勉強は学生の本分だし?」
「後で飲み物持っていくね。涼ちゃんの部屋は私の向かいだから。分かるよね?」
「ああ」
家に上がると2階の涼佳の部屋へ向かう。
涼佳の部屋のノックをすると、涼佳が出てきた。制服姿だ。
「入って」
涼佳に促され、部屋に入る。
幼かった頃に真実や唯の部屋に入ることはあったが、思春期以降に女の子の部屋に足を踏み入れるのは初めてのことだ。つい、部屋の中に置かれているものを観察してしまう。
家具はもともと石原家にあったものを使っているのか古いものが多く、空也が想像する女の子の部屋とは雰囲気が違っていた。
しかし、涼佳が持ち込んだと思しきインテリアやベッドの上のクッション、カーテンなどは女の子らしいデザインのものばかりで、ここで普段涼佳が生活していると思うと、つい嗅覚へ意識が向いてしまい――
「何か珍しいものあった?」
「ぬぉっ」
立ち尽くしていた空也を不思議に思ったのか、涼佳が話しかけてきた。
「どうしたの? 大声出して」
「いや、どこかで見たことあるような家具だなって。ハハ」
嘘は言っていない。幼い頃に確かに見たことのある家具が涼佳の部屋には置かれていた。
「なるほどね」涼佳は壁に沿って置かれたベッドの上に腰を下ろす。「じゃあ、早速撮ろっか」
「その、本当にいいのか?」
ここでなかったことにされるとは思わないが、つい念押しをせずにはいられなかった。
「嫌って言ったら?」
「!」
思わず表情に落胆が出てしまった。
「ふふ、わかりやすいね。撮って大丈夫だよ。あ、もちろんえっちなのはだめだからね?」
涼佳は目を細め、挑発的に笑う。
「わ、分かってるよ! じゃ、じゃあ、ベッドに座ったまま足を組んでくれ」
動揺しつつも涼佳に指示を出す。
涼佳はスカートが短い。脚を深めに組むだけで、ランガードがギリギリ見えない程度にタイツに覆われた涼佳の足が露わになる。
空也は生唾を飲み込んだ。
足を組みさらにタイツが引き伸ばされたことで、上に来ている右足の膝からすねにかけての透け感が強くなり、太ももの曲線と肉感もより強調される。
「須藤くん大丈夫?」
「何が?」
足に見入ってしまっていた空也は視線を上げる。
「鼻血出てるよ」
「なっ」
とっさに鼻の穴付近を触ると、確かに指先に液体が触れる感覚があり、そして赤かった。
「ふふふふふ」
涼佳は軽く握った拳を口元にやり、笑い始めた。
なんだか顔が熱くなってくる。
「ええい、笑うのは後にしろ。撮る――」
「ふたりとも勉強捗ってる?」
空也が手にしたスマートフォンを涼佳に向けたところで、真実が部屋に入ってきた。
「なっ……」
空也はスマートフォンを構え、首だけ真実に向けた姿勢で固まっていた。
この状況はまずい。何をしていたのか追求されて上手く切り抜けられる自信がない。
「ふたりとも何して……ああ、涼ちゃんの写真を撮ってたんだね」
「え?」
思いの外好意的な反応の真実に困惑しながら涼佳に首を向けると、右手を顔の高さにまで上げ、ピースサインを作っていた。
「須藤くんが撮るの上手いって言ってたので、1枚撮ってもらおうとしてたんです」
「なるほどね」
真実は微笑を浮かべながら、グラスに入った麦茶を机の上に置いた。
「そ、そうなんだよ。ハハ」
「ふたりともいつの間に随分と仲良くなったんだね。私としても嬉しいところだけど」
真実は部屋から出ていこうとしたところで立ち止まると、
「でもあんまり過激なのはダメだよ?」
流し目で空也を見て部屋から出ていった。
空也はなぜ真実がそのような発言をしたかよく分からなかったものの、すぐに理由を察し、鼻の穴付近を触った。そう、鼻血だ。
「ティッシュいる?」
涼佳が笑いをこらえながら箱ティッシュを空也に手渡してきた。
「……もらう」
空也は涼佳の顔を見ずに手早くティッシュを取り出すと、鼻に突っ込んだ。
撮影会が始まり、空也はディスプレイに映る涼佳の足を注視しながら、体操座りをしている涼佳に注文を出していた。
「3センチくらい足を前に出してくれ。あーちょっと出しすぎ」
「こう?」
「オッケー。そうだな、足の指をちょっと曲げてみてくれるか? うーん、やっぱり微妙だな。力抜いて自然体がいいかな。あー、いいぞ」
「須藤くんなんかキャラ変わってない?」
「しゃべるなブレる」
「あ、ごめん」
大物映画監督顔負けの細かい注文を出しまくる空也。
撮影開始当初、空也は緊張と後ろめたさから思うような写真が撮れないでいた。それに涼佳のスカートも短いものだから、事故が起こらないかヒヤヒヤして仕方がなかった。
「次は仰向けになって上に向かって足を伸ばしてくれ」
「こうかな」
しかし気がつけば涼佳の足以外が意識から消失していた。今の空也はただ涼佳の足という被写体を撮りまくる自律駆動マシンだ。
時間を忘れて涼佳に思いつくままに構図を要求し続け、
――気がつけば夜になっていた。
「何!? もうこんな時間だと?」
アプリの通知によって我に返った空也は、表示されている時刻に驚きを隠せなかった。
それに冷房が効いていたにも関わらず、背中や脇が汗だくになっている。
「今日はこれくらいかな」
「そうだな。それにしても、随分撮ったな」
最新の写真から1枚ずつ写真を見ていく。ベッドの上にうつ伏せになってもらったり、女の子座りをしてもらったり、上から見ると両足を『ル』の右側のような形に曲げてもらったり。
一時的にある種のトランス状態になっていたとはいえ、我ながらよく思いつくなと思っていながらスワイプしていると、ある1枚の写真で空也は固まってしまった。
気をつけながら撮っていたにも関わらず(多分)、写ってはいけないものが写ってしまっており、その後にも何枚か写ってしまっていた。
まずい。その場で削除しようとすると、
「私にも見せてよ」
涼佳が空也に手を伸ばしてきた。
「いや、ちょっと待て……あ」
パニックのあまり、写真一覧画面に戻ってしまった。サムネイルだとまずい写真がどれだか特定することができない。
「早く見せてよ」
「いや、待て」
「待たない。被写体には確認する権利があるでしょ」
涼佳は空也の手からスマートフォンを奪い取ると、写真を確認し始めた。
終わった。判決を告げられる直前の被告人ってこんな気分なのだろうか。
空也にとっては永久に終わらないのではないかと思うような時間が過ぎた後、涼佳はディスプレイから顔を上げた。
「ねえ」
判決は社会的な死刑だろうか。しかし次に涼佳の口から出た言葉は空也にとって予想外のものだった。
「すごいね。須藤くんって。才能あるんじゃない?」
「え? ああ、ありがとう」
困惑したまま空也はスマートフォンを受け取る。写ってはいけないものが写ってしまっている写真は1枚ではない。涼佳が気づかなかったというのは考えられない。
サムネイルから例の写真があったと思われる位置の写真をタップし、前後の写真も含めて確認する。
なぜ涼佳は何も言ってこないのだろう。まさか気づかなかったのだろうかと思ったものの、 写ってはいけないものが写ってしまった写真はすべて削除されていた。どうやら見なかったことにしてくれるようだ。
「写真見てたら思ったんだけど」
いつの間にかベッドに腰を下ろしていた涼佳が、自慢の黒髪に手ぐしを通りながら言う。
「お、おう、何だ?」
「他の服でも写真撮ってもらいたくなってきちゃった。今度の土曜日って空いてる?」
年頃の男女2人で買い物。空也の中では紛うことなきデートだ。
本音を言えば行ってみたかった。のだが、その日デートの約束が入っていた。
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