食卓

 その日の19時過ぎ。空也が母親と2人で夕飯を食べていると、インターホンが鳴った。

「こんな時間にお客さん? 空也出てくれる?」

「はいはい」

 箸を置いて玄関へ向かうと、唯が立っていた。

「こんばんはー」

「何しに来たんだ?」

 唯と何か約束した記憶はない。それにまだ明るいとはいえ、時間帯としては夜だ。

「えー、ひどいなー。今日のくーくん何だか変だったから様子見に来たのに」

 変ってなんだよ、と空也が尋ねようとすると、

「あら唯ちゃん」

「おばさんこんばんは」

 後ろに現れた空也母に、唯は表情をほころばせた。空也母と唯の母親は友人で、当然空也母と唯も顔なじみなのだ。

「今日はどうしたの?」

「学校でくーくんの様子がなんだか変だったので気になって」

「あら。でも空也はいつだって変だと思うけど」

 その一言で唯と空也母は一緒に笑い出す。

「おい」

「そういえば唯ちゃんはまだ夕飯まだでしょ? よかったらウチで食べていかない?」

「本当ですか? じゃあ、ごちそうになります」

 空也の抗議を無視して2人はリビングに向かっていった。


 3人で食卓を囲み始めて2分ほど経ったところで、再びインターホンが鳴った。

「空也出てくれる?」

「はいはい」

 来客の多い日だなと思いながら玄関へ向かうと、そこにいたのは涼佳だった。大量のキュウリが入ったビニール袋を手に下げている。

「こんばんは」

「あ、ああ、こんばん……は」

 涼佳は隣の家なのだから、別に家にやってきても不思議ではないのだが、玄関に涼佳がいるのに違和感を抱く。

「おばあちゃんがいっぱいキュウリ採れたからって」

 涼佳は手にした袋を胸の高さにまで上げる。

「ああ、ありがとう」

 涼佳からキュウリを受け取ると、空也母が空也の後ろに現れた。

「あれ、どなた?」

「初めまして。隣の松子おばあちゃんの孫の、来栖涼佳といいます」

 涼佳は頭を下げた。形ばかりのものではなく、敬意が込められているのが姿勢から伝わってくる。

「ああ、あなたが涼佳ちゃん。空也と同い年とは思えないわね。こちらこそ」

 空也母も涼佳に倣って頭を下げ、頭を上げると、

「そうだ。涼佳ちゃんもウチでご飯食べていかない?」

「え? いいんですか?」

 涼佳の表情が明るくなる。

「あ、でもこの時間だから向こうも準備してるわよね」

「大丈夫です。家帰ってからも食べるので」

 涼佳は靴を脱ぎ、須藤家へ上がる。

 リビングに涼佳が現れると、「え、涼佳ちゃん?」と唯は驚いた様子を見せた。

「涼佳ちゃんは隣のおばあちゃんの孫なのよ。あ、そういえば真実さんも帰ってきてるって知ってる?」

 空也母が涼佳の分を用意するためだろう、キッチンに向かいながら説明すると、

「孫? 真実さん?」

 唯の表情は一気に説明されたことによる混乱というよりは、提示された事実に困惑しているようだった。


 再び夕飯を食べ始めた直後。

 涼佳は唯に尋ねられ、自分の身の上を説明していた。

「私のお母さん、つまり松子おばあちゃんの娘なんだけど、昔からおばあちゃんと仲が悪かったみたいで、東京にお母さんが出ていってから『最初からいなかった』扱いしてたみたい。で、急に『娘を預かってくれ』って連絡が来て最初は喧嘩になったようなんだけど、結局は『孫には罪はないから』ってことで今に至るって感じかな。あ、おかわりもらってもいいですか?」

 複雑な家庭事情を話し終えた後、涼佳は空になった茶碗を空也母に差し出した。

「え? あ、はいはい。ちょっと待っててね」

 茶碗が空になるのがあまりにも早いからだろうか、空也母は困惑した表情を浮かべたものの、お椀を受け取り、席を立った。

「涼佳ちゃんも色々と大変そうだねー」

「そうかな?」

 涼佳は笑みを浮かべながら首を傾げると、取皿の上にこんもりと盛られたおかずの野菜炒めを口に運び、そして一瞬で消えた。

「そうだよー。家庭の事情も複雑そうだし、こんな田舎に急に引っ越してきて大変じゃない?」

「確かに生活環境は変わったけど、空は広いし、のんびりとした空気が流れてて新鮮っていうか」

 また取皿に野菜炒めを載せ、そしてすぐに消える。

「うわー、『何もない田舎』をそんな風にオブラートに包めるなんて大人だなー。ねえ、涼ちゃんって呼んでもいい?」

 唯は向かいに座っている涼佳へ顔を近づける。

「うん。大丈夫だよ」

「ありがとー! これからは涼ちゃんって呼ぶね」

 2人のやり取りを空也は横目で見ていた。気がつけば唯は涼佳と仲良くなり始めている。相変わらずのコミュ力の高さに感心しながら野菜炒めを取ろうとすると、すでにほとんど涼佳が食べてしまっていた。

 物足りない、と思っていると母親が先程もらったキュウリを皿に載せてやってきた。どうやら冷水で冷やしていたようだ。

「せっかくだからこのままいただきましょうか」とマヨネーズを絞り出した小皿をテーブルの上に置く。

「私このまま食べるの初めてです」

 涼佳がキュウリにかぶりついた瞬間、目が一際大きく見開かれた。

 咀嚼しながらキュウリに視線を落とし、飲み込むと、

「黒くて思ったより固くて太くて、ちょっと青臭いけど……おいしい」

 誤解を招きそうな感想を言うと、今度はマヨネーズをつけて二口目にかかり、満足げな表情で咀嚼する。

 普段は大人びているが、食べているときは子供っぽくなってしまうようだ。しかし涼佳のような美少女だと、その落差も魅力に見えてしまった。


 結局持ってきたキュウリのほとんどを涼佳が食べてしまったあと、空也と空也母は片付けをしはじめた。

「くーくん手伝おうか?」

 唯が椅子から立ち上がる。

「いいから。お客さんは座ってな」

「でも」

「大丈夫だよ。すぐ終わるし」

 告白を断ったばかりでやはりまだ気まずく、ついそっけない物言いになってしまう。

 対して涼佳は、あちこちに視線を向け、落ち着かない様子だ。

「涼佳ちゃん大丈夫? もしかしてご飯口に合わなかった?」と空也母が声をかけると、

「あ、そんなことないです。おいしかったです。なんていうかその……今日はもう帰りますね。ごちそうさまでした」

 涼佳は椅子から立ち上がり、そそくさと家を出ていってしまった。

「どこか体調悪いのかしら?」

 空也は口には出さなかったが、なんとなく理由を察していた。


 唯を家まで送るため、空也は唯と自転車で夜道を走っていた。

「で、今日は何しに来たんだ?」

「くーくんが涼ちゃんに一目惚れしちゃったかなって思って。今日は月が明るいねー」

 唯が月に一瞬視線を向けながら言う。空也たちが住む町は、大通りですら夜になると真っ暗になってしまうが、今日は月のおかげで普段より明るく感じる。

「なんでそうなるんだよ?」

「だって授業中も休み時間もチラチラと涼ちゃんを見てたし」

「勘違いだ。なんで来栖を見る必要があるんだ」

 本当は見まくっていた。と言っても涼佳におかしなことを言い放ってしまったせいで、つい気になってしまったというのが理由だ。

 ……全体の数%はつい見とれてしまったのもあるのだが。

「えー、うそだー。絶対に見てたよー」

「勘違いだ」

 唯の発言には空也をからかう以上の意味はないのかもしれない。しかしなんと言われようと、告白を断っておいて他の女の子をジロジロと見ていたなんて、認められるはずがない。

「ふーん」と唯は「本心は分かってますよ」と言わんばかりの笑みを浮かべ、

「それにしても、涼ちゃんちってなかなか複雑そうな感じだね」

 話題を変えてきたものの、結局は涼佳についてだった。だが先ほどまでの話題よりはまだマシだ。素直に話に乗ることにする。

「たしかにな」

 きっと夕飯で話した内容は全体の一部でしかないのだろう。教えてくれなかった事情も含めると相当ややこしそうだ。

 2人は走り続け、唯の家がある丘の下までたどり着いた。

「じゃあ、俺はここで」

 Uターンして帰路につこうとすると唯が呼び止めてきた。

「え? 家の前まで送ってくれないの?」

「この坂道を登ったらすぐだろ」

 唯の家までは丘の輪郭をなぞるような坂道を登らねばならず、距離もあるし勾配もきつい。「えー、大した距離じゃないでしょー」

「陸上部のお前と一緒にするな」

 つい突き放したような口調になってしまい、

「わたしくーくんから断られてばかりだと悲しいな」

「う……」

 唯の表情が曇り始め、罪悪感が湧いてくる。

 頭を2度かいてため息をつくと、

「分かったよ」

 一度自転車から降りて向きを変える。

「やったー。くーくん好き」

 機嫌が戻るなり、唯は立ち漕ぎで坂道を登り始めた。人力なのに電動アシストつきのような勢いだ。

「おい」

 待て、と言おうと先行する唯に声をかけようとしたところで、前方をひらひらするものが視界に入り、空也は固まった。

 唯は制服姿で、女子の制服はスカートだ。そして唯は坂道で立ち漕ぎをしている。

 見えてはいけないものが見えてしまいそうになっていた。

 意地でも上を見ないように、アスファルトの突起を意味もなく観察しながら坂を登り終えると唯が待っていた。

「遅かったね」

「仕方……ないだろ。こっちは……運動不足なんだよ」

 息は上がっているうえに、足も重い。対して唯はケロリとしていた。さすが陸上部の健脚だ。

 並んで自転車を押し、唯の家へ向かう。丘の上は団地になっており、似たような作りの家が並んでいる。

 唯の家は真っ暗だった。両親は夫婦で県外にいるので、唯は一人暮らしなのだ。

「ねえ。そういえば今日うち誰もいないよー」

「今日も、だろ。じゃあ俺帰るから」

 また反応を見て面白がるつもりに違いない。まともに取り合わずに自転車にまたがる。

「くーくん」

「なんだ?」

 名前を呼ばれ唯を見ると、

「わたし、本気だよ」

 はっきりとした声で、空也をまっすぐ見つめながら唯が言った。

「……おやすみ」

 空也は何も聞こえていなかったかのように唯から視線を外し、走り始めた。

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