帰郷
放課後。空也は士郎と聡と肩を並べ、生徒昇降口へ向かって歩いていた。
「須藤くんと過ごした1年と少しのことは決して忘れません。これからも困難が待ち受けているとは思いますが、日々肉体労働に励んでマッチョになってください」
士郎は在校生送辞を読み上げるような口調でバカみたいなことを言ってくるが、今の空也はツッコミを入れる元気もなかった。せっかく謝罪できたと思ったら、その直後にドン引きされて逃げられてしまったのだから。
「大丈夫だよ。どうせ須藤くんは僕と大垣くん、あとは神谷さんくらいとしか話さないんだからさ」
聡は空也の肩に手を置きながら笑う。
空也が全く慰めになってないだろ、と突っ込もうとしたところで、3人の前に女子生徒が立ちふさがった。
「くーく……じゃなかった。須藤さん。ちょっと話があります」
現れたのは、奥田みやこ。短髪で額を出した髪型が印象的な1年生で、唯と同じ陸上部に所属している。理由はわからないが、学校で見かけるたび空也は睨まれていた。特に唯と一緒に歩いているときに出くわすと、視線だけで殺さんばかりの視線をぶつけてくる。
「お、まさかの三角関係勃発か?」
「……」
士郎が軽口を叩くと、みやこは無言で士郎をにらみつけた。
「……よし、じゃあ、俺は部活行くかー」
「僕もバイト行かないとね」
士郎は話を逸らすと下駄箱へ向かって歩きはじめ、聡も続く。
ただでさえ最初から不機嫌そうだったみやこの表情がさらに険しくなっていく。
用事はないが、仮にあったとしても断れる雰囲気ではない。
「……どこへ行けばいいんだ?」
「体育館裏へお願いします」
不自然なほど感情を押さえた声で言うと、みやこが歩き出す。
一体何をされるのだろうか。空也は体を震わせながらみやこの後に続いた。
体育館裏といえば2つの使われ方が定番だ。
1つ目は気になっている異性へ告白するため。
2つ目は気に入らない生徒をシメるため。
とはいえ、1つめはまずありえないだろうし、2つ目も多分違う……はずだ。
これから自分はどうなってしまうのだろうと空也が思っていると、
「最初に言っておきます。もし真面目に答えなかったら、即座に『須藤さんに変なことをされそうになった』と体育館裏を飛び出して誰かに助けを求めます」
更に不安になる脅しが飛んでくる。
「……一体何が聞きたいんだ」
「唯先輩と何かありましたか?」
「っ……」
即答できず言葉を詰まらせ、正直に答えるべきか迷っていると、胸の内を察したかのようにみやこがにらみつけてきた。
空也のほうが背が高いのに、威圧感を抱く。適当に誤魔化そうとしたところで見破られてしまいそうだ。ここは正直に言うべきだろう。
「唯に告白されて断った」
「……」
みやこが無言で駆け出そうとしたので「おいちょっと待て!」と呼び止める。
「なんですか? さっき『もし真面目に答えなかったら』って言いましたよね」
「だから正直に答えただろ」
「須藤さんの妄想の話ではなくて、客観的な事実を言ってもらえますか?」
確かにクラスの人気者で陸上部のエースである唯と、教室の端っこではみ出しもの同士でつるんでいる自分では身分が違いすぎると空也も分かっているが、さすがにイラつきを覚えた。
「信じられないなら勝手にしろ」
「……」
みやこはしばし無言で空也をにらみつけていたものの、
「まあ、信じましょう。それはそうとして、なんで断ったんですか?」
そこは正直に言うわけにはいかなかった。それに仮に言ったとしても、今度は信じてもらえないか、信じてもらえたとしてもみやこに殺されてしまうかもしれない。
「言わなきゃダメか?」
「いいえ。どうせ須藤さんのことですから、過去の失恋の傷を引きずっていて、そんな自分に酔っている。おおかたそんなところですよね?」
「ぬ……」
正解ではないが、いい線を行っている。それにしても辛辣だ。
「まあ、須藤さんの過去に興味はないですし、とりあえず安心はできたので行きます。では」
みやこは軽く会釈するとその場を去っていった。
空也はみやこから解放されたあと飲み物を買うべく、顔なじみである『光岡商店』の前に来ていた。
空也の通う高校から自転車で3分のところにあり、錆びたブリキの看板が懐かしさを感じさせる個人商店だ。
近くに品揃え豊富なコンビニも存在しているものの、中学生の頃から利用している義理から今でも空也はこの店の常連だ。
すでに店の前には1台自転車が止まっていた。泥除けにステッカーが貼ってあることから、どうやら客は空也と同じ高校の生徒のようだ。
珍しい、と思いながら引き戸に手をかけようとした空也は動きを止めた。
店内にいたのは涼佳だった。大人びた雰囲気はどこへやら、まるで新しいおもちゃを買ってもらっている子供のような浮かれた表情で、溢れそうなほどお菓子を抱えている。
一旦この場を離れ、涼佳が店を後にしてから戻ることも考えたが、意外な一面を見てしまったせいか妙に気になってしまい、しばらくことの成り行きを観察することにした。
空也が店内の様子を覗き始める少し前のこと。
涼佳は下校中に偶然通りかかった『光岡商店』と書かれた個人商店に足を踏み入れた。
店内は古い建物特有のにおいがしており、人によっては『懐かしい』と感じる香りだろう。年代物の棚には、お菓子や洗剤などが雑多に置かれている。
古びたレジの前には店主と思われる還暦を過ぎたくらいの女性が座っており、その後ろには暖簾がかけられている出入り口があった。おそらく住居へ続いているのだろう。
「いらっしゃい。見ない顔だね」
女性は訛りのある口調で言うと、涼佳を見た。
「あ、はい。最近引っ越してきまして」
「へえそうかい」
無愛想な態度だ。チェーン店でこんな態度を取っていたら、たちまちクレームを入れられることだろう。
しかし涼佳は気を害するどころか、楽しんでいた。今の時代でこのような店が生き残っているなんて、まるでタイムスリップでもしたかのようだ。
お菓子の棚へ向かう。見たことのないお菓子に、有名どころのパッケージを模したパチモンのお菓子。まさに宝の山を見つけたようだった。気になったものを手当たり次第手に取ると、すぐに両手で持つのがやっとの量になった。
「これください」
「ずいぶん買うねえ」
レジ横の台に置くと、値札が貼られているわけでもないのに店主の女性は電卓で商品1つ1つの値段を合算していく。
「2,563円。細かいのはいいから2,500円ね」
「あ、ありがとうございます……あれ?」
そんなザル勘定でいいのかと思いながらも財布を開くと1,500円しか入ってなかった。
「足りないのかい?」
「一応確認なんですけど、現金だけですよね」
「もちろん」
「ですよね……」
思わず涼佳は肩を落とした。ここから半分以上も厳選しなければならない。食べたことがないお菓子の味も気になるし、どこかで見たことあるようなデザインのお菓子特有のどこか物足りない味も楽しみたい。
しかし、お金が足りないなら諦めるしかない。貨幣制度が導入されている現代では逃れられないさだめだ。泣く泣く1つのお菓子を手に取ったところで、後ろから声が聞こえた。
「いくら足りないんだ?」
「え?」
振り返ると、そこには空也が立っていた。
困惑した表情を浮かべる涼佳に、空也はもう一度「いくら足りないんだ?」と尋ねた。
「え、でも悪いよ」
「あくまで貸しだ。それで、いくら足りないんだ?」
涼佳は迷ったように視線を落とし、左手首を右手で握ったり緩めたりしていたものの、
「1,000円」
なんとか空也が聞き取れる声で答えた。
財布を開くと、1,000円札が1枚入っていた。そして小銭も何枚か。ギリギリ足りそうだ。冷蔵棚からスポーツドリンクを一本取り出し、カルトンに1,130円を乗せる。
「へえ、優しいねえ」
「あーはいはい。いいから会計」
ニタニタと笑う店主のおばちゃんから視線をそらし、カルトンを前に出す。
「はいはい。2,630円ちょうどだね、まいど」
「また来るよ」
居心地が悪い。自分の分のスポーツドリンクをつかんで店を後にしようとすると、
「待って」
「なん」涼佳に呼び止められ振り向いた空也の視線は、目に吸い込まれていた。「……だ?」
「よかったら、一緒に食べない?」
「……ああ」
魅入られるとはまさこのことだ。自然と空也は頷いていた。
空也と涼佳が初めて出会った場所からすぐ近くには東屋がある。そこに2人は並んで座ると、空也はスポーツドリンクを飲み、涼佳は山盛りのお菓子を食べていた。
ちなみに涼佳から「少し分けてあげようか」と提案されたが空也は断っている。
「この『どこかで見たことある見た目だけど違うお菓子』特有の何か物足りない感がいいんだよね」と涼佳はスナック菓子を手にしながらつぶやくと、口へ運ぶ。
発言内容は置いておくとしても、すでに涼佳は先ほど買ったお菓子の半分以上をすでに食べ終えていた。見ているだけで胸焼けがしてくるので、涼佳の足に視線を集中する。
膝を組んでいるおかげで黒タイツが引き伸ばされ、その結果出来上がる濃淡に、空也の視線を足の付け根から足先へ行ったり来たりを繰り返していた。幾度となく繰り返しても、永遠に飽きる気がしなかった。
スカートが短いおかげでランガード(伝線防止のために付けられている色の濃い帯状の部分のことで股下にある)が見えてしまいそうなほどで、色のせいもあってか、空也の視界の中で無視できないほどに存在感がある。
空也は1つの美術品を延々と眺めている人の気持ちを理解した。本当に素晴らしいものは見続けていても永久に飽きがやってこないのだ。
「ねえ」
「ひぇいっ!」
突如呼ばれ、おかしな声が出てしまった。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。で、なんだ?」
「それはね、えっと……あれ、名前、何だっけ?」
「須藤……空也だ」
自己紹介はホームルームに1人ずつ流れ作業的にやったとはいえ、出会い方が出会い方なだけに覚えてくれていそうなものだと思っていた。なんだかすねたくなってくる。
「あ、ごめんね。その、須藤くんは」
「あ、ああ」
やはり足をガン見してしまっていたことを咎められるのだろうか。非難されるために名前を教えるなんて前代未聞だ。次の言葉が怖い。
「部活には入ったりしないの? 今日話した人たちはみんな入ってたから」
「ブカツ?」
「うん部活」
予想に反して告げられた二の句は世間話だった。
「興味ないな」と短く答え、スポーツドリンクを一口飲むと安堵のため息をつく。
「入ろうと思わないの?」
「この3年で将来が大きく決まるんだ。そんな事している暇があったら勉強したほうがいい」
ただでさえ田舎は受験で不利なのだから、大多数の人間にとっては『ただの思い出』で終わってしまうことに時間を浪費したくなかった。
「でも、逆に言えば3年しかないんだよ? どうせ大人になったら我慢の連続なんだから、今はあんまり我慢せずに楽しんだほうがよくない?」
「その結果、将来我慢できないレベルの我慢を強いられるかもしれないんだぞ?」
涼佳の言うことに一理はあるが、能天気すぎる。つい口調が鋭くなった。
「もちろん好き勝手に遊べとは言ってないよ。だけど、やっぱりもったいなくない? 青春の汗を流すのも悪くないと思うな」
涼佳は空也に向かって微笑んだ。
「うっ」
反射的に視線を外し、横目で涼佳を一瞥した。不思議な少女だ。美貌と裏腹に食いしん坊だし、その笑顔を前にすると皮肉を言う自分が恥ずかしくなってくる。
「俺は、運動が苦手なんだよ」
「あはは。確かにあんまり得意そうに見えないかも」
「む」
事実ではあるし自覚もある。しかし知り合ってから1日しか経っていない相手に言われるのは心外だ。ついムッとした表情になってしまい、
「あ、ごめんなさい」
即座に謝罪してきた涼佳の表情は、空也が「そんなに怒ってるように見えたか?」と思ってしまうほど失言したことを恐れているように見え、逆にこちらが申し訳なくなってくる。
「いいよ別に。事実だからな。図星過ぎて動揺しただけだ」
気にしていないことを強調するように、軽い口調で答える。
「うん、ありがと」
「ああ」
2人の間に沈黙が訪れる。空也が涼佳に視線を向けると、すでにお菓子を食べ終えていた。いい頃合いだろう。「そろそろ帰るか」と腰を上げようとすると、
「さっきも真剣に私の足を見てたけど、そんなに私の足っていいの?」
「おわっ」不意をつかれ、転びそうになってしまった。「なんでわかったんだ?」
その発言の時点で暗に認めたと言っているようなものだが、混乱しているせいでそこまで頭が回らなかった。
「女の子は視線に敏感だからね」
耳元の髪の毛をかきあげ、空也の胸の内を見透かしたかのように笑う。
「……なんか今まで色々口走ってだろ。あれが本音で答えだ」
適当にごまかして流せる空気ではなかったので正直に答える。それにしても、今まで口走ってきた台詞の数々に、今頃になって恥ずかしくなってきた。
「ふふ。そっか、そうなんだ……。じゃあ、帰ろっか」
涼佳は上機嫌な表情で立ち上がり、東屋の脇に停めてある自転車に向かって歩き始めた。
掴みどころのない少女。空也は涼佳にそのような印象を抱いていた。唯とは違う方向でよく分からない女の子だ。
何はともあれ、これで一安心。空也も涼佳の後を追った。
それにしても、涼佳は一体どこまでついてくるのだろう。
「どうしてついてくるんだ?」
空也は並走する涼佳に尋ねた。
2人は山間の集落に入っていた。流れる川の脇には田んぼが広がっており、道路はアスファルトで舗装されているが、視界に入る家々は見るからに古いものばかりだ。
「え、私を送ってくれてるんじゃないの?」
「そんなはずあるか。だいたい家を知らないだろ」
「あ、確かに」
「……言いたくなければいいけど、どのへんなんだ?」
ここまで来るとアパートの類はなく一戸建てしかないため、涼佳はそのいずれかに住んでいることになるが、涼佳のような女の子が親戚にいるという話を空也は聞いたことがなかった。
「この川にかかってる橋を渡ってすぐのところにある家」
涼佳は左側に見える川を見ながら言った。しかし、この川は集落を分断するように流れているので、この先いくつもの橋が存在している。答えになっていない。
「他に特徴は?」
「えっと、家の横に黒い屋根の倉庫があるね」
「何だと?」
「どうしたの?」
涼佳が挙げた家の特徴に空也は聞き覚えがあった。
「たぶん、うちの隣だ」
つまり真実の家に涼佳は住んでいることになる。
須藤家と石原家の間は距離があるものの、その間に家はなく歩いて行ける距離のため、両家はお互いを『お隣さん』と認識している。
涼佳は一体何者なのだろう。真実の妹というわけではないだろうし、となれば今まで1人石原家に住んでいた真実の祖母である松子の親戚としか考えられない。
涼佳とやり取りしているうちに、空也の家と石原家が見えてきた。
「あれだよ」
涼佳が石原家を指差す。
「少し離れたところにあるのがうちだ」
「へえ、須藤くんとはご近所さんか。こんな偶然あるんだね」
2人橋を渡る。
橋の先は三叉路になっており、左右の道がそれぞれ須藤家と石原家に続いている。
「じゃあ、俺こっちだから――」
空也が一度止まり自宅に向かおうとしたところで、重低音を轟かせながら車が1台入ってきた。
入ってきたのは赤の三菱ランサーエボリューションX。数年前に生産が終了されたファイナルエディションを別とすれば、実質的なランサーエボリューションの最終モデルだ。
助手席側の窓が開き、顔を出したのは真実の祖母、松子だった。
「涼ちゃんに空也、一緒にお帰りかい」
「おばあちゃん、ただいま」
「お、おばあちゃん」
なんとなくそんな気はしていたが、いざ涼佳と松子がやりとりをしているのを見てつい声に出してしまう。
「なんだい、知らないで一緒に帰ってきたのかい。涼ちゃんは私の孫だよ」
「孫?」
空也の認識では松子の子供は真実の父親だけで、真実に妹がいたという話は聞いたことがない。一体どういうことなのだろうと思っていると、
「2人ともおかえり」
松子の横から真実が顔を出し、瞬間、空也は自転車を漕ぎ出していた。
「え、須藤くん? どうしたの?」
後ろから涼佳の声が聞こえたものの、空也は止まることなく、そのまま家へ向かっていった。
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