謎の少女と失言

 翌日の朝。空也は教室でクラスメイトの大垣士郎(おおがきしろう)と、影山聡(かげやまそう)に昨日見かけた少女のことを話していた。

「……だから、あまりの素晴らしさに、つい『写真を撮りたい』と口走ってしまったんだ」 身振り手振りを交え、昨日の興奮を語る空也に対し、

「で、そこで我に返って慌てて逃げてきたと」

 士郎は机に片肘をつき、あまり興味なさそうな表情で言った。

 ちなみに本当に興味がないのかは分からない。日頃から士郎はこうだからだ。

 身長は180センチ近くあり、中性的な雰囲気で、見てくれは学年トップクラスなのだが、この近寄りづらい態度のおかげで普段よく話すのは空也と聡くらいだ。

「ああ、向こうも俺の熱弁に若干引いてしまっていたからな」

「でもさ、それって不審者だよな。もしかして通報されてるんじゃないのか?」

 士郎の一言に空也は凍りついた。

「い、いや、それくらいで通報って……さすがにないだろ」

「どう考えたって声かけ案件だろ。確か今はWebで不審者情報調べられるよな。ええと、『変態タイツ男』の出没情報はっと……」

「それだと俺がタイツを身に着けてたみたいじゃねえか」

 空也はスマートフォンを取り出し操作し始めた士郎にツッコミを入れた。

「そっか、須藤くんとこうしていられるのは今日が最後か~。残念だな」

 士郎の横で話を聞いていた聡も、悪ノリに付き合うことにしたようだ。

 聡は出席日数不足で2回留年しているため、空也たちからは『聡さん』と呼ばれている。

 学校に来ない日は肉体労働のバイトをしているようで、肌は真っ黒に焼け、半袖ワイシャツの袖から覗く腕は丸太のようだ。

「ま、まだ退学が決まったわけじゃないだろ」

「まあ、本当に退学になっても僕のバイト先紹介してあげるよ。仕事は大変だけどその分給料はいいよ。先輩なんて奥さんと子供2人いて家も建ててるし」

 聡は歯を見せて笑った。本気で言ってるのか、からかっているのかは分からないが、空也はガテン系の大人に囲まれ、怒られながら仕事をしている自分を想像していた。

「いやいやいやいや。絶対無理無理無理無理」

 早口で慌てて拒否すると、

「そう? でもうちに来るとこんな体になれるよ」

 聡がシャツをまくりあげ腕を曲げると、袖を今にも突き破りそうな山ができあがり、時を同じくして士郎がスマートフォンから顔を上げた。

「空也らしき不審者情報は載ってなかった。よかったな。今日がお前と学友でいられる最後の日にな――」

 士郎は途中で言葉を切ると、聡と同様に袖をまくりあげ力こぶを作りキメ顔で聡を見る。

「へえ、大垣くんもいい体してるねえ」

「フフ」

「何だこいつら」

 お互い力こぶを作りながら見つめ合うという、異様な光景を空也はしばらく顔をひきつらせながら見ていたものの、

「そ、それよりこれを見てくれ」

 空也はカバンから写真集を取り出した。表紙には黒タイツを履いた女性の足が印刷されており、『The Black Tights』というタイトルが書かれている。

「お前それいつも持ち歩いているのか」

「保存用・観賞用・布教用の3冊持っているから問題ない。それよりこれを見てくれ」

 呆れたような目をする士郎に対し空也は見当違いの返答をすると、プリーツスカートの左右を指でつまみ引き上げた女性が写っているページを開いた。

 タイトル通り当然黒タイツを履いており、腰より下しか写っていない。この写真集はこのようなコンセプトなのだ。

「この黒須タイ子さんの足が95点だとすると、昨日の彼女は……100点だ」

 黒須タイ子。インターネット上で自分の足だけが写った写真を公開しており、その美脚っぷりとフェティシズムを刺激する構図から、空也を始めとした多くのファンが存在している。

 最近では紙の写真集を発売するようになり、東京に住んでいるという以外の情報は公開されていない。

「たった5点の違いだろ。そもそも足なんて誰も彼も大差な……」

「お前は何も分かっていない!」

 空也は士郎の顔の前で指を差した。

「お、須藤くんの『アレ』がまた始まったね」

「確かに足の基本的な構造は皆同じだが、輪郭という観点で言えば全く同じ人間は存在しない。ただ細ければいいわけではなく、もちろんただ太ければいいわけでもない。太ももから膝へかけての曲線、そしてふくらはぎの膨らみ等など、わずかな差が芸術点を大きく変えてしまうのだ。それなのにも関わらず大差がないなど抜かすのはザクとグフが同じと言ってるのと何も変わらない!」

「いや、俺ガンダム知らないし」

「なん、だと……」

 渾身の例えを士郎に一刀両断されてしまい呆然としていると、

「くーくん」

 空也の後ろから声が聞こえ、3人は声の主へ視線を向ける。

「唯……」

 手を後ろで組み、口元に笑みを浮かべた唯が立っていた。

 ぱっと見昨日のことを気にしていないように見えたが、空也は気まずさを感じていた。

 今までも気がつけば普段と同じように接することができるようになっていたが、告白を断った直後はやはりやりづらい。

「また変なもの見てるのー?」

「なっ……へ、変なものではない。これは芸術品だ」

 とはいえ、崇拝の粋に達している黒須タイ子の写真集を『変なもの』扱いされては話は別だ。

「いいよいいよ。だってくーくんも男の子だもんねー」

「よく見ろ」

 空也は机の上に広げてある写真集を両手で持って立ち上がると、唯の眼前に突きつけた。

「わ、網目までちゃんと印刷されてるねー」

「そう、この網目が引き伸ばされることでグラデーションが出来上がり、目を奪う色気を放つようになるが、黒という色のおかげで貞淑さも担保され、貞淑でありながら艶めかしいという矛盾した奇跡の存在が出来上がるのだ。一年中芸もなく生足を晒している唯ではこのよさは分かるまい」

 胸を張り、頭をそらしながら講釈を垂れる空也。

「へえー。つまりわたしの生足がエロいって言いたいんだねー」

「なっ……ち、違う。断じて違う。お前にそんな感情を持ったりしない」

「いいよいいよ。ほら、見て見てー」

 唯は左膝を曲げ片足立ちになり、不自然なまでに狼狽する空也に生足を見せつけてくる。

 長距離走で鍛えられた締まった足だ。スカートが短いせいで太ももとお尻のつなぎ目まで見えてしまいそうになる。

「やめろ。やめるんだ」と顔を背けながら空也が言うと、

「えーなにー、照れてるのー? くーくんかわいいなあ」

 唯は膝を下ろし、口元に手をやるとクスクスと笑う。

「お前らいつ見ても本当に仲いいな。本当に付き合ってないのか?」

 机に片肘をついたまま士郎が言った。

「なっ」

 昨日の今日でその質問はまずい。とっさに否定しようとすると、

「ただの幼なじみだよー。くーくんからかうの楽しいんだもん」

 先に唯が否定した。特に動じた様子もなく笑っている。

「そうか。あまりにも『夫婦の会話』って感じだったから勘違いしてしまった」

「そ、そんなことより何しに来たんだ?」

 このまま会話を続けられてはたまらない。話の流れを無理やり変えることにした。

「そうそう。うちのクラスに転校生が来たんだってー。しかも女の子」

「転校生? まさかな」

 そんな冗談みたいな偶然あってたまるかと即座に否定したものの、空也の予想は見事に的中した。


 担任の矢倉裕太(やぐらゆうた)(35歳独身)の横に立っていたのは、どう見ても昨日の少女だった。

 背中の半分くらいまで伸びた黒髪には一切のパサつきがなく見事な天使の輪ができており、夏の青空を閉じ込めたような目は、二度目でも魔法にかかったかのように視線が吸い込まれてしまう。そして今日も黒タイツ(80デニール)を履いている。

「はじめまして。来栖涼佳(くるすりょうか)と言います。東京から引っ越してきました。このような町に住むのは初めてですが、どんな生活が待っているのか今からワクワクしています。皆さん、よろしくお願いします」

 無難な挨拶ではあったが、男女関係なく生徒のほとんどが涼佳に魅入られ、拍手をすることを忘れてしまっていた。不自然な間が空いた後、教室内に拍手の音が広がる。

 空也は魅入られずに済んでいた数少ないうちの1人だったが、心穏やかではなかった。

 足をべた褒めしてドン引きされ、あまつさえ逃げ出してしまったのだ。これから何度か言葉を交わすこともあるはずで、一体これからどう接していけばいいのだろうか。

 気がつけば涼佳を注視してしまい、目が合ってしまった。「あっ」と涼佳の口から声が漏れ、手遅れだと思いながらも空也は視線をそらす。

「どうした? 知り合いでもいたか」

 矢倉は涼佳の視線の先へ目を向ける。

「あ、いえ。人違いでした」

「だよな。こんなクソ田舎にお嬢様と接点のあるヤツがいるわけないもんな~」

 矢倉は自虐的に笑う。教師としては不適切な気がしないでもない発言だ。

「あはは……お嬢様じゃなくて普通の家ですよ」

「出たよ普通!」その一言に矢倉は目を見開き、横に立つ涼佳に体を向けた。「最初に俺に普通の人がいいですと言っておきながら『あなたはちょっと』って言われたときの気持ち分かるか? 『お前は普通未満』って言われたのとなんだ変わらないんだぞ。普通なんて嫌いだ。普通なんて嫌いだ……普通なんて……」

「なんか……すみません」

 最後には下を向きブツブツつぶやき始めた矢倉に、涼佳は苦笑を浮かべた。


 ホームルームを終えると、涼佳の周りには人だかりができていた。

「おしゃれなお店いっぱいあるのうらやましいなー」

「芸能人に会ったことある?」

「スカイツリーって行ったことある?」

「東京の高校生ってみんなブランド物持ってるって本当?」

 現代でも田舎の高校生なら一度は憧れる東京という地。その東京からの転校生ならばあれこれ聞きたくなるのも当然のことだ。

 そんなクラスメイトたちを尻目に空也、士郎、聡の3人は教室の端にいた。

「やっぱり来栖さんが昨日の彼女なんだ。まさかこんな偶然があるとはね」

「いやいや、この辺に高校なんてここしかないんだから言うほど偶然じゃないだろ」

 涼佳たちを見ながら言う聡に、沈んだ声で答える空也。

「どうした? 今頃になって通報されたかもしれなくて怖くなってきたか?」

「そんなんじゃねえよ」

 空也はスマートフォンを取り出し、SNSを開く。そこには黒須タイ子の『活動を無期限に休止します』という投稿が表示されていた。

 何度見たって変わらないのに、見るたびにため息が出てしまう。

「空也」

「なんだよ」

 士郎に呼ばれ顔を上げる。

「転校生が教室の外に出ていったぞ。職員室に呼ばれてた」

 空也は涼佳を涼佳が出ていった出入り口を3秒ほど見つめた後、

「ちょっとトイレ。今のうちに行っとかないとな」

 あくまで偶然だというのを強調しつつ立ち上がり、涼佳の後を追う。

 士郎は空也の後ろ姿を見送ると、

「やっぱり気にしてたんじゃねえか」

 鼻で笑うと、口元に笑みを浮かべた。


 職員室の出入り口のすぐ横で待ち構えていた空也は、涼佳が出てくるなり声をかけた。

「来栖」

「えっ……あ、昨日の」

「昨日はすまなかった」

 先手必勝。涼佳の反応を見る前に頭を下げた。

 ちょうど近くを通りすがった生徒が、不審そうな目で空也を見る。

「え、いや私は別に。顔を上げてよ」

 頭上から聞こえてきた涼佳の返答に、空也は安堵した。これでミッションコンプリート。

 気持ち軽くなった気がする頭を上げはじめたところで、スカートから覗く涼佳の太ももが視界に入り、錆びたヒンジのように不自然な位置で空也の頭が止まった。

 繊維が伸ばされ、わずかに肌の色が浮き出た太ももは奥ゆかしさを抱かせる色気を醸し出し、またタイツによって引き締められていることで女性特有の丸みが強調され、空也を妄想の世界へ旅立たせた。

 あの柔らかそうな太ももをさすったらどんな手触りなのだろう。頭を載せたらどんな天国が待っているのだろう。

 想像しただけででも脳がとろけていくかのような快感が湧き出てくる。

「……なんて素晴らしい太ももなんだ……膝枕されたい……あ」

 涼佳にもはっきり聞こえる大きさで口に出してしまい、しまったと思って顔を上げたときにはもう遅かった。

「あ、授業始まっちゃうからもう行くね」

 涼佳は困惑が混じった笑みを見せると、早歩きで空也の前から去っていった。

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