幽霊と認めないのなら
ぽかんと空中でしばらく静止してしまっていた。
村人から散々幽霊はいるいないと言われることはありましたが、直接本人を前にして幽霊じゃないと豪語する人がいるとは思いませんでした。
いやいや、ぼーっとしている場合ではない。
「幽霊です。半透明で宙に浮いているぞ~」
「そうですよ坊ちゃま。これが人であるとは無茶が過ぎます」
「人であるとは言ってない。本当に幽霊がいるのなら、日本中幽霊だらけだ。だが聞き及ぶのは怪談話だけ、生前会えなかった人との美談がないのは奇妙ではないか」
とんでもない理屈に私も下男の方も驚きあきれてしまった。幽霊がいないことを主張したいために言い訳をしているだけじゃないのだろうか。でもこのまま居座り続けたら、私の生活が壊されてしまう。
「そんなことはないぞ~。私は悪霊だー。お前を呪い殺してやる。不幸をもたらすぞー」
「この村の者に聞き取りしたが、村の子供や大人が幾度もこの屋敷に忍び込んだが、直接の被害は後ろから驚かすだけと聞く。その後不幸も、病弱な者が病気になったり、怪我をしたということだが、どれも一思いに呪殺するものではない。しかも皆しばらくして恢復した。呪い殺すという実績には至ってない、つまりお前に呪殺の力はない」
まずい。村人が不幸を呪いだって騒いでいるから、今までうまく追い出す方便に使えたのに。徹底的に幽霊でない証拠をあらかじめ集めておくなんて今までいなかったタイプ。
「ですが坊ちゃま。この幽霊いえ、彼女をどうなさるのですか。追い出すために祈祷師でもお呼びしましょうか」
「……お前の名は」
名を聞かれ、わざと垂らしていた髪の毛を後ろに戻す。「普通の人だ」「美人だな」幽霊だから素顔も怖いものだと引きずられていたようで、二人とも意外という反応だ。
「家永万由里です」
「家永、どうしてこの屋敷に居座りたい理由がある」
「家に縛られていました。良き嫁になるためだけの決まったものだけしか学べさせない、決まった毎日を我慢し続けました。この屋敷に住み着くようになってから、やっと自由を手に入れた。自分のしたいように過ごしたくて。自分の生活を壊されたくないんです」
「自分も食すこともない料理をして、屋敷に侵入する村人を追い払うのが楽しい性分なのか」
幸仁さんの真剣なまなざしが、胸を突き刺した。
毎日竈の火を起こして料理をしているが、幽霊の私もケコも料理を食べることはできないから、みんなゴミ箱行。最初のうちは屋敷に残っていた食材を使って、村の人たちに食べてもらおうと庭先に置いていたけど、みんな気味悪がって、結局腐らせてしまった。肝試しに来た村人を追い払っては、土で汚された床や畳あげくにはお気に入りの食器まで壊されてきた。
わかっていた。こんな生活自由ではない、自己満足と後始末の日々。それに目をつむって、理想の生活だと思い込もうとしていた。
溜まっていたものが、涙となってこぼれだす。幽霊の涙は本物でないから床には何も残らない。
「私も理解しています。でも私はこの屋敷から、屋敷の門で阻まれて出られないんです」
「では共同生活をするのはどうだ。話を聞く限り女中扱いは嫌と見る。俺がこの屋敷に住み込み、家事をする。自由な生活を保つのならそれが妥当な線ではないか」
共同生活。てっきり女中として働けと告げられたら、死んでも、いえもう死んでますが。絶対お断りしましたが。
幸仁さんは、ゴミ箱に捨てられていた卵の殻を取り出して、見せつけました。
「毎日卵料理だけでは、不自由だろう」
もしかして、私のことを案じていた? まだ数刻も経っていないのに、どうしてそんなことを。
「そうはまいりません。幽霊、いえ坊ちゃまが
男爵家の方。服の質に下男を連れている時点で相応の身分の方と思われましたが。たしか草薙家は江戸の御家人で旧士族の家柄で記憶しております。その方がなぜこの屋敷に下男一人だけ連れてきたのでしょうか。
「坊ちゃんはやめろと言っただろ衣笠。それに俺に醜聞の噂が起きたら、あっちが相応の対処をするだろう」
今まで坊ちゃんと呼ばせ続けていたのが、草薙家の名を出した途端、幸仁さんの眉間が険しく三つの皺を作り出した。
「さあ、もう帰ってくれ。見送りの任は済んだはず」
「いいえ、衣笠は帰りません。いきなり坊ちゃんが世話人なしの生活などできのうありません。それに彼女はおっしゃったでしょう、門から出られないと。お夕飯の買い物や日用品の買い出しなど誰がすると思いですが」
これには幸仁さんも返す言葉がありません。
「わかった。だが共同生活する以上、余計な手出しはするなよ衣笠」
「承知しました坊ちゃん」
「衣笠さん。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそ」
幸仁さんの前では意固地だった衣笠さんですが、私が前に出ると腰が引けていました。
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