幽霊嬢は堅物男爵様に浄化される

チクチクネズミ

幽雅な日常

 私の一日の始まりは、竈の火をつけることだ。

 帝都ではガスコンロなるものができているそうだけど、この屋敷では江戸時代から変わらない火を起こす様式だ。今日は洋式、産みたてのニワトリの卵を平鍋に落として焼く。

 鍋に落ちた透明の白身が火が通ると中心の黄身も固まってくる。欧州では肉体を作るために毎朝ゆで卵を食すらしい。でも私は焼いた卵の方が好きだ。焼いた卵を皿の上に乗せるとちょっと高級感があるから。


 出来上がった目玉焼きを青い陶磁器の平皿に乗せる。白と黄色の目玉焼きとは色合いが最悪だが、この屋敷にはこれしか平皿がない。いつか町に出て白の陶磁器を買いたいな。


「いただきます」


 手を合わせ。西洋式の手順で銀のナイフと銀のフォークで目玉焼きを切っていく。半分に切った目玉焼きからは黄色い汁がたらりと皿を染め上げていく。いい具合に半熟に焼きあがった証拠だ。



 一口も口にせずナイフとフォークを置いた。改めて自分の半透明の体をじっと見つめる。私は幽霊、この空き家になった屋敷に取りついている。

 自分が幽霊と気が付いた時がいつなのかもう忘れてしまった。けど一月も経たずに幽霊が住み着いていると村の人々の噂が広まったことは覚えている。それ以来、気持ち悪がられて、誰もこの屋敷に近づくことはなく私は一人で過ごしている。いや正確には、私とメンドリのケコだけ。屋敷から出ることができない私の唯一の話し相手で、毎朝の卵を提供してくれている。

 その卵も、私のごっこ遊びに消費されていくばかり。無精卵だからヒヨコが生まれれることはないが、せっかく卵を浪費させて申し訳ない。


 切った目玉焼きをゴミ箱の中に落とした。平皿に残った黄色い汁を全部落として、井戸から汲んできた水で皿を洗う。食べることはできないが、家のものを操れる力がある。たいていは屋敷の掃除ぐらいにしか使わないけど。でも屋敷が埃まみれで寂れるのは私の性分として許さない。


「ココッ、コケー」

「どうしたのケコちゃん。誰か忍び込んできた?」


 いつも大人しいケコが鳴くときは、人が侵入してきたときだ。けどこの屋敷にやってくるのは近所の村の子供が肝試しに来るだけ。忍び込んでくるだけならまだしも、土足で屋敷を土だらけにするのはたまったものではない。

 洗い物を中断して、塀のあたりへ移動する。正門の扉は鍵がかかっていて、忍び込めるとしたら塀をよじ登るほかない。子供は幽霊が出たってことを見ればすぐに退散するから、物干し竿を竹馬のように動かせば十分だろう。

 物干し竿を動かそうと手に力を籠める。すると正門から殿方のような声がした。するとガチャリとかかっている真鍮の錠前が外れる音が聞こえた。

 え、鍵が外れた? 屋敷の鍵は私が全部隠したはずなのに。


 謎の闖入者に私は慄き、壁の中に隠れて様子をうかがう。

 門を潜ったのはこの村の人でない二人の殿方でした。先頭に立って屋敷に進んでいく殿方の方は、樹齢百年の名木のような背の高い方で、きりっとした三角形に整えられた眉毛が美丈夫な男子を印象付ける。その後ろに付き添うもう一人の殿方は、先ほどの方と比べ背は五寸ほど背が低くお召し物も柿色の木綿と格が低い。おそらく付添人か下男でしょうか。


「誰もいないにしては、落ち葉が落ちてない。綺麗に掃除されているな」

「しかし幸仁坊ちゃま、この屋敷は幽霊が取りついているとの話があります。やはりお止めになった方が」

「坊ちゃま言うな。俺はもう男爵家の人間から梯子を外されたんだ。それに幽霊などいるはずがない」


 幸仁という殿方は、下男の忠告を一蹴して屋敷の中に入ってしまった。

 屋敷に戻って、あの二人の後を追いかける。二人は私がさっきまで使っていた台所に入ってきていた。


「卵が割れた跡に、皿は洗いかけ。やっぱりいるんですよ幽霊、坊ちゃま今からでも他のお屋敷にした方が」

「幽霊が食事をするというのか。お岩さんが皿を洗う方がまだ現実味がある」


 下男の反応にまるで意に介さず、幸仁さんはゴミ箱の中を覗き込む。


「平皿に卵料理だけで米もないのか。侘しい食事だな」


 勝手に屋敷に入って、私のご飯を品評するなんて。

 腰まである長い髪を前にやって、顔と体が全部隠れるようにする。たったこれだけで村の子供から大人まで怖がるからお手軽で効果がある。あとは手をだらんと垂らして。


「おのれら、なにをしている。わたしの屋敷から立ち去れ~」


 声色を低くして二人の前に現れると、下男の方は文字通りに腰が抜けて床にしりもちをついた。


「ぼ、坊ちゃま! あ、あれ。この屋敷に住み着いている幽霊です!」

「幽霊」


 幸仁さんはまるで動じず、宙に浮いている私をしげしげと興味ありげに見つめる。これで出ていかないのならもっと近づいて。


「うらめしや~」

「何を恨んでいる? 私は屋敷に入っただけだ。ご覧の通り、靴もきれいにされている屋敷を汚さないよう脱いでいるが」

「え、えーっと。わたしの屋敷に許しもなく入るなぁ」

「許しか。この屋敷は私が買った。その証拠である鍵も私の手の中だ。所有権というなら私にあるが」

「わ、私は幽霊だぞ。そんなもの関係ないぞー」


 この屋敷が買われた? 今まで買い手が付かなくて、一年ぐらい放置されていたはずなのにいまさら。家を汚さない配慮は良いですが、私の家に勝手に踏み込んだのは許しません。ここは私だけの家です。


「……いやお前は幽霊ではない」

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