第5話

「──良妃りょうひ様と第五公子様だ」


 あれは四年前。荒れ狂う大気のなか雷が落ち、武官の父がびしょ濡れで二人を我が家に招き入れた。露竜は大層な御仁に驚いた。


「そこの女、母君と我になにか拭う物を持ってまいれ」


 父を無視し母だけを気遣う坊っちゃんに露竜は眉をひそめた。渋々ながらも、乾いた布を持ち、公子に差し出す。公子は受け取らず不思議そうに首を傾げた。


「何をしている。母が風邪を引かれるであろう」


──わたしに、拭けと言うのか。


 なんとも身勝手な公子だ。露竜はぐっと堪え、とりあえず従うことにした。テキパキと二人のお召し物を替え、部屋に招き入れ食事をさせる。そして落ち着いたころ、父が露竜を紹介する。


「こちら娘の雨宮です」


 公子は露竜を指さす。


「お前侍女ではなかったのか。そんな格好で姫だったとは奇怪な」


──こいつ。


 ヒクリと口角を痙攣させ不気味に露竜は笑う。腹が立ち、つい言葉がでてしまった。


「皇族のように着飾るの嫌いなの」


 それでも露竜の心は、すっとしていた。公子の顔が途端に曇る。


「可愛げのない女だな」


──可愛げない!


 ぴきっと露竜の額に青筋が浮きあがる。


「ふふ、ひとりで濡れた体も拭けない奴に言われたくないわ」

「なっ……無礼な」

「こら雨宮」


 父に諌められても露竜は公子だからなんだと、ふんっと顔を逸らす。目が合うと火花が散った。今思い出すと可笑しくもなるが、あの時は本気で追い出したい気分だった。





──第五公子はあざな清栄せいえいと言った。


「清栄、もっと腰に力を入れて耕せないの」

「お前、仮にも第五公子に向かって様はないのか」

「なにを居候の分際で上下もないわよ。だいたい家は貧乏なんだから、黙って畑を耕しなさいよ」


 あの日から清栄は我が家の居候になった。とは言え侍女を雇う余裕も食べていくのも困難なので露竜は綺麗な庭を畑にして自給自足をした。


「お前は楽しそうだな」

「土いじりは好きなの。見て、でかいミミズ」

「うわぁ」


 怯える反応に目を白黒させ露竜は「ほら」と公子にミミズを投げた。

「やめろ」


 露竜は大笑いする。公子は頬を膨らませ拗ねる。


「お前、嫁にいけぬぞ」

「あんたこそくわを持つ公子だなんて、そこいらの姫様は幻滅ね」

「お前がやらせたんだろう。俺は剣の腕はいい」


「あら、足の悪い父様に毎日負けているようだけど、父様も剣よりも家のことを出きるようにさせて欲しいわ」

「俺は男だ」


「ミミズすら恐れるのに」

「何だと、お前など樂の才など皆無だろう。母上と二胡を奏でたときなど耳を塞ぎたくなったぞ。あれは女ではない」


 すんっと冷たい表情になり露竜は土を固め団子にすると公子に投げつけた。それに腹を立てた公子も大人げなく女の露竜に泥団子を顔に当てた。


「やったわね」


 ムキになって投げ合った。全身泥まみれになる。


「お前たちなにをしているのです」


 二人の姿を見て、たまらず良妃様は怒鳴る。その拍子に体の弱い良妃様は目眩を起こされ、床に膝をついた。


「母上」


 真っ青になり公子と共に駆けつけた。胸を抑え良妃様は微笑された。


「大丈夫。それよりお前たち、酷い有り様よ」


 良妃様に指定され露竜と公子は真っ黒な顔を見合わせた。「ぶは」っとどちらともなく下品に笑いだした。


「ははは。こんなくだらない喧嘩をしたのは初めてぞ」

「わたしもよ」


 いがみ合うのが馬鹿らしくなり、笑い合いながらも井戸に行く。桶で水を掬うと、また、無邪気に水を掛け合い笑う。公子だろうが人の子なんだと露竜は知った。父が罪を犯したのはこの人たちのためなのだろう。


──もう恨むのも馬鹿らしい。



******


「旨い。母上に食べさせたら、元気になってくれるかもしれない」


 秋になり庭の畑の芋が収穫を迎えた。落ち葉を集め焚き火をしながら芋を焼き、出来立ての芋を公子に渡せば、はふはふと子供のように夢中で食べている。


「なにも食べさせてないみたい」

「ここに来てから旨い物ばかりだ」

「それは嫌味なの」


「ここでは安心して物が食べられる。母も宮にいるときよりも体が楽になったと言っていた」

「えっ?」


 宮廷では良い暮らしをしていたと思っていたが。


「冷たい飯も無く。毒を盛られる心配もない。夜中に命を狙われることもなくなったからな」


 当たり前に語る公子に露竜は戸惑った。


「清栄。顔、すすで汚れてる」


 手巾で公子の頬を拭ってやると、公子は露竜の腕を捉えた。


瀏彩りゅうさいだ」

「って名前。簡単に名乗る物じゃないわよ」

「瀏彩と呼べよ。お前は」


「普通それを聞く」

「聞く」

「……」


 露竜はそっと耳打ちする。瀏彩はそれは嬉しそうにして


「露竜」


 と呼んだ。その顔があまりにも幼くて、なぜか胸がざわついた。

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