第4話

*****


「そんな力の使い方をしていたら早死にするぞ」


 おたまじゃくしが水草から顔を出し言った。


 調度品の乏しい部屋に入ると、水をたっぷり入った見事な装飾の壺の中から不平不満な様子で、神の使いのおたまじゃくしが睨んできた。


露竜はそれを無視し卓上に置かれたお香を手に持ちひとつづつ確認する。


「命を削ってまですることなのか」


 白檀びゃくだん龍脳りゅうのう大茴香だいういきょう丁子ちょうじ貝香かいこう麝香じゃこう


そしてさっき渡された沈香じんこうで全て揃った。安堵し露竜は香料を乳鉢にゅうばちに量を計り手際よく加えていく。


「なぁ、顔色悪いぞ。そこの鏡で見てみろよ」

「鏡。まったく、何度も侍女にあれほど、この部屋の鏡を立てるなと言うたのに」


 母の形見の銅鏡が部屋の隅に立て掛けられていた。つかつかと苛立しげに床を蹴り歩くと、銅鏡を裏にする。


瞬間に垣間見えた己の醜い顔にひきつらせる。


「死んだ父様にそっくりな顔」

──主上の母君を見ているときのような。


 おたまじゃくしは心配げに露竜をじっと見る。露竜も今度はちゃんと壺の中に目を落とす。


「なぁ、雨を降らせるのは露竜がもっと体を回復させてからでもいいだろう」

「これ以上は待てぬ。東の里の田が枯れたと聞いた」


「だからってさ」

「早くせねば、主上のお立場がますます悪くなってしまう」


「このままだと、死ぬぞ」

「……この国を建て直すのが先か、わたしが先に倒れるか、どちらが早いだろうなぁ」

「露竜」


 おたまじゃくに叱咤されたが露竜は頑なに譲らなかった。


「お願いやらせて甘雨かんう


 甘雨と呼ばれた、おたまじゃくしは言葉を飲み込んだ。


 露竜は祭儀の準備を再開させる。乳鉢を持ち乳棒にゅうぼうでムラなく香料を混ぜ合わせ粉末にする。


たぶ粉と水を加えて固めれば掌に適量丸め三角にしてお香を作った。香皿に載せ火を点すと香る煙がゆらりと昇る。


「本当にいいのか、露竜がそこまですることないだろう」

「この身は主上のために使うと決めている」


「わからんなぁ。義理はあっても、そこまでしなくても……っていっても、その顔じゃぁ、言っても無駄だろぅなぁ──わかった。露竜が望むならやってやるよ」

「ありがとう」


 甘雨は尾びれを振った。露竜はおもむろに手の甲を見て鼻で嗤う。


「傷だらけだな」


 左の甲に巻かれた布を無造作に取り払い、曲がった針を甲に突き刺し抉る。──ぽちゃり。


と露竜の瞳から痛みの銀色の涙が一粒零れ、水面に波紋を作り静かに壺の底に落ちていく。


甘雨はそれを吸い込み食べた。すると、足が生え。尻尾が縮み。成体の蛙に変わる。


露竜は次々と涙を流しては壺に注ぐ。蛙になった甘雨はぱちくりとした目でじっと露竜を見つめた。


「お前の涙は一粒で一里いちりの恵みをもたらす。香一族の涙は雨と同じ。龍神を呼ぶには雨粒がなくてはできない。露竜のような強い霊力の持ち主しかできないんだからな。忘れるなよ。お前が死ねば、この国は滅びるかもしれんのだからな」


 露竜が頷くと甘雨は納得したのか、昇るお香の煙に跳躍して乗った。そのまま階段を昇るように煙の上を跳び跳ねていく。


──これで何事もなければ雨粒が空に届けられる。甘雨が空に到達するまで、あと数刻。


 ほっと露竜は胸を撫で下ろす。

 っと。ぐらりと地面が揺れた。否。露竜が倒れたのだ。冷たい床を感じながら徐々に意識が遠退いていく。


「しゅ……じょう」


 完全に闇が落ちる。

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