第2話
「──これは乙窪……雨宮様ではありませんか。今日も暑いですなぁ」
露竜は
宰相の嫌味にも動じず露竜は両腕を前にして重ねると微笑んだ。
「ええ、雲ひとつありません
なぜに後宮に陛下以外の男が簡単に入いれるのか。この男の権力に嫌気が襲う。
宰相は顎髭を撫でながら態とらしいほどの困り顔をする。
「この暑さで。辺境の地の井戸水が枯れだしたようですぞ。このままでは里の作物が枯れだしてしまう。そうなると秋の収穫が心配ですなぁ」
「ええ、食糧が底を突きてしまえば弱い者から順に、この冬は飢え死にするかもしれません」
「うむ。まっこと困ったものだ。人間の食べ物だけでも大変なのに、私の愛馬の軍馬までこの暑さで元気がない、良い餌を与えてやりたいのだが、この日照り続きでそれもできないのだ。我らの食糧を割くわけにもいかぬもの、そろそろ雨を降っていただけなくては本当に参りますな」
「……ええ」
宰相の目がギラリと露竜を睨み、感情をかき消す様にふっと不気味に笑った。
「ご苦労でしょうが、雨降らしの儀。国のため、陛下のため、お急ぎください」
──白々しい。
「精進します」
沸々と込み上げる憎しみを隠し通し、敬意を持って頭を下げる。宰相は頷き露竜に背を向け、5歩ほど歩いたところで思い出したように長い髭を揉み振り返る。
「そう言えば、雨が降らないことで、逆恨みする不届き者もいるようですよ。気をつけてくだされ」
「ご忠告、有り難うございます」
馬に蹴落とされればいいのに。
内心では罵倒しながら露竜はもう一度丁寧に敬礼する。宰相は今度こそ背を向けて去っていった。
香一族は代々、雨降らしの力がある。中でも露竜は雨を降らせる才能に長けていた。死んだ母の力を強く受け継いだのだ。
一族は国に厚遇されていた。しかし露竜の父親が罪人として都を追われ、悲劇のように落ちぶれた。
本来なら親子、一族共々、罪人として厳しい罰を受けるところなのだが、有り難いことなのか一族の命と引き換えに露竜の力を無償で国に使わされることで生きながえされていた。
そしてなんの因果か皇后候補生として後宮に招かれることになったのだ。それも雨を降らせる力があってこそ。
それなのに今、露竜は雨を降らせる任が出来ないでいた。
「宰相め! この前は雨降らしの術具が取り替えられ、今日は祭壇に用意された香枦にミミズが入っていた」
香炉のなかの絡み、もがくミミズを露竜は思い出し、顔をしかめた。
状況、雨降らしの儀をことごとく邪魔されているのだ。祭儀の失敗はすでに五回目。水神さまへの、みことのりができない。
露竜は長い爪が食い込むほど掌を握りしめた。左の甲には痛々しく布が巻かれていて傷が疼く。
「よくもまぁ、あれこれ考えるものよ」
どうにかして術具を揃えなくては露竜を後宮に招いた主上のお立場がない。
無能だと陛下が批難されるかもしれない。いずれ、その怒りは役人からも民たちからも起き、陛下が反感を買うことになるだろう。暴動か起きるやもしれない。
先皇帝陛下から仕えていた宰相は計算外に抗う陛下を快く思っていない。
──まさか主上が反発するなど微塵も思わなかったのだろう。ざまぁみろだ。
露竜は口の端だけで笑い、すぐに、すっと表情を引き締める。
今、後宮内は荒れていた。主上派と宰相派で派閥が起き始めているのだ。
少しずつ増える主上派に対抗するため、宰相は雨降らしの儀を邪魔し、雨を降らせられない王として皆に示している。
このままでは味方をすべて宰相に持っていかれてしまう。
それだけはどうあっても阻止しなくてはいけないのだ。
「主上」
悲痛な表情を露竜は浮かべ、赤い回廊から雲を捜すように群青色の空を仰いだ。
茹だる熱気が地面から這い上がる。蝕む暑さで額から次から次と汗が流れ落ちた。
「急がなくては」
──っと。
足の爪先から頭に向けてピリピリとお馴染みの痺れが襲った。違和感を覚え露竜は柱の陰に目をやる。
血のような真っ赤な小鳥が恨みまみれの殺意で威嚇するように震え、血の涙を流していた。
「お前。呪物か……。宰相め。ついに私を呪い殺すつもりで放ったな、後先も考えず消すことを選んだか。阿呆が」
なにをしても露竜が宰相派に入らないことを悟り、露竜を抹殺しようとしたのだろう。
「まったく後宮で鳥を殺すのは死罪に値する行為のはずなのに……お前も利用されたんだな」
──主上のように。
邪気が小鳥から暗雲を広げる。赤い小鳥は嘴をガチガチとさせ怒りを現にしていた。
「命は救ってやれぬが、痛みと怒りは消してやろう。許せ」
露竜は両の掌で小鳥を捉えた。一呼吸すると、ふっと小鳥に息を吹き掛ける。
みるみる赤い小鳥は澄んだ青い鳥に戻る。掌を開けば、首を傾げ、ちゅんっと小鳥が一声鳴く。
「お前は大空にお逃げ」
小鳥は、ばさりと翼を広げ大空を舞った。
「どこまでも」
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