最悪のルート②
手近な岩に腰掛けて水につけた両足を
「こんにちは」
と、突然背後から声を掛けられて、危うく川に落っこちそうになった。
ぐらりと
その途端、微かに甘い香が鼻孔をくすぐって、俺は思わずドキリとする。
心臓を落ち着かせようと、回された両腕に視線を転ずれば、それが、俺を支えるには余りにもか細くて頼りないことに気付く。
「ご、ごめんなさい!」
川のせせらぎに負けないぐらい澄んだ声音でそう言うと、彼女は勢いよく頭を下げた。
その動きに、腰まで伸びたふわふわの金髪が肩を滑る。緩やかなウェーブを描く髪は、空から降り注ぐ陽光と、川面に広がる反射光を受けてそれ自体がぼんやり輝いて見えた。
年の頃は二十代前半といったところか。
この国の民族は、黒髪・黒瞳が原則だ。
先の実験で俺がここを選んだ理由も、実はそれだった。
俺も、同じ色合いのそれらを持っていたから目立たないと踏んだのだ。
しかし、彼女のこの風貌は異国の雰囲気を色濃く漂わせている。
なのに発する言葉は間違いなく
何か違和感があるけれど、それより何より俺は彼女の美しさに心奪われてしまっていた。
「あ、あの……。大丈夫ですか?」
ぼんやりと自分に見惚れる姿を不審に思ったのだろう。
彼女が心配そうに顔を覗き込んできた。
「だ、だ、だ、だ……っ」
「……ダダダダ?」
大丈夫だ、と告げたいのに舌がもつれてうまく言葉にならない。
「……大、丈夫……」
ばつの悪い思いをしながらやっとのことでそう言うと、彼女がふぅわり微笑んだ。
「急に声を掛けてごめんなさい。私はイフェメーラ。貴方は……訓練中の兵隊さん?」
服装と、ボロボロな見た目からそう判断されたらしい。
一歩下がって俺の格好を見つめると、彼女は心配そうにそう尋ねた。
軍隊やら兵隊やら、そんなものとは無縁そうな彼女にとって、そういう輩は怖い部類に入るのかも知れない。
「いや、俺は……」
そこで言葉に
だからと言って「悪魔だ」なんて馬鹿正直に答えたら、それこそイカレた奴だと思われちまう。
「りょ、旅行関係の仕事をしてる。名はサルガタナスだ」
あながち嘘じゃないし、俺にしてはまずまずの応対だったと思う。
「
自分のだって結構難しい名前のくせに、俺の名に激しく悩む素振りの彼女を見て、不意におかしくなった。
絶対今、頭ん中で変な変換してくれたと思う。
「好きなように呼んでくれて構わないよ。俺もあんたのこと、イフェって呼ばせてもらうから」
ある意味凄く強引だな、と思う。でも彼女ならそういうのも許してくれそうな気がした。
「……じゃあ、サルガ、でどう?」
案の定、ニコッと笑ってそう提案すると、彼女は同意を求めるように小首を傾げた。
「いいよ」
どんなのでも、彼女に呼ばれるのなら問題ない。そんな気がした。
そう思えてしまうこと自体、自分でも不思議だったけれど、これが一目惚れと言うやつだろうか?
いつの間にか、ちゃっかり俺の横に腰掛けて、同じように足を水に浸している彼女の横顔を見て、気恥ずかしい思いに駆られる。
「……でも、旅行関係のお仕事でこんなところ、って何か見るものあるの?」
まるで小さな子がそうするように、ゆらゆらと足を揺らすあどけない彼女の仕草に心奪われていた俺は、思い出したように投げ掛けられた言葉に一瞬戸惑った。
「あ。えっと……実は綺麗な景色を探してて迷子になっちまって」
嘘を偽りで塗り固めながら、苦笑交じりに返した台詞は、困惑しきった表情と相まって信憑性を生んだらしい。
「それは大変! だからそんな風にボロボロになっちゃったのね」
服装が軍服っぽいとか、そういうことは度外視して俺の言葉を信じてくれるイフェは、ある意味凄く
そんな彼女を騙していることに、少なからず罪悪感を覚えたけれど、今はそれに甘えるしかない。
「そうなんだ。汗だくになるし、もぉ、最悪だよ」
現状に辟易していたのは事実だ。
溜め息混じりにそう告げると、彼女はしばし逡巡した後、
「うちでよかったら休んで行く?」
にわかには信じられない言葉を告げた。
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