第40.8話 番外 霧の店長②
今日も霧の濃い中、店長であるゼアイクは店で瞑想していた。
来客は1人、素材売だ。
彼は定期購入している良い品が入ったので、持ち寄ってくれていた。
ゴブリンの老婆は暖炉の前で繕い物をしながら、常連の素材売と商談していた。
常連の素材売は旅装を纏っていて、妙に鼻の高い男だった。
彼はパイプを咥え、火を付けた。
「水都の護り神から賜った羽毛だ、納めてくれ」
「おや、もうそんな時期かい、今年はどうだったい、ムムリク」
「幽き時代でも、まだまだ元気そうだ。この間は人に化けて、旅の少年を誑かしていたよ」
テーブルの上にはこんもりと積もった、半透明の毛が乗せられていた。
「それは、それは、罪作りだねぇ…」
「水都は歩くだけで恋をしたくなる、頬に口づけする位は愛嬌の内さ」
ムムリクは、ぽかりと煙管から、器用に輪っかの煙を吐き出した。
一仕事終え、満足いく出来だったらしく、納得するように頷いた。
「んで、大将はまだ作業中か?」
「そうじゃよ、少し大口の注文でねぇ…」
2人の視線の先には、珍しく座禅を組んで瞑想しているゼアイクの姿があった。
「とある国で大精霊が動くってんで、みんな大忙しなのさ、精霊具が飛ぶような売れ行きだよ」
「大きい
店のベルが鳴った。新しい来客のようだ。
「ふぅ、お邪魔いたします…」
入店してきたのは、
一見、蜘蛛のような印象を受ける、背の高めの女性だった。
使い込んだ刻印付きの、革鋲打ち鎧に身を包んでいる。
腰にはかなり上物の剣を帯びていて、背中に細長い鱗のような分厚い金属盾を背負っている。
鋲付き鎧には爪や牙などの、ゴーレム素材が釣り下げられている。
いずれも1級品の物だ。相当凄腕のゴーレム使いなのだろう。
ムムリクは第一印象で、彼女は人間種に見えなくもないが、人間種では無いと感じた。
「おや? おやおやおやおや、あんた、もしかしてフェスちゃんかえぇ?」
「げっ、…失礼しました、にはは、覚えておいで、でしたかぁ…」
「20年以上ぶりかえぇ? 元気にしていたかい?」
「にはは…お陰様で…」
フェスと呼ばれた女性は、どこか気まずそうに愛想笑いを浮かべた。
「あんなに小さな子が、まあ立派になって…」
「…その節を弁償と贖罪に参りました、大変ご迷惑をお掛けして、申し訳…」
フェスは深々と頭を下げようとしたが、ゴブリンの老婆に慌てて止められた。
「あ~、いいんじゃよ、返すめぐり合わせが無かったら、店が逃さんし…」
「ほっ、この店で出世払いとは、豪胆極まりない」
ムムリクはほんの少しの咎めと、関心するような目線でフェスを見つめた。
「にはは、言い訳のしようも、無いです…」
「若かったんじゃよ、それに、ちゃんと払いに来てくれたんじゃろ?」
「…はい! 持ち合わせは、このくらいですが」
フェスがポーチからある物を差し出した。
小さな目玉のような物が中に固められた、琥珀の化石だった。
「ほう、これは」
ムムリクは驚きに目を剥いた。
フェスが名家の家宝にもなりかねない。珠玉の逸品を差し出したからだ。
琥珀の黄金瞳。
古代に樹液や蜜の中に、何らかの動物が閉じ込められ、そのまま化石になった物だ。
最上級ゴーレムの眼球に使用される。滅多に出土しない宝玉だ。
硬度も異常に固く、最も良い魔法杖の部品や、武器の部品にも使用される。
これ1つだけで広大な土地を購入するに、余りある価値の物だった。
「いやぁ…勘弁しとくれよう、初心者用の魔木とこれじゃ釣り合いになるわけが…」
「ですが、謝罪を込めてなので…」
「だがねぇ、そうは言うが…」
「受け取っていいだろう」
座禅を組み、目を閉じたまま、ゼアイクはゴブリンの老婆に声をかけた。
「店長、しかしねぇ…」
「代わりに相応の物を売ろう、任せる」
ゼアイク店長は、それっきり黙ってしまった。
「じゃあ、何かご入用かぇ?」
「にははは…では、まずあの時と同じ魔木を1つ」
「ほう、なぜだいそりゃ?」
ムムリクがパイプを
魔木とは、ウッドゴーレムの基礎部分を構成する。最も初心者向けの魔力部品だった。
今更彼女に必要な物とは思えない品だった。
「息子が修練を始めたいと言い出しましてね、基礎はやらせていたのですが、そろそろ表道具をと」
「ふふっ、それは良い、前回よりずっと良くなってる物を、用意させてもらおうぞい」
「時代の進歩ってやつだな」
「にはは、あとは、家族の結婚祝いを、…少し気が早いかもですが」
「ほう、誰が結婚なさるね?」
「溺愛している、血の繋がらない妹分が、です」
「それはよかったの〜」
「にはは、ええ、とっても…」
ゼアイクとムムリクは、少し複雑そうな気配を感じたが、あえて口には出さなかった。
「なら、あのカーペットがいいかの、赤い柄でいざという時、役に立つやつじゃ」
「ほう…どのような?」
「地震とか洪水の時、浮いたり身を守ったりしてくれるんじゃよ」
ゴブリンの老婆の説明によると、即席の浮袋やクッションに災害時のみなるらしい。
住民の保護向けに作った物で、上品で仕立てのいい赤色のカーペットだった。
「にはは、いいですね、それを頂きましょう!」
他にも数点買い物をして、世間話を交えながら彼女が帰る時間になった。
「にははは、今日は本当に、ありがとうございました。お陰で胸のつっかえが取れた気分です」
「なに、気持ちよく買い物できたのならそれが1番じゃとも、また彷徨う日にでも、気軽に来店するんじゃよ」
「はい! それでは、またよろしくお願いします!」
彼女は入店してきた時と違い、晴れやかな顔で店を後にした。
ムムリクが挨拶をして退店したあと、またゴブリンの老婆は繕い物を始めた。
その顔は一仕事終え、古い客に再開できた喜びで溢れていた。
店のドアが開いて、ベルが鳴った。
たまたま全員が奥で仕事をしていて、入口に戻って来たが、誰もいなかった。
「む、また猫でも迷い混んだか…?」
この店の創設者は、大変な猫好きだった。
猫だけはこの店の霧で迷わず、勝手に入店することが時折あった。
餌も常備していて、時々迷い込む彼らに振る舞うのは、ゼアイクの日常だった。
…勝手に結界を斬り捨てて入ってくるバカには「ぷっ、大きい猫が猫に餌やってる」と笑われるので、喧嘩の定番ではあった。
ガタガタ、バタバタと駆け回る音が、隣の商品棚から聞こえる。
猫にしては足音が大きすぎる。
飼い主も迷い込んでしまったかと、隣を覗き込んだ。
ひっくり返った背の高い女性が、通路の床に寝そべっていた。
怜悧な顔立ちだが、あどけない表情で、必死に逃げ出そうとしている猫を、抱きかかえて愛でていた。
「む…、龍様、ですか」
「…オジサマ、だあれえ?」
「店長のゼアイクです、ようこそ龍様」
「…お店?」
龍様は今気づいたとでも言うかのように、自身が蹂躙し、物が散乱した店内を見渡した。
「そうです、お店ですよ」
「そっか、ごめんなさい…、散らかしちゃった…」
彼女は物が散乱してしまった。店内の惨状を謝罪した。幸いゼアイクが見る限り、壊れてしまった物は無いようだ。
「いえ、それで、何かお求めですか?」
「…オモトメ?」
「ゼアイクは質問しよう…、何か、欲しいモノはありますか?」
この店は時折、感覚の鋭い者が、こうして
どうやら彼女はその類いのようだ。
難しい言い回しは、少しこの状態では辛いとゼアイクは判断して、彼女に言葉を選んでいた。
「欲しいモノ!、カミキレとヒメサン!」
元気よく叫ぶと、彼女は鼻を何度か鳴らして匂いを嗅ぎ取った。
猫は諦めたかのように、ごろりと彼女の足元に転がり始めた。
ストレスが溜まっているのかもしれなかった。
「カミキレとヒメサンの匂い、辿ったの…」
「…ふむ?」
「ツガイか、ケッコン? の道具が欲しいんだよ!」
ケッコンと言った時、彼女は首を傾げてゼアイクに言った。自分でも、よくわかっていないような言い方だった。
「むむむ、…ゼアイクはよくわかりませぬが、指輪ならペアリングがあるので、ご覧になりますか?」
「ぺあ、りんぐ?」
「はい」
「見せて…!」
テーブルと椅子に案内して、クッキーとお茶を振る舞いながら、いくつかの指輪を見せた。
彼女はキラキラした目で指輪を眺め、選んでいる。
猫にも食事を提供して、龍様の膝の上にふてぶてしく座っていた。
「可愛らしい龍様だで、ごゆっくり!」
「ありがと、美味しい…」
しばらく遠慮なく猫と戯れつつ、クッキーを齧る音が響いた。
その間にゼアイクは、散らかった店を片付けた。
「気に入る物は、ございましたか?」
「この輪っかのついたの、いい…?」
龍様が差し出したのは、かなり小さい輪っかのついた婚約指輪だった。
「もちろんです。お支払いは鱗払いでよろしいでしょうか?」
「鱗払い?」
「ゼアイクは貴方様の鱗を、少しだけ頂戴したいのです」
「ちょうだい…良いよ、はい」
彼女は背を向けて翼を抱え、生えた鱗をカリカリと数枚落としてくれた。
「足りるかな…?」
「十分です。ではお包みいたしますので、どうぞごゆっくり」
「うん!」
しばらくすると、うららかな日差しのせいか、寝息が聞こえてきた。
テーブルの上を見ると、突っ伏して猫と彼女は眠っていた。
「おやおやおや、可愛らしい眠り龍じゃのう…?」
「猫に、眠りに誘われてしまったかな」
ゴブリンの老婆が毛布を持ってきて、可愛らしい眠り龍は、麗らかな日差しの中、よく眠っていた。
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