第40話 折れた剣、夕陽の赤心

戦いというのは、時に非情だ。

やり合った中で、はっきりとした勝利や敗北にありつけるのなんて、ほんの1握りだ。

血みどろでどっちが勝ったのか分からない戦いなんて、この世界にありふれている。


最近の俺たちは運が良かった。

決して油断したつもりはないが、勝ち癖がついていた。

だが、いつまでも勝ち続けられる訳が無い。


生き残ったほうが勝ちとも言えるが、生き恥を晒したり、死に損なったほうが、いっそ苦しいことだってある。


それでも…、それでもだ。

生きているなら。前に進まなければならなかった。


ジョイスは辛うじて生きていた。だが、サノス嬢は死んでしまった。

矢傷を受けて、テントに退避して身を隠していたが、適切な処置を行えなかったのか、出血が酷く、そのまま………。


矢傷の場所も悪く、床には赤黒い血が、まだ乾いていなかったらしい。

乱戦と豪雨で逸れたジョイスが見つけた時には、もう身体が冷え切っていて、瞳孔が開き切ってしまっていた。


おそらく死因は黒い色の血液から、内臓が傷ついた事による大幅な失血。それに伴う体温低下だろうか………。

腕の良い医師でも、治療できるかは微妙な所だ。

まして、施療院のような医療施設すらない宿場では………。


彼女が死んでしまってから、ジョイスは気がつけば、遠くを見ていることが多くなった。


1度だけ「あんたが…、あんたが…!、女を…!」

と錯乱しながら詰め寄られたが、周囲の哀れみの視線と、俺の呻き声で我に帰ってくれた。

彼に謝る事はしなかった。とても出来なかった。


余裕は無かった。微塵も無くなったと言って良い。

長を中心に動き、遺体も宿場の邪魔にならないところに集め、遺書と遺品。遺髪だけを回収して、使える物を何でも使い、助け合い、天気が晴れの内に出発した。


「姫さん、…悪かった。俺のせいだ」

「はい…?、なんの話です?」

「スクロールを使うのを慌てすぎた。せめて周囲の警戒を、もっとすべきだったよ…」


ゴブリンが潜んでいることを、察知出来なかった。

あれだけの巨体だ。豪雨が降っていたとはいえ、慌てず周囲を見渡せば、奴が隠れていることを、見抜けたかも知れない。

敵が野盗共と、ジェムだけだと思い込んだ。俺の落ち度だった。


「それを言うなら私もですよ。一撃でなんて、あ、イダダダダダッ……」

「無理すんな。荷車の振動も辛いだろ?」

「紙切れさんだって…」

「うん…、悪い。喋ってんのも、しんどいわ……」


俺の怪我は特に両手両腕が酷く、ヒビや骨折が酷かった。しばらく物は握れないだろう。

腹が立ちすぎて、殴りすぎた代償だ。これも落ち度と言える。後悔は無いが。


鎧越しだったので致命傷は無いが、無数に生えてくる鋭い骨に痛めつけられて、出血も酷いことになっていた。

気を抜けば貧血で、気を失う事が続いた。

鎧もボロボロで、どこかで修理せねば……。


グリンとタロッキ、生き残りで、なんとか荷車を護衛してもらい。

次の村である、アーモル村に辿り着いた。


アモル村は、かつて堅牢だったアモル砦をそのまま流用した村だ。

過去の戦闘で半ば破壊されて、1部こそ崩れていたが、不揃いな石積による堅牢な威光は健在だ。

砦内は平たく砕かれ、磨かれた岩の壁や床でできているらしい。


住民も部屋割りをして、石積の中で生活しているのだと言う。

主な産業は、近くに小さなゴルロック鉱脈を構え、鋼玉が今も採掘できている。


門兵たちは、先触れで訪れた護衛が事情を話すと、一目散に俺たちを助けてくれた。

どうやら彼らも野盗に何度か、襲撃や略奪を受けていたらしい。


この村に辿り着くまでに、重症だった3名が息絶えた。

みんな、口に出せないほど酷い傷だった。少しだけ、罪悪感を感じずには居られなかった。


砦内の施療院に運ばれる途中、デンと話す時間があった。

彼は俺の視線だけで、言いたいことがわかってくれたようだ。


「わかってる。ジョイスのボンを見てろってんだろ?」

「悪いな、俺達ろくに動けねえからよ」

「後追いされたら目覚めが悪いにも程がある。ありゃー、村の連中もわかってるな、たぶん」

「すまん、…そっちのツレは?」

「レックは割に合わねえから逃げた。ジルの奴は抜けてる所があったが、斥候は上手かったんだがな……」


おそらくだが、逃げた奴はともかく、姿を偽られた浜訛の彼は、口封じに殺されてしまったのだろう。


俺と姫さんは、しばらくアモル村内の施療院室に、入院することになった。

数日後、デンは宿場に戻る旅人に雇われて、村を後にするつもりのようだ。

村を出立する前に俺たちの病室に、挨拶に来てくれた。


「もう通りすがった連中が、埋葬してくれてるかもしれんが、様子見てきてやるよ」

「悪いな。世話になった礼だ、持ってってくれ」


俺は彼に、1枚のスクロールを手渡した。

炸裂火球が出る代物で、研究用に1本持っていた物だ。


「いいのか、高いもんだろ?」

「いいさ。お前が手当てしてくれなかったら、たぶん死んでたからな」

「おう、じゃ遠慮なく」


「あの…、ジョイスさんの様子は、どうでしたか?」

「しばらく冒険者業は休業して、村の番兵として食いつなぐってよ。ここも人出が足りてる訳じゃねえからな」

「そう…、ですか」

「じゃあな、生きてたら、また会おうぜ」

「ああ、気をつけてな」


聞いた話によると、ジョイスはサノス嬢の遺書を、未だに読めずにいるらしい。

彼と彼女の関係は詳しくないが、後悔が尽きないのだろう。


俺も姫さんやタロッキが死んでしまったら。すぐに読める自信はない。

責任から読むことはできるかも知れないが、相応の覚悟は必要だ。

俺も彼に声をかけるべきかどうか、葛藤がある。

迷っている内は、見守り続けるべきかも知れない。


良薬や、聖職者様方から、治癒儀式を受ける事でリハビリを過ごす日々だった。


タロッキはずっと折れた剣で鍛錬を続けていた。

その姿はまるで、捨てられたか、泣いている子供のようだった。

その姿を見かねてある日。俺は声をかけた。


「泣いてるのか、タロッキ」

「………不思議なんだ。怒りが湧き上がって仕方ないはずなのに、…なんでか、怒れない」


事情は既に彼女から聞いていた。

察するに、ジェムは戦士として、死に場所を求めている気がする。

1度仕えた国が悪に堕ちようとも、裏切る事も出来ず、さりとてタロッキを攫うことに納得もできていない。

どっちつかずの彼は、タロッキが、人か、ドラゴンかを選べない事を見抜き、どこか自分に重ねてしまってしまっているのかもと、俺は彼の心情を少しだけ推し量っていた。

聡い子だ、タロッキも理解してしまったのだろう。だから、怒れない。


「なあ、タロッキ。あいつと殺し合いたくないなら、…もうそれで良いんじゃないか?」


今にも泣き出しそうな曇天の空の下、素振りを続けていた彼女の手が止まった。

そのまま顔を伏せて、欠けてしまった刃先を見つめている。


「何も殺し合うだけが、付き合いって物じゃない。剣だって直しゃいい。それで良いんじゃないか?」


「だめ。…それだけは、できない」

「どうして?」

「彼は騙そうとしたけど、その後は誠実に、あたしに向き合ってくれた。ぜんぶあたしの為を思って…」

「誠実な罠なのかも知れない。でも向き合わずに、もう彼からは、逃げたくないの」

「そんな不誠実……不正義は、したくない」

「乗り越えたいんだ、彼を。それに…」


顔をあげた、灰色の泥のような曇天の向こうに、空は見えない。

彼女の表情も見えなかったし、今は、見てはいけない気がした。


「龍は、龍は、ね…。涙なんて、流さない、よ…」

「そうか………、また、雨が降ってきたな」

「うん…」


たった一雫だけ、白刃に、雨粒が散っていた。



あの日から、俺と姫さんもタロッキの鍛錬に、以前よりも少しだけ、付き合うようになった。

リハビリは順調に成果を出してくれた。

姫さんと話し合って、エレクシアを使う事も考慮したが、過ぎた良薬は身を滅ぼしやすい。


緊急時は別だが、一瞬で重傷が治るような薬を見せれば、良くない考えを持ってしまう者もいるかも知れない。

いつでも使えるようにして、警戒を怠らず、リハビリに専念することに努めた。


アラクネー鎧は、完璧に修理する事は叶わなかった。

1部破れてしまった分厚い布地は、独特な編み込みで製作されていて、専門の職人でないと完璧な修理はできないらしい。


応急修理はできるが、1部既存の革鎧の部品を流用するしか無い。

少し継ぎ接ぎになってしまったが、職人たちは手厚く修理してくれた。


1ヶ月近くリハビリに励み、すっかり村の連中とも打ち解け、タロッキの顔にも笑顔が戻る頃。


俺達は再び、ノルンワーズに向かって、旅立つ事を決めた。

出立の日、門兵をしていたのはジョイスだった。


「行くのか?」

「ああ、………なあ」

「なんだ?」


「………なんでもない。達者でな」

「ああ、もう一度……、いや、…気をつけてな」

「………そっちこそ、元気でな」

「ええ、さようならです」

「元気でね」


彼に、遺書の事は聞けなかった。

もし、彼がもう一度会おうと、冒険者としての流儀を口にできるなら、聞けたか、聞くべきだったのかも知れない。


そうでなくても、聞いても良かったかも知れない。

だが、村の噂では、彼はもう冒険者を引退する予定らしい。


理由は十分で、無理のない事だ。

1度失い、折れてしまった心を立て直すのは、誰だって容易にできる事ではない。


俺達はこの日、互いにすれ違う事を選んだ。


冒険者の依頼成功率は、どんなに高くても7、8割割が優秀と謳われている。

俺は3回連続で、依頼を失敗したことだってある。


頭目たちや親方達に話しを聞けば、もっと手酷い失敗談だって、それこそ山のように教えて貰える。

命懸けの行為に、向き合う。

実に難行だと、今回の依頼では再び味わう事になった。


出立には、よく晴れた日を選んだ。

夏も終わりかけ、気の早い寒い風の精が、そよそよと吹き抜けている日だ。


夏の終わりの、夕暮れ時。

黄金の日が落ち、穂垂ほたれ始めた麦を照らし、一足早く金色こんじきの精たちが、風と共に遊んでいる。


野営地で夕餉の支度をしながら、目をみはる光景に、手を止めて、ただ自然に。

姫さんに預けたいと願っていた、言葉を告げる事を決心できた。


「タロッキ、悪いんだが、グリンと水を汲んできてくれないか、埋め合わせはするからさ」

「………、………、………、おー………」

「いやなんだよ、その妙な反応は…?」


タロッキは周囲を見渡して、沈みゆく美しい夕陽を眺めて、何かを納得したような訳知り顔でにったりと笑うと、ニマニマしながら黙って、グリンの手綱を持って歩いていった。


グリンは1度だけ俺の方を見て頷くと、勇気付けるように、自身の草尾で腿を勢いよく叩きつけ、手綱を引かれていった。


………はぁ、バレたな。絶対に後で姫さん共々、根掘り葉掘り聞かれる。

まあ折り込み済みと言うか、逆の立場なら俺もそうするから仕方ないな。


姫さんは眩しそうに夕餉の支度を整えていた。

鼻歌を歌いながら、大ぶりのナイフで食材を切っている。

彼女のほわっ…とした様子に、少しだけ気恥ずかしくなって、誤魔化すように咳払いをしてしまった。


「姫さん、…少し良いか、預けたい事があるんだが…?」

「なんです、あらたまって、誰かに伝言でしょうか?」

「ああ、未来の姫さんに、預けて置きたい言葉がある。…よく、聞いてくれ」


彼女はまだ振り返っていない。

特に咎めることなく荷物の中から、ゲルダの涙を差し出した。


「結婚を視野に入れて、俺と、交際してくれないか?」


小気味よく響いていたナイフの音が、ピタリと止まった。

彼女は振り返らず、口元に手を当てて、何かを深く考えるような仕草をしていた。


「すみません。よく聞けなかったので、もう一度言って貰えますか?」

「いや、結構恥ずかしいな、これ……」

「すみません。よく聞けなかったので、もう一度言って貰えますか?」

「いや、そんな、キレイに言い直さなくても……」

「すみませ────」

「もう良いから、な?」

「んぅ……っ……」


明らかに彼女は混乱の極みにあった。

抱き寄せなかったら、もっと何度も同じ言葉を繰り返してたかも知れない。

ぎゅうぅと力を込めて、ゲルダの涙ごと、抱きしめる。

今だけは絶対に、彼女を逃したくなかった。


「ケッコン…、結婚ですか!?、…いやいやいやいや!、そんな。急に、え、えぇ……!?」


「今までの出来事で背中押されて、できる内に言葉を預けるべきだと思ったんだ」

「えっと、その…!」

「姫さんモテるから、先手を打ちたくなったんだよ」

「待って!、待って下さい!、あ、あたし!あたしの…!、そのおぅ…!」


触れている所が熱い。火がついちまいそうだ。

夕陽の時間帯で良かった。

事前に用意していた言葉こそスラスラ出てるが、もうまともに顔も見れそうにない。


「あー…、今すぐに返事をって訳じゃないぞ。うん……」

「あ、そ、そぅ、…………そっか、そう。……そういうのって、アリ?」

「ナシじゃねえさ。預けたいって、最初に言っただろ?」

「うん…、あたしは、マ、マナギの、ことぉ…!」

「愛してるよ。…姫さん」

「………へぁぁ……」


重ね合った胸の高鳴りが、身体にうるさい。

潮騒みたいに、耳の奥が暴れていやがる……。

下手だなぁ、どうにも。

彼女の言い分だって、ちっとも聞いてやれなかった。

強く抱き合ったまま、顔も見ることができなくて。

赤すぎる空を、共に眺めていた。




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