第38話 国掟の逆鱗
宿場テントに宿泊して、朝。
早朝から打ち合わせの為に、1人で長たちに会いに行った。
すれ違う人たちはいない。朝の清澄な空気を感じながら歩く。
ジョイスとサノス嬢は、もう来ていたようだ。
若いのに勤勉で、感心感心。
朝も強いようだな。手際が良いと言われるのにも納得だ。
「風読みいわく、天候が崩れるそうだ。今日の出発は、事によっちゃ見送りだな」
「どれくらい降りそうか、分かるか?」
「下界騒ぎからちと、正確に調べられなくなったらしいが、半日は続く、小雨と言う事は、…んっ?」
遠くから、雨音が聞こえる……?
こんな音は、生まれて始めて聞いたな。
わーーー…と、低い、とても低い波が、迫るような、音?
鼓膜が震えて、またたきの間にポツ、ポツッと大粒の雨が降り出して来た。
「いかん! 早く!」
長の号令で、全員が急いでテントの庇へと避難した。
間髪入れずに、バケツをひっくり返したような雨が降り始めた。
斜めに斜線を引いたような暴風で、急激に冷えてくる。
地面はバチャバチャと音を立てて泡立ち、雑草は波のように撓んでいる。
野分だ。ここまで荒れるのは、この地域では稀だろうな…。
「こりゃ駄目だな。急いで戻るが良いかな?」
「そうだな。解散といこう」
「来ないと思うが襲撃には気をつけてな。金を払う雇い主が、居なくなっては困る」
「…来ると思います!?、この雨で!?」
呆れるようにサノス嬢が、吹き荒れる
言いたいことは分かる。だが時に人は理屈じゃ動かないんだよ。
「来るやつは、むしろこの機に生命捨てて来るさ。女を殺されれば、尚だ」
「…だな。温かくしとけよ」
大急ぎでジョイス達と別れてテントに戻ると、タロッキが中で翼を広げながら、入口近くで焚き火を囲んでいた。
自然に水分が滴ってしまうのだろうか。
鬱陶しそうに、翼をゆっくりと動かしている。
「おかえりなさい」
「おかえり、カミキレ」
「ああ、脱がねえとな…」
ブーツの中まで泥水でぐちゃぐちゃだ。
よく洗って干さねえと。
ガントレットを外して、どこか楽しそうな姫さんに、逆側の腕当て、腿当て、脛当ての留め具を緩めて貰った。
「うっは、バッチャバチャですねぇ!」
「まったくだ。もう少し寝坊するんだったぜ」
自由都市同盟領は、大陸北部に位置するので、寒冷な気候だ。
もっと北上すれば万年雪の森や、雪山とてある。
夏でも着込んで、汗が出ない日も多い。
夜中も寒く、毛布や毛皮がなければ、風邪になってしまう事も多い。
雨1つでも急激に寒くなる。焚き木の用意があって助かった。
ズボッと、兜、肩当て、一体型のアラクネー鎧を脱いだ。
ここまで濡れて脱いだのは始めてだったが、引っかかる事なく簡単に脱げた。
優秀な鎧だな。他人が脱がせようとすると、こうはできないだろうに。
そのまま一糸纏わず裸になって、目を逸らした2人から、手ぬぐいを受け取った。
装備を焚き木の近くに置いて、温まる。
ようやく人心地ついて、安堵の息が漏れた。
「今日は休み?」
「警戒しつつだが、外は無理だ。武器だけ手放さないで、整備か休もう」
「わかりました」
濡れるのは俺たちだけじゃない。キャラバンの動物たちもそうだ。
彼らが濡れた直後に出発はできない。乾いてからじゃ無いと道も危うい。
思ったより、寒いな…。
毛布ごと、姫さんがそっと抱きついてきた。
「濡れちまうぞ」
「もう、濡れてるから良いよ…」
「わーお…」
あったけえ。姫さんからも水の匂いがする。
タロッキが恥ずかしそうに、翼で視線を遮っていた。
本当に止まない雨だった。
風も弱まらず薪も尽きたので、乾いた鎧を着込んで、3人固まって、毛布を被って休んでいる。
アラクネー鎧に変えて良かった。
鎖帷子と革鎧では、金属が多く、少し寒かったかも知れない。
「『ほら、見えました。…浮島です』そう言いながら彼女が指さした先は……、ヒメサンここなんて読むの?」
「
「ふーん…?、どんな植物…?」
「えっ……、確か…、お師匠さまが、サンプル持ってたんで、今度見せて貰いましょう」
テントの中は暗い。暗闇程ではないにせよ、灯りは必要だった。
姫さんの星灯り魔術を頼りに、タロッキがゲルダの涙を音読している。
自由都市同盟の共通語を覚える訓練で、もうおおよそ読み書きはできるが、最後まで読みたいという彼女の願いで読み進めていた。
「ん……、誰か来ますね」
俺にもバチャバチャと、泥水を弾けさせる音が聞こえてきた。
斜め殴りの雨向こうから顔をだしたのは、昨日の傭兵の1人だった。
3人の内、中肉中背の妙に浜の民のような話し方をする男だった。
「済まねえだ、ちょいと庇で待たせてくれろ。アニキたちが来たら、行くからよぅ」
「別に良いけど、どうしたのさ?」
「この雨で回ってたら、はぐれちまっただ。たぶんここ通ると思うだ」
「ふむ……、まあ入れ、風邪引くぞ。…1本どうだ?」
俺は7つ星刻印の煙草を取り出して、自分と彼の分に、燻っていた炭で火を付けて差し出した。
「お、悪いねえ〜?」
彼は美味そうに煙草を咥えて、深く息を吸って外に煙を吐き出した。
「で、なんで外を回ってたんだ。儲け話か?」
「いや…、飼い葉が足りないってんで、運んでただ」
「ふーん…、そんな話、俺は聞いてねえけどな?」
「長が長雨に………、あれ?」
ポトリと、彼の吸っていた煙草が落ちた。
俺は抜刀し、ブロード・ソードを突きつけた。
少し遅れて姫さんとタロッキも、すました顔で剣を抜刀した。
「君…!」
「
姿を偽る魔術だったのだろう。
目の前の彼が、溶け落ちるように、姿が一瞬で変わった。
猫か狐目のようなつり目に、人外を示すような2対の大角飾り。豊かな白髪。真白の肌。
少年とも少女とも付かない容姿の、幼い矮躯。
仕立てのいい鹿角紋章のサー・コートと、
彼女か彼か分からんが、タロッキを純白とするなら、こっちは漂白、まるで色落ちしたような印象の戦士だ。
フランベルジュは…、なんだこりゃ、長っえ。
ギリギリまで細く、長く、鍛えた針のようでいて、その実、極限まで薄く鍛造されている。
こんな触れれば折れそうな剣は、初めて見た。
強いて言えばコッヘイ御老の…、………。……。
警戒すべきだ。最大限。
「くふっ、…盛ったね、…ボクに?」
「ああ、盛った。っ…かしいな、咥えりゃ倒れるはずなんだが…!」
ほんの少しでも怪しく、誰が1人で来ても罠に嵌めるつもりだった。
決定打だったのは、雨水の臭いで分かりづらいが、酒の匂いがまるでしなかった事だ。
俺の爺さんの形見である7つ星刻印の煙草には、俺しか咥えない1本と、接客用の1本。
そして、無味無臭の痺れ薬が、たっぷり塗ってある1本が常にストックしてある。
ぶっちゃけ
「その紋章…! お前!」
「ちぇっ………、ま、いいや、じゃあね!」
「待て!」
飛び出せた!?、嘘だろ!?
疾え! あんな悪路。あの矮躯で、それも痺れてるはずの足で、なんて疾さだ!
ズブ濡れになりながら、全力で追ってるのに、全然距離が縮まらねえ!?
「くっ……。カミキレ!」
「ああ、先行け!すぐに……!?」
「ウォオオオオオオ!」
「敵襲!敵襲ぅう!」
「馬鹿な!この雨だぞ!諸共死ぬ気かぁ!?」
周囲が騒然としてやがる。敵襲だ!
死兵だ。無謀極まりないが、まず間違いない。
この雨の中戦闘行為を行えば、耐水性の強い種族でも無ければ、長く持つわけが無い。
生き物である限り、あっという間に雨に体温を奪われ動け無くなる。
つまり死ぬ。たったそれだけでだ。
死兵。
恐ろしい。この状況では最悪に近い、下手な怪物よりも恐るべき敵だ。
この豪雨だ、警鐘こそ鳴っているが、気づいて無い者も多いかも知れない。
一刻も早く知らせねば!、音だ、音が要る!
「姫さん! スクロールを使う!目と耳を!」
「は、はい…!」
スクロールを折り曲げて、わざと扇状に広げた。
落雷のような爆音と閃光を、広範囲に発生させる。
雨のせいでかなり術式が滲んで、音や閃光が不安定に出ていたが、背に腹は代えられない。
周囲のテントから、驚いた武器を持った人々が飛び出してきた。
よし。タロッキを……!
「姫さ…!」
「げぇっ!?」「がっ……!」
激しい雨の向こう。
勢いよく飛んできた、鋭く白い何かが飛び出して。
ぶつかった? 吹っ飛ばされた!?
何が、何が起こった?
天井……、テントの中に、吹っ飛ばされた?
「ぐっ……、姫さん!? しっかりしろ!」
「うっ……ぐっ……!」
駄目だ、気絶して脇腹を押さえちまってる!、折れた? くそっ、くそぉぉ!、不意打ちだ! やられた!
身を起こして飛び出し、雨の中に、目を凝らす。
………奴だ。
威厳に満ちた生き物のまま、揺るがない。弛がる訳もない。原始たる自然の尊厳に包まれた姿。
奴だ…、やっぱり生きてやがった。
「…ゴブリン」
剣を突きつけ相対した相手は、かつて戦った。
「………よりにもよってお前かよ、オイィ!!」
「っ…!」
距離がある内に、お返しに棘を撃ち出す。
足を止めることはできたが、妙な武器で撃ち払われた。
なんだ、ありゃ…。
不気味で奇妙な武器だった。1言で言えば、食い終わった魚の骨だ。
頭も尾ヒレも無いが、頭部と思しき場所には、尖った背骨が突き出ている。
動いた…!、独りでに骨が、動きやがった…。
ギチギチギチと関節を軋ませて、1本の背骨に纏わりつくように、広がった胸骨が折りたたまれた。
魔道具か何かか?、周囲からは叩きつける雨音と、激しい金属音。
今しかない。油断なく思考を回せ、あの時のように。
一度できた事だ。冴えた感覚を引きずりだす。
万事急須。スクロールは使用済み。ゴブリンは耐水性強。敵は死兵。数は多く無い。死兵は長く持たない。全戦力応戦済み。術師はおそらく居ない。
姫さんの、生存を、最優先。
…速攻!
一瞬の思考を終え、20歩程もない距離を駆け抜ける。
狙いは当然剥き出しの弱点、欠損した腕の左側。
丸太のような足が迫る。蹴り飛ばし。
畏怖にアタマが白む。低く、ただ低く!
目ェ閉じるな、砂利が痛えぇ、泥濡れ回ってでも、死狂え!!
「ぐっ…はっ……!」
「ヴォオッ……!」
泥の上で滑り、転がるように飛び込み、すれ違いざまに軸足を切った。
切った場所は後ろ足。健だ。土砂、目が、痛え…!
代償に蹴られて、左肩外れやがった…!、掠ってこれかよ…!
急いで姫さんがふっとばされた、テントの前にもう一度陣取る。
だらんと下がった腕を気にせず、脇に刃を挟んで、少しでも血みどろを落とす。
雨と泥と血の混合物が、雫を作った。
よし、…これで奴はろくに動けない。数はこっちが圧倒的。一時距離をとれば…!!?
そこで気づいた。奴は嬉しそうに、逆しまの牙を広げ笑っている。
ゾッ……、とした。冴えてしまった予感が告げる。
いかん。負ける。死ぬ。姫さんが、
そう弾けるように覚った瞬間。もう一度踏み込む。
奴は喉元に奇妙な魚の骨を、勢いよく突き立てた。
「なっ……!?」
辛抱に辛抱を重ねて、絶頂に至って解放したような。表情は恍惚、まるで初めて女を知った男のように。
あまりにも戦場に似つかわしくないツラだ。
法悦に溢れている。夥しい鮮血も飛び散った。
突き立てた場所は、傷文字。
泡吹くように、それが左肩の付け根から生えてきた。
水中でこそ逆立ち連なる、無数の魚鱗。
大空でこそ映える、4つ分かれの大鷹剛爪。
分不相応、不釣り合いに持て余す巨腕。
ドラゴンの、腕。
不敬にも、得意げに生やしやがった。よりにもよって、この自由都市同盟領で。
…………、…………、…………、……はあ。
奴は生え変わった手を、開いたり閉じたりしている。上手く動くか確かめて居るようだ。
俺はブロード・ソードを逆手に構え控えた。
よそ見している奴に、努めて冷静に話しかけた。
「お前の為に、5つ数えてやる。みっともねえ腕を、その間にどうにかしろ…」
「………?」
意味が届くかは、わからない。
だがどうにかできなければ、赦す気は、ない。
痛みに呻く気にすらならない。無理矢理肩を押し込んで治した。
「1……、2……、3……」
3つ数える間。こちらを警戒しながら、それでも奴は腰を落とした。…
ブロード・ソードを、片手で構える。
「4……、!」
「ヴォア!?」
飛びかかって来る瞬間。無数の矢が奴に降り注いだ。さっきから狙ってた連中だ。奴は何本か受けて、勢いを失った。
どっちか知らんが、今は関係ない。
怒りのままに、激怒のままに、指1本1本を意識して固く、ただ硬く握り込み、全力で足を踏み込む。
「ご、ぉお!!」
最後を数え、一息で思いっきり飛び込む。
あえて剣で切りかからず、剣柄を握り込んだ拳で、持てる力の全てで、顎を殴り、吹っ飛ばす。
「狼藉モンがぁあああ!! 恥を知れやァ、恥を!!」
怒りだ、怒りしかない。
御龍印、或いは御竜印なら、まだ良い。
あれはドラゴンが人を認め、賜わした歴史ある物だ。
友好の証であり、今も大切に
奴の首筋の傷文字も同じように擦っていた。それはまだ良い。許すし、赦される。
タロッキの事情だってそうだ。
星焼きと言う、桁外れの力を持ちながらも驕らず、反省し、追い詰められた身でありながら、こちらを気遣って自身の正体を隠していた。
実に出来た自慢の娘だ。自身の身にも余裕がないにも関わらず、聡く気づき、寄り添ってくれたのだ。
正しく貴く慈愛持つ龍と言って良い所作だ。実に誇らしい。
そもそも翼も、尻尾も、角も爪も生来の物だ。否定できる訳が無い。
だが、もし。力を示さず、いきなり自身が竜だと主張したなら。俺は、否、自由都市同盟領の善良な市民なら、口の聞き方に気をつけろ、ぐらいは言っただろう。
幾ら野生の怪物でも、触れてはならない掟がある。
自らを龍に成り変わるなぞ、笑止千万。
ない、あり得ない。あり得てはいけない。あり得て良い訳がない。
ふざけてやがる。ふざけるにも程がある。
痴れ者にも限度がある。
祖龍様の、自由都市同盟領の、フリッグスの、大切な龍信仰を、なんだと思っていやがる。
《アイツラ》と同じく、赦せる訳がねえ。
「立てェ!、
「………っ、……ゔぅ」
奴は這いつく張りながら、魚骨を泥濘んだ地面に突き刺して、起き上がろうとしている。
動揺しているが、眼光は変わらず。
泥濘んだ、地面に。骨が何本も突き刺さっている…。
「チッ……!」
全身を貫かれる感覚。視界を覆う、白、白、白。
だがぶん殴る。白く節持つ何かに串刺しにされる音が、身体中から響いている。
知るか。知ったことか。指が飛ぼうが、目玉が飛ぼうが、歯が飛ぼうが腕が飛ぼうが、ぶん殴る気で挑んだ。
☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★
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