第36話 剛力、業力、そして万力
あのキマイラを、殺すと決めた。
俺たちは夜の断崖をゆっくりと飛行していた。幸いにも今日は雲もない。
夜風も、御竜印から賜った、翼の調子も良い。
寒い風の日は、どうしても火酒を飲みながらの飛行になるので、運が良かった。
月明かりは大地を照らしあげていて、大まかに飛行することに不足ない。
「本当に2人だけで行くん…?」
「周辺被害も馬鹿にならん。試して無理ならもう1度帰って、作戦を整えるさ、期待して待っててくれ」
「だけど…!」
「私も居るわ、ドワーフらしい吉報を期待して」
「無理、せんといてくださいよ…」
ステラは言葉少なく、不器用に俺達を心配して送り出してくれた。
彼女は、毎夜泣いていた。
普段昼間明るく振る舞っていても、彼女の負った傷跡は深い。
当然だ、たったの5人だ。
20人もいた中で、たったの5人しか生き残らず。
目の前で、あの耳障りに過ぎる嘲笑を聞きながら、仲間が食い物にされる地獄を見たんだ。
遺跡に忍び混むにも、不死の怪物に、挟み撃ちを受ける可能性を残すのは危険だ。
だから、あの獅子もどきを、必ず殺すと決めた。
見つけた。
キマイラは本来、夜行性だ。
そして、断崖の段差に居座って、匂いや音で獲物が通り過ぎるのを感じて、猫のように静かに背後を襲う。
不死身のような回復力を持つ変種だが、どうやら基本的な習性は変わらないようだ。
半ば賭けだったが、居場所を大きく変えられてなくて助かった。奴らはまるで起きたことを警戒していないようだ。
どうせあいつらの頭には、液状になって食えなくなった蜥蜴でも浮かんでいたのだろう。
だが、生憎こちらは、始祖巨獣と鉱精の末裔だ。
「(そっちはお願い)」
「(承知した)」
音も出さず滑空する石竜子から、たった一粒だけ、剣を構えた鉱石のような影が、暗闇に落ちるように降下した。
憎しみを強く握り込むように、柄がいななく音が、たった1度だけ響き。
キマイラは異変を感じて、ぼんやりとそちらを見上げた。
それが、彼の生涯最大の、過ちだった。
瞬間、信じられぬほどの轟音を響かせて、断崖が半ばまで爆ぜた。
つまり、細指で万力の力を込め、崖を半ばごとまで打ち砕き、キマイラを宙に吹き飛ばした。
ドワーフとは元来、岩盤おも砕く剛腕を持つ。
ましてやラランは、その中でも最上の力持ち。
文字殺しとも渾名される指を持ち、その匠な指捌きは、この世界有数である。
その剛力は、怪力と称されるオーガ以上なのだ。
彼は地形を変えるほどの一撃に、宙に浮きながら遅く再生する頃には、目前に崖下が迫っていた。
「ぎゃはああああ!!?」
キマイラは成す術なく、壁に投げつけられた卵のように、自身が食い散らかした者たちよりも、酷い惨状を晒して、一瞬で絶命した。
狭い対岸の断崖に居座っていた、もう一頭のキマイラは、身じろぎ1つ出来ず、地形が変わる瞬間を見せつけられていた。
彼の頭の中では、ただの柔い肉が降ってきたと喜んだ瞬間、断崖が吹き飛び、文字通りの天変地異が起きたのだ。
つまり、彼の頭の中で、連続性のある事柄になるはずがなく、ただ呆然としてしまったのだ。
真の強者とは、物事の段階を吹き飛ばせる事にある。
例えるならば、人は歩くだけならば一部の例外以外は、誰でもできる。
だがもし1つ踏み込んだだけで、最高速度以上で移動できるなら、それは紛れもない強者だ。
クックは半ばまで無惨にえぐれた断崖の端を、自らの積み重ねた業力を持って掴んだ。
「んんっ…」
息を吐くと、片手1本で、その巨大極まる断崖を根本から軽く持ち上げた。
「ハ…ハハッ…」
理解できないほどの万力を目の当たりにし、もう一頭のキマイラが、初めて笑い声を変えた。
それはまるで、諦めた自身を嘲笑するかのようだった。
「どうした、もっと笑ってもいいぞ?」
クックは技も思いもなく、肩にあったゴミを取るような気軽さで、それを放り投げた。
岩。
言葉にすれば、ただ1言。
それが、視界いっぱいに、ゆっくりと迫ってくる。
まるで、逃れられぬ死を体現するかのように。
見るものが見れば、人や竜が、極限まで許された大魔法。隕石落としの魔を確実に彷彿とさせたであろう、絶技。
子供向けの童話のような光景が、そこに広がっていた。龍、或いは竜すら生きる世界においてである。
「せめて笑って死ぬといいぜ、…笑えるんならな」
「───────── ア、」
彼の頭の中には、あまりの絶技に、逃げるという言葉すら思い浮かばなかった。
真の怪物に出会う時、生き物は恐怖すら、その身に抱くことはない。
驚愕し、自らの心を失い、ただ呆然と怪物に飲みこまれてしまうのみである。
彼らは決して触れるべきでない、鋼砕く逆鱗に触れた。
竜は、宝を汚されることを生涯、絶対に許さない。
大地に地割れと、地震がしばらく起きた。
キマイラは惨状どころではない。絶命どころですら無い。
皮も、骨も、肉も、文字通り見る影すらなくなり。土と岩に挟まれて。狂い笑いに付すこともできず、やはり一瞬で、確かに必滅した。
賊が平野の向こうから、雄叫びを上げた。来る。
ラウンド・シールドを盾に、片手で大きく手斧を振りかぶった。
厚め、柄長めの作業用。どんな家にもある1本。
鋭く、大ぶりの一撃。
柄の右握り、腰元控え。ガントレット左りは刃先。
あえて握り込まず、平手構え。
真っ白で、…見える。
「……っ…!」
「がっ…!?」
下に流し、平手で定め、右、狙い突く。
シールドごと綺麗に突き裂いて、更に柄を平手押しで、かっさばく。
やはり魔銀の切れ味。小回りも利いて優秀。
首から、裂いた。
血の花が、また1つ増えた。
「マナギ!」
姫さんの声で気付いた、弓。岩陰に弓兵。
呪文は間に合わん。矢。死がくる。
姫さん、タロッキ、生
ちゃり。
「ぎゃっ……!」
身を挺して庇うように、彼女が飛び込んで。
矢は、全て跳ね返った。射手に突き刺さってる?
「矢返し、指輪です!」
「………あぁ!」
「くそっ、ぐあっ…!」
あったな指輪。あっぶねえ。死ぬとこだった。
射手たちに回り込んだ、タロッキとグリンが攻撃を始めた。
血濡れの刃先を、目の前の敵に突きつける。
…………退かねえ、か。
「囲め、囲め、いけ!」
「く、くそ、でやあぁあああああ!」
怯え混じりの大剣、裏返った悲鳴のような猿叫。
つるはし、ハンマーも迫る。
「させません!」
姫さんの流水。視界を一瞬奪う。十分。
狙い。なぞる。
「ぎゃっ!」「あばっ!?」「ヒィ…!?」
ガントレットをなぞって、短矢のような棘を数本、頭を狙って跳ね飛ばした。
軌道が曲がった? 生き物相手だと、ある程度追尾するのか、すっげ。
1人はピクリとも動かず。
1人は目を押さえて悲鳴を。
1人は、一目散に逃げ出した。
「カシラぁ!、お頭ぁあああ!! ぼおっ!?」
喚くな、何より危険で、うるせぇ。
目を押さえた野郎に、思いっ切り容赦なく、ドタマを蹴飛ばす。
気絶して、黙っ…!
囁。
瞬間、身体を弾く。意思、思考より先。駆けだす。
「カミッ!」
見える、遠い、術、20歩、赤、炎、女、突く!
「ゲル…、ぐっ……!」
「切れ、さん…」
弾けるように駆けて、目前から刃を抱えるように倒し、女のド真ん中を貫いた。
熱い。即ブロード・ソードを手放して、思いっ切り飛び退く。
爆発、炸裂。女術師は、無惨にも爆発四散した。
焦っげ、臭えぇ…。
「反応遅い。喚かせるな姫さん。殺されるぞ」
「は、はい…」
「口から腹めがけて、直接水ぶっこんでも良い。囁きを、絶対逃すな。…指輪。助かった」
「はい!」
たとえ、練習量と知識量。姫さんのように覚悟万全でも、慣れなければ対処は難しい事もある。
身体とて、常に万全ではない。厳しいが、言葉を尽くした。
女を殺したのは、…久しぶりだった。
気づけば周囲に敵は居なかった。逃げ出したか。
投げ捨てられた槍を拾う。まずトドメだ。
事の始まりは、野盗共に襲撃されていたキャラバンを、耳の良い2人が発見した事だった。
俺達は彼らの劣勢を確認して、姫さんの魔術で、まずは襲撃をかけた。
傭兵を雇っていたようだが、無事だろうか。
先ほど確認した限りでは、もう宿場まで近いはずだが。
こんな近くに、野盗が出るとはな…。
「2人とも、平気!?」
「無事だ。………妙にな」
「へ?」
残心と警戒をしつつ、フラン様から頂いたガントレットを見つめる。
何か、妙に見えて、聞こえた気がしたが、…気の所為か?
ひっくり返したり、手のひらを開いたり閉じたりしてみる。
特に変わった事は、無いように感じた。
キャラバンは無事だった。20ほどの馬車で、護衛も腕が良かったらしい。
草食獣…、羊のような角持つ
手綱を持った傭兵が、直接歩いて護衛するキャラバンだった。
こっちで引き受けた分が功を奏したのか、重傷人も居ないようだ。
専属護衛の傭兵が中心だな。動きでわかる。少し、懐かしいな。
頭にターバンを巻いた長が、相応の金品を支払ってくれた。
「よければ雇われないか。欠員が出てな…」
「もう宿場も近いはずだが、なにかあったのか?」
「野盗共の仲間割れみたいでな、迷惑な話だよ」
「そりゃ、違いないな」
宿場こそ近く、そこなら人は多いだろうが、そこから更に村へと行くなら相応に距離がある。
戦闘で相応に向こうは死者を出した。妙にしつこかったし、破れ被れで報復に来る可能性もある。
全員で相談し、彼らに雇われる事を請け負った。
教導員だと伝えると、欠員が出た際、新人冒険者も雇っているらしい。
手際は良いが念の為彼らの近くで、護衛してほしいと頼まれた。
手綱を引いているのは、まだ少年と見紛う子だった。
…ふむ。精悍で気骨は良し。まだ幼さの残る狼、と言った所か。
装備は
微かな焦げ臭さ…、短筒か。売り物かな。
後ろの女の子は、…女の子が、まだ過ぎるな。
従者か、安価な
上手いか上手くないかで言えば、少し上手くないな。
「ほとんど行ってたんだが…」
「4人くらいであとは逃げたな、何度目だ?」
「え、1度目…」
「女を殺した。仇に来るかもだ。警戒しよう」
「あ、ああ……」
全員で自己紹介して、彼はジョイスと名乗り、彼女はサノスと名乗った。
警戒して、平野の街道を歩く。
移動ではなく防衛なので、グリンに乗らず手綱を引き、歩行を合わせる。
警戒しながら、世間話を重ねた。
ジョイスは駆け出しを終えた枝砕きであり、装備の良さと若さから驚くと、迷宮帰りで認められたと答えてくれた。
この辺りで、駆け出しの終了と言えば2択だ、迷宮に挑み生き残るか、初夏の間に祖龍様の神殿を、詣でる訓練に参加するかだ。
姫さんは昇格にあまりこだわっていない上に、鱗の団では駆け出しが代々、祖龍様の神殿を験担ぎに詣でて昇格する。
話題に出すと、ジョイスも驚いていた。
「え、あっちの綺麗な娘、まだ駆け出しなのか?」
「ああ、本来、何事も無ければ、とっくに同期と昇格しているはずなんだがな。フリッグスから来たからよ」
「ああ…。下界は、すごいもんな……」
「だが迷宮には挑んだ。ギルドも認めている。団の許可さえあれば、昇格だな、でだ…」
なんの気無しに、女3人控えめに姦しく、話しているサノス嬢を見つめる。
楽しそうに会話しているが、警戒は怠っていないようだ。
「サノスはオレの従者だ。色目使うなよ?」
「…………ん〜…、若いな」
「あん? 歳は15だが…?」
「まだ人の世話焼くのに、慣れてないってことさ」
「???」
幸い、野営地まで、怪物や動物。連中の襲撃や追跡は無かった。
☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★
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