第31話 硝子の森
彼と私の出会いは、ありきたりだ。
この世界では、数多くあるであろう物語。
ノルンワーズを出てから、伝のあったリザーウッド村に住まわせてもらった。
村の住人はいい人たちばかりで、ちょっと心配になるぐらいだった。
教会の学習講義を頼まれて、子供に簡単な読み書きを、彼らに教えた。
数年後、彼が私の髪のように真っ赤な花を、泥だらけになりながら、得意げに笑って持ってきてくれた。
ドアの建付けがたまたま悪くて、急に開けて彼は驚いて転んだけど、あどけなく笑ったのを。
よく、覚えている。
それから何度も繰り返されるので、困って手紙の方が良いと伝えると、よく書けないと返されて私の家で教えてあげた。
彼は逞しく…、いや本っ当、もう少し小さくてもいいんだよ? 大きく成長したのは嬉しいけど。
…とにかく、強く、逞しく成長した。
心底腹立つバカ弟子が、自慢気によこした傑作で、飾っていた銃があった。
ノルンワーズを出ることを知らせたら、うざったいくらい泣かれて、押し付けられた物だ。
彼があんまりせがむから、よそにないことを教え、決して増やしたり、教えたり、残さないことを条件に、使い方を教えてあげた。
…整備するの、大変だったなぁ。
教えたあと、狩に行って彼が強く昂ってしまって、私と、炎で、鎮めて…。
生き物って、あんなに…、いや止めておこう。男女の秘め事だ、語りすぎは良くない。彼にも悪い。
私は研究一筋で、こんな幸福は知らなかった。
痛感、というのだろう。体験するのと、知るのではモノが違った。
きっと私の研究に足りなかったのは、この愛すべき余分と、醍醐味だ。
だから弟子に、1度も勝てなかったんだろう。
あんなに彼女の実力に執着してたのに。
もう滅多に会わないし、どうでもいいけど。
今でも最初の1輪は、大事に栞にして、私達にしか開けられない、魔法の小箱に納めている。
とある魔女の手記
長の後について巣船の入口に周ると、翼持つ馬に似た生き物と、猛禽類に獅子の下半身の生き物が、肉を取り合うように食べていた。
馬に似ているのは見かけだけで、牙を持ち雑食で、野生はかなり凶暴な生物だ。
馬よりも遥かに軽い身体と、気性難な馬のような荒い縄張り意識を持つ。
鳴き声は完全に馬ではなく、ゴロゴロと雷鳴の落ちる直前のような声を出す。
どうやら突然やってきた俺達。特にグリンにイライラしているようだ。
こちらも雑食だが、好んで生肉を食べ、光り物が大好きなカラスのような習性を持つ。
胎生なので、学者連中には竜、獣、鳥のどれに分類して良いか、議論が尽きない。
凶暴性も強く、しばしば人里付近で退治されている。
まだ子供のようで、グリンの3分の2程の体格しかない。
ペガサスにつられて、ひょこひょことグリンに因縁をつけている。
2頭とも轡をつけて、鞍もしっかりと背負っている。飼われているようだ。
餌を与えていたのは、カラス頭の
「おっと…、いけんかのう…?」
「あ、大丈夫ですよ、たぶん」
乗っている姫さんごとゴロゴロと威嚇して、ぐるぐると忙しなく匂いを嗅ぎ回って、2頭は威嚇している。
グリンは2頭に構わず、ボケー………と、口をもっちゃもっちゃさせていただけだった。
実にマイペースな態度だ、剣呑な気配すらまるでない。
次第に2頭は威嚇するのを止めて、鼻先をくっつけあって、挨拶を交わしてくれた。
見守っていた傭兵たちも、腰を降ろした。
「見ての通り。グリン、昔から、むちゃくちゃオスにモテるので…」
「グリンって、オスだよな…?」
「ドーブツはそんなもんだよ。ニンゲンが変わってるんだよ」
「ああ、牧場でもそうだったか…」
2頭ともペロペロとグリンの草毛を舐め始めたので、この場は彼に任せて良さそうだ。
入口から中に入ると、巣船は鳥の巣のように円筒形の、屋形船に近い構造だった。
初めて入ったが、どうやら陸に引っ張り上げて、修理を行っていたようだ。
羽毛がびっしりと敷き詰められた、客間に案内された。
どうやら彼らの寝床らしい。くしゃみが出そうな光景だが、鼻はムズムズしてこなかった。
産毛の生えた子供たちが、まだ短い首と翼でこっちを見ている。
タロッキが手を振ると照れたのか、親や羽毛の山に隠れてしまった。
少し姫さんが辛そうだったので、彼女だけは横になる事を許可してもらった。
歓待に礼を言った後、俺達はここに来た経緯を彼らに語った。
「なるほど、リザーからほぼ半日か、凄いな。我らの翼でも、よほど風精の加護なくば、そこまで速くはない」
「あたしらは歪み夜明けの影響で、北上出来なくてね、いっそ季節を繰り上げて、ノルンワーズに長く滞在するつもりだったのさ」
「そ、そっか………。ごめんなさい」
「おや、どうして謝るのかな。純白の」
「あ、あははは。言えないけど、ちょっとね…」
タロッキは謝ったが、流石になぜ謝るかはその場では言えなかった。
「相わかった。船の修理にはどうせ時間がかかる。そう悠長に構えられぬ事情のようじゃが、宿として巣船に泊まる事を許可しよう」
「心から感謝いたします。黒い
「うむ。そちらの女性も辛そうだ。
「ええ、マッサージをしたいのですが、よろしいですか?」
「え?」
「構わんよ。若い雛が慣れん内は、よくやるもんじゃしな」
「タロッキ、手伝ってくれ。それじゃ姫さん、やるぞ」
「わかった!」「え、はい…?」
俺は肩を中心に腕周りを、タロッキは下半身中心にマッサージを始めた。
「初めての飛行は、全身の筋肉が引き攣り易いんだ。今回は長距離行軍だったしな。俺達に揉まれといてくれ」
「あ、はい………。んっ……」
「痛かったりしたら、言ってね」
しばらく周囲の子供に興味を持たれながら、姫さんをマッサージした。
そのうち子供も真似して、親に肩もみを始めている。可愛いな。
「よし、目を見せてくれ…。ああ、やっぱり目が滲んでるな。目薬あるから差しとこう」
強い風に当たりすぎたのだろう。姫さんの右目は軽めに純血していた。
念の為。俺とタロッキも、目薬を差して治療した。
「休んだらすぐ行こうよ、時間無いよね?」
「駄目だ。夜間は危険すぎる」
「でも…」
2人共焦りが見える。姫さんの症状も半分はそこからだろうか。
当然、俺の顔にも焦りが出ているだろう。それが拍車をかけてしまっているのかも知れない。
なら、大事な事を、伝えないとな。
「…焦るな、まだ、時間がある」
俺は姫さんを起こしながら、2人にゆっくりと耳に染み渡るように、言い聞かせた。
「2人とも、よく、よぉぉく、きいてくれ」
2人の顔をゆっくりと見渡して、それぞれと目を合わせ、焦りが少しでも顔に出ていないか、よく確認する。
やはりどこか上の空と言うか、若干の焦りが見て取れる。
「…こういう時、1番危険なのは全員の気持ちがバラバラに焦ることだ、失敗して後戻り出来なくなる」
深呼吸をし、遠くに見える仄かに輝く森の方角を見つめ、ゆっくりと言葉を吐き出した。
俺自身を含めて、全員が少しずつ、落ち着きを取り戻すように努める。
「経験がある、俺はなんにもできなかったからよ」
2人とも顔を見合わせて、納得してくれたようだ。そうだ、俺の二の舞などにはさせたくない。
「…わかった、なんとか信じてみるよ、カミキレ」
「すまん、辛抱させる」
「…必ず、助けましょう」
「うむ。流石は教導員じゃな。手伝う事は叶わぬが、何かあれば頼ると良い」
「お気遣い痛み入ります。長」
多少慣れたのか、まだふわふわの産毛の子どもたちが、お茶を淹れてくれて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
まだ飛べないのだろう。小さな羽が可愛らしい。
「ありがとう。お礼だ、それ!」
「わぁ…! たかーい!」
「わぁ…!あたしも!あたしも!」
「良いよー。それ!」
お礼にタロッキと高い高いをしてあげた。
どうやら小遣い目当てらしい。よく働く子供達だ。宿代と小遣い代わりのチップを渡し、その夜はよく休む事が出来た。
翌早朝。夜明けと共に、仄かな輝きを放っている森を望遠鏡で確認している。
どうやらアレがその硝子の森らしい。
観察する限りでは、色が透き通っている以外は、普通の森に見える。
だが、内部に入ったことのあるフラン様いわく、落ち葉ですらブーツを貫通しかねない。危険で厄介な森だそうだ。
伝えられた文献によると、この国有数の危険地帯でもあるらしい。
ある程度森を、監視できる距離まで近づく。
日が完全に登るまで、森の監視を続けた。
不気味に静まり返った硝子の森は、鹿や、角のある兎などの動物が入り込んでいたが。
ただの一匹も動物が出てくることはなかった。
姫さんに音を聞いてもらったが、獣の足音が明らかに、途中で動きが止まっているように聞こえるらしい。
空から偵察していたタロッキも帰ってきた。最大限高度を取って降下して貰ったが、途中で慌てて高度を上げていた。
「新聞の怪奇小説かよ…」
「どうして、この森の1区画だけ。こんな…」
「空からもだめみたい。尻尾先の鱗が、硝子になっちゃったよぅ…」
「痛いか?」
「剥いだから大丈夫だよ。どんどん硝子になっても困るじゃんね?」
恐ろしい事この上ない、だが手立てはある。
フラン様から授けられた3枚の
高密度の魔法陣が綴られたコレならば、入れる筈だ。
「よし、状況を開始する前に、全員の行動予定を、それぞれ確認するぞ」
「はい。私は地図を持って全員の案内。森の奥地でミルス草を探索。タロッキちゃんに託します」
「あたしは姫さんを守って、薬草を託されたら、薬草が傷つかない範囲で、急いで村へ飛ぶよ」
「俺はグリンと護衛し、何らかの脅威があった場合、囮役。最悪別れても、森の外を最優先で目指し、巣船を目指して姫さんと合流。よし、万全だな」
「慎重に行きましょう」
「うん」
朝日が登りきる前に、俺達は硝子の森ギリギリの距離で待機していた。
相変わらず、不気味な沈黙をたたえた硝子の木々は、俺達を見下ろしている。
「始める、気を楽にしてくれ」
スクロールを全員の前で、ゆっくりと広げた。
幽き感覚が、俺達の魂深い部分に触れ、もたらされる。
《声伸びやかに 我が炎は 世界を魔わる》
世界に響き渡るような、幽き声が綴られる。
まるで耳の奥で直接、囁かれたような。
それでいて、遙か遠くから叫ばれたような、魂の響きだけでは判別できない、不思議な声音を感じた。
「これで森の中に入っても、1日は持つはずだ」
視界に微かに、陽炎のような熱が立ち上がるような感覚がある。
肌にも僅かに乾きを感じる、試しに森に踏み入ると僅かに足跡が、溶けているように見える。
「これが…?」
「体の周囲を燃やして、有害な異物を除去する魔術だったな、強い攻撃からはあまり意味がないらしいが、溶岩くらいなら上を歩けるんだと」
流石は名うての魔女様だ。実に見事な仕事っぷりだ。
天気も一面のどんよりと、重苦しい雲のせいで良くない。手早く済ませるべきだ。
俺達は森への探索を開始した。木々や草、岩や地面、水たまりやまで視界のすべてが硝子と変化している。
舗装された道があるので、どうやら元は人の手の入った美しい森であるようだった。
植物の落ち葉が硝子となり、触れたり踏み潰せば、燃えて溶けてしまう。
ある程度進むと、硝子で出来た剥製のような動物たちと、その中に変わった生き物がいた。
人の下半身ほどの大きさの、毛玉のような、手足と羽の生えた生き物だ。二又の槍を持っている。こいつは一体…?
「
「これが?」
「街道を進んで先に進むと、鳥かごの吊るされた大樹があるんですよ、そこの
「何も対処しないと、こうなっちゃうんだね…」
「以前は彼らの住処だったんだろうが、この通りか…」
彼らは何かと戦った際に、こうなったかのような姿をしている。やはり自然的なものではななく、怪物。或いは人為的な原因で、こうなったように推測できる。
「原因の怪物。或いは何かがいるかもしれない。慎重に行こう」
歩みを進め森を抜けた俺達は、彫像が道に沿って飾られた、かつては優美だったであろう庭園に辿り着いた。
美しかったであろう花々や木々は、全て硝子化している。
雄々しい戦士や、物語に出てくるような華美な妖精、幽き神々を模した彫像などが、見たところ並んでいた。
どの彫像も等身大ほど大きくは無い。これほど小さいと、よほど腕の良い彫刻家が掘ったのだろう。硝子になっている事を差し引いても。いや、だからこそ、まるで生きているかのような出来だった。
「ここは…?」
「庭園かな…?」
「そのように、見えますけど…」
庭園の中を歩み進めると、硝子化してしまった。小さな池のほとりにそれはあった。
フラン様から聞いていた通りの目印なので、間違いは無いだろう。
大きな台の上に上半身が裸の女性、下半身が蜘蛛の彫像が、地下へ通じる階段の後ろに配置されている。
手には針のように細い槍と、盾のような物も持って武装している。地下へのなにかの暗喩だろうか?
だが、台座には何かを書き込まれている様子もない。
「アラクネー?、でも…」
「ええ、人の部分が上下逆…、いえ、垂れ下がってる…?」
見ようによっては巨大な花のように見えるが、身体の人間種のような女性部分が、だらりとさがっている。
蜘蛛のような部分もこちらに背を向けている。
まるで花弁が折れているように腰が折れて、横たわっているかのようだった。
「まるで、生きてるみたい…」
「他のとは若干、趣が違いますか…?」
この場所までの優美な彫像と違い、上下逆さまのその異様は、乳房の部分が蜘蛛の瞳にみえる。
だらりと下がった髪は長く、大きい舌を思わせなくもない。
女性は特に恐怖や嫌悪感を抱く外見だろう、まさに怪物の姿だ、ただデカい蜘蛛の部分だけでも脅威だ、怖い造形だな。
「よし、進もう。アラクネー像の下を通れば、奥地に着くはずだ」
恐る恐る周辺を警戒しながら、階段へ足を向けた。
内部は真っ暗なので、火口箱で龕灯内の
横幅は俺と姫さんが手を伸ばせば、塞げる程度に狭い。天井も高くない。
タロッキが上を飛んで急いで前に出るのは、少し難しそうだ。
グリンもギリギリ降りられる階段で、乗り込んで移動するには高さが足りないか。
タロッキを先頭に姫さんを挟み、グリン、俺が殿を務めた。
階段を降りた先は、岩肌の通路が続いている。
床は規則正しい石畳だが、通路にはところどころ透明化していない根っこが生えていた。
どうやら地中までは、透明化の進行は進まないようだ。
「ねえ、この木の根っこ、重なった部分。目に見えませぇん…?」
「ひぇっ、怖いこと言わないでよぉぉ…!」
「豆とかについてる、粒に見えなくもないが…?」
腰の龕灯を向けて、冗談交じりに姫さんがタロッキを脅かした。
語尾が面白おかしく笑っている。姫さんはあの夜から、タロッキにたまにイジワルをして、怖がらせて楽しむんだよな。
だが、よく見ると根には齧られたような跡がある。ネズミか?
すわっ、と。タロッキが手で制して、俺たちを止めた。
すかさず手信号に切り替える。
「…(
「微速前進(ゆっくり前へ)、足音制限(足音を立てるなよ…!)」
龕灯の火を抑え、忍び足でゆっくりと進む。
やがてキシキシと枝が軋むような異音と、なんとも言えない異臭が鼻を刺激してきた。
通路の奥。
天井の隙間から朝日が漏れ落ちる広大な岩窟で、長い怪物が、何かを捕食していた。
☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★
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