第27話 出立

私は1つだけ、マナギさんに嘘を付いた。

正確には、今夜1度だけ賭けをして勝負する事にした。


先生は今夜、私の夢に出てこなかった。


「見なかった……」


珍しいというより、初めて彼より早く起きた。

頭もちゃんと冴えている。窓の外はまだ硝子のように蒼白な、月の星灯りが降り注いでる。

時間は夜明け前のようで、薄暗い。

隣のベッドには、少し寝苦しそうに寝汗をかいているマナギさんがいる。


(…しますか)


周囲を確認して、つまずきそうな物がないか確認。

不安定でもいい、口の中だけで暗視の呪文を囁く。

左目と右目で距離がチグハグだけど、狭い室内なら十分に見渡せるようになった。

床の音を立てないように、抜き足、差し脚、忍び足でゆっくりと彼のベッドの横にたどり着いた。


「…うぅ…ん」


寝返りを見た瞬間、つい伏せてしまった。…別に言い訳なんて、いくらでもできるのに。


(脅かさないでくださいよぉ、もう!)


ベッドの縁から頭を出して、彼の寝顔を盗み見る。

彼は目をキツめに閉じていて、うなされるように汗をかいて眠っていた。

こここ最近伸びて巻き始めた髪を、そっと指先で整えてあげた。


仰向けに布団を少し崩して、彼は寝ている。

上半身は薄手の麻シャツだけなので、思ったより太い二の腕や、厚い胸板が目について…。

ゴクリッと、生唾を飲んでしまった。


私の腕とは全然違う。見ているだけでゴツゴツして、力強くて、硬そう…。

普段、こんなモノに背中から身体を近づけてると思うと、もう、それだけで、もう…。

少し地団駄を、踏みたくなる。


よく観察すると、胸板は呼吸の度に上下している。

寝息可愛いな、コヤツ…。

幸いにも眠りは深そうで、私は思いっきり笑みを浮かべた。


「──────── うぇへへっ」


私は彼が眠っている間に。そっと元気づけるように、楽しい愉しい。イタズラをした。





目が覚めた。窓からの照り返しが容赦なく降り注いでいた。

ぼーっと眺めた窓の日差しの感じから、少し遅めに目を覚ましたらしい。

昨夜は初めての体験をしたので、疲れていて、姫さんのようにどっぷり寝てしまったようだ。


「ん…?」


唇をムニャムニャと動かすと、何か長く細長い物が、口の中で舌にまとわりついた。

指で伸ばして取ると、長い髪の毛だった。


「姫さんのか…?」


長さからみても、俺のものではないだろう。色も黒髪だ。きっと風か何かで飛んで来たのだろう。


「んん~…ん…?」


ベッドに横になったままぐいっと伸びをしてみる。

唇を重ね合わせて幽かに甘い味がしたので、そのまま本能的に舐め取った。


甘い。脂のような甘さだ。


別段、夕飯は甘い物など食べってなかったんだが、雨漏りで甘露でも、寝てる間に口に当たったんだろうか?


「あ、おはようございます」


嘘だろ、おい。起きてんのかよ。

部屋に備え付けのテーブルを見ると、寝間着を着崩した姫さんが、椅子に座って優雅に窓辺の朝日を浴びていた。


団員達から散々からかわれていた、ついた渾名が眠り姫の姫さんが、起きている…。

わりと本気で信じられない。今日はドラゴンでも街を焼き払うんじゃないか?


彼女は何か手帳に書き物をしていたようだが、手を止めて手帳を閉じた。

どうやらいつもの、小説のネタを書き留めて居たらしい。

俺には見せてくれないが、ネタを偶に強請られるので、俺は彼女が小説を書くのを知っていた。


そのまま椅子から立ち上がると、彼女はこちらに近づいてきた。


「まだ寝てていいですよ、どうせ今日は外周りでしょう?」

「ああ、だが…」

「いいですって、珍しく早く起きれたので…」


水差しからコップ2つに水を注いで、彼女はこちらに1つ差し出してきた。


「飲みます? 暑かったでしょう?」

「ああ、ありがとな、お…?」


身を起こして受け取ると、そのまま彼女はスルリと俺が枕にしていたベッドに座り込んだ。

艶かしく、眩しい太腿が目に飛び込んでくる。

彼女の寝間着はかなり大胆に薄着だ、もう暑いから仕方がない。


流石に起き抜けには少し目に毒で、そっと視線を逸らして背を丸めてそっぽを向くと、彼女が背中合わせによりかかってきた。


「うなされていましたが、何か悪い夢でも?」

「いいや、なんでもないよ」

「ふうン…」


人殺しの、夢を見た。

言うつもりはなかったので、彼女には黙っているつもりだった。


だが聡明な彼女には、ある程度わかってしまったらしい。

優しい彼女のことだ。だから背中を合わせてくれたのだろう。


なので、俺は推測から、なんとなく探りを入れて見ることにした。


「だが、夢は見たな」

「…どんな夢です?」

「天女さまに、深く口づけされる夢だった」


ぴちゃり。

姫さんの持っているコップの水が波立てて、やけに部屋中に水音が響いた。


「へ、へぇ~そうですか、それは良かったですね?」


横目で彼女の長い耳を盗み見たが、空に飛び上がりそうにパタパタと跳ねていた。

アタリだな。


「ああ、お陰で何か、悪い夢も見なかったみたいだ」

「ゴ、ゴホッ、そうですか、それは素晴らしい天女さまですね」


何かをごまかすように水を飲んで、むせたあと彼女は俺に同意した。実にわかりやすい事だ。


「ああ、もし出会えたら礼を言っておいてくれ、アナタの素晴らしい口づけは、私のこれまでの生涯で、1番だったと」


「…っ」


おや? 何か押し黙ってしまった。耳も垂れ下がって絞られている。彼女が少し不機嫌な証拠だ。


「あんまりそういう事言うと、嫉妬しますよ…?」


彼女はコップを置いて向き直ると、俺に背中越しに抱きついてきた。


ちょっ、お前…、何とは言わないが、気持ちいいのが2つ、強く押し付けられている。

十分に実ったそれはこの歳にはキツイ、辛抱堪らんぞ。


ギシリと身体を硬直させて、つい息を吸い込んでしまって彼女の柔い匂いが鼻に飛び込んできた。

あー…もうダメかもわからんね、本当に。彼女相手に良く俺、理性保ってると思うわ。

切実に深くそう思った。


「悪い、いい夢見過ぎてな…」

「ふうぅン…、ならいいですよ」


今度は彼女が額をこすりつけ始めて、少し安堵してしまった。

よほどのことがない限り、当分勝てそうにないな、コレは。


カーテンが開け放たれた外の景色は、昨日立ち込めていた霧は見る影もなく、晴れ渡る青空が燦々と太陽を掲げていた。


勝負、するか。

姫さんを姫さんと、呼ぶことに。

そう思った。そう思えたハレの日だった。



新しい呪文の巻物スクロールを訓練所で使用してみた。被験者はタロッキで、彼女は目を回しながら倒れてしまった。


「想像以上の効果だな…、大丈夫か?」

「うえぇぇ…」

「大丈夫、タロッキちゃん?」


受け答えもできないようだ。防げる道具を渡して、再度試して貰うつもりだったが、止めた方が良さそうだな。

姫さんに大きな頭を膝枕されて、しばらくすると彼女は回復した。多少恨めしそうに俺を見つめている。


「これはもう、弱っちいなんて言えないね…」

「と言っても防犯用のモノを参考に、思いついて作っただけ、なんだがな…」

「もー…! ニンゲンは怖いね。すぐ、こういう思いよらない道具を作ってくる。怖いったら無いよ。もう!」


本気で怒っていると言うよりは、俺に事実上負かされて悔しいのだろうが、憮然とした表情でタロッキは唇を尖らせてしまった。

彼女は大精霊様に例の服を自慢しに行っていたらしい。そう気軽に会えるか疑問だったが、散々自慢して、羨ましがられたと話している。


羨ましいのだろうか。あの体で…?

物を貰えれば嬉しい、羨ましいと言う事だろうか?

彼女と訓練しつつ考えて見たが、俺には少しわからなかった。


「精霊様たちのところ、行ってきたんだよな?」

「うん、散々自慢しちゃった。…そうだ、シャーフの里長さんに、お手紙渡して欲しいって、依頼の相談を受けたよ」

「誰からですか?」

「ダイセイレイサマから、息子さんの誕生日も兼ねて、だって」


割と筆マメなのだろうか。大精霊様は。

シャーフの里は自由都市同盟領都市の1つで、広大な草原と畑を多く持つ穀倉地帯だ。

都市、と言うには些か放牧的過ぎるが、重要な穀倉地帯なので、都市部の1つとして数えられている。

ノルンワーズまで伸びる街道の途中にあるので、何事も無ければ、滞在する予定になっていた。


「おっと、もう集まってたか、すまない。遅れたね」


イプリクが人間種用のアラクネー鎧を抱えて持ってきてくれたようだ。料金は既に手渡しているので、訓練所で受け取る事になっていた。


「そういや、これ、どうやって着るんだ?」

「下からズボっと、服ごとイケるよ。着脱が早いのも売りの1つなんだ」

「はぇー…」


周りの訓練生たちも、ポカンと口を開けて羨ましそうに見ている。袖を通してみると、俺の今まで着ていた鎖帷子と革鎧よりも、ずっと軽かった。

そのまま跳ねたり動きを確認して、タロッキに点検してもらった。十分な剛性と柔性。動きも阻害せず、実にいい仕事ぶりだった。


「少し、微調整しようか。特に左腕回りは、少し外して良いかもね」

「だな。俺の剣術だと鉄籠手ガントレット必須だし、姫さん。軽く打ち合い頼む」

「わかりました。お借りしますね」


姫さんは訓練所の樽に刺されていた、木剣を持って相手をしてくれた。細かく型を確認しながら、率直な意見を交換して、鎧の部品を調整してもらった。

微調整が完了したあと、試しに姫さんや訓練生も着て、意見出しを手伝ってくれていた。


「いいなー…。あたしもヨロイ。着てみたいなぁ…」

「これだと、体格が違うからなぁ…」

「タロッキちゃんにはコレ。オマケしとくよ」


イプリクは、肩から太腿に掛けて結べる構造の、ベルトで出来たハーネスをタロッキに手渡した。


「これは…?」

「試作品の安全帯ハーネスだよ。登山用に考案した物だけど、鈎ロープを結べば空を飛ぶ時の命綱にもできる。上手く使ってくれ」


「わーい! ありがとー!」

「良いのか?」

「あくまで試作品だからね。またこの街に来た時に、使い心地を教えてくれれば良いよ。…もう、ノルンワーズに向かうんだっけ?」

「数日中には、向かう予定です」

「そっか、寂しくなるね…」

「なに、帰り道もこっち…は、通れねえのか」


「いや、同族とドワーフたちが橋作るのにやっきになってたから、案外帰りもこっち通れるかもよ? 僕たちも手伝いに行くんだ」


ドワーフとアラクネーの共同建築となれば、すんなり速いか難航するかの二択だ。本当に俺たちが帰る頃には橋が架かっているかもしれない。逞しいものだ。


「指揮を取るのがフリッグスの首長だから、たぶん早くできるさ。ノルンワーズまで気をつけてね」

「そっちこそ、忙しい中、時間を割いてくれて、ありがとな。また会おうぜ」


出立の準備で工作兵たちは忙しいらしい。握手を交わすと、イプリクは港の方へと向かって行った。

数日後、天気のいい日を選び、俺達はノルンワーズを目指して、再び旅立つ事になった。

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