第25話 ゲルダの涙

久しぶりに、1人になった気がする。

思えばフリッグスを出てから、いつも彼が側に居てくれた。優しく気を使ってくれて、寄り添ってくれて…、時にわざとからかってまで…。

針仕事に没頭しながら、この前の事ばかりが頭を巡ってる。彼は、何かを諦めたような顔をしたあと、あっという間に決断して、タロッキちゃんと飛んで行ってしまった。

2人とも行かないで欲しかった。私の側にいて欲しかった。残されたとき、どうしても追いつかないと行けない気がして、兵長さんが止めるのも聞かず。グリンに頼んで、全力で追いかけて貰った。まるで追い付けない。…追い付け、なかった。


でも、…でも、同時にすごく彼に嫉妬してる。思い知らされたとも思う。誰かを本当に助ける決断をする時。きっとみんな、あんな諦めた顔をするのだと。

もう一度。彼に思い知らされた。

私にできるのだろうか。どこかでひとを信じきれない。にくんでいる私に…。

私も彼にあんな顔をどこかでさせていたと思うと、少し自己嫌悪がする。イヤですねぇ…、本当に。同時に嬉しいのが、何より救いが無い…。


よし、一通り終わった。後は新しい布を待つだけ。……お腹すいた。

廊下から足音。マナギとタロッキちゃんのだ。大きめの手ぬぐいを手にとって、符丁どおりのノックの後返事して、いつも通りドアを開けた。


「おかえり、2人とも」

「おう。メシ買って来たぞ」

「えへへ、ちょっと濡れちゃった」

「ありがと。じゃあトマト切っちゃうね。ちゃんと手を洗ってね?」


タロッキちゃんの身体、主に翼を拭くのを手伝った後、3人で食事を始めた。初夏らしいさっぱりとした赤いトマトに、この街らしい魚とレモンのマリネサンド。分厚い揚げポテト。美味しい。


「今日中には、完成できるかな?」

「そうですね。後は内側のフリルを入れれば完成です!」

「やっぱ3人で作ると、早いな」

「本当はマナギさんにも1着、作れれば良かったんですが…」

「なーに、幸い人間種だ。年頃の男って訳でもない。良いのがあれば、買えば良いさ」


人間種は街に住む割合が最も多い。必然、大きな街では売り出している服も多い。運が良ければいい服もあると思う。

午後は雨音を聞きながら、3人で針仕事に精を出した。夕食を下の食堂で摂る前に完成し、タロッキちゃんに試着して貰う事になった。


「ど、……どう……?」


一見不安そうで、物憂げそうな白貌、左右に額で別れた純白の髪。角が映えるように調整した、ヘッドスカーフに美しい薔薇飾り。

トープカラーの素晴らしい刺繍のケープ。赤いリボンで見事に締めてる。

ワンピース、プリーツスカートはフリルを装飾。特にスカート裾は白く目を惹きつける。

体格に合わせて長い足を、上品に包む一品だ。

黙って突っ立って入れば、それだけで何処ぞの上流階級の御令嬢と勘違いされそうですね。


「わかっちゃいたが、割と凄まじいな…」

「ですねえ…、野性味の中に気高さと、静かな清楚さがある、とでも言いましょうか…」

「えっ、ホントぉ? ゔぇへへへへ」


相貌を崩せばいつも通りのタロッキちゃんだ。彼女はその場でくるくる回ってみせた。機嫌よさそうに閉じられた翼や尻尾が揺れている。着心地も悪くないらしい。そのまま夕食を下の食堂で済ませて、終始彼女は注目の的で上機嫌だった。良い休息になって何よりですね。




夕食を取って部屋に戻ると、姫さんとタロッキが先に風呂に入りたがった。宿の部屋には小さいが風呂場もついている。お湯は別料金だが、この2人がいれば魔術で作るので、お湯に困る事はなかった。

いつも通り毎日恒例のじゃんけん大会で、先にどちらが風呂に入れるか決めた。


「やりました」

「勝った」

「負けたかぁ…」


2対1では中々勝てない。両腕を高々と力こぶを示すように掲げ、機嫌よく脱衣場に向かう彼女たちを見送った。

最初の頃は年甲斐もなく、姦しい会話や、衣擦れの音に少しドギマギしたものだが、今ではそれほど気にしていなかった。俺はしばらく悠々と、冒険日誌を整理して過ごしている。

ふと、テーブルの大ぶりのナイフが気になった。

姫さんの物だ、きちんと鞘に納められている。


スラリと引き抜いて中を見てみると、鈍色の輝きが目に飛び込んでくる。オリーブオイルなどでよく汚れを落としているのだろう、多少植物のような匂いがした。じっと刃先を見ていると、脱衣所の扉が開く音が、後ろから聞こえた。


「使うなら、一言頂ければ貸しますよ」

「いや、前に刀身が少し、減りすぎて見えたからな」

「使って、10年ですからね…」


彼女がナイフを俺から受け取って、そっと刃先を指で愛おしそうに撫でた。後ろからタロッキも、尻尾の先を拭きながら出てきた。


「でも研ぎ過ぎだな、俺の曾祖父さんもよく研いでたが、研ぎすぎて細くなりすぎてたぜ」

「ついやってしまうんですよね、最初にもらった刃物なので、これでよく皮剥きますし…」


おそらく使い勝手のいい大きさで、元から厚みある刃だから、ついつい使ってしまうのだろう。タロッキもナイフ見ていた。


「もう1本、あってもいいんじゃない?」

「…それはっ、そう…、だね」


そっと彼女はナイフに映る、自分の瞳を覗き込んでいた。まるで何かをナイフ自身に、問いかけるように。彼女は魔術師だ、俺には読めない何かを感じ取っているのかもしれない。


「今度の、…デート。何処行きましましょうか」

「湖の対岸にでも行こうぜ、まだ足伸ばしてないだろ?」

「………………、ヤです」

「え…、ヒメサン…?」


じっとタロッキの方を見つめて断られたので、なんとなく彼女が考えてることがわかって。こっちから仕掛けたんだが、かなり気恥ずかしくなった。


「あー……、じゃあタロッキと同じ所行った後、対岸になら、来てくれるか?」

「…くすっ、ええ。それなら、ご一緒します」


彼女は含む所がありそうだが、弾むように応えてくれて、その日は気がつけば、寝るまで機嫌良さそうな鼻歌が何度も響いていた。



精霊様方が気を聞かせてくれたのだろうか? 翌日の朝は、まるで姫さんを隠してくれるような、深い霧が出る雨の日となった。


「行って来ます!」

「行ってらっしゃい」


タロッキは新しい服を誰かに見せたくて、街中の知り合いに挨拶してくるそうだ。気を使って貰っての行動でもありそうだが。聞くだけ野暮だよな。

姫さんの製作していた服も完成したが、タロッキと同じデザインの服では面白みが無いとの事で、今回のデートでは別の服を着てくれる予定だった。


「その、どうでしょうか…?」


脱衣所から出てきて、不安げに聞いてきた姫さんは、妖精の姫だった。いつもと違い、化粧をしている。特にくどくなりすぎない、唇と目尻の赤が目を引く。

黒髪と不思議な虹彩の瞳。白い服装も相まって、顔を見ているだけで息が詰まってくる。服も妖精の姫らしい、荘厳で神秘的なゆったりとした、真っ白い曇りのない法衣だ。

手触りの良さそうな、まるで雲か白い水のような印象を受ける。


襟元の黒、胸元の褐色の装飾も目を引く。

耳にはいつもの輪の付いたイヤリングだが、今日は両耳だった。とても良く似合っている。

そのまま神殿の祭日で主賓にだってなれるだろう。むしろ招く立場の神父さまや、牧師さんが少し可哀想だ。


普段美人だ、可愛いだの思っていたが、俺の思い上がった取り違いだと思い知らされた。

畏れ多い。ただひたすらに。

正直、この姿の彼女が朝霧の向こうから無言で歩いてきたら、俺なら畏れ多くて、すぐに回れ右して進路を変えてしまうか、道の端に立って、直立不動で通り過ぎるのを待つだろう。


極まったある種の美学というのは、触れ得ざる恐れを強く感じさせる。例えるなら、透明度の高すぎる湖や海、真っ青に碧く輝いている湖沼。

足跡1つ無い一面の銀世界。遥か神々の御業である霊峰。

雲一つない青空に無数に咲き誇る、白い山茶花。

真っ黒く底のない汚泥の沼に咲く、1輪の蓮華。


つまるところ、自然の寵児。

人が決して、踏み入れて壊してはいけない、聖域。

それが彼女だったと、思い知った。


一瞬だが、これならもう小細工は、今後、必要ないんじゃないかなと思ってしまう。彼女相手に正気を保てないのは、もう仕方のないことなのかもしれない。口が裂けても云うつもり無いが、慣れている俺ですら、少しだけそう思ってしまった。


「率直に言おう、言葉も出ない、もう畏れ多いわ」

「あー…、お子様方にもよく泣かれるんですよね、お化粧をして、この服を着ていると特に」


それは子供泣くだろうな、確信がある。

俺は多少見慣れたが、彼女の憂いのある、その美貌。化粧をしていれば、子どもの目にはまさに化けて出ているような物だろう。

まあ泣くよな、気持ちは理解できる。


「どう、しましょうか、やっぱりいつもの…」

「いや、俺も本気出す、それからお前さんが決めてくれ」


俺はカバンの底に魔道具で仕舞い込んでいる。一張羅を取り出すつもりで、できうる限りの準備をした。




やっぱり、失敗したかな…。

私は少し後悔していた。彼にできるだけ美しい姿を見てもらいたくて、魔道具で保管していた、魔術師としての精霊法衣を着てしまった。


彼と不釣り合いになるのを承知で、久々に誰かのために着飾るのが楽しくて、手が止まらなかった。

自分の容貌が他のひとと、かけ離れて桁違いだと考えずにだ。


案の定、彼は私を畏れた。


正直ショックはあったけど、仕方ないって思いの方が強かった。

だって気安いデートに行くつもりで誘って貰って、場違いに社交界にだって行ける格好を、してしまっているんだもの。


空気を読まないにも、程があるよね…。

悪い子だ、アタシ…。

でも私達は明日をも知れない冒険者だ。怪我で2度と見れない身体になってしまうことだってある。遺書だってそれなりに書き換えている。だからどうしても、今の内に1度見せたかった。


いっそのこと彼が出てきたら、両手を広げて「怖いか〜、ひとの子よ〜、ワハハハハ」とでも笑って楽しもうかなぁ…。

私はベッドの上で足をパタパタさせて、少しだけ拗ねてた。


「悪いな、ちとれているが、こんなもんだ」


脱衣所から出てきた彼は、見違えるように紳士だった。嘘ぉ…わー…セクシー…。

仕立てこそ万全でないのだろうけど、後ろの丈の長い燕尾服に、黒いベストに、白いシャツとズボン、黒く上品なブーツに身を包んでいる。


伸びた、天然で捻れていた癖っ毛は、毛染めの上にオールバックで、綺麗に撫でつけられてる。


無精髭も唇の下だけ剃って、長さを整えたみたい。目元も、作業用でないセンスのいいメガネで彩られてる。私としてはメガネが一番嬉しい、普段からかけて欲しいくらいに。


杖も紳士用の物で、このまま社交界だって出られるだろう。帽子も、傘も上品な物を携帯していた。私と違って香水もしているようだ、腕と襟の裏から、落ち着く匂いが微かにする。


カァーッ、コゥイイィィ…。


ギャップがスゴすぎる。私はとても嬉しくて、思わず笑いながら、両手を合わせて口元を押さえて、少しはしたなく足をバタバタさせてしまった。


「お気に召したようで何よりだ、姫さま」

「えぇー…どうしてそんな服を…?」

「お互い様じゃねえかそこは? 俺はいつでも祖竜さまと謁見できるように、高い魔道具で持ち歩いてんだよ」

「わ、私は儀礼魔術用の、精霊服です…」

「お前さんのは似合うというよりも、冷静でいるのが難しいよ、気軽に名画を飛び出さんで頂きたい」


「褒めてるんです?」

「これ以上無く、だとも」

「なら、いいです…」


姫さんがそっと手を差し出そうとして、俺は思わず少しだけ身構えてしまった。


「あっ…うぅ、」


彼女は出そうとした手を握ろうとして、目線を合わせていた俺は、その瞳が僅かに揺れた事を感じて…。

何も考えず、反射的に彼女の手を取ることが出来た。

聖域に、俺は1步を踏み込んだ。


「んっ…」


なんてことはない。手を引いてそこに居たのはいつも通り、可愛らしく俺の胸に額をこすりつけてくれる、ミュレーナ・ハウゼリアだった。


「ふふふ、樟脳っぽい樹の匂いがします…」

「そりゃあ取り出してすぐ着たからな、するさ」


いつもの温かさに、俺はやっと冷静になることが出来た。軽口だって出てくる。なんとかなりそうな気がしてきた。


「良かった、いつもの姫さんの温かさだ…」

「それはそうですよ、人が変わったわけではありませんもの」

「そうか、でも油断すると、朝霧の中に帰ってしまいそうだな」


「なら、この手を決して離さないでくださいまし、紙切れの素敵なおじさま…」

「もちろんだ、ずっと握ることを約束しよう、妖精のお姫さま、ふふふっ」


「んふふふっ、それではエスコートを、お願いします!」

「ああ、行こう!」


この握った手は、決して離さないと決心した。

タロッキと同じ店を巡って、俺達は上流階級の住むらしい、対岸に初めて出かける事にした。あそこには劇場も、誰でも入れる花園もある。この格好で行くには、相応しい場所だ。


遊覧船もいいかもだが、今日は霧が濃すぎて運航できているか怪しく、動いても景色が良くないだろう。残念だが。

この天気と格好では、ただ歩くのも何なので、市内の馬車を利用することにした。

幸い臨時収入は、前回の稼ぎでそこそこある。

1度この街で贅沢するのも、悪くないだろう。


程なく劇場にたどり着き、二人でお上りさんのように見上げたあと、劇場の中に入った。

今日は姫さんは頭巾をつけていないので、周囲に少しざわつかれたが、彼女は特に不快な顔は浮かべていない。


流石は上流階級だ、育ちがいい。

昼間から演目をするのは、少し大衆向けで役者としては、駆け出しの者たちのようだ。

俺よりも若い者が多く演じるようだな。


「彼なんてどうだろう?」

「悪くは無いが…、もう少し花がほしいなって」


周囲の紳士、淑女の話を耳にするに、どうやらどこかの劇団にスカウトする前の下見講演のようだ。

話声を聞くに、王都の劇団も見に来ているらしい。


「いくつかの劇の演目を、バラバラに演じるらしいですね、告知も無しです」

「何を演るかはお楽しみ…ってところか」


劇が始まる前に、氷の大精霊様への敬意を示す祝詞が語られ、劇は始まった。



演目は妖精の聖剣制作劇、硝子森の決闘、自由都市同盟譚、異国の姫と妖精王の道ならぬ恋、石竜子人リザードマンの英雄譚、そして、「ゲルダの涙」だった。


姫さんはすべて喰い入るように、真剣に目をきらきらさせながら見ていた。腕を組んで右手で顎を抑え、片時も劇を見逃さないとでも言うかのようだった。


まるで花嫁姿を羨む少女のようだった。ここにつれてきて良かった。そう思っていた。

「ゲルダの涙」が、演じられるまでは。


姫さんは同仕様もないほど切ない顔をして、「ゲルダの涙」を観劇している間。声も一切出さず、大粒の涙を流し続けていた。


冒険劇「ゲルダの涙」


記憶を失った冒険家が、海賊の娘と世界中を旅する。言葉にすれば、一見ただのありきたりな物語だ。

だが、苦難や挫折、生きづらさを抱えた登場人物の人生。旅や冒険者への警句、また、それに伴う嘘のつき方など。


とにかく作者は人の心があるのか、少し疑問になるほど読者の心を揺さぶる、怪作中の傑作だ。

それだけの苦難にまみれても、主人公とヒロインの2人は時に挫折を、失敗を経験し、自身たちや知人の悪性。後悔などに泥濡れ廻りながら、それでも希望を見出す。

鉄格子の牢獄の中で泥を見て、その中をもがき、かき分け、たった1粒の宝石を見出すような、そんな物語。


おそらく、とんでもない恩讐を元に綴られた物語なのだろう。俺は読書中、強くその事を思い知った。


その完成度やリアリティの高さから、自由都市同盟領や諸外国では、冒険者の手引書の1つにすら規定されている。


他に創作書が現実の仕事に模範規定されている本は、とある名探偵の活躍する本しか、俺はいままで知れていない。

まさしく世界に残り続ける、名作と言える。

俺は彼女の手を強く握って、ハンカチを渡し、その涙をそっと指で何度か払った。

きっと彼女には、かけがえのない思い出がこの作品にあるんだろう。

ゲルダの涙は、この日、確かに妖精姫の心を溶かし抜いていた。

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