第23話 妖精が見た、流星
森の奥に進むに連れて、鬱蒼と生い茂る初夏の新葉は、食べられてしまっている物が多くなってきた。どうやら頭部は山羊のようだが、
「……妙だな。これだけ食べられてるのに、フン尿の跡が、殆どない…?」
「こっちにも無いです。…変ですね?」
「見てくれ、どうやら、そろそろ彼らのナワバリみたいだね」
イプリクが指さした方向を見ると、低い崖間や大きな岩に、傷跡や人骨、或いは山羊骨の骨飾り、何らかの塗料で描いた、絵…?、文字…?などが施されている。地図を確認すると、城へ最も近い直通街道は、ここを通らなければならないようだ。
「どうする。踏み込むか…?」
「いや、彼らのナワバリを刺激したくない。いくつか城を偵察できる高台があるはずだ。そこを目指そう」
事前の取り決めでは、戦闘、或いは血を少しでも流した場合は、1度小屋まで撤退することになっている。
「…………踊って、ますね」
「…………踊ってるな?」
城内部を覗ける高台へとたどり着き、背の高いイプリクに台になってもらって、鈎ロープを駆使して木に登る。タロッキには落下した際の救助役になって貰った。城の場内を双眼鏡で観察してみる。
多種多様な身体のレッサー・デモンたちが城の近辺にいる。頭が2つある者や、右腕が2本ある者。脚の腿から腕が生えている者。腹部からもう1つ頭が生えている者。右腕が蛇の尾のように、別の生き物のような形態の者。右腕に岩や、木材等の自然物と一体化しているような者。先祖返りだろうか。ほぼ巨大な山羊のような者も居る。
朽ちた城壁の周りでは、人形に近い者が槍や棍棒を携え、警備するように徘徊している。
そして、数匹のレッサー・デモンたちが、脚の蹄を地面に何度も突き刺して、何故かずっと踊っている。一体、何をしているんだろうか……?
「なんか、…キラキラした物、手から落としてません?」
「俺には見えないな…。姫さん、これ覗いてみてくれ」
「どれどれ…?」
姫さんは双眼鏡無しで目を凝らしていたが、それでも俺よりよく見えるらしい。フェアリーの遠視だろうか。彼女に双眼居を手渡して、詳しく観察してもらった。
「何か、白い欠片と、茶色い粉末みたいなの、凸凹の地面に落としてますね…?」
「イプリク、何か思い当たるか…?」
「何かの魔除け…、いや、魔寄せの儀式かな…?」
「ねえ、それって………、タネ。蒔いてない…?」
「……………………あー…」
タロッキの思ってもない1言で、みんなポカンと口を開けて、啞然としてしまった。レッサー・デモンって農耕する………、のか?
言われて見れば、
「蒔いてんの…、肥料と、種か…!」
「ここの群れが、特別優れているだけかもしれないけど、これは…」
「どうしましょ、イプリクさん。接触してみますか…?」
「いや、もう日が沈む。…小屋に戻って1度、街へ帰還して上の指示を仰ごう。僕も城内を調べたかったんだけど、申し訳ない…」
「良いさ、連中の知能が高い事が確認できただけでも儲けだ。1つ1つ慎重に行こう」
すっかり日は暮れてしまっていた。姫さんの魔術で暗視をかけて貰い、森の中を静かに進んでいる。隊列は俺とイプリクが前方。殿は前にも出やすいタロッキに任せた。魔術を放つ姫さんを、前後で挟む形で道を切り開いている。
帰り道を痕跡の残る同じ道で、帰還することは悩んだが、夜間の移動はそれだけで危険だ。迅速に帰還できることを選んだ。
……しゃり。
ほんの僅かに、姫さんの輪が鳴る音が響いて、目を向けた。あの輪は意図的に魔力を込めないと、鳴らないはず…。
「(
「(
手信号で素早くやり取りし、最も歩幅の狭い姫さんに合わせて、早足から駆け足、すぐに走り出す事になった。道は少々不整地だ、凸凹で走り辛い。
「メェ…!?」
「エーーー!」
「ンネ〜!」
俺の耳にも声が聞こえてきた。山羊か羊のような声から。レッサー・デモンだ。ここも連中の縄張りかよ!数も相当多いか!?
「乗って!紙切れ君!」
「承知した! 姫さん、タロッキに…!」
「はい! ついでに、仕掛けます!」
多脚であるイプリクに飛び乗って加速し、勢いよく駆け抜ける。濃い水の気配。姫さんは翔び始めたタロッキに抱えられたまま、呪文を詠唱した。
「
姫さんが呪文を叫んで、杖先を円形に振り回した。ざあ…、と音を響かせて、物体操作された円状の水の波が、多少不格好に整っていく。
「
水の衝撃波が、呪文によって解き放たれた。
小雨が降っていた時の無詠唱操作とは訳が違う。大波のようにザバァ…、と進んでいく。頭から突っ込んできて、レッサー・デモン達は、姫さんの水魔術に囚われて吹っ飛ばされたようだ。
「左右後方! 投石、来ます!」
「走りながらなら、当たらねえ! 急げ!キリがねえ!」
まっすぐ道を走っている訳でもなく、凸凹の不整地で、更に向こうは誰も通らなかった藪の道。対してこっちは、イプリクのショート・ソードで切り開いた道だ。いくら元山羊脚でも、待ち伏せでもされん限り、倍近い体格では追いつけん!それに……!
「わっ!」「よっとぉ、とぉ!」
「メェギェ!?」
タロッキは当たりそうになった大きな石を、器用に尻尾の先で受け止めて、投げ返している。よし、1発当たったようだ。
「メェ、メメメ。ンェメーーー!」
「降りる!」「わかった!」
街道が見えてきた。平らな道も続いている。連中の声も遠くなってきたが、油断はできない。走る速度を少し緩めて、流すように走る。流石に息が切れてきた。
「はっ、はっ、このまま、トロイドに、はっ、帰還で、良いな!?」
「はい!」
小屋を通り過ぎる。防衛陣を張るには時間もないし、あの小屋ではあまりに心許ない。夜を徹しての行軍になるが、幸い街は近場だ。
姫さんの暗視魔術で青く小さな太陽か、宝石のように輝く星空の元。一心不乱に駆け抜ける。森を抜け出して歩行へと移動速度を落とした。
「全員居るな!どうだ、追って来てるか?」
「………いいえ、羊の声は、聞こえません」
「マいたねぇ…、ふぅ…!」
タロッキも額に汗している、水袋から全員水を飲み、賦活薬も飲み干した。足は止めず警戒しながら夜道を歩く。地平線の向こうに、トロイド近郊の監視塔の篝火が、ほんの僅かに輝いていた。
その日は、先日降った雨のせいで、生ぬるい初夏の空気に満ちていた。街道の最中にある監視塔は、大した大きさもなく、もう名も呼ばれなくなって久しい亡国の、忘れ形見だった。
大きく、中に螺旋階段のある煙突が、半端に崩れた石積みの上に立って居るような、粗末な城塞。
そこに15人ほど交代で、お決まりの篝火を焚き、煤臭い夜間。短い距離を巡回し、警戒していた。
「ちと今夜は熱いな。鎧が蒸れて仕方ねえ…」
「珍しいッスよね。…精霊たち寝ボケてんのかな」
トロイド周辺は、そう熱い気候に恵まれる事は稀だ。北部に位置する大陸であり、自由都市同盟領は更に北端。1部地域を除いて冷寒な土地だった。
「そういや、噂聞いたか? 山羊共のよう…」
「死体が上がったんですって?」
「ああ、…連中奇行が目立つが、猟師は襲わないんだがな…」
彼ら兵士は全員、冒険者と違い、集団戦。防衛戦のプロだ。個々の実力も、十分自由都市に認められた精鋭だった。
「でも、熊か、狼っぽいんしょ?」
「噛み跡からそのはずなんだがな…。なんでか冒険者たちが、断言してねーんだと」
「おかしな話ですね。…そろそろ交代っすよ。遅いッスね?」
「だな、新入りの番だ。ケツ引っ叩いって…」
春先に兵長に認められ、入ったばかりの新人。…違和感があった。彼は優秀で、将来騎士に推薦されると噂された若者だ。
常在戦場。ベテランの兵士2人は、そんな僅かな違和感を嗅ぎ取り、盾を握りしめ、槍の穂先を下げ。念の為警笛を咥え、耳を澄ませた。
ぐちゃり。肉を引きちぎるような響きが、僅かに鼓膜を叩いた。即座に
ぼとり。街道脇の崩れた城壁の脇。隠れるように犯し掠め、ソイツは将来有望な若者の首から上を齧り取っていた。
「ピー!ピッピッピッピッピッピー!」
「っ…!」
警笛による襲撃感知!同時に、弛まぬ努力で磨き上げた、思考よりも早い穂先を見舞う。
当たった。確かに2人とも見た。ソイツの大きな瞳を串刺し抉るように、穂先は甲高い音を立てた。…それだけ、だった。
「なにィ…!?」
ソイツの瞳に槍の穂先が、ろくに刺さらなかった。
「どうなって、やがる!!?」
兵士は驚愕しながらも、僅かに仰け反った獅子を、返し槍で叩く。大きく身を翻して躱され、後方に下がられた。
「奥! まだ居る!」
のっそりと呻きもせず、ガチガチ牙を鳴らしながら、8対の不気味な目が近づいてくる。2対4。兵士は背中合わせに盾を構え、円陣を組んだ。僅かでも時間を稼げば、味方が来る判断。
「こ、のぉおぉ!??」
襲いかかって来る獅子に、女兵士が盾での殴打で迎え打つ。鼻っ面を叩くが、やはり妙に甲高い音が響いて、盾を持っていかれた。
「(なんっスか、今の!、鼻っ面ぶっ叩いたのに!、ハンマーにでも打ち当てたような…!?)」
女兵士は驚愕した。あまりにも異様。異常。兵士たちの慣れ親しんだ巡回路に、不気味に牙鳴らしの音が響き渡る。剛腕が奮われ、女兵士の槍が折られた。
「しまっ…!」
「はぁあっ!」
一閃。鈍い輝きが
女兵士を切り裂こうとした轟腕は、割って入った1刀に切り落とされた。革鎧に鎖帷子。2段鉢金に
「(なんだ…、コイツ。腕切り落としたってのに…?)」
獅子は、呻きもせず、自身の負傷すら見ていない。尋常ならざる精神で、耐えている訳では決してない。まるで最初から腕など無かったかのように、平気で牙を鳴らしている。マナギは不審に思い、経験からすぐに鼻を鳴らした。だが、獣臭さのみ。不死独特の甘ったるい、重い匂いも一切感じない。
「この!……え?」
イプリクの2連矢の応襲に。身を翻して獅子達は、脇目も振らず全力で逃げ出した。突然の行動に呆気に取られたらマナギたちは、警笛の音で我に返っていた。
篝火の下に、兵士たちと俺達冒険者は集まって居る。謎の獅子の襲撃から兵長の警笛で、兵士達は全員集合したはずだった。
「状況報告! できるか!?」
「不意打ち…、腕をやられて…、1人。何度も叩きつけ…、まだ生きて、連れ去られ…」
臓物がごっそり無くなっている。肋骨まで…、駄目だ…、喋れてんのが奇跡みてえな傷だ。それだけを言い残し、1人の若い兵士は兵長に報告職務を全うし、事切れた。
………………、やるかぁ…。
「くそぉ…!」
「タロッキ」
ただ、自ら名付けた彼女の名を呼んだ。彼女はどこかで見た顔をしていた。俺が捨て去った筈の、手放してしまった顔。今の俺と、同じ顔をしていると、…まだ、確信できてしまった。
「いつもみたいに、あたしに押し付ける?」
「ぬかせ、目の数がとても足らん。2対よりも、もう2対だ」
「わかった。…本気で翔ぶよ。落っこちちゃったら?」
「どうにもできん。速やかに回収してくれ。俺は、1人ぼっちじゃ翔べん。…信じてる、お前をだ」
「…うん。…できる事でなく、すべき事を尊重するなら。他に劣らない、その不遜こそを信じるよ」
「え…?」
誓う間もなくやり取りを交わして、自らの戒めを解くように、姫さんに
「姫さん、これ。預かっててくれ。…命を、救ってくる」
「え、えぇ…?、うん…?」
「…!、全隊!今すぐ離れろ! 最優先だ!」
流石だ。兵長は素早く兵たちに、的確に指示を出してくれた。飛び乗ってタロッキの鎧の後ろ襟を、左手で強く握りしめる。尾が下から身体を支えてくれるようだ。あっりがてえ…。同時に周囲の安全確認。…飛び石、岩なし。巻き込み人員も無し。事態は一刻を争う。命綱含め。以下の手順を緊急省略、許可。…いける。
「紙切れ君! コイツを!」
「助かる。経費は店にツケとくれ!姫さん、火!」
「は、はい!」
イプリクが状況を察して、糾弾を切ってベルト付き
15年、15年だ。15年殺す顔で、落下死させる顔で、見つめられ、囲まれ。俺を虐げ続けた居場所。
その残虐性が足元にも及ばない場所。本物の狂気しか存在しない世界。
万人が触れるべきで無い世界。万人が憧れ、向き合えず、目を背け続ける世界。
空。大空。原始、元来。真の竜たる血脈だけに赦された。狂気のみの世界。
天に身構え、向き合い。彼女の翼を見下ろす。
その壮絶な
(空はいいぞ…、ペファイスト。だからこそ…)
「カウント! 3から減らし始める! 最後の合図で翔び立て!」
「わかった!」
「3!」
タロッキが背の俺を守るように、大きく背の翼を広げてくれた。純白の翼は、まるで地上を掴み取ろうとする、手のようだった。
「2!」
純白の翼が、更に力持つように輝き出す。暴虐なまでの力の奔流。あまりにも神秘的で、一瞬目を奪われる。四肢に力を入れて、そのままカウントを続ける。
「1!」
最初はゆっくりと、しかし一扇ぎでとんでもなく粉塵が風に舞った。
次第に周囲の姿は、土埃の向こうに消えた。
影さえも、もう見えない。目もかなり開けづらい。
まるで嵐だ。飛ばされないように身体を前に預け、恥も外聞も無く、全力でしがみつく。
俺を一生呪う
俺を常に、大空を征く為に、作り変えてくれる、
(だからこそ…、すべてを、投げ出せ)
「翔べ、
星空の下に、古の翼持つ者は翔び立った。
その日、妖精の姫は見た。純白の流星が、たった1つの命を救うために。
夜を、切り裂いた。
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