第22話 氷の精王

特注で作ってくれた鉄心入りの鈎ロープを、また1つ駄目にしてしまったわ。

ようやく、ようやくね。クックと下界に何度も足を運んで、ようやくここを突き止めたわ。


削りの塔と呼ばれる、下界唯一の目印にして、天高くそびえる岩肌。

見えているのに辿り着けない。空を飛ぶには高い場所が、気流が強すぎる。クックのでも半分しか登れなかった。


…正直、生涯最高にドキドキしてる。クックやフェスと初めて、…愛し合った時くらいかしら。なにせ!この!崖をぉ!登り切ればぁぁ!


「うっっっ、はぁ………、すっごい景色……!」


世界で初めての絶景を、先にたった独り占。興奮しないほうが可笑しいわ。地獄のような景色が、眼下に広がってるけど。

散々冒険したけど、これに近い景色は火山の方だけだったし、ここは逆に下に出来る火山……、火谷? 火川のほうが正確かしら、そんな景色よね。


「…あるかしら」


もう何日も経っている。気流の影響でおそらく風雨の影響は無いとされてるけど、以前の地図と照らし合わせると、…生きている痕跡があれば、もう、…ここしか。…………あ。


「嘘、嘘うそうそうそうそぉ!!? あった!あったぁああ!!」


あった! あったぁあ! 滅多にないレーナちゃんと同じ長い黒髪! 2人の靴の跡! 誰か分からないけど、裸足のもう1人!よく見慣れた、クックみたいな飛び立った跡!


「生きてた。生きてたようぅ…、みんなぁ…!」

「だから言っただろ! 生きてるってよぉ!、ったく心配かけやがってぇ!」


遅れて登ってきたクックが、頭を覗かせたまま、喜んでる。生きてた!彼らは生きて、ここにいたぁ!



謁見は冒険者と精霊とで対話したいとのことで、冒険者としての出で立ちで、行う事になった。

お忍びの謁見である事と、精霊としては畏まった姿よりも、こちらが普段通りの姿のほうが落ち着くらしい。


姫さんの夜法衣ローブやタロッキの女性らしい革鎧はともかく、俺の無骨な鎖帷子は少し物々しいので、革鎧のみよく清掃して、普段使う匂い消しだけ使って備えた。

先触れの女性騎士が迎えに来てくれて、中央の島に向かう専用の、厳かな帆船で向かった。


湖の上には霧が出ていた。姫さんは生粋の小市民で、やんごとなき出生ではないのだが、船員たちは彼女の美貌に物怖じして、まるで貴族の令嬢のように対応してくれていた。


いくつもの星灯りの魔法が照らす中、やがて霧が晴れ島が見えてくると、水の小妖精たちが先導し、島の入江へと辿り着いた。


荘厳な白亜の神殿が建っている。壁面には川や湖をモチーフとした象眼細工が施されている。聞けば、この街の治水事業の歴史そのものを、後世に残す試みなのだと言う。

庭園では水路が張り巡らせされ、小鳥と雪の結晶のような精霊たちが自由に遊び回っている。


姫さんが気さくに挨拶すると、照れたように小鳥と精霊たちが身を寄せて懐き始めた。指先や肩に止まって、スリスリと頬ずりをしている。

慣れているのか、姫さんは顎や頭、結晶の端っこを撫でて、彼らを愛でている。タロッキはちょっと嫉妬したのか、姫さんにべったりとくっついている。

微笑ましくも美麗で、絵画のような光景だ。彼女は自身が絵画の住人だと語ったが、口に出してしまえば、周囲の人間はその言葉を鵜呑みにしてしまうのか。想像に難くない。


「どうぞ、精霊様からです」


待合室で待っていると、女性の衛兵が胸に1輪の白花を、鎧の胸元に飾りつけてくれた。

氷でできた花、だろうか。触れてもまったく冷たくなく。むしろほのかな温かみを感じる。

花の匂いを嗅いでみる。…これは、軟い水の匂い?


「勇者ヘの1輪です。貴方に精霊の御加護を…」

「皆様に深く感謝いたします。大精霊様にも良くお伝え下さい」


飾り付けてくれた衛兵に連れられて、待合室を退室し、通路を歩く。左右に水路がある通路で、よく見ると魚が自由に泳いでいる。恐ろしく透明度の高い水だ。同時に、通路の奥に行くに連れて、人工物から整えられた自然の岩肌に変化していく。


「…………すごい」

「はー…」

「…………へぇ」


俺達は、水の底にいた。

そうとしか思えない。永遠不変の水底の輝き。何枚もの軟い青布を幕にしたような、青白い秘境。おそらくマグマなどで長い年月を掛けて、淑やかに削られた大理石の地底湖。

人は真に美しい物に出会うと、言葉が出ない。ただ、畏れ多くも美に圧倒される。それだけだと思い知らされた。


「ようこそ。冒険者様方、精霊のおわす聖域へ。わたくしは聖泥の巫女と申します。此度の謁見は、私が大精霊様に通じます。良しなに」


原始的な祭具と薄布を身に着け、全身を白い泥で彩った。妙齢であろうフェアリーの女性が、にこやかに笑顔で、丁寧に挨拶してくれた。


「畏れ多い事です。かのお方の御慈悲を賜り感謝に絶えません。今日この日の謁見が、大精霊様にとって良きこととなるよう励み、願います」

「ええ、では…」


そっと、唄うような調べで、彼女は言葉を。…不思議だ。今、俺は彼女の言葉を、視覚で認識している気がする。


それは、呼びかけだったのだろう。

優美で煌びやかな御姿が、昏い水底からぬっと姿を表した。長い身体だ。だが、蛇のような狡猾さは感じない。龍、或いは竜のような荒々しさも皆無だ。

温かな昼間、若しくは雄大な夕日が沈む湖面のような、鱗の色。2対のすだれのような触覚は、優美に縁取られた御簾みすのよう。

顔は魚…、水生生物なのだろうか。だが彼ら特有の無機質、無感情な物は感じない。むしろ…。


そっと、いつの間にか贈られた花に触れていた。それだけで何故か。もう2度と流せない、涙が滲んだ気がした。


「老いし友たる刃からの文、多いに嬉しく思う。我が赦しを得ぬ死が迫るとも。限り無き助力を約そう。…流せぬ者、見つめる者。そして、いにしえの力よ。祝そう」


「勿体なきお言葉。お会いできて光栄の極みです。…氷の精王さま」

「うむ……、古の力よ、語れるか?」

「いいよ、…触れて」

「タロッキ…、ちゃん?」


するりと触覚が伸びてきて、目を閉じたタロッキに近づいた。害意は微塵も感じない。ゆっくりと先端を伸ばすと、そっと閉じられたタロッキの瞳に、一瞬だけ触れた。


「………………なんと。驚愕の発露」

「え?」

「む…、失礼しました。…驚く。難題中の難題だ。天におわした輝く夜の姫君さえ、求婚を認めざる逸品を探し求める。痛快」

「そう。龍の瞳を、探してるの…」

「生憎、我が領地内。生きとし生ける者伝え聞く限り、魔か死を宿す者共を除き、知らせなし。万一あれば旧領地、すなわち……、かつての居城、森」

「森、ですか…」

「あるとは限らぬ。今代は蛮たる魔宿し多き土地。心して征かれよ…、む。時か」


見れば、聖泥の巫女様はかなり消耗しているようだ。ラランさんに昔聞いたことがあるが、人類種の通訳でも相当疲れると言っていた。大精霊様の声ともなれば、相当な体力を使うようだ。


「汝らの、………え?」


聖泥の巫女様は、驚いた様子で俺たちを見た。何かあったのだろうか?


「………汝らの、星々を目指す生に。…幸アレ」


謁見が終わったあと、大精霊様は水底に掻き消えるように姿を消した。同時に俺と姫さんの意識も薄れ始めていたらしい。感知できない内に、急激に消耗していたようだ。

隣室に控えていた衛兵方に介抱され、気絶に近い状態から意識を取り戻したのは、夕方だった。



翌日。よく休んで、宿で朝食を3人で取っている。

寝すぎた翌日のように少し頭痛がする。タロッキは普通に起きていて夜寝たらしく。俺と姫さんは側頭部を軽くトントンと叩いて整えていた。


「星って、なんの事でしょうか…?」

「龍の瞳のことじゃねえかな…、タロッキ、分かるか?」

「んー…、どう言ったら良いかな…、むつかしい」


タロッキは首を横に振って答えた。別に沈鬱な表情ではないが、どう言葉にして良いか分からないと言いたげな表情をしている。


「聞いても良いか。謁見中のアレは、会話を…?」

「そうだよ!、控えてくれてた人も、少し辛そうだったから、手早くしたの!褒めて!」

「それは気づかなかったな。よくやったよ」

「ゔぇへへへへ〜!」

「それと、森の探索について、提案があるんだが良いか?」

「なんでしょう?」

「前に、森の城を調べたいって、この街の工兵隊から依頼が張り出されてたんだ。路銀も稼ぎたいし、渡りに船だ。まだあったら受けないか?」


タロッキに連れられてトロイドの冒険者ギルドに向かうと、多く張り出された依頼書の端っこに、森の城を調べる為の護衛依頼が張り出されていた。

依頼人はトロイド所属の工兵隊だった。依頼内容はかつての城がどの程度居住、或いは拠点に適しているか、すべて調べること。

森自身の自然環境に配慮して、少数による強行先行偵察を行い、後に軍で拠点、或いは交易拠点にできるか調べる依頼だ。俺たちも城を調べる理由はある。早速依頼主に話を聞きに向かった。


「やあやあ、はじめまして。今回依頼を受けてくれるそうで、大変嬉しいよ」

「はじめまして、イプリクさん」


忙しなく工兵たちが駆け回る港の現場で、多くのアラクネーたちを統率していた若い人物が、握手を求めて挨拶してくれた。

今回の依頼主の、イプリク・ルコ氏だ。彼も怪物種アラクネーだった。


怪物種アラクネー

人類種に似た上半身に、蜘蛛のような構造の下半身を持つ怪物種だ。8本の足を持ち、自在に壁などに張り付いて、高所作業を得意とする。

海運港付きの農村出身である、俺に取ってはかなり馴染み深い種族だ。彼らは通常、橋、船、塔などの建設や、8本脚のパワーを生かして、重量物の運搬に活躍している。

戦闘力も人間種形態の生物とは、数段上の能力があり、足を止めての打ち合いや、近接戦では勝負にならない。

力自慢の牛亜人ミノタウロスや、人食鬼オーガですら、先手を取られたらほぼ勝てない。

男性はそうでも無いのだが、女性は全身を覆う薄布で全身を隠す風習が、古くから尊重されている種族だった。


「おお、頭がお腹にある…」

「あ、これあくまでイミテーション。威嚇用だけど、蜘蛛みたいでカッコいいでしょ? あと敬語はいらないよ、気楽に行こうね」


タロッキが驚いたのは、人間種で言うところの腹部に蜘蛛顔のような意匠を施された革鎧だったからだ。編笠のような陣笠兜と、革鎧全体自身も見事な意匠でにかわや厚い編込みが施されている。トロイド工兵たちの、技術力の高さを思わせた。


「先日通って来た森だが、何か新情報はあるかな?」

「レッサーデモンの群れが、何かとやり合ったらしい。遺棄された死体を回収した、冒険者たちが言っていたよ」

「何かって、なんだろ…?」

「不明だね。矢傷や剣では無かったようだけど…」

「ふむ…、では地図を見て、探索計画を相談いたしましょうか」


イプリクはかなり近隣の森に詳しいようだ。相談を重ねる内に、彼もこちらに探索へ十分な技量があると確認してくれた。その日は順調に探索計画を立てて、翌日森への探索に出かける事になった。



2日後、街道沿いの小屋まで戻ってきて1泊した。タロッキは少し怯えていたが、イプリクがこのあたりでレッドカムは目撃された事は、祖父の代から無いと告げると、安心して眠っていた。

朝になり朝食を取って、装備の点検と工兵らしい鳴子を片付けて、出発準備を整えていた。



「じゃあ、竜の瞳を探しているのか」

「ああ、大精霊様も、あればこの森の城だと答えてくれたんだ」

「ドラゴンか…、下っ端水兵だった頃。遠目に海の亜竜と目が合ったけど、…何故か、おかえりって言われた気がして、同時に殺されるかと思ったな…」

「海亜竜は1番慈悲深いからな。配下も縄張りも多い。来るなって警告だったんだろう」


イプリクの武器は祖父から受け継いだ、下半身の脚…、大腕部で使用する大弓2張りに、計4本まで同時に振り回せる、ショート・ソード。いざというときのベルト付き抱大筒ハンド・キャノンを1丁。背負っている。

鎧も含めると、お値段およそ銀貨2000枚は余裕で下らない、人間種には不可能な重武装だ。


点検していて気付いたが、彼の鎧上半身は胸と腹にぐるりと鉄のように硬い部品が入っていて、茸のような兜と、肩を覆うショルダー・アーマーまで、全身を覆うようにすべて縦横に固定式のようだ。これは相当な防御力を誇るな。


「昆虫とか骨格を参考に作ってみたんだ。しかもすっごく軽いんだよ」

「俺の鎧半分強ってとこか、良いな」

「人喰い鬼は無理でも、ミノタウロスならそう簡単に潰されない自信があるよ。しかも水に浮く」

「…なるほど!水兵さんだから、いざというときに水に浮いてくれないと、マズい訳ですね!」

「その通り。緊急時の浮袋や小舟代わりなんだ。なにせ僕らこの体だから、とにかく泳ぐのが下手でね…」


アラクネーの体重は、女性に比べ小柄な男性でも、人類種の3倍以上はある。しかも各足先の指は長めで太く、3本しかない。体積に対して泳ぎ辛く、人間種のような体付きよりも、遥かに溺れやすいのだと言う。


「ただ…、鎧が軽いのも良し悪しだろうけどね、体重が重い方が、近接攻撃は有利な事もある訳だし。それに、大鎌みたいな武器だと、入射角次第では刺されちゃうんだ」

「打撃や締めつけ対策ならなら、そっちがずっと上だろうけどな。上半身だけでも、商業用に1つ欲しいな…」

「良ければ人間種用の腰巻き付き、無地の物もあるから、格安で売るよ」

「助かる。袖を通すのを楽しみにしてるよ」


タロッキにおおよその城までの安全を、空から確認してもらい、イプリクの発案で彼が持ってきた布で、枝や葉などで簡易的な迷彩上着ギリースーツを作り、森の中を進む。


「(隠密行動かくれんぼみたいで悦楽楽しいね!)」

「(肯定まあな)、(技巧指示上手くやれよ)」


タロッキはかなり手信号が上手くなった。手信号で簡単な会話をしつつ、徘徊する動物や、下位悪魔レッサー・デモンの小規模な群れから、隠れて城を目指した。

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