第20話 雨花占い
騎士団と団が本陣を構える洞窟に、足を踏み入れた。薄暗い中で、幾つもの岩が並ぶような、山のような遺体が横たわっている。
俺は焔龍教の礼拝を示すために、口元を片手で覆って身を折り、黙祷を捧げた。
「クック…、どうでしょうか?」
「おそらく、全て試みても無駄だな。…仔細を話そう」
洞窟の外ではフェスが待ってくれていた。他の騎士や家の冒険者たちも、緊張した面持ちで俺の言葉に耳を傾けている。
「まず。腐敗に関しては問題ない。紛れもなく真龍。最高位龍だ。10年放置しても、髭1つ腐らん。呪いを撒き散らしもせん。安心しろ」
何人かから、安堵の息が漏れた。専門家でもねえのに常軌を逸した存在を護衛していたんだ。無理もねえな。良くやってるよ。
「その上で、だ。俺達に今できる事は、焔龍教に応援貰って、かの御仁の遺体を護衛し続けることしか、現状無えな…」
「というと?」
「これが2足亜の者なら、俺でも一応葬儀で送り出せる。町1番のやつなら、亜の者なら何でも来いだろう。…だが、2腕、2足の真なる龍なら別格だ、別格が過ぎる。最北本殿、或いは浮島の龍巫女を、最低でも招かねばならん」
「団長でも、無理と…?」
「やれない事はないが、力尽くは何か歪む。よほど余裕でもない限り、仮にも僧侶の端くれとしては、とてもおすすめできんよ。…政治、国民感情的にもな。…万一化けて出たら、1大陸終わるぞ」
全員血の気が引くように青ざめた。今回ばかりは俺も、たったの一回、殺すくらいしかできそうに無い所感を持った。まあ無理もねえ。
「もうやってるが、急ぎとっつぁんに文献を解くように頼んで来る。フェス。悪いが戻るまで任せたぜ」
「わかりました。猫の子一匹、通しません」
「頼む。…例のホッブゴブリンの探索も、引き続き行ってくれ。…気を引き締めろ。何か臭うからな」
何人か体臭を気にして、服に鼻を鳴らした。いや、お前らじゃ…、川近いんだからもっと水浴びしていいぞ。マジで。
その場を去る前に、振り返って洞窟をもう一度見てみる。報告では
なのにあの雨の夜。雷が落ち、翼持つ影が去ってから、両目とも無くなっている。そもそも楽には触れられん代物だ。残った眼窩から推測すれば、巨大な目玉だ。飛んで持ち去ったなら、真っ先に目撃している筈だ。…一体あの夜に、何が起きやがったんだ?
大きさは彼女の、小さな顔ほどもあるだろうか。
木製の箱が開かれて、煤臭い匂いが香る。中には火付け道具一式と、削って油を染み込ませた木片。
火打ち金。木製の取っ手付きの鉄片と、石英。磨けば結晶にもなる。無色不透明の石を、手に持つ。
カッカッカッと、小気味よい響きと共に、暗闇の室内に火花が踊る。炭布に火が付く。火種を絶やさず木片に移して、要らない紙束。薪へと、3人息を吹きかけて、火を大きくしていく。
「あたしの火吹きで、火を付ければ良いのに…」
「まあ、旅の醍醐味ですよ。今度してみませんか。意外と楽しいですよ?」
「そう……?、ダイゴミ…?」
「人生。長いとくだらねえ事のほうが、楽しいもんさ。…様にはなって過ぎるんだよな、やっぱ」
今夜は初夏にしては寒い。この小屋が日没前に見つかったのは幸運だった。でなければ可能な限り、茅かき集めて壁を作り、火を炊かないで寒い中寝るしか無かった。状況にもよるが、猛獣や怪物対策で火を焚けない時は焚けないからな。
もうだいぶトロイドの近くに来ている筈だ。地図を見れば、この森を抜ければ、街から伸びる川を目にできる筈だった。
「翼はどうだ。タロッキ」
「やー…。こう連日1日中飛んでると、付け根が熱くなっちゃうね。今は冷たいけどさ。始めてだよ、こんな経験…」
「すまん、無理をさせたな。だが今夜は寒い、暖かくして風邪引くなよ」
「うん。程々で止めるよ」
休憩こそ多めに取っているが、彼女には連日飛んで付いて来てもらっている。危険が潜みそうな時も先行してもらっても居る。水袋と良薬で冷やしちゃいるが、限度はある。そろそろ長く休むべきだ。俺達も含めてだが。
「あったかいのが身に沁みますねぇ…。街道沿いでも、火が炊けない事は多いですから」
「違いない。…夜に、
「
俺と姫さんは顔を見合わせて、姫さんのほうが先に頷いた。
むかし、むかし、あるところに100人のあかぼうしがいました。
あかぼうしたちは、まいよまいよかりをして、もりでたのしくくらしていました。
あるゆきのひ。かれらのだいじなものが、まちののひとびとに、もっていかれました。
100人のあかぼうしたちは、おこって、おこって、おこりました。
まちのひとたちは、だれひとりも
めでたし、めでたくなし、おしまい。
朗々となんの抑揚もなく、スラスラと妖精の姫が歌いあげた。焚き火に陰る陰鬱な美貌も相まって、神秘的でありながら不気味過ぎて、常になんでも楽しそうなタロッキですら、固唾を飲み下した。
「有名な絵本だ。ガキの頃。絶対に読み聞かされる本だな」
「絵、めちゃくちゃ怖いんですよね…」
「さっきの姫さんには……、悪い、失言するとこだった」
「あー…、よく焚き木で暖まってると、お子様方に凄まじくギャン泣きされるんですよね…」
姫さんは真顔で要られると特にそうなのだが。薪の仄めく炎だと、美貌というよりは造形が整いすぎて、もはや闇の精霊か、混じりっけ無しの妖精だ。
気の弱いものなら、後退りしてしまうだろうか。
「今日」
「あん?」
「今日もう、おトイレ行けない…」
「ぷっ…、あははははっ!、やですねえ!迷信ですよ、迷信!、本当にいる訳ないじゃないですか!夜道に気を付けようって絵本ですよぉ!」
「いや、ホントだぞ。俺会ったことあるもん」
「……………、ぇ?」
「20代後半だったかな…、竜車で野菜売って、村の連中と帰る時に、脱輪してな。夜道で止まるしか無かったんだ。…んで、出会っちまった」
「どん、……えぇ……?」
「顔。絵本だと老人の仮面って感じだけど、違うな。アレは梟だ。血走ったデカい目…、或いは嘲笑ってるみたいな…。足は鹿みたいに強靭だけど、蹄じゃなくて鳥のすげえ太い足だ。振り向いたら居て、長い鎌みたいなの持ってて。
つい、窓の外を覗いてみる。暗く陰鬱な木々のざわめきの向こうに、何かが潜んでいる。そんな気がしてならない……。
「ふえぇぇ……」
「森で、………ですか?」
「…………い、言いたくねえ。多分、
夜の森は、通常煩い。虫の声や風による木々のざわめき。夜行性の獣の声など、絶え間なく大合唱だ。そんな中、定期的にホーホー鳴く以外。無音で過ごす者たちが居る。梟だ。狩人に聞いたところ、彼らの羽ばたきは、ほぼなんの音もしないと言う。
「は、…羽根、は…?」
「俺が見た限りだが、無かった、赤い編笠みたいな髪があって、原始的な骨飾りとか、体毛もそうだったと思う…、だが
思い出しただけでも、怖気がヤバい。取り付いた木々のざわめきすらなく。数多く囲まれて居たはずだが、掻き消えるように、まるで最初からいなかったかのように、ひとっ飛びで消えた。
記憶では、数多く翁面のような梟顔で見おろされていた筈だが、地面どころか木々に痕跡も全く無く、朝になってもどうやってここまで来て、帰ってくれたのか。…誰も、判明出来なかった。
本当にあった事なのか、今でも思っちまう。思いたいが…。
生き残ったのは、俺と2人だけだった。草食竜も含めて。居なくなった連中の悲鳴すら、一切聞こえなかった。
「止めぇましょう!それこそ招きます!」
「だな! 流石に疲れてきたかな! タロッキも早めに休めばトイレに……、タロッキ…?」
「白目、剥いてる…」
タロッキは、まるで髭を切られたドラゴンのように、既に白目を剥いていた。彼女はその夜、身じろぎどころか、呼吸もほとんどしていなかった。
幸い、何事もなく朝になった。よく眠れなかったが自業自得の上に首は繋がっている。これ以上は望めない、良いことだろう。
「タロッキ、機嫌直せよぉ。俺が悪かったから…」
ぷいっ、と顔を背けられた。起きてから彼女は俺に顔を合わせる事もしてくれなくなった。よほど怖かったのだろう。本当に悪いことをしてしまった。
…年頃の娘を持つ親とはこんな気持ちなのだろうか。俺が人の親になれるなんてなぁ…。不謹慎だがスッゲえ嬉しい…。
「なに、笑ってるのさ…!カミキレ! うぅ…、本当に怖かったんだからねぇ…!」
「いや、悪い悪い。子供なんて、望めないかもと思ってたからさ…。重ね重ね、本当にごめんな」
「……何言ってるの? 子供なんて、ツガイになってその……、あ、愛し合えば…、何時でも作れるじゃん……?」
「そうだな、その通りだ。何言ってんだろうな。俺は……」
「……?、ほら、いつまでもむくれてないで、朝食ですよ!もうすぐ街で休めるんですから、もう一踏ん張りです!」
「食べよう、タロッキ。美味しいぞ」
「うん……?」
小屋には小さな暖炉も付いている、朝食を済ませたあと、グリンを召霊してもらった。いつものように姫さんと額を突き合わせたあと、今度は出発の準備をしている、俺の頭をわさわさ舐め始めた。
「なつきましたねぇ。少し」
「………そうかな。嫌がらせじゃないの?」
「めっちゃわさわさする……。草の舌かぁ……」
「あたしもいっぱい、乗ってみたいんだけどなぁ……」
タロッキは姫さんと同じように、グリンに額を突き合わせた。俺がやっても咎めるように軽く顔を噛まれるだけだが、グリンは彼女に初顔合わせから懐いている。さては牝好きだな?、このエロ馬め。
グリンに乗る事は1度試してから、タロッキは遠慮していた。乗れない事はないのだが、大きめの体格と翼。尻尾と言う重量を支えきれず、どんどん腰がへこんでしまう。グリンは気にしないようだが、長時間乗れば胴体と腰が別れてしまう。
姫さんに身体を再構成してもらえばいいのだが、魔力と時間も相応に必要で、結局飛んでもらったほうが現状良い。
グリンは俺から離れると、今度はタロッキの角を噛み始めた。タロッキは心地よさそうに、されるがままに受け入れていた。
地図を確認しつつ、木々の隙間から天気を確認する。見えない範囲はタロッキに飛んで貰い確認する。少し、出来ることが多いからと、彼女だけに頼りすぎな気も少しするな。街についたらよく休んで貰って、できれば気晴らしさせてやらねば…。
「どうだタロッキ、天気はー?」
「雨雲かなー…!、風もある。巡ってるから、良くないねー!。待ってもいいかもー!」
梅雨目前の天気は変わりやすい。この辺りでは一気に降って止むことも多い。休息すべきか。小屋で雨に備えていると、程なくしてバケツをひっくり返したような、大雨が降り始めた。
「
「ああ、そうだな。夜でもねえのに。雨で、寒いのかな…」
姫さんに促されて見ると、野花のほとんどは上を向いて閉じていた。花を愛でれる程度には、穏やかな時間だ。ざぁざぁと降る雨が、気にならないくらいには。
「うえぇー…、ハネが湿っちゃうようぅ…」
「翼持つのも、楽じゃねえんだな…」
タロッキは翼をできるだけ広げて干している。湿気が貯まると閉じたり開いたり、パタパタ言わせている。羽毛に覆われている訳でもなく、羊膜も厚く、白く綺麗な鱗の生えた、コウモリのような形の翼だが、それでも湿気は苦手なようだ。何か気晴らしでもあれば良いんだが。
「タロッキちゃん、トロイドについたら、何がしたい?」
「えー?、ん〜…、お酒!い〜っぱい飲みたい!」
「分かった。せっかくの街だしな。3件までは、我が店の経費で必ず落とそう。万事任せろ」
「マジですか!?やったぜ!流石が紙切れの旦那ぁ!、太っ腹です!」
「いや、姫さん。しこたまお金持ってるよね?、何なら使い切れないとか、散々店で愚痴言ってたよね?」
「なに言ってるんですか!人のお金で飲むお酒こそ至高って、クックさんいつも言ってましたよ?」
頭目め、若い娘になに教えてやがる。つい喉の奥でくつくつ笑っちまうじゃねえか。まあ、姫さん体格通り量は飲まないし、すぐ酔うし、誤差と言えば誤差なんだが。
「他にはどうだ? …女の子らしく、服とかどうだ?」
「えっ…、あたし…、買ったことないよ…?」
「じゃあ作るか。…と言うか、服ってほぼ作るもんだよな…?」
「売り物もありますけど、結構高いし、結局手直し必須ですもんね…」
多種多様な種族が住む自由都市同盟領では、気に入った服があっても、大幅に手直ししなければならない事が多い。サイズ違いなら良い方で、種族によっては尻尾や爪、翼などの穴などを、埋めたり開けたりする技術は必須だ。
姫さんも俺も、布1枚から服を縫える。ただし、作業量としては足踏み
タロッキにどんな布や服が似合うかと考えていると、姫さんが座り込んで、何かをし始めた。少し可哀想だが、白春菊を1輪手折っている…?
「花占いか?」
「ええ、女の子でしょ? 」
「ハナ、ウラナイ…?」
「うふふっ、タロッキちゃん、花占いって。…意中のお相手が側に居ると、こういう事も出来るんですよ」
スキ、キライ、スキ、キライ、スキ…。
お決まりの仕草で、彼女は花弁を散らしていく。
「………はい。どうぞ」
花弁は、最後の1枚になった。直前の言葉は「キライ」。………姫さん。
「(わぁ…!)」
「嘘でも、…いいです。どう…」
花弁を掴もうとしたら、グリンがトコトコ近づいてきて、横からパクッと食べてしまった。もっしゃもっしゃ白春菊を味わっている。
「あははっ!食べちゃった!」
「グゥリィンーーー!?」
「くっくっく…、そうだな。そりゃそうだ。グリンのほうが、ずっと好きだったよな?」
「もぉー! この子はぁ! また、たんぽぽ食べ過ぎて、お腹こわしますよぉ!ぷふっ、あはははは!」
姫さんが花占いしている間に、天気は澄み渡るような青空になっている。俺達3人の笑い声は、どこまでも雨上がりの空に鳴り響いていた。
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