第19話 火のない煙草

革袋から銅貨をすべて取り出して、折りたたまれていた紙を広げた。姫さんはぴょんぴょん身を弾ませて、紙に綴られた文字を読もうとしていた。慌てないでも見せるって。


パスタが手渡してくれた紙には、フェアリーの娘について。しつこく聞いてきた輩が騒ぎ、パスタと冒険者たちに追い出されたこと。


冒険者ギルドや在中騎士、衛兵や村の住人には、既に厳重注意するように伝えている事が、綴られている。翌朝か、近日中には村を出たほうがいいかも知れないとも、綴られていた。


「同じひと達かわかりませんが、さっきのひと達も3日後にどうとか言ってました。…おそらく」


人攫い未遂確定か?、これは。ボロの出るお粗末なやり方で、バカバカしいな。油断はできんし、何らかの陽動の可能性もあるが、衝動的な犯行未遂なら、夜明け前には捕縛じゃねえかな…?


ずいぶんとまぁ、お粗末かつヤンチャな事で、笑いものにするしかねぇや…、吐き気がする。下衆共が。


旅において、考え無しにはすぐに死ぬか、騙されて何か失う事になる。その駆け引きが楽しい部分もあるが、悪事に巻き込まれるのは、流石に不快でしかなかった。


「私だけじゃなくて、その…、タロッキちゃんも、どうとかって…」

「………え、あたし?、 …何で、あたし?」

「さあ…?」

「珍しい種族だからか…?」

「あっはっはっはっはっは!おっかしい!おかしいねえ!この翼が見えないのかなあ!」


タロッキは腹を抱えながら大笑いし、背中の翼をパタパタ言わせて見せた。捕まえるの難しいよな。そりゃ。…真っ当に考えればだが。


「投網………、いや、火吹きも爪もあるんじゃ、無理か」

「ぷくくっ、都剣闘士とけんとうしの大剣闘じゃ無いんだから、ニンゲンは面白いなあ!」

「けど、毒とか魔術は怖いですよね…?」

「あー…、そうだね、笑ってばかり居られないや、どうしよっか…?」

「帰りたい、なぁ………、あっ…」


姫さんは少し思い詰めて居たのだろう。卑屈な声が響いた。つい漏れてしまった言葉に、はっとして彼女は口を手で覆った。別に帰りたいのは自然なことだし、俺たちは特に咎めなかった。


「同感だ、今のうちに吐き出しとけ、聞くからよ」

「いいの?」

「紙に書いたり、口に出すだけでも楽になるものなんでしょ?、おすすめは紙に書くことなのかな、日誌にも書いてたんじゃ、無いの…?」


「…言います、付き合って」

「おう」

「もちろん」


「…父様に会いたい、母様に会いたい、あそこのご飯が食べたい。水やりしてないから枯れちゃうし、本の新作も帰って読みたい…、母様の、シチューが食べたくて、………先生。先生に、会いたい……」

「うん…」


「貴方たちは?、どうです?」

「俺?おれかぁ…」

「あたし、かぁ…」


実を言えば、俺自身は、そこまで帰ることには執着していなかった。

フリッグスには帰りたいが、故郷にはあまり執着はない。人生の半分ほどを故郷で過ごし、家族に遺書の保管も、一部任せている。


向こうにある資産もかなりあるが、それはそれだ。執着というよりも、もはや便利な道具程度でしかない。

ぼんやりと、帰れねえと素材がいくつか駄目になるだろうが、その前に誰かが引き継いでくれるだろうと思った。


そんな事よりも、同じ仲間で大事な常連客様パトロンで、娘候補な子を助けることのほうが、俺にとって重要だった。


当然家族に会いたい気持ちが、無いわけでは無いが。どちらかと言えば、帰れないせいで心配をかける罪悪感のほうが酷い。なにせ、歪み夜明けがあった訳だしな。

罪悪感。罪悪感か…。


「心配をかけてるのは、イヤだな」

「………………」

「だが、俺の分は、卑屈になることはないぞ?」

「え?」


俺はあえて頬の端を釣り上げて、笑って見せた。

少し卑屈に笑っちまうような状況だが、それでも這い上がる気でいようとした。


「スリルぐらい、楽しめないようなガキじゃないからな、旅の醍醐味ってやつさ」

「旅の、醍醐味…」

「だよね…」


「うん、だからそう卑屈だけになるな。罪悪感を感じすぎるな。小さく纏まる必要だってないんだ。難しいかもだがよ…」

「ふふっ、………はい、帰りましょう、必ず」

「ああ、帰ろうぜ、必ず。…タロッキはどうだ?」

「んー………、ちょっとむつかしいけど、帰る気はまったく無いよ。でも、いつか2人を連れて、戻れたらとも思える。…かな」


3人で望みを声にした。こんな時、俺のくだらない言葉を、笑ってくれる彼女たちを、俺はよく知っている。


「これからどうするかは主に、2つだな。このままここに宿泊して、連中が下界に去るのを待つか、交代で休息して、夜明け前に行くか…」


言いながら考えたが、連中が村の証言を信じて下界に赴くかは五分だ。時間が経てばバレる可能性も高く、回状を持った奴らが来る可能性もある。全員、考えは同じようだ。


「夜明けに出発1択、…ですね」

「だな」

「うん。じゃあ準備して、よく休もう!」


長旅での見張りは、先に休むほうがキツイ。個人差はあるが概ねそうだろうか。夕食後にすぐに横になり、真夜中に姫さんと交代した。

タロッキは翼で翔び、ずっと随行してもらわねばならないので、好きなだけ休む事になった。




静まり返る事は無い騒がしい冒険者の店だが、どうやらトラブルは無かったようだ。タロッキも起き出してきた。


「ふぁ…、そろそろ行く?」

「行く。もう雄鶏も鳴く頃だ。もう一人の眠り姫を、起こすとしよう」

「…ぐるるっ、目覚めのチューでもしちゃう?」

「そうだな、偶にはそうしようか」

「え」


ベッドで眠っている姫さんに近づいて、先日とは逆に覆いかぶさり、唇を…、いや、本当に美人だな。見てて、もはや怖いわ。


「え、ホントに? ほ、ホントにしちゃうの…!?」

「男とはこういう生き物だぞ。よくみとけ」

「あぁあぁ〜…!」


割と寝相の悪い姫さんを軽く寄せて、…長い耳元で目覚めの言葉を囁き、鼻と口を軽く覆った。それだけでむず痒そうに、身動ぎして起きてくれた。


「んっ……、んっんうぅ…、なに…?」

「おはよう、姫さん。タロッキが、目覚めのキスしたいってさ」

「えぇ〜…、いいよぉ…? ふぁあぁ…」


俺は濡らしておいた手ぬぐいを姫さんに手渡して、

呆気に取られているタロッキの横を素知らぬ顔で通り過ぎて、1度部屋を出た。女性の身支度は覗かないのが基本だからな。


「か、カミキレェ〜!」


朝から元気な声が響いた。俺の方が1枚上手だな。精進が足りんぞぉ? 我が娘候補よ。さて、気を取り直して警戒せねばな…。


あんまり面白く無さそうなタロッキと、よくわかっていなさそうな姫さんと、出立の準備を終えて酒場に降りた。パスタが寝巻きのまま、恥ずかしげもなく掃除していた。


「よう、おはよう。連中なら1人、そこで伸びてるよ」


見れば、酒瓶を抱いた見覚えのある男が白目を剥いて吐瀉物塗れで倒れている。酷く飲まされたな。これは。


「ろくに働かない奴は潰しやすくていいや。もう行くのかい?」

「ああ、世話んなった。裏口借りるぞ」

「あいよ、またチップを弾んでおくれよ」

「1年以内には、きな臭かったら旅行にでも行っとけ。知ってんだろ?」

「行ける連中ばかりじゃないさ。…恩に思うなら、死んだら水は取っておくれ、そうすりゃ満足さ」

「できるだけやると約束しよう。…またな」

「お世話になりました」

「またね。オカミさん」

「おう、あたしゃいつでも、…ここに居るよ」


短い挨拶を交わして裏口に向かった。警戒しながら身を潜め、朝の澄み切った空気の中、外に出た。

谷間を通り過ぎる風は、夜明け前でも少し吹いている。いくつかの風車がきいきいと音を立てていた。

村中の大きな畑が幾つも見える。特に、見える限り人影は見えない。


「足音も、ほとんど聞こえません」

「少なくとも、昨日の奴ら居ないよ。…行こう」


静かに警戒しつつ、なるだけ足跡を残さないように畑脇の道を歩いた。最も大きなタロッキを先頭として、彼女の足跡を踏んで、偽装工作する形だ。努力が実るか分からないが、やらないよりはマシだ。


やがて、狭まった谷間の間に街道へと続く、大きな防壁門が見えてきた。門と言っても立派な大扉があるわけでなく、大きな鉄格子で出入り口は仕切られているだけだが。昼間は開放されているが、夜明け前の時間帯は上げられておらず、脇の小さな村兵詰め所に、俺たちは顔を出した。


「おはよう。朝早くで3人だが、通れるか?」

「ふぁ…、早いな。脇の扉開けよう。通行料は銀貨1人、3枚だ」

「下界の影響か?」

「ああ、深夜代金も入ってる。…不服か?」

「いいや、他の村だと安いくらいだろ。だが連中の事は?」

「あん…? ああ、あんたが紙切れか、昨日坊主が来て、人さらい未遂したってなぁ、…本当か?」

「本当ですよ。付き纏いもされました」


「見下げた話だな。…村ぐるみで、嘘つく事にしたよ。妥当だしな、下界で働かせてだ。バカとハサミは使いようって訳だな」


村兵はニヤリと笑って、詰め所裏の小さな通路を開けてくれた。小さな村だと思っていてもコレだ。やはり旅の駆け引きは、良いものだな。自然と頬が吊り上がる。


まあ、嫌がらせだけでなく、全員が幸せになる方法でもあった。下界調査が少しでも進み、村の治安は維持され、人攫い未遂共は、健全に怪物討伐の報酬も出る。どこも損をしない。まったく文句の無い話になる訳だ。


「礼だ。みんなで1杯やってくれ」


料金を支払い、俺は背負い袋から、そう高値でない安物のワインを1つ取り出した。パスタの店で購入していた、大きめの方だった。消毒用の小分けする前の奴だが、譲るにはこれも丁度いい。


「お、ありがとよ。旅の無事を祈るぜ。冒険者さん方」


詰め所の中の狭い道を通り抜けて、外に出た。

どこまでも広がる草原と、変化してしまった、傷跡のような隆起した岩肌が見える。


開放的な空気に、朝であることも手伝って、つい伸びをしてしまう。姫さんもタロッキも同じように身体を伸ばしていた。


「あっ、昨日の子!」

「んがっ、………あ、やっと来た」


辺りを見回していたタロッキが、最初に気づいた。昨日の少年が、防壁門に寄りかかって、寝息を立てていた。

見れば、彼は昨日の服装と違い。旅慣れていないだろう旅装に着替え、腰には太い棍棒のような棒切れを差し、大きな背負い袋を背負っていた。


「よう。初めての冒険はどうだった?」

「ヘヘっ、上手くやったよ。夕飯も奢って貰えた」

「そうか…、助かった。礼をしなくちゃな」


俺は腰に差していたロング・ソードを鞘ごと外して、彼に両手で差し出した。


「え……?」

「成功報酬だ。数打ちの品だが、持っていけ」

「良いの? カミキレ…?」

「構わない。良い思い出だけが染み付いた物ではなくてな。機会があれば、手放そうとも思っていた。厄祓いには悪くない」


彼は恐る恐る受け取ると、震える手でゆっくりと刀身を引き抜いた。

長年。剣としても、鉈としても、雑に使い。多くのいのちを吸い。戦友ともから託され、欠けも歪みもしなかった、頑固者中の頑固者だ。人に手渡すには、相応しい。


「すごい…」

「言い忘れていた。道具はできるだけ新品を選ぶな。何でもそうだが、2、3度使い、よく整備された物を選ぶか、そうすると良い。…馴れた女のように、かな…」

「え、どうして…?」

「剣は血の吸い方が違う。数こなせばわかるさ。…男の門出かどでに、寸鉄の1つも無しは良くない。だがその棒も捨てるなよ。良けりゃ、そいつか別の武器を、いつか誰かに託すと良い。…じゃあな」


「お!、俺も、一緒に行っちゃだめか…!」

「…紙切れさん?」

「いいぞ、俺に決闘で勝てたらな。作法はその剣で良いな?」

「え…」


「村の中なら気の良いオッサンで、教導員で居てやれた。だがこっから先は、お前は鱗持つ竜の宝に挑み、手を伸ばす。…妖精の姫と、俺の愛娘候補に手を伸ばす、狼藉者だ。…覚悟は、いいか?」

「う…」


彼は握り込んでいない、空いている方の手で、渡した剣ではなく、腰に差した棒きれに手を伸ばそうとした。


俺は手を軽く翳して、それを止めさせた。

姫さんも鞘に手を掛けて鍔鳴りさせたが、俺の仕草で抜かないでくれた。

タロッキは、何故か微笑んでいる。顔は後ろで見えないが、そんな気がする。


「何、別に血を流すだけが決闘じゃねえさ、そうだな…」


ただ、遥か遠くを、見据える。

街道はどこまでも、曲がりくねって続いている。

選ぶのであれば、危険極まりないが、道なき道とて行ける。

遥か遠く、妖精殺しと名高い山々は雄大で、幽き神々の御業を強く思い起こさせた。


夜明けから伸びた朝日は、燦々と誇らしく、大地を照らし上げている。

夜明けの空は、どこまでも青く澄んでいて。ただ自然と、清々しく、死ぬにはきっと良い日だなと、心の底から思えた。


良い旅立ちなのだ、きっと。


故に、俺はただ笑って、彼に言葉をう事にした。


「ついて来れるか?」


「え…?」

「グリンには乗せん、速度も一切緩めん、お前の執念で、俺達に追いついてみせろ。そうすりゃお前の価値だ」


臆病だろうが、物知らずだろうが、手が届かなかろうが。所詮この世は2つに1つ、やるか、やらねえかだ。

俺は彼を成し遂げられる男と、見込むことに決めた。たった1人でこの場に立つことを決めた。彼をだ。


「執念…」


少年は握り込んでいる方の拳を、ぐっと強く握りしめた。…なるほどな。


「貴殿の歩む旅路が、渇望を満たし、幸福に溢れる事を祈るぜ。あばよ、吸い殻の決闘者」


俺は1度も振り返らず進むと決めた、それがこの場での決闘の習いだと、強く感じたからだ。

彼が俺と再会して乞い願う間、ずっと握りしめていたモノ。

なんとなく見抜き、そうであると願い、それに思いを馳せた。





決闘相手の宣言を聞き、彼はもう1度、たった1人で覚悟を決めた。


腰には棒きれを1つ、ブカブカの背負いカバンと、家から持ち出した保存食と地図、松明。毛皮束。銀貨。手製の荒縄と、ナイフ2本。


そして、示された思いをひと握りと、ひと振り。


真剣などさっきまで握った事もない。魔法もろくに見たこともない。都合の良い強さなどない。

おそらく彼は死ぬだろう。


一瞬先か、1日先か、1年先か、天寿の果てか。

いずれにせよ、死を避ける法は、あり得ない。


それでも、それでもなのだ、だからこそなのだ。

未知に対する欲望だけは、夢見るように深かった。


「……よし!」


故に。

彼は、未踏の地に1歩を踏み出した。

生涯、決して忘れ得ぬであろう、その1歩を。

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