第15話 尋常無き迷宮譚

マリオラ氏の遺体は、迷宮の3階に放置されていたにしては、ほとんど損壊していなかった。彼は死しても剣を手放さなかったらしく、鞘ごと抱きしめて亡くなっていた。


「自慢げに、見せとったからな……、きっとこのつるぎが、護ってくれたのじゃろう」

「マリオラの、鍵屋のおっちゃん……」


冒険者の流儀である。遺髪を丁重に回収し、本人の手帳に挟み、簡素ではあるが葬儀を行う。そして、代表してタロッキに、火吹きで荼毘に付して頂いた。


そうしなければ動く屍として、迷い出てくる可能性がある。死者を更に炎で苦しめる行いだと、非難する者も居るが。生者の安全には変えられない。

火と灰でしか、すすげない物はある。


そう離れずに彼らの足跡の痕跡は見つかった。足跡は落とし穴の手前で途切れていた。周辺の滴り落ちた汚物の痕跡から、ドラゴンから撤退後。動く屍達に追い詰められて、一緒に落ちてしまったようだ。


穴は洋燈ランプで照らしても、底はまったく見えず。小さな瓦礫等を落下させて調べると、相当深い事が分かる。唯一飛べるタロッキが願い出てくれて、穴の底を偵察する事になった。


「じゃあ、穴の底見てくるね」

「見てくるだけで良いからな。無理するなよ」

「動く物があったらすぐ戻るよ。まっててお兄ちゃん」

「…すまん」

「そこはありがとうがいいかな。戻ったら聞かせてね」


彼女はすぐに帰ってきた。穴の底には大量の血痕と、汚物が散乱していたが、遺体は1つも無く。荷物だけが残されていた。

タロッキが荷物を回収して調べると、冒険者手帳には残り3人の名前が、残念ながら書き綴られていた。


「姉ちゃん…、どこに行ったんだよ……」

「……………厄介。やも知れぬな。妖姫殿。今一度確かめたい。上階に上がる道は、引き返さぬでもつね、征けるな?」

「少々お待ちを…………、はい、落とし穴などありますが、別の階段と、昇降機もあります。…あぁ」

「崇美殿、妖姫殿。……紙殿もか。…っ…、角回しよ、疲れたであろう。少々ここで休まぬか。儂も腰がいとうてのう……」


曖昧に笑って、御老は腰をぽんぽんと叩いている。だが俺は見逃さなかった。否。見逃せなかった。見逃せる訳が無かった。一瞬。まばたく間もなく、彼の背に、その向こう側に。

角持つ鬼が、見えた。


「え……、あっ、俺か、いや……、でも」

「良いから休もうルマンド、私もあなたも魔力空っぽですし、少し休まなきゃ、ね?」

「え………、だけどよ………?」

「そうだな。少しでも魔力を回復してもらった方が助かる。それに、ドラゴンがまだいる「速やかに眠らせて貰います。お休みなさい」お、おう……」


ある程度落とし穴から距離を取って、荷物を置いて、テキパキと寝袋を敷いて彼は眠り始めた。そんなに怖かったのか。怖いわな、うん。疲れていたのだろう。冒険者らしくふてぶてしくなったな。


姫さんも少し離れて並んで寝始めた。寝る直前に、御老へと1度だけ無言で頭を下げて、礼をして眠ってくれた。


「由。では拙者は、雉を撃ちに征く」

「お供致しましょうか。御武家様?」

「要らぬ。冒険者われらの流儀では過去かわやの中は覗かぬがつねよ、…そなたは尋常な崇美ではないが、それでもじゃ」

「………ちぇ、ふられちゃった」

「もし、拙者が戻らねば、迂回して帰られよ。紙殿、崇美殿。…本懐こそを、任す」

「御意」


俺の答えに不意を打たれたように、鬼の気迫を漲らせる武士は振り返った。いたずらっぽく片目を閉じると、彼は、応じるように不敵に頬を吊り上げ、来た道を戻って行った。



暗き道を、唯1人、唯1振りつるぎ帯びる武者が征く。

そう遠い距離ではない。振り返れば陽のように朗らかな。若者たちが待っている。

心強きものだと。武者は感じた。故にこそ、覚悟は決まった。

武者は振り返らなかった。ただの1度も振り返らず。暗き道を照らしながら、突き進む。


やがて、彼は竜が仮死ねむる。仄暗い玄室へと足を踏み入れた。


玄室。或いは玄室くらきや

古くは中つ国にて、暗き部屋を示す言葉。

転じて。生き、死した者を葬儀の日まで、静かに安置すべき場所。

元来。神職か葬儀屋。死化粧を施す者のみに入ること許された。用向き無き者に、決して脅かす事許されぬ、ある種の聖域。

冥府に最も近く、死者が常に横たわる場所。


そこに、人の姿は無い。在るとすれば、鬼。


「推参した。茶番をやめよ。…拙者達は既に、はかりを見斬っておる」


鬼であり武者たる者は、口火を斬りながら、みずからの鯉口を、指先で押し上げた。


迷宮に、宝箱はある。宝が詰まった箱である。

宝とはかけがえのなきもの。財宝。財を守るはいつとて、大翼持ち火吹きにて、賊共燃やす竜か、大力たる手力たぢから持つ鬼か。塵芥の油断ならぬ魑魅魍魎ちみもうりょうか…、卑劣非道、悪逆たる謀略わな、である。

とすれば、此度の沙汰。かの少年に取って、最も大事な宝とは、致命にこそ至る罠とは、如何なる物か。


ひたり。ひたり。ひたり。

風が傾ぐような音が3つ。黄泉路への蓋が、開く。

ずべた。ずべた。ずべちゃ。

ひとりでに、否。中身が飛び出て手足を伸ばし、石組の床を這い始めた。同時に、箱のどこに詰まっていたのか。黒吹きの瘴気が勢いよく漂い始めた。


四肢はある、だが潰れて久しい。潰れた四肢で、腰で、折れた骨で、残ったと顎で、石床にすがり動く。

爛々と澄んでいた瞳は落ち窪み、狂乱たる赤を、人外たる紅を血走らせる。

瘴気は傍らの竜を覆い。じわり、じわりと身を脅かし始めた。まるで、その身を冒し掠めるように。


「黒吹きの瘴気は苦しかろう。しばし、耐えられよ」


ついに、怨嗟が声高く、喉から吐き出された。

この場に居るのはすべて、悪成す鬼である。故に。


「鬼畜外道、悪鬼羅刹の所業。今こそ切り捨ててみせようぞ。いざ尋常…、ならず。勝負」


悪鬼を真に宿す武者は、剣客としての術を、心して抜き放った。


潰し、とどめるだけなら戦士で出来る。

身を滅ぼし祓うだけなら、僧侶で出来る。

しかし、つるぎ持つ鬼武者は此度。傷を微塵も残さば、己に負けと深く断じた。

故に、最も長じた技で挑む。最も重ねた業で挑む。

上段に、刃を構える。


曇りの無き鏡の如く、静かに湛えた、水の如き心。

騒ぐ馬脚か猿が如く、意思を定めぬ、止め難き心。


相反する心を携え、己のうちからこえを見い出す。一時、すべてを遠くに置く、戦であることも忘れ、ただ一刀に、専心する。


……見えぬ。


(そうゆう時はね?、いっそ目、閉じちゃいなさい)

窮地にて、大恩ある戦友ともの、授けられておらぬはずの幻聴ささやきが、しかと木霊した。


然り。見えぬモノを斬るに。目など、…不要。

静かに、閉じる。

こより、束ねる。

しばし、佇む。



斬る


ぬたん。と、響き。

ただ一刀ひとふりにて、万事太平の世の如く。瘴気は欠片も遺さず、玄室から霧散していく。


「精一杯の跡始末。確かに頂戴、つかまつった。切り捨て、…御免」


すべてを終えて玄室に響いた音は、斬るべきを斬った。刃を鎮める鍔鳴りの音。ただ1つのみだった。


玄室には、先程まで啜り泣く声が響いていた。

俺達は御老が帰ってきたあと、彼が用を足す間に偶然見つけたと言う。バンプス氏。ルゲルグ氏。そして、ルマンドの姉である、ベレイ女氏の火葬準備を進めていた。

遺体は落下死と時間経過による多くの損壊こそあったが、皆穏やかな表情で石床に横たわっていた。



「本当に、いいの?」

「ああ、俺の手で送ってやりたい、悪いが手伝ってくれるかな…」

「いいよ。でもそういう時は……」

「ありがとう。タロッキちゃん」

「うん……」


唄が、流れる。

竜と相対した時とは、まるで別物のように。優しげで、いたわりある声音こわねが紡がれる。

それは、仄めく暖かい火と灰と、涙に濯がれる子守唄。魔の囁きを宿す少年と、翼持ち、角持つ少女は。手を握り合って、寄り添合って2人。天に昇る彼らを、厳かに送りだしていた。


「さらば…、おさらば。灰と火たちよ。願わくば、竜の身許みもとで、また会おう」



全員のお骨の1部を硬い箱に収め、宝箱の中身を荷物と選別し、昇降機を目指して進む。可能な限り探索を行ったが、残りの2人の遺体は残念ながら発見出来なかった。

散発的な戦闘こそあったが、3階に降りて2日後の朝。ようやく地上への螺旋階段前に帰還した。

俺達は御老とルマンドに、全員相談の上でこの村に来た経緯を、話せる範囲で打ち明けていた。


「フザケてやがる………!」

「斬るか?」


タロッキと出会った時の事は話さなかったが、2人とも、青筋立てて憤慨してくれた。まあ当然だよな……。


「気持ちはわかるが、向こうももう、賞金首確定だ。払う奴が社会的に信用がなくなれば、賞金ギルドは姫さんの回状を取り下げる」

「うむ。…賞金ギルドも地に堕ちた物じゃな、50年前は無辜の民草を標的にしてしまうなど、即その場で自刃物じゃぞい」

「阿呆の仕業か、賢しい罠なのか、ここじゃ判断は付かないよな……」


ルマンドの言う通り、今回の一件では不可解な事が多い。ある程度の推測はできるが、所詮推測に過ぎない上に、何処まで行ってもただの迷惑行為なので、直接的に関わりたいとは思えなかった。


「それでキキヤマ様、申し訳ないのですが…」

「うむ、相分かった2人とも。万事任せい」

「様子をみてくりゃ良いんだな、すぐ戻るぜ」

「あたしも行くよ! 空から見れるからね!」


古城の跡地で目立たないように、知り合いの冒険者たちと雑談しつつ、警戒しながら待っていると、3人はすぐに帰って来てくれた。


「荒っぽい連中は増えてるが、ほとんど下界目当てみたいだ。近いからな」

「空から声をいっぱい聞いてたけど、ヒメサンの名前を言った人は、居ないみたいだったよ」

「各所回ったが、妖姫殿の回状は1枚も張り出されておらぬ。万全を期すなら夜だが、おそらくまだ、必要はあるまい」


全員で警戒しながら帰還し、冒険者ギルド支部へ帰還した。数日前よりは職務が落ち着いたようで、職員たちも忙しそうだが、以前よりも血色よく仕事を行っていた。疲れて帰ってきた俺達を、アリリさんは朗らかな笑顔で、快く出迎えてくれた。


「お疲れ様でしたぁー! どうでしたか? 初めての冒険は?」

「すっっっごい楽しかったぁ!可愛いウサギいたよウサギ♡3匹だけだったけど!」

「え、………3階、ですよね?」

「否。1階じゃ、見立てでは生き残りが2階層は上げておるようじゃ。仔細を語ろう。…話さねばならぬ事が、多くある」


ギルド支部に集まっている情報と照らし合わせると、やはり危険度は普段よりも格段に上昇していたようだ。御老の見立て通り、2階層ほど上がっていた。


(そうですか、緑鱗竜ドラゴンに、憑依魔神箱マリス・ミミックが……)

(うむ。黒吹きの瘴気に対して、警戒報告を厳密に頼む。8階層扱いでじゃ)

(承知しました。最優先で報告させて頂きます)「今回も、お見事でございました」

「なあに、未だ紙と文字を分かつ事も能わず、非才の身にて、…候」


「なんだ、内職話かな?」

「いえ、ご冥福をお祈りします。ルマンドさん。大変、お疲れ様でした…」


アリリさんに報告を終えると、鎮痛な面持ちで涙を滲ませながら、彼女は頭を下げた。


「姉ちゃんと仲良かったもんね、アリリさん…」

「はい…、お悔やみの文を、預けさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


「勿論。…それで、オーク達からの警句、なんだけど…」

「各支部長並びにギルドマスターへ、緊急の案件として、冒険者様方による詳細な探索、情報公開が行われると思います。…ただ」

「7階層より下へ行けるのは、この村では儂と彼奴らのみか…」

「はい…、鉄砕き様方に、緊急の依頼になるかと。いずれにせよお疲れ様でした。どうぞ皆様、御自愛下さい」


アリリさんに挨拶し、俺たちは水煙草シーシャ亭へと戻って来た。十分な休息を取る前に酒と食事と、冒険中手に入れた物品の分配を行う為だ。冒険者にとって、1番楽しい時間だ。

今回。宝箱の中身を選別して、代わりに使う予定だった、長持ちする医療品を分けて、宝箱の中に置いてきた。

これも冒険者の習いだ。持ち出したのは魔術品の品々だった。

今回の戦利品はドラゴンの髭、マリオラ氏の剣。魔法の守護石。矢返しの指輪。呼吸の指輪。魔銀の潤剣ブロード・ソード、様々な呪文の巻物スクロール各種。良くわからん小さな吊り鐘。小さく高価な金銀財宝各種、そして、炸裂火球の魔法杖だ。

どれも外地では数年、或いは数十年は遊んで暮らせる大物だった。


「儂は換金できる財宝だけで良い、皆で道具や武具は分け合うと良い」

「よろしいんですか?」

「構わんよ、似たような物をいくつか持っておるし、此奴以外使うと拗ねるでな」


御老は刀をまた折り曲げて、びよびよ言わせながら快活に笑った。手遊びはしていいんだろうか。何故か俺は尻尾を勢いよく振る、犬を撫でている様子が頭によぎった。


「はいはい! あたし、このベルがいい!」

「あ、それ!…まあいいか、じゃあ俺、この杖で、研究用に最適なんでな」

「じゃあ俺も主に、呪文の巻物スクロールだな、欲しいのがあったら分けるぞ」

「私は呼吸の指輪を貰いましょうか、腕輪と併用すれば、ある程度楽ができそうですし」

「お髭!お髭頂戴!、腰縄にするの!」

「おまっ……!、ええい!、俺この石な!文句なしだぞ!」

「ふふふっ、指輪2つ頂きです。やったぜ」

「じゃあ、俺は剣をもらうか。2本差しも慣れねえとな」

「あとは、お兄ちゃんが持ってくでしょ?」


マリオラ氏の剣について、ルマンドは即答しなかった。彼なりに色々考えているのだろう。彼が見つめている剣は、両手持ちもできる柄の長い広刃剣ブロード・ソードで、切っ先が反り返った品だ。円形、狭めの鍔には鉄輪が4つ。柄尻に丸輪の拵えと、革の鞘で刀身を収めている。剣士でない彼の手に余る代物なので、決めかねているようだ。


「……角回しは、今後はフリッグスへ戻るのであろう?」

「え……、一緒に来ないの……?」

「悪いなタロッキちゃん。親父たちはフリッグスでさ、…姉さんを、会わせてやらねえと」

「そっか、………やだなー、やだ、いやだよぉ…」

「ちょっ……、タロッキちゃん……」


いじけながらタロッキは、ルマンドにゆるりと尻尾を回して、大きな翼ごと軽く抱きしめた。少し啜り泣いてもいる。その様子にルマンドも慌てていた。


「タロッキちゃん、その、言いづらいけど、わがままは……」

「姫さん、まあでも、泣く子にゃ勝てないよな…」

「よし…」


その様子に彼は、タロッキを慰める良い考えが浮かんだようだ。彼は広刃剣ブロード・ソードをタロッキに差し出しながら話しかけてくれた。


「これ、預ける。だから返しに来て、また会おうよ。だから泣かないで、な?」

「うん……、うん……、絶対、約束だよ?」

「好し、では気を取り直すため、宴を始めよう。ここの川魚は美味いぞ! 崇美殿!」

「本当! じゃあ早く食べようよ!早く早く!」

「ヘヘっ、俺もそれにしよう」「私も!」「俺も」

「「「「「かんぱーい!」」」」」


ルマンドは宴の途中で、何度か寂しそうな顔を浮かべていたが、今笑っている顔を少しでも守れたのなら、それはきっと、俺達の冒険で得た、欠け替えの無い宝なのだった。





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