第13話 流儀
迷宮に入って油の消費量から、丸1日と少し。俺と御老だけで交代して見張り、休息を取った。迷宮の暗闇の中では、想像以上に体力と気力を消耗する。早めの休息は取れる内に取って置くべきだ。
ハマキのもたらした情報は、地上に帰る時に伝えるつもりだ。奴が置いて行った冒険者手帳には、ネラリア。ウロムク。2名の手帳があった。
内容を確認すると、御老が本人の物で間違いないと断言していた。
「1年内の夜に、死がやってくる」情報を綴った書き置きは、いくつかの玄室に残し、俺たちは俺達のやるべき事を見据えて、地下に足を向け続けた。
1階の入口と対になり、奥に同じように滝が落ちている広場へとたどり着いた。
手頃な厄落としの獲物として、2階へ続く螺旋階段の前で、鼻をひくひくさせている、
飢えた野犬のような姿の亜人種だ。体格もその程度で、薄い体毛と、3本の爬虫類のような足先と指を持ち、小柄で貧弱ではある。
この迷宮特有の奴らの種族最大の特徴は、側頭部から左右に生えている、一見犬耳のように見える角だ。
嗅覚が見た目通り鋭く、角を含めた頭部が異様に硬い。硬い頭部を生かした、猪のような突撃戦法は、貧弱な彼らからは想像できないほど、恐るべき威力を誇る。
迷宮の外に居る、品性のある毛皮持つ
怪物の3要素を満たす。本物の恐るべき悪鬼だ。犬並みの嗅覚も厄介で、こちらに気づきつつある。
発見した時点で、手信号で戦闘の合図を送り、即座に素早く射掛ける。隣でロング・ボウのしなる音。既に御老は1矢を射掛けていた。見事に目玉と脳髄を撃ち抜いて、1頭討伐した。
「ギャッ!、か……かか、…かぺぺ……」
「来るぞぉ!かかれぇ!!」
「ヴァオォーーーーーーン!!」
俺の号令と1頭が大声で吠えて、戦闘が始まった。何本もの角を同胞と突き合わせて、傷つくのも構わず囲み、一斉に飛びかかってくる。
落ち着け、…弓は間に合わんし、止められん。剣も駄目だ。……なら!
「そっ!、こおぉ!!、はっ!」
カチ合う瞬間にあえてこっちも飛び込んで、飛び膝蹴りを噛まして押し込む。そのまま左のガントレッドで殴り抜ける。怯んだ隙に抜刀して、ロング・ソードで1頭をかっさばく。
やはり抜き打ち対応品は良い。右腕1本でも剣を抜ける。使い易い。血溜まりに沈む1頭をわざと見据えさせ、
「ガ、ガルル……!」
「よいしょ!」
「ギャッ…!?」
長い尻尾に数頭纏めて吹き飛ばされた。見事な横薙ぎで、壁にすべて激突して、…うはっ、背骨と腰逝ってるな。股の間に頭から折りたたまって、痙攣してやがる。尻尾の先端にあたった1頭は、頭をよく熟れた果実のように割られた。血の雨が酷え。
「わっ、わっ、わっ、うあぁ! ひぃぃ…!」
見れば間合いを取り違えたのか、ルマンドが粗悪な剣を振り回す2匹に追い回されていた。位置が悪い、駆け寄れん。そのまま壁に激突したコボルトに、足を取られてコケてやばいっ!助け…!
「足元ぉ!、 使えェい!!」
「!っ…ぐっ、ぬっ!がああああああああ!!」
御老の檄で形振り構わず必死に、それを振り回して、戦い始めやがった。ハハ…。
「おぉ~…」
「…やるじゃん。ルマンド」
ルマンドがぶん回しているのは、足元に寝転がっていた、背折れ腰折れの
「紙殿、任す!、追える者は付いて参れぃ!」
「了解!……、どうどう」
「フー! フー! フー!…、ふー…」
血走った目で野蛮に息巻くルマンドを、馬にそうするように落ち着けた。御老と追撃に向かったのは、姫さんとタロッキだ。あっという間に螺旋階段の向こう側に見えなくなった。
「トドメ刺すぞ。油断、するなよ」
「はー…、はー…、うぐっ…、はい…!」
しばらくすると御老達が帰ってきた。刀は鞘に収めていないが、終わったようだ。御老とタロッキは息を切らしていないが、姫さんは息を切らしている。
「ウサギいたよウサギ! すっごい可愛かった♡」
「血染めが全部持って行きおった。3匹じゃ」
「…少ない、ですね?」
「うむ。ここまで上がって来るとはのう…」
血染め兎。
通常5〜6匹以上の数で狩りをする肉食兎だ。毛や髭の1部を、一瞬で刃物のように硬直させて、長いヤスリかノコギリのように、首元を深く削り落として来る。
当然。縫合なども間に合わないので、非常に厄介な傷跡になる。殺意の高い恐るべきウサギだ。
目立つ真っ白い毛や、数匹がわざと大きな鳴き声や、大きな足音を立てて振り向かせるなど、視線誘導を得意とする。まるで狼のように組織立ち、連携した狩りを得意としている。
だが対処はかなり楽な部類だ。まず小さいので、一匹一匹は楽に殺せる。沢山は食べないのだろう。適当な血肉でも満足して巣に帰る。
前足がかなり短く、四肢もつ体の構造上。下り坂はかなりとろい。不利を悟ると、逃げ出す賢さもある。通常は3〜4階に居るんだが、ハマキが言うように、逃げてきたのだろうか。
「翼。本当に大丈夫ですか? 痛くない?」
「ぜんぜん。むしろ思いっきり、はじき飛ばしちゃったし…」
「いつでも薬はありますからね。軟膏だけ、後で塗りましょう」
「うん!塗って!ゔぇへへへへっ」
「よくやった。ルマ坊、…犬回しとでも、渾名はどうじゃ?」
「勘弁してくれ、教官…」
「…それ、芸の名前か何かでは? 御老」
「左様。故郷の芸座じゃ。むうぅ…。バレてしもうたか…」
軽口を叩きながら警戒しつつ、
目を離した隙に、タロッキが死んだコボルトの肩に噛みついていた。毛皮ごと軽く火で炙って噛み千切っている。焦げ臭くもない。器用なもんだ。
「そんなもん食うと、腹壊すぞ」
「うん、美味しくないや。行こっか」
少しその場で休息を挟み、螺旋階段を警戒しながら降りて、2階に到着した。油の減りから2日は経っていないだろう。
地下2階はとても広い部屋に、太い豪華な石柱が何本も等間隔に立ち並ぶ。その間に出入り口がいくつもあり、その奥には上り階段や、下り階段が多く見える。
如何なる幽き神々の御業か、それとも失われた魔法か、篝火が絶えず燃えていて、やはり不気味に影を踊らせている。
床石はいくつか割れていたが、中応の円形陣は健在で、その直ぐ側には2人の盾と剣持つ戦士の銅像が、物言わず、動かず戦っていた。
2階は、血で血を洗う激戦区だったらしい。
ボロを纏った蠢く死体の四肢。同様の白骨死体の欠片。多くの血染め兎の死骸。角大蛙の死骸。ならず者、食い詰めものなどの死体。潰された、いつの時代とも知れない多くの金貨、銀貨の残骸…。
むせるような戦の後遺された、死の景色が、其処にあった。
「姉ちゃん…」
「…ごめんね」
「どうして謝るんだ、タロッキちゃん…?」
ルマンドはタロッキの事情を知らない。直接ではなくとも、遠因ある死体たちに、彼女は申し訳なさそうに謝っている。
「ちょっとね、行こうお兄ちゃん。お姉ちゃんを探さなきゃでしょ?」
「あ、ああ…」
ギルドに報告する為に、姫さんに書けるだけの死骸を、地図に詳しく書いてもらった。姫さんもこの量はあまり慣れていないのだろう。途中で青ざめ気分を悪くして、俺と交代した。
案内をルマンドと分担し、時々異音がした場合。御老か暗視の魔術を受けた俺で偵察した。徘徊している生き残りの怪物を、潜り抜けて進んだ。
油の減りから3日目。おそらく朝。螺旋階段を降りて、3階の広場に辿り着いた。通る予定の通路は1階に似た構造だ。レリーフに首長く角があり、四肢を持つ奇妙な動物が追加されていた。抽象的過ぎて何がモチーフなのか良く分からない。ドラゴンでもなさそうだしな…。
「地図によると、この先は這い上がれない落とし穴が多いそうです。正しい道に誘導しますよ」
「頼む。念の為これで突いて征くかのう」
姫さんの地図案内を受けて、御老は楯の端をつかんで、床にカツカツ当てながら歩み始めた。俺も同じように背負い袋から、組み立て式の伸ばせる丈夫な棒を取り出した。たった1銀貨で購入できて、最大俺の身長の倍弱伸ばせる、便利な代物だ。
同じように床に棒を当てながら、調べて進む。
「………………?」
「どうした、タロッキ?」
「………なんでもない。カミキレ、足元に気を付けてね」
「むっ………!」
通路を進んだ先。最初の玄室の扉前で、御老が扉との距離を取りつつ立ち止まった。見ると姫さんとタロッキも耳をそばだてている。聴覚の良い3人が警戒している。中に何かが、居る。一方通行で、回り道はできそうに無い。
正体不明の何かを刺激しないように、呼吸を潜めて足音を殺し、通路を戻った。
「………わかるか。崇美殿?」
「息してる、亜竜だね。1頭だけ、その部屋の中で待ち構えてるよ」
「ほう、わかるんじゃな……」
タロッキの返答に、御老の感心した相槌が漏れた。よくよく注意して聞き耳してみると、かなり長い呼吸音が、扉の嘲笑うような覗き窓から、ほんの僅かに漏れ聞こえて来る。姫さんは頭巾の上から分かるほど、耳をくくっと立たせ酷く緊張している。見れば、がっくりとルマンドは肩を落としていた。
「ドラゴン…、かよぉ…!」
「恐れるな、坊。初迷宮に竜退治なぞ、末代までの誉れぞ、それに…」
「巣を追われた手合。配下も無し、退治にしか、ならない。ですか…」
「…………?」
俺の一言に、御老は静かに頷いた。姫さんとルマンドは怪訝そうに顔を見合わせて、言葉の意味に思い至らないようだった。
「崇美殿。では此度の竜対峙、如何にする?」
「ヒメサン、炎は使える?」
「ええと、
「十分。お兄ちゃんは?」
「そりゃ、仮にも炎専門だし…」
「うん。おじいちゃん、斬るのは任せて良い?、…みんないい? お部屋にぽっかり穴が空いてたら、ここに全力で逃げなきゃ駄目だよ」
「カカッ、満点以上じゃ。…故は聞かぬぞ崇美殿。
「お気使い、痛み入ります。…斬れる、御武家様」
彼女は一体、どこで覚えて来たのだろうか。織り目正しく艷やかに。楚々とした一礼を御老へと捧げてみせた。それこそ、崇敬したいほど美しい所作だ。まるで、彼女がそうする事を、既に知っていたかのように。年老いた武士は、ただ微笑んでいた。
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