第12話 迷宮

翌日。即席ではあるが、ある程度の訓練を終えて、倒壊してしまった古城の前に向かった。眼下には長閑な村の風車が回る風景と、反対側のタロッキが破壊した様々な跡が見える。まるで左右の目で、正反対の景色を眺めているようで、乾いた笑い声が出てしまった。


周囲には迷宮に挑む他のベテラン冒険者達が、出立の準備を進めていた。俺は吸わないが、7つ星刻印の煙草を配って咥え、火をつけずに顔見知りの冒険者と情報交換をしていた。迷宮に入る前に、強い匂いは厳禁だ。煙臭い煙草も当然吸えない。


「今回は断ったが、どのあたりまでだ、紙切れ?」

「3階なんだ、青草君はどこまで?」

「5階だ。昇降機で4階まで降りて、灼熱竜レッドドレイク様をストーキングして来いってな。下界騒ぎから中メチャクチャで、儲けれるが、危なくってしょうがねえや」


偵察に優れた彼ららしい仕事だった。灼熱竜レッドドレイクは亜竜種の一体で、火吹きを行う亜竜の中では俺も挑めない強敵だ。下手をすると丸焼きにされて、餌にされてしまうだろう。


「幸運を祈る」

「そっちもな。帰ったらやろう」


彼はいつかの姫さんと同じく、1杯飲む振りで仲間の方へ歩いていった。俺は、準備を進めている4人に向かって足を向けた。


「2人とも、遺書はしっかり書いてきたな?」

「書いたよ、ダイヒツして貰ったけどね」

「書いたぜ。俺が死んでもフリッグスに居る親族が受け取る。ここが、入口なんだ……」


崩壊した古城の瓦礫は下界へと投げ捨てられて、一部は下界へ降りるための階段のように再利用されている。

残った円形の入口は石の柱が数本残っていて、崩れた壁に囲まれている。丸く彫り抜いたような形で螺旋階段が続いて、底の方は日光がまったく届かず。不気味な虚を覗かせていた。


「由。入る前に各々方、もう一度装備を検められよ。ルド坊は儂と、崇美殿は全員を回って、調べ合っておくれ」

「了解」


宿を出る前に行った。装備の点検をもう一度行う。

今回の依頼ではキキヤマ御老は、東列島産の正面に吊り下げた長側、立拳たてあげのみの胴鎧。軽めの腕当て、脛当て無しと言うかなりの軽装。兜ではなく、大きめの鉢金1つに、黒漆打刀拵の刀。そして、俺と同じく背負い袋と共に、安価な矢、ロング・ボウと、薄めの持楯を背負っている。


俺は今回、脛当て無し、革の胴鎧と腕当て、いつものガントレットは肩部を無し、あとは遮光ゴーグル付きの2重鉢金だけだ。鎖帷子は重く、修理中なので今回は着込んでいない。

ロング・ボウと持楯は使い潰すのが容易で、簡素な防衛陣を製作でき、かつ板として動けない者を担架のように運ぶ事も出来る品だ。お値段およそ銀貨150枚。(根切り交渉あり)


眼の前の姫さん、タロッキは相変わらずだが、ルマンドは茹であげていない軽い革鎧に、鉢金。短刀と杖1本。医薬品、食糧を詰め込んだ背負い袋のみだ。

今回は探索、拙速と移動こそが最優先される依頼だ。みんなで相談して装備を持ち出している。


「油の量、合わせるぞ。蓋を閉めるのも忘れるな」

「……これで、いいかな?」


タロッキは慣れない手つきで、洋燈ランプの油量を整えた。火をつけ油の減少で、迷宮内部での時間経過を知る為だ。

冒険者になった記念に俺が買い与えた物で、彼女の無事を祈って購入した。丈夫で俺とお揃いの、信頼性の高い無骨な品だ。お値段は高めだが、希少価値プライスレスだよな。


「教官。やはり中は、…荒れていると?」

「3階までなら何度も足を運んでおる、ただ、のう…」

「下界の影響が、良く分からない。そうですね?」

「然り、妖姫殿。迷宮は常に何が起きてもおかしくはないが、斯様な状態は儂でも経験がない。今回こそ油断せずに征くべきじゃろう。だが……」


俺と御老は他3人を見回して、頷きあった。彼の考えていることは、容易に想像できる。


「初戦はあえて、手頃な獲物を狙う。…厄落としですね?」

「うむ。選定は紙殿に任せる」

「ルマンド。全部終わったら姉ちゃんと飲めよ。俺たちにも、1本奢れ」

「………はい!、紙切れさん!」


鉄バケツを横にしたような、龕灯がんどうを腰に吊り下げ、中の洋燈ランプに火を灯す。

迷宮に、足を踏み入れた。


どこまでも続きそうな螺旋階段を、一歩一歩慎重に降りていく。風がなく、どこか据えた匂いと気配が漂い、閉鎖空間独特の圧迫感と、洋灯に揺れる影が古びた煉瓦の壁に、不気味に踊っている。

ただ暗闇を進む。それだけでじわり、じわりとほんの僅かに、何かを失っていく。


私語は厳禁だ。「魔術師の悪口を言っただけで、突然原因不明に即死した」なんて類の話は、まさしく分厚い紙束の如く、枚挙に暇がない。

隊列は御老、俺、姫さん、ルマンド、タロッキだ。俺とタロッキの位置は迷ったが、経験のある俺よりも、空を飛んで簡単に移動できるタロッキに殿を任せた。


この隊列なら体格もおおよそ視界を覆わない。タロッキの尻尾による、足跡の隠蔽も少し行える。見落としも無いだろうと言う判断だった。


「音……?」


姫さんの囁きが後ろから響いた。次第に俺でも聞こえるように、水を大量に直接叩きつけるような、爆音がましていく。

かなり階段を降りて、螺旋階段を降りきった。短い廊下の先には、大き目の両開き大扉がある。素早く御老と目配せして、左右に押し開ける。


「うわっ………」


ルマンドの驚嘆する声が響いた。

目に飛び込んできたのは、日を散り散りに返し、石清水を叩きつける。奥の大滝。まっ平らな地面。怪物のように伸びる石灰岩の岩塔。絶景の地。

ルマンドとタロッキには早いが、駆け出しを終える冒険者に贈られる。無二の褒賞。もし、翼持ちこの大自然の地を、故もわからず永久とこしえに彷徨えと言われたら。喜んで頷きかねない。


大滝を背にして向かいの壁には、同じような大扉が開いている。目を凝らすと、遠くに動くものが居た。


屍肉喰いオーク

直立した豚のような、でっぷりとした体型と顔。薄汚い獣皮を直接纏い、体毛は薄く、足には二又に割れた蹄。泡吹き、乾いた血染めの乱杭歯。闇を見通す、碧く仄めく瞳の怪物。


俺は即座に矢筒に手を伸ばし、ロング・ボウを構えた。


「ブぉおお…!? ブぁっ…!」


それだけで屍肉喰いオークは驚いて、奥の扉へと一目散に逃げ出して行った。全員武器は構えていたが、ルマンドのみが魔術を放とうと、呪文を途中まで口に出して、中止した。


「今のは…?」

怪物モンスター屍肉喰いオークだ。その名の通り、臆病な死肉喰らい共だよ」


体長は本物の豚が立ち上がった程度で姫さんよりも小さい。大きいのもあまり居ない。腕力と髭はいかついが、臆病ですぐ逃げる。鼻は「魔力痕跡まで嗅ぎ分ける」と謳われるほど優秀だが、野生に還っている奴らは同じ怪物種の死骸や、死に体の冒険者を襲って食べる、忌々しい迷宮の掃除屋だ。


「たまに地上に来るオークとは、全然違うんすね…」

「武器持って、泡吹いてんもんなぁ」

「ルド坊。まだ呪文は取っておけ。先は長いぞ」

「うっス…、教官」


「………? これ、なあに?」

「また、慰霊碑ですか…?」

「ひぃ……!」


奥の扉前に進むと、姫さんとタロッキの視線の先には、ゴブリン達が建てていたよりもずっと立派な石碑が建っている。貨幣や壊れた武器。弔いの花。そして、人の頭骨が同じように祀られていた。


「いや、これは俺達のだ。……怖がってらんねぞ、ルマンド」

「う、うっす…!」

「この迷宮、最初の犠牲者と言われておる。屍肉喰いオーク達も、これには何もせん」


そう言って御老は背負い袋から包を取り出し、1輪の花を添えた。手を静かに合わせ祈る。俺達も交代しながら各々の方法で、短く祈った。


「時を取らせた。参ろう」


隊列を変えず。扉の向こうへ歩き出す。横幅は3人どうにか手を伸ばして動ける程度。床は様々な形の石組みで真っ平ら。対して壁は几帳面な煉瓦造り。

十本腕の蜘蛛、ドラゴン、四肢持つ動物のレリーフが上にすべて掘られている。

如何なる神秘か魔法の御業か、僅かに朽ちることも無く。不気味に、そして静かに通路は続いていた。


事前の取り決め通り、地図を持って道案内する役職。マッパーは姫さんが勤めている。

注意深く、暗闇に目を凝らしながら進む。分かれ道など無く一方通行だが、それでも焦れるような体力の消耗を感じた。

ランプの油を交換する頃。分かれ道に差し掛かった。


「静止せよ。屍肉喰いオークの足跡じゃ」


見ると、たった一つの二又足跡が、足元に続く埃を、踏みつけ続けていた。一見、なんでもない足跡に見えなくもない。


「………5人、ですかね?」

「否、…おそらく3人じゃ。2人は偽装じゃな」

「え? 足跡1つだけですけど……?」


姫さんとルマンドが、点々と続くたった1つの足跡を見下ろして、怪訝そうに首を傾げた。


「ブヒッヒッヒッヒ。ご明察。流石は御老公…!」


いきなりの声に、俺と御老を覗く全員が武器を構えようとしたが、御老が手を翳して止めた。俺はポーチから、煙草を取り出して挨拶した。


「よう、ハマキ、変わり無いか?」

「下界騒ぎから変わり事ばっかでさあ。紙切れの旦那はお変わり無いようで、何より…、ブヒ」


曲がり角から蹄の音もなく出てきたのは、大荷物を背負った、大中小の背丈の屍肉喰いオークたちだった。俺と会話したのは最も小さな屍肉喰いオークで、20歩ほど廊下の奥に居る。


「ふむ、ちょいと失礼…、ブヒ」


鼻を鳴らして、ハマキは匂いを何度か嗅いだようだ。たちまち手もみを始めて、厭らしい笑みが深くなる。俺はため息をついて、煙草から1本を取り出して火を付けずに咥えた。


「にしししし。新顔のフェアリーに、…………止めましょうか。今回の商談は。なんか後ろの翼持つ御仁が、こっち見ててめっちゃんこ、コワイんです……」

「お前でも真顔になることって、あるんだな…」


警戒しつつ後ろを横目で見ると、翼を広げてタロッキが、見たことのないまんまるの目で、ハマキを見つめていた。

前傾姿勢で尻尾を立て、威嚇しているようにも見える。実家の猫が生きている頃。ネズミを捕食する直前の姿を思い出した。御老も鍔に指を掛けている。話を早く進めたほうが良さそうだ。


「いつも通り、3箱でいいか?」

「ええ、ええ。では、何をお知りになりたいんで?」

「帰還していない冒険者の事だ、この子の姉で、3階にな。知らんか?」

「………ふむ」


ハマキは後ろの屍肉喰いオークに目配せしたが、残念ながら両方とも、首を横に振ってしまった。


「生憎、最近はご期待に添える、弟君に似た匂いを嗅ぎ分けられなかったようで。ですが情報なら、いくつか、ブヒ」

「いくらだ?」

「ちと、値が変わりすぎて足りませんな。髪の一房でも……」

「グル…」


姫さんを見つめて、軽く舌舐めずりしたハマキに対して、タロッキが苛立ちげに呻いた。同時に威嚇するように、尻尾の先端で床をカツカツ叩き始めている。まるでいつでもこれで串刺しにできるんだぞ、とでも言いたげだ。


「おおぅ…、本気でこわひ…、ブヒ」

「たった髪一房で、何がもらえるんですか、オークさん?」

「え、…よろしいので?」


ハマキは意外そうに俺と彼女を見てきたが、冒険者の取引は自己責任だ。姫さんの責任範囲だろう。何も思わないと言えば、当然嘘になるが。

姫さんは躊躇わず、腰に帯びた大ぶりのナイフで、翠なし、麗しくもうち振るう黒髪に刃を入れた。その仕草にタロッキとルマンドが、つい「あぁっ…!」と、声を漏らしてしまった。


「素晴らしい。貴殿は我々に、高価な敬意を払える女性と存じます。最近集めたこちらをすべて置いていきましょう。3階で拾いあげた物です。御三方への初回サービスと、怖い御仁と、気っ風の良い妖精の姫ヘ、お釣りです」

「ありがとうございます。ハマキさん」


奴は後ろの大きい屍肉喰いオークの荷物から、布に包まれていた、少し汚れた何冊かの冒険者手帳を取り出し、床にゆっくりと丁寧に布を敷き置いた。


「3階の様子ですが、4、5階の連中が上がっとき取ります。血染め共も逃げ出し、狭い道にデカい何かを引きずった跡も……」


「では追い詰められた、かのう…?」

「おそらくは…、あっ、ブヒ」

「お前その胡散臭い口癖さぁ…」


偶にこうやって付け足したりして言うんだよな。何度か情報交換しているが、少々呆れている。もしかして、もうこっちが癖なのかコイツは。


「ぶ、ぶひひ、愛嬌があってよござんしょ? それに、警句をもう1つ」

「なんだ?」


「1年内の夜に、死がやってくる」


ずっと威嚇していたタロッキの床叩きが止んだ。それぐらいゾクリッとする声音だった。まるで、生命の線そのものを、突然鷲掴みされたような……。

異様で不気味な空気に、俺は固唾を飲んでしまい。御老ですら目を細めていた。


「どう対応するかは、各々で、では置いていつもの通りに控えます、またお会いしましょう」

「あ、ああ、さよならだ。ハマキ。…あんまり、殺しすぎるなよ」

「それはいつでもお客様の態度と、値打ち次第ですなぁ…、ぶひひひひひひひひひ」


厭らしく不気味に笑いながら、バタンと扉を閉じて、分かれ道の先。玄室の一室に奴らは姿を消した。誰も、何も言わず。俺と姫さんは取引の物を紙の上に置いて、みんなで手帳を拾って歩き出した。


置き去りにされた一房の黒髪と、3箱の7星刻印の煙草だけが見ていた。ハマキの入った玄室の扉下。その隙間から、夥しい血の池が溢れて、広がっていく。

迷宮にいのちの流れ落ちない時間は、決して、無い。





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