第9話 タロッキ

周辺の雨はずいぶんと小雨になってる。幸いにもこれなら、暗視の目を凝らして追跡が出来るわね。…でもドワーフの短い足では、追いつけないかもしれない。

ドワーフであることが、問題になるなんて久しぶり。いつだって誰かを助ける為には、力と運命が足りないもの。…歯がゆいわね。


蹄の跡は途中で多く増えてる。こんな夜中に5騎も行動しているのは、かなり不自然。追跡かしら。いっそ2人が、ぐるっと戻ってくれると良いのだけど…。望み薄だし下手をすると、そっちの方が悟られたら危険ね。レーナちゃんこっちは、ろくに行き来した事がない筈だし。最悪地図があっても遭難しかねないわ。


ようやく予定の村への道を、半分通過した。その時だった。空に瞬く白星を見たのは。なにかしらアレは。そもそもこの雷雨なら、雲よりも低くなければ、星なんて見えない筈。しかも空を移動していて………。


ゾクリッ……、とした。生まれて、初めて。


「……………………、撤退、ね」


ない。これだけは、ない。例えクックがあそこで死にかけていても、足を進めてはいけない。それは彼の為に、少しもならない。ここはもう死地。否。死ぬ程度で私は恐怖しない。できない。多分。私の死体が残って、クックが腕一本でも回収できれば、かなり良い方。彼もそれを納得する。


「ごめんなさい。2人とも……!」


全力で踵を返して、生まれて初めて確実な消失から背を向けて、脱兎のように逃げた。本能でも、感でも、技術でもなんでも良い。今は少しでも自分が残る事だけを、全存在を賭けて手繰り寄せる。

数分も待たず、すべてが真っ白に染まったのは、そのすぐ後だった。



龍様ドラゴンの瞳は龍様ドラゴンにとっても大事な物であるらしい。触れれば死ぬ龍様ドラゴンの瞳が、どのようにして失われたのか、俺には皆目見当も付かない訳だが。


「じゃあ、あの龍様ドラゴンの目玉を、探してほしいと?」

「そうだよ。ボウケンシャのイライって言うんだっけ? それで、まずはあたしに呼び名をちょうだい、カミキレ。だって、すっごい不便でしょ?」


姫さんに目で問う。呆れたようなため息が出てきた。どうやら彼女は呼び名の件について、俺達2人で決めると言う条件を、譲る気は毛頭無いらしい。

彼女の姿を見て、考えてみる。色が真っ白い、大きな雪山のような女性だ。少女かもしれんが、それこそ祖龍様がおわす霊峰が、細面を白く化粧しているようにだ。


「タロッキ…」

「マナギさん…、それは…」

「知ってたか。でも、似合うだろ?」


冒険者なら誰でも知っている。とある創作小説に登場する。実際には存在しない、運命を司る女神。駆け出し連中にも、北の女性名ではよくある名前。だが、彼女にはそれしか無いと思えた。

当の本人は口で何度かつぶやくと、目をギラッギラに輝かせて、何度も俺と姫さんの顔をぶんぶん首を振って見始めた。本当に子共そのものだな。


「これも、縁でしょうか…」

「なんだ、姫さんは嫌か…?」

「いいえ、本人も喜んでますし、良いですよ」

「決定! じゃあ、あたしはこれから、タロッキだぁ!!」


よほど嬉しかったのか、彼女は姫さんごと、俺に飛びついてきた。機嫌良さそうにぐるりと長い尻尾で俺と姫さんごと巻き付いている。機嫌良さそうに翼を揺らしていた。

本当かどうかは分からないが、名字も無いとのことで、かなりゴネられたので、鱗を示すスクアーマと言う名字を送った。彼女は甚く気に入ってくれたようだ。


「それで、保護者と依頼の件だが……」

「姫さんにも言ったけど、今大変なんでしょ? 落ち着いてからでいいよ。でもあたしはついて行くよ」

「いいのか? 、…死ぬぞ」

「死なない、死なない、2人みたいに弱っちくないもん」


馬鹿にしているかと思ったが、邪な印象は抱けなかった。記憶にある現象もそうだが、ただ事実を言っただけと言う態度と感じた。

姫さんは何か言いたげだったが、邪気無く感じたのは同じだったのか、何も言わなかった。


「それで、紙切れさん。…報告したいことがあります。外に出て貰えますか?」

「え、ああ、何かあったのか」


深刻な表情で、先に姫さんは外に出た。俺達も外に出る。ハンココの村は別名風谷の村とも呼ばれ、断崖に挟まれた谷間に、ずっと草が瑞々しく生えた大地が広がっている。


谷の底を流れる川のほとりには田畑が作られ、いくつもの風車があって、風の力を利用して、川の水を汲み上げている。茅葺き屋根の民家が立ち並び、その煙突からは煙が上がっている。


小さいが冒険者ギルド支部や、火龍教寺院。酒場や、少し多めの宿屋、商店など。一通りはにぎわいのある村だ。

そして、谷間の上。崖の上には古城が1つ………。瓦礫と、化していた。


「あれは…? 地震でもあったのか?」

「その……」


あの場所は地下に迷宮があり、友好的な商談が出来る怪物種や、もっと奥深く進めば敵対的な怪物も生息していた。

この1年で何度か取引をしたし、この辺りでは駆け出しを終える登竜門の1つとして、訪れる者も多い場所なのだが……。

言いだし辛そうに、姫さんはタロッキを見た。タロッキは、曖昧に苦笑いを浮かべている。まるでしてはいけない悪戯をバレた子どものように。


ピンと来た。お前の仕業か。


「そ、その、…余波で、ちょっと…、生き物が住んでる所は、いっぱい避けたんだけど……!」

「タロッキちゃん」


氷魔術を突如浴びせる様な、姫さんの声が響いた。むちゃくちゃ機嫌悪そうで、タロッキは居心地悪そうに、しどろもどろし始めた。これは、相当絞ったな…。


「だ、だって!、みんなが弱っちいのが…!」

「それ口に出したら、絶好だって、顔も2度と見せんなって、あたし言ったよね?」

「が、がぉ……」


翼がしおしおと力を失って、トボトボと歩いて俺の背に彼女は隠れ始めた。背丈が違いすぎて、全然隠れてないが。


「言い訳は?」

「あい…、もうしましぇん……」

「まだ、言うべき事あるよね?」

「あい…、ぐずっ……」


とうとう彼女は姫さんの剣幕に、ぐずりと泣き始めた。ボロボロと大粒の涙を零している。叱られ慣れていないようだ。美人に凄まれるとめっっっちゃ怖いんだよな。ここまで不機嫌なのは、家の店で姫さんに、過ぎた性的イタズラした、クソガキ共以来だろうか。


「姫さん、それぐらいで…」

「マナギは黙れ」

「うっ………」

「ちゃんと自分の口で言いなさい。私と、ちゃんと約束したよね」

「あい!…。い、いっぱい、壊しちゃいました。みんな、殺しちゃいました。いっぱい、迷惑、うぅう…、ぐすっ、反省っ、してるもんっ…!」

「んっ…、絶対に、忘れちゃだめだよ?」

「あ、い……」

「紙切れさん…、ちょっと向こうまで、歩いてくれますか?」

「………………へぁ」


変な声が出た。歩いて角度を別にして観察すると、2つ連なって山の谷間になっていた地形は、ごっそりと半円形に、遥か彼方の地平線まで、どこまでも、どこまでも消失していた。



怪物種はどうしてこの世界に産まれるのか。こんな通説がある。この世界に魔力があるからだ。

魔力操作による物体操作は、何も魔術だけに影響を及ぼす訳じゃない。天然の自然環境にも、様々な影響を及ぼす。その影響の1つが、怪物種の誕生……である、らしい。


らしいというのは、俺が実際にその瞬間を目撃したことが無いからだ。通常彼らは他の生き物と同じく、雌雄を持ち、同じ種で生殖を行い、成長し、繁栄する。例外はあるが。

地震、竜巻、雷、大火事、親…は関係ない、大洪水など、極端な自然環境。或いは人災などの極端な人工環境になると、物体運動密度が高まり、逆説的に魔力運動密度も高まると言う理屈だ。

そうなると、自然動物や人工物に多大な影響を及ぼし始めて、怪物種が成体で誕生してくるのだと言う。

ここからは推測になるが、俺達が先日前討伐したゴブリンも、そんな産まれ方をした者が、何人かいたのかもしれない。


「で、アレがそうな訳か……」

「はい。熔岩貝無ラーヴァ・スライムですね。あっちは熔岩大蠍ラーヴァ・スコルピオンだそうです」

「あうぅ…、わ、わりと美味しいよ、燃えてるサソリ!」


血管のような模様の大蠍が、赤黒いアメフラシのような貝無スライムを、美味しそうに挟みで千切って食べている。望遠鏡で見た黒光りした地面の近くには、この辺りでは決して見なかった怪物種が産まれていた。


俺たち3人は、姫さんの案内で崖の上に続く回り道を登り、古城から少し離れた場所で、眼下に新たにできた崖下を覗いている。

他に覗いている者たちも多い。迷宮内でないと調子の出ない、顔見知りの怪物種の連中も、迷宮から顔を出して観察しているようだ。


底は、見えない。太陽光がまったく届かず。真っ昼間なのに、あの日のような虚が、どこまでも下に続いている。

段差があり、火事の残り火のように、ほんの少し散り散りに溶岩が燃えていて、そこに大蠍や貝無スライム、俺の知識にすらない怪物たちが存在していた。


「これ、どこまで続いてんだ……?」

「降りてみたけどずっと下だよ、熔岩だらけで、トカゲがいっぱい。お、美味しかったよ!」

「トカゲ?」「トカゲ」「どんなトカゲ?」

「なんか…。平たくて、ニンゲン8人分くらいで、ゴツゴツしてる奴」


またしても聞いたことのない怪物だった、と言うかそれはもう亜竜の一種では? 熔岩があるそうだが、下を覗いても段差があるだけで、分からなかった。

更に、対岸の崖は地平線の彼方ですら見えない。一体どれだけの規模の破壊だったのか、想像だに出来るわけがなかった。


姫さんが渋い顔で地図を取り出して、見せてくれた。嫌な予感に冷や汗が出るが、勇気を出して見てみる。自由都市同盟領全域の地図で、フリッグスの南東。目的地であるノルンワーズの北西に渡って、斜めに太い線が書き込まれていた。


「これが、ずっとこうなっている、と……?」

「タロッキちゃんが上に飛んで確認しましたが、おおよそ北の万年積雪地帯まで喰い込んでます。遺跡街の巨壁までは破壊していない。そう、なんですが……」


街道と竜車用の鉄道。もっと東にあるこの村よりも深く切り立った荒野の谷間。その3つを真っ二つにぶった切るように、破壊の痕跡が続いているらしい。これでは竜車も、馬車も、馬もろくに行き来ができない。


「まるっきり、災害だな……。完全に、フリッグスと分断しちまった形か…」

「(お陰で私の回状は、まだ1枚も回ってきて無いらしいんですよ…、どこのギルドもそれどころじゃないんでしょうけど…)」

「(だろうな……)」


これだけ壊されてはぐるりと反対に、各都市を回るしかない。南の森林地帯を抜ける手もあるが、あそこは沼奥を含めて、完全に人類種の領域外だ。無事に旅するのは不可能に近いだろうな。


「なあタロッキ。聞いて良いか?」

「なぁになぁに〜?」

「どうやってここまでやったんだ。いや、俺達を守ってくれたのは、自惚れじゃなけりゃ、取り違えるつもりは毛頭ないんだが…」

「えー……、秘密。2人が弱っちい……、「タロッキちゃん」何でもない何でもない!、もっともっと、つ、強くなったら、言うよぉ!」


ギロッと姫さんに不機嫌に睨まれて、タロッキは尻尾をビンと張って、慌てて言い直した。急に驚いた猫みたいだった。言えない事情か。まあここまで出来るなら、何か抱えてるよな、そりゃ…。


「どう、しましょうか、今後は…」

「んー……、当初の予定通り、万全の体制でノルンワーズを目指そう。トラブルがあったら、すぐ旅に出れるようにな」

「了解ですが、少し…」

「何か問題か?」

「冒険者ギルドの支部長様から、駆け出しや枝砕きのみんなが不安に思っているので、相談に乗って欲しいと…」

「……だろうな。分かった、指導教官として最優先で請け負おう」


鎧も穴だらけだし、雨と泥まみれだったから、暫くは装備の点検をしなければならん。この村を立つ前に、やる事は山積みになってしまった。





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