第5話 思いがけない出発

ドルフ親方とは、ここ1年と少し程の付き合いになる。以前の職場に辞表を提出し、地元からフリッグスに越してきて、鱗の団が開く冒険者教導会で知り合った。

経緯だけ語れば、そんなどこにでもよくある就職の話だ。だが彼の面接は他とは違っていた。彼の開口一番の切り口は、風変わりなことに、こんな言葉だった。


「虫の鍋って、どう思う?」

「意外とうまいんですよね、幼虫鍋」

「土の鍋は?」

「2度と見たくも無いです」

「同感だ、草の鍋は?」

「青臭くて食えたもんじゃないです、いずれにせよ、塩が欠片でもあれば上等。拾った岩塩はだめですね、腹壊します」

「いいな、悪くない答えだ。ふむ…、長期の冒険者活動の仕事も希望する。と…、働くなら、通り名は何が良い?」


俺は少し考えて答えた。ドルフ親方の手元には俺の履歴書。それを見ていると、悪くない案が浮かんだ。


「紙切れで」

「…あんま強く無さそうだな、いいのか?」

呪文の巻物スクロール描けるので」

「………ほう、お前さん。浜の民か」


冒険者の験担ぎに名前で呼ばず、役職やあだ名で呼び合うというのもがある。主に目的は4つだ。


名前を知らないことで、呪いから守ること。コイツは風習に近いが、実際に効果があるらしい。死んでしまった時に、すぐ忘れられること。本名を隠し、逆恨みや報復を警戒すること。仲良くなりやすくなること。最後の推測だが、でないといくら何でも寂しいからな。


「私からも聞きましょうか、これがいくらに見えますか?」

「自由都市銀貨だよな…、フリッグス銅貨30枚ぐらいだろ?」


俺は銀貨を1つ財布から取り出して、彼に手渡した。ドルフ親方はほとんど反射的に、当然値段を答えた。


「違います、コイツの価値はフリッグス銅貨2枚程度です」

「なに?、んなわきゃねえだろ?」


何ってんだコイツはという顔で、彼は俺を見下ろした。まあ当然の反応だ。だが違うんですよ。


「作る値段ですよ、それがその程度なんです」


貨幣ってのは、国の社会的信用で値段が決まる。同じ国でも下手したら街ごとで価値が違う場合もある。なにせ逆に偽物の銀貨が流行りすぎて…、なんて話も、他国の歴史にあったりする。金融に対する信用とは、まさに欲深さの現れそのものだった。


「そうか、知らなかったな……」

「良かっですね」

「なにがだ?」

「…あなたの商品が増えてくれたでしょう、…如何でしょうか?」


にやりと人を殺しそうな笑顔で笑われた。親方にはよく似合う豪快で強面な笑みだった。


「良いな、その小賢しさは気に入った。…採用だ。そのベラ回しで、明日から沢山金を稼いでくれや」

「承知しました。明日からよろしくお願いします。沢山稼ぎましょう。親方」

「冒険譚と我が店にようこそだ。紙切れ」


俺達は粋に握手を交わして、その日分かれた。忙しくも充実した、今までに無い日々を過ごす事になった。



彼を好きになった切っ掛けは、本当に他愛のない事でした。たまたま友人たちと入った飲食店で、年若い従業員が2人、手際が悪くて、お店の雰囲気が微妙になっていたんです。

よくありはしないけど、誰にだって覚えのある事です。


振り返れば私だって、5年間程は雇い主として、クックさんやラランさんに散々身勝手して、大迷惑を掛けています。それに比べれば実に可愛らしいくらい。お店の上司さんも冗談を交えながら注意を促すだけで、別段変わらない、よくある日常の一幕。


でも既視感がありました。初恋の人と幼い頃。同じようなことがあって初恋を自覚したんだっけ。一度思い出してしまうとすっごく切なくて、寂しくて、ちょっと泣きそうでした。


そんな時に。「ご馳走様でした。美味しかったよ。2人とも、頑張ってな」と聞こえちゃったんです。


一語一句。全く同じ言葉が響いて、思わず2度見しちゃった。背格好こそ似てるだけのまったくの別人だったけれど、思わず追いかけて話し掛けて、置いてきてしまった友人たちに叱られました。それからずっと、彼から目を離せずにいます。


そう、目を離せないはず。なのに今は彼の視線から隠れるように、肩に額だけ押し付けて歩いてる。何度も一緒に同じ道は歩いてるのに、暗い夜はまるで別世界みたい。

夜の住宅街を彼と歩く。ばっくんばっくん、口から飛び出しそうな心臓を押さえてる。お腹がぎゅうぅって言ってる。あんなに食べたのに。ま、まだ恋人でもない男のひとと、ひえぇ…。


「姫さん着いたよ。…姫さんの冗談が聞きたいな、なにか言ってくれよ」

「えっ、え…、ほ、本日はお日柄もよく…?」

「ぷっ、あははっ、今真夜中だよ? …ん〜…、今度お見合いでもしようかな…?」

「へ?、…だ、誰と?」

「さー、姫さん以外の、誰だろうねー…くくっ」


忍び笑いが漏れて、ニヤニヤ笑って猫なで声で煽られた。………あ、コヤツあたしを馬鹿にしてるな!? ひとの子の分際で!あたしもだけど!


「むぅー!」

「ははっ、元気出ただろ!友達なんだし意識しすぎだよ。こっちの方が追いつけねえって!」


唸りながらぽかぽか殴って抗議する。何がかわいいだ。勢いよくけっぽってやろうか。弾むように廊下を駆ける彼を追いかける。彼の下宿先部屋の前に着いた。

習慣なんでしょうね。郵便受けに溜まっていた朝刊と夕刊。そして、何か白い紙を無造作に手に掴むと、内容を見ながら彼は、慣れた動作で部屋のカギを開けてる。


「──────?、────…… 姫さん今すぐ部屋に入って早く」

「へ?きゃあ!?」


突然、お酒と今のやり取りで緩んでいたはずの、彼の表情が一瞬で真顔になった。同時に矢継早に指示されて、部屋に素早く手を引かれて入れられた。彼は入口から周囲を、注意深く観察してドアを閉めた。


「な、なに…?」

「お前さん、賞金首にされてるみたいだぞ」

「………はい?」

「とりあえずこれ持ってろ。使い方はわかるか? 間違っても筒ん中覗くなよ」


カーテンを引いて窓の外を睨みつけて、彼は筒状の何か取っ手が曲がった物を、ベッド下から素速く取り出して渡してくれた。


なんだろう。木と鉄でできてる。結構重い。上に引っ張る小さな金属の取ってと、下にも同じ取っ手がついてる。

においは臭い。油と花火のがする。気になって鼻を近づけて、酷い臭さに鼻を摘んでしまう。彼は素早く冒険に出かけるような、装備を身に付けていて…?


短筒ピストルだ。裏路地ストリートで手に入れた。意味は推測できるかな。お友達?」


彼の顔を覗くと、落ちれば死ぬような高い場所から生き物を、自身が生き残る為に突き落とせる顔をしている。

つまりは殺せる顔だ。依頼の前によく鏡の中や、誰かがしている表情のない無貌。私が見続けなきゃいけない、結果に至る顔。

私は彼の友達という温かな言葉が、一瞬で凍りついてしまったような。まったく別の意味合いに感じてしまいました。


銀貨600枚。最悪。小娘1人を遊び尽くして、男の欲望を叩きつけるように押し付けて、吐き出し尽くす。穢し尽くして、殺害して、然るべき場所に死体を持っていけば、手に入る金額。

半年は安い宿に泊まれば、確実に食事付きで過ごせるような。そんな端金。


高いか安いかは人それぞれだが、罪人でもない人間に決して掛けられるべき金額ではない。だが同時に、頭の足りない奴、または回る奴は事実がどうであれ。捕まえるか、殺してしまってから罪状を叩きつければいいと考えがちだ。

小娘1人、追い詰めて、追い貶しめて、後付けでも罪状を叩きつける。想像を絶するようでいて、実に簡単にできてしまう話テイク・イット・イージーだ。

死人に口無し。名誉も栄光も死後は守れず。そういうことさ。


「でも私…!」

「わかっている。駆け出しの娘1人、身の上誤魔化されるほど、ギルドもクランも寝ぼけちゃいまい。だが港町ミョルズポルトの難民、外国人連中はこれが食い扶持の連中も多い。決して油断はできねえぞ」


ミュレーナ・ハウゼリアに銀貨600枚の懸賞金が掛けられた。最近横行している手口だ。後払いで押し売ってやる。よろしくな。


俺の部屋に投げ込まれた情報屋の紙には、こんなフザケた文章が綴っていやがった。実にフザケてやがる。どこのどいつか知らないが、関わっているクソ共すべての眉間に、今すぐ鉛玉ブチ込んでやりたい。

口が避けても言わねえが、姫さんは容姿端麗なフェアリーだ。大方、どうせ殺すならってクソ共も多いんだろうな。ドタマかち割ってやりたいったらねえや。


「よく知ってるんですね?」

「なにせ出身村が港付きだ。賞金首の回状なんざ、紙が朽ち果てるまで、よく見たもんさ」


こうなるとフリッグスが自由都市であり、今が夜である事がヤバい。比較的この街は出入りがゆるく、暗視もないので暗闇が見通せん。そのへんの影に賞金稼ぎが居ても、俺たちだけではよく見ることが叶わない。


姫さんの格好も、ロング・ソードと大ぶりのナイフは帯びているが、可愛らしい平服で、杖、肩掛け鞄、背負い袋も無しだ。短筒ピストルこそ持たせているが、はっきり言って少々頼りない。


「どうする。情報屋連中は間違いなくお前さんを売ってる。家に戻れば、家族を人質に取られてるかもだ」

「……紙切れさんは、私を売らないんですか?」

「資産の100分の1にもならん端金で人様売れるかい。親方に殺されちまわァ。ンなことよりも、暗視、唱えられるかい?」

「杖が無いんで効果は安定しませんけど、良いでしょうか?」

「この状況なら仕方がねえ、やって…、あん?」


街頭の灯りに、見覚えのある鋼赤髪が揺れている。ラランさんだった。彼女1人で荷物を背負って、こちらに歩いてきている。


ウロウロと路地を歩いて見えなくなったあと、また中央道に戻ったりを繰り返している。なにしてるんだ、あの人?

姫さんの長い耳が、ひくくっと跳ねた。


「あっ。誰か殴られて、呻いてる…」

「ああ、もう対処してんのか、流石だわ…」


控えめなノックのあとラランさんが部屋に入ってきて、見覚えのある肩掛け鞄と背負い袋を持ってきた。姫さんのだ。流石は副頭目。何人か伸しているのに、返り血どころか息1つ乱していない。


彼女は亜竜革の動きやすい革鎧、スカート・ベルトに、騎士などが好む、胸元だけを覆う胸装甲ブレスト・アーマー

かなり使い込んだ、鍔が特徴的なS字の愛小剣。柄、刀身厚め。幅目一杯広め、切っ先平なカッツバルゲルを左腰に。

ドワーフらしいかなり厚め、片刃のハンド・アックスを右腰に。大きめのポーチからは、鍵ロープも。左手に鱗の団刻印の鉄製バックラー。これら全て、の魔術加工済みで、完全武装していた。


「こんばんは。生憎の厄介な夜になったわね、コレ、先輩からよ」


彼女は部屋に入って陽気に挨拶すると、自身の背負い袋から、俺に短筒ピストルを1つ手渡してくれた。

俺の持っている物と違って、最新式の中折れ式で給弾が素早く出来る奴だ。親方と情報誌見ながら話してた物だ。弾も12発程持って来てくれたようだ。


「親方から?」

「冒険者活動外で、正当防衛だから商売道具とでも言い張って置け、ですって」


冒険者は通常。街中で隠し持てる短筒を持つことは許されていない。商売道具としての流通は許されているが、あくまで免許持ちの商売人か、狩人の仕事中の護身用だ。街中で届け出のない者の所持が発覚すれば、没収の上、相応の高額罰金が課せられかねない。

ただし、手続きは面倒だが、衛兵に正統防衛を立正できるなら、仮に販売中に使用しても良いことにはなっていた。


「もう他の団員が動いてるわ。安心して」

「良かった、母様も居るので…」

「どう対処しますか? 副頭目」

「たぶん向こうは駆け出し1人拐かすくらいのつもりなんでしょけど…。いい加減雑が過ぎるから、こっちも相手に3倍の賞金をかけるわ。同時に懸賞金ギルドに、フリッグス首長、冒険者ギルドからも抗議文を出して、罰金を巻き上げるつもりよ」

「なるほど、抜け目ないですね…」

「こっちはレーナちゃん1人守れば良い。実に簡単な話テイク・イット・イージーね」


姫さんを着替えさせる為に、2人は隣部屋の奥に引っ込んでいる。俺は窓の外を監視したが、特に動く物はなかった。


「でも、既にそこそこ賞金稼ぎが入り込んじゃってるみたいなのよ。やり返すのに時間もかかるし、際限なく増えると流石に…、だから今は、この街を一刻でも早く、離れるのが肝要ね」


「どこまで行きましょうか…?」

「ノルンワーズに往復2ヶ月程度で良いと思うわ。そんなワケなのだけれど、あなたはどうする。マナギ君?。先輩からは常連客パトロン守れ、店長注文だって、言葉を預かっているけど…」

「注文なら、費用は店持ちなので行きます。でも頭目はやはり…?」

「クックは明日予定の、龍様ドラゴンの検死で動けないわ、残念だけどね」


出立の準備を整えて、いつも通りの冒険者の儀式を行い。しばらくの間俺達は身を隠すために、自由都市同盟領を越えた先。ノルンワーズの街へと向かう事になった。





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