第3話 ゴブリンたちの秘密

割れた岩間を通り過ぎ、狭い道の眩い光を受けて、思わず手を翳して光を防ぐ。

うねる川辺を眼下に、とても人が登れそうもない。

巨大な竜の背びれのような、突き出た台地が並び立ち広がっている。遠く、鳶の気高い声が聞こえる。何頭もの草食竜が、台地に侍るように草を喰んでいた。


「すっごく、雄大ですねぇ…」

「ああ…、何故か。帰ってきたって気がするよな」


なだらかな丘陵を越え、平たい台地の上に鈎ロープで登り、奥の森も探索した。見つかったのは大きなフンと、報告通りの場所の骨だけだった。奇妙な事にフンは切り立って登れそうにない台地の脇に、うず高く積まれていた。


「何でしょうね、これ…」

「ここで出した、じゃないな。見ろ。岩壁にも引きずった跡がある。上から落とされたんだ」

「………少なくとも、何も聞こえませんね」


姫さんの並外れた聴覚でも、聞こえないのなら周囲に何も居ないのだろう。かなり時間が立っているのか匂いはせず、表面は土に還っていた。


「川辺に進んで見ますか?」

「若しくは。回り込んで丘登って、この上目指すか、か…」


時間は夕暮れ前だ。小屋に一泊するなら帰り道は丘のほうがずっと近い。川辺は小屋付近まで戻る事になる。俺達は相談し日が暮れる前に、丘を目指した。



ぐるりと丘を越えて、平たい台地の頂上に辿り付いた。まるで広い舞台場のように切り立った台地だ。

下はまっすぐ崖のようになっていて、落ちれば落下死は免れないだろう。

姫さんが先程と同じように、手信号で警戒を促した。数は1。大きい呼吸音。

グリンから降り立って、警戒しながらロング・ソードを引き抜く。姫さんも抜刀した。


────── 逢魔時に日輪を背負い。死の向こう側が、聳え立っていた。


大疣沼人ホッブゴブリン。一見すれば、ゴブリンの変種だ。ゴブリンと同じく疣だらけの肌。彼らと違う薄茶色の体毛。鋭く奥まった瞳。

体格はデカく引き締まっている。50歩以上離れている、ここからでも分かる。俺の平均より少し低い背の、頭5つは大きいだろうか。


左手の腕は、半ばから既に無い。目を凝らして見れば、左目はドルフ親方のように白濁し、もう片目は切りつけられて真っ赤な血を流している。あれではろくに見えまい。身にまとうのは、大きな鱗を無理やり継ぎ接ぎしたような、粗雑でありながら威厳ある胸当て鎧。

手にする骨の手斧は雄大な自然から賜り、戦いそのもので研磨したような、珠玉の品に見える。


威厳に満ちた生き物のまま、揺るがない。弛がる訳もない。原始たる自然の尊厳に包まれた姿。…山の粋を変じ武装する己を恥じるように。そう思わずには、居られなかった。


「紙切れさん…、彼」

「ああ、…首元。賜って、いるな」


周辺には、ゴブリンの死体が3人ほど確認できる。仲間割れしたのだろうか。

だが、彼からは卑屈な気配は微塵も感じない。それどころかこちらに骨手斧の刃も向けず、ただ毅然と佇んでいる。

取り返しならぬ手傷。数の不利を抱えててなお、生半ならぬ豪胆。明らかに歴戦のツワモノ


その喉元には、大きな爪で引っ掻いたような、傷跡のような文字が掘られていた。


じりじりと近づく。彼はようやく動くと残った腕で、こちらを押し止めるように。腰の短剣を鞘ごと外し、見せつけてきた。


「なに…?」


そのまま高く高く放り、俺と姫さんの間に短剣を投げ落とした。まるで、見ろ。とでも言いたげな行動だった。命乞い…、否。


「……………決闘か」


彼が肯定するように、ただこちらを動かず眺め続けた。まだ骨手斧は刃先を向けていない。横目で姫さんに目配せをすると、彼女も頷いた。


決闘の作法は、至極シンプルだ。

相手に武器を手渡し、返さないのなら不成立。

返すなら。決闘成立だ。


警戒を解かず。投げ込まれた短剣を拾い上げる。

短剣に触れても、彼はまだ刃先を向けていない。そのまま鞘を引き抜いて、刃を検める。


竜の翼を模した鍔、柄拵え。色は燃えるように紅く。堅牢な牙をかたどるように、刃は弛く反り返っている。刃こぼれは一切無い。まるで、宝箱の奥底に仕舞われていたかのように。


武器は持ち主の、魂の鏡だ。

一点の曇も無い、静かに燃える赤き日輪の如き刃。

そう思えばこそ。知らず、笑みが溢れる。


言葉は、不要か。


俺は短剣を返さない事を自ら選択した。彼はようやく骨手斧を返して、戦の構えを取った。

こちらも戦士の習いに従い、刃先を向け構える。

苛烈で残酷なだけの、情け容赦ない殺し合いの火蓋を落とす。


真に強い行動を示す者ほど、ただ歩み征くモノだ。

奴はただ歩行している。それが、なんとも…。


「くっ……!」


最初に苦悶を漏らしたのは、やはり姫さんだった。負けじといつでも仕掛けられるように。前のめりに魔術杖を構えてはいるが、少し気負いすぎている。


振り絞られた矢のような、張り詰めた緊迫感。頭の中が真っ白にされていく戦慄。…じわりと呑まれている。大自然そのものような、圧倒的自然体に気圧される。奴はゆるく息を吐いて、細く長く自然に吸い込んでいる。………自然に?

…………違和感。


雷が弾けるように!声を張り上げた!


「引けェ!!、姫さ…!」


咄嗟に姫さんの前に陣取るのと、グリンが前に出るのと。奴が常識外れの土間声を張り上げるのは、ほぼ同時だった。


「ガァロガァロガァロガァロガァロガァオ!!!」


仲間を鼓舞する狼の咆哮にあらず。慈悲深くも、全てを支配し蹂躙する竜の咆哮にあらず。亡き同胞たる戦友たちと共鳴し、彼らに捧げるような。絶え間ない爆音の責め苦。


耳をつんざき、脳を揺さぶられる。波のような音の衝撃だけで、石礫が舞う。

原始の闘争において、咆哮こそが先手必殺。

大胆不敵にして、小癪。奴は最初から、コレを狙っていた!


「グリン…!!」

「あっ…、ぐぅ…!」


耳を即座に絞り、グリンが嘶くように突撃した。奴はその場を動かず、真正面から骨手斧で打ち当たった。爆音が止む。振り返れば姫さんは杖こそ奴に向けているが、長い耳から僅かに赤い筋が垂れていた。優れた聴覚が仇になってしまったか。

爆音は俺の身体とグリンが盾になって、ある程度逸らした。咄嗟に前に出ていなければ、立ち続ける事すら困難だっただろう。


「行けるか…!」

「よく、…もぉお!」


剣を正眼から僅かに崩し、身を倒すように疾駆する。姫さんが呪文を囁き、後方からゴボリと水音がした。魔力操作による物体操作。空気中の水分密度が異様に膨れ上がっていく。


しゃりん。と、音が響く。


次いで、身につける4つの輪の内。左腕の腕輪を振って、更に水分密度を膨らませる。

過剰な力の奔流に溢れ出た余波が、衝撃に岩砕き巻き上げ、縦横無尽に大地を削る。

まるで、地上から天に逆登る。水の雷。


対してグリンと片腕で組み合っている奴は、肩で喉の傷文字を、何度もこすりあげた。

おそらく魔術だ。異様に膨れ上がる喉。まるで長大な舌持つかわずそのもの。


切り札を、切る。

駆け抜け。右腰の専用ケースから、右腕1つで固定具を外し、それを取り出す。

呪文の巻物スクロール

渾名の由来にして俺の切り札。試製品にして非売品。山吹色の封蝋をロング・ソードの刃先で切り、端を掴み木芯を回転させ。勢いよく引きずり出す。

解放され、描かれた魔法陣が力持ち輝く。幾条もの鞭のように、雷の余波を広げる。


魔の舞台は、ここに整った。


一瞬の、静寂。


燃え盛る水のような、粘性を持つ火吹きと。

疾駆する轟雷のような、幾条もの水吹きと。

駆け抜ける嵐のような、渦巻く稲妻が激突した。


「がっ!、あっ、あぁアアアアアアアァア!!!」


衝撃に近すぎた俺もグリンも吹き飛ばされる。拮抗したのは一瞬。圧倒的質量を操り、黒髪を振り乱し、一瞬押し返された杖を再度横に叩きつける。絶叫し死力を振り絞った、姫さんの魔術が押し勝った。



辺りを見渡せば、もうもうと水蒸気があがり。地面は盛り上がりひび割れ、亀裂が幾つも重なっている。ブスブスと燻った地面と火の粉が舞い。酷く焦げ臭く水たまりも出来ている。大竜でも通り過ぎて、苛立ちげに地団駄でも踏んだような有様だった。


「ぐっ……、どう、なった…?」


姫さんは倒れ伏し、ピクリとも動かない。長い黒髪の隙間からは顔も見えない。グリンは下半身を吹き飛ばされ溶けている。懸命に前足を動かして、姫さんに近づいていた。


ただ歩くことも、非常に困難になった周囲を見回す。奴は忽然と姿を消していた。気配も一切無い。思い返せば、奴は崖を背にして位置が悪かった。魔術の衝撃で、台地から落下したのかも知れない。下を覗けばかなり高度があり、木々が生い茂っていて確認はできない。

空駆ける翼でもなければ、落ちて死は免れない。


呪文の巻物スクロールの反動で、俺の両腕もボロボロだった。まだ試製品の未完成品で、威力こそ鋼砕きの一撃に迫りかねないが、安定性に欠けている。状況を考えず使用すれば、自爆の可能性すらある代物だ。とても売れないと、ドルフ親方すら匙投を投げていた。


しばらく剣はまともに振れない。姫さんに薬品で治癒して貰わねば…。

姫さんもグリンに揺り起こされて、目を覚ましたようだ。ゴロリと転がり四肢を投げ出して、すっかり日の暮れてしまった夕空を眺めている。


「………あぁ……、勝てたきしないぃ……」

「遺憾ながら、同感だ…!」


ギリッと歯を軋ませて、奴が推定吹っ飛んだ崖下を睨みつけた。決闘を受ければ1対1。奴がその流儀を知っていたかは知らないが、3対1でこの有り様だ。

1対1でも致命傷は負わせられるだろうが、勝てたかどうかは怪しい。むしろ長期戦になれば、俺は負けていただろう。手中の呪文の巻物スクロールは既に崩れている。純粋に悔しい。


「くっ……!」

「立てるか?」

「なん…とか、…ははっ、耳イッタぁ…、頭もいだい、膝笑ってます…」

「キツイ所悪い。薬くれるか。…腕まともに動かせん」

「うっは、ボロッボロ。もーうー…、無茶し過ぎですよぉもう…。男の子なんですから…」


姫さんは、急激に力を消耗したせいだろうか。喜ぶように驚いたあと。肩掛けカバンに手を掛けて、薬を取り出してくれた。痛み止めと傷薬。包帯で焦げ付いた腕を治癒して貰う。なんとか動かせるが、強い痺れは健在で握る力が出ない。


「一旦、戻りますか…?」

「いや、夜の移動は危険すぎる。…あの段差の上にデカい洞窟がある。そこで警戒しながら夜を明かそう」

「そんなところ、あるんですか…?」

「草食竜の巣がある。季節には早いが、身を潜めて休むなら、今はあそこしかないな」

「季節?なんの季節ですか…?」

騎獣ライダーギルドにタマゴを卸すんだよ、有精卵ならより良い報酬になる。初夏が過ぎると稼ぎ時かな…」


その場で少し休憩し、干し肉を齧る。ついでに日が落ちたので、熱を持つ燃え残りで、俺の鞄に吊り下げていたランタン。シャッター付きの我が店自慢の販売品に火をつけた。


俺達に妖精種ドワーフ始祖種リザードマンのように暗い夜を見通す目は無い。ついでに言えば臭いの夢を見るような、並外れた狼獣人リュカントロポスの鼻も無い。

夜間活動は姫さんの魔術。若しくは2人とも所持しているランタンか、松明が必須だった。ランタンは20歩程の距離を仄めく光で照らしてくれた。


「ちゃっかりしてますねぇ…」

「商人ですから、転んでもって奴さ」

「私は冒険中。石英で火を付けるのも、結構好きですよ」

「サマになりすぎるんだよな、妖精の姫様には」

「そこは………、もう…」


多少戻った活力で、姫さんにグリンの身体を直して貰い。グリンに押し上げられて、なんとか登れた。グリンは登れない段差なので、外で警戒して貰う事にした。


「トーテム?、………いや、違うか…?」

「え……?」


正三角形に近い大きな洞窟入口の側には、草食竜の頭骨を彩ったモノが飾られている。台座には大きな天然の平たい岩を組み。頭骨を上に厳かに鎮座している。鳥の羽飾りや青々とした枝葉、更には花飾りや花冠。宝石が1つに硬貨がいくつか。折れた上等な鉄製の剣や、上質な盾が飾られていた。


「………どう、思う?」

「まるで、霊廟への礼拝品か、慰霊碑……?」


こんな物は以前無かった。ここは死者への神聖な弔いの場ではなく、入口近くに草食竜の卵の殻や、大きな脱皮の後が転がるような、旺盛な命、栄える生誕の場所だったはず。

松明で入口付近を照らしても、卵の欠片1つどころか、小岩1つ転がっていない。


「普通、住処に置いてんのは威嚇や魔除け目的のトーテムポールなんだが…。一体、こりゃなんなんだ…?」

「ゴブリンさんが、したのでしょうか…?」


少し、今までの事を整理して考えてみる。

骨だけにされた草食竜、十数頭。台地の脇にうず高く積まれたフン。ゴブリン達の、不可解な仲間割れと行動。眼の前の推定慰霊碑と礼拝品。


ピンと来た。


「俺が先に入ろう。ヤバかったら盾にしてくれ。何か聞こえるか?」

「耳が痛いんで確証はできませんが、何も…」


俺も入口で匂いや聞き耳を立てたが、何も気になる音は聞こえなかった。

意を決して、2人で警戒しながら中に入った。

巨大な台地と台地が双方倒れて、ズレながら重なって出来たような大きな洞窟だ。入口も大きく斜めの天井も高い。見上げれば星空も見える。大きなズレから、天井に大穴も空いている。

そして中央には。緩く蜷局とぐろ巻く、漆黒の光返さぬ巨大な岩が、連なるように鎮座している。


「おっきい…、これは…?」

「この構造なら…。こっちだ姫さん、決して、手で触れるなよ?」


歩いて迂回するたびに、その正体をランタンは照らしてくれた。

大蛇のように太く、長く伸びるモノ。

大きく突き出た、地表を覆うモノ。

ぞろりと生えた大爪。世のすべてが畏怖する巨腕。


「あ……、あぁ……、あぁあ……!」


カシャンと、ランタンの落ちる音が響く。

壮絶な嘆き、慄き、畏怖が混ざり合う、妖精姫の声が響く。

1枚1枚が巌石にしか思えぬ。連なる厚鱗。

信じられぬほど太い、4対の剛角。

光潰えてなお、威厳絶やさぬ。その魔眼。


「………………ドラゴン


世界中のすべてが恐れ慄く。慈悲深き破壊生物が、そこで、死に絶えていた。

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