第2話 呪文と囁き
遠くには街道沿いの麦畑が見える。初夏の開花を目指し、青々と葉を伸ばしていた。点々と畑仕事に勤しむ人々が見える。挨拶代わりに姫さんと手を軽く掲げれば、気がついた何人かが、愛想良く手を振り返してくれた。
街道には鱗持ち、逞しく太い2足の
いくつかのキャラバンは、足を止めて交易を行っているようだ。ゴブリンたちの根城はおおよそ判明している。まずは情報収集だな。
停まっているキャラバンに近づくと、俺達の影に驚いた雲雀の声が響いた。数人の様々な種族の子供たちが反応し、俺達を後にして雲雀を追いかけていく。
「コラァ! ガキ共、待つんす!」
キャラバンから飛び降りたのは、
「こんにちは、どうしたんだ?」
「ガキ共に背中に落書きされたんすよ。ほら…」
声を掛けると、彼がくるりと背中を見せた。ゴブリンにしてはかなり流暢な人語だ。彼は川獣の革で出来た湿り気のある、少し豪奢な服を着ている。
その背部には、筆で書かれた、下手くそな落書きが書き込まれていた。
「まあ、よければ見てって下だせえ。今朝は良い
「ほう、許可書も見せて頂いて、味見いいかな?」
「よござんすよ。あっしはツケヒゲと申します。こちっでさぁ」
販売許可証を一読させて頂いて、本物と確認した。川魚の加工品や、日持ちするキノコ漬けなどを売っているらしい。魚のようにエラこそ無いが、何よりも川の泥を愛する彼ららしい販売物だ。
「タキツボのキャラバンに、ヨウコソ」
幾分か柔らかい顔つきのゴブリンに、挨拶されて小さな革袋を差し出された。きっと女性なのだろう。
軽く中身を取り出して1舐めしてみる。口の中に深いコクが広がった。
「ん~~、お酒飲みたい…!」
同じように舐めて、少しはしたないが足をバタバタさせて姫さんが喜んだ。機嫌が良いと彼女が良くするんだ。まさに妖精の姫君で、実に可愛らしい。
「結構遠くからかな?」
「へぇ。奥沼地の自治区からで。冬の断食が終わって、雪の精が負け始めてから来やした」
「1袋貰おう。実は、君の同族退治に出かけるんだが…」
「おっと、…それはそれは、お疲れ様です」
料金とチップを少し払うと、彼は深々と頭を下げて礼を言ってくれた。姫さんが少し、彼に質問した。
「お礼を、言うんですか? 同族なのに…」
「あっしら同族だからでやんすよ。人様に飼われた犬を、野犬とかと同じとして扱えますかね。縄張り争いどころか、まず空腹なら殺し合いでしょ?」
「まあ、そうもなるな…」
「思う所がないわけじゃないんですが、まったくの同族同士でケジメつけるとなると、見逃しや気まずさがですね…」
酷く野生化したゴブリンは、喋らないので彼ら独自の言語で口無しと呼ばれる。自治区の沼地で罪を犯して放逐されたか、他の何らかの理由で野盗と化した者たちだ。
奴らは言葉が無いが、能無しでは無い。手強い敵で、その証拠に冒険者ギルドで出される討伐依頼には、社会貢献を高く評価される。
総じて、彼らは油断のならない妖精種の1つと謳われるのだ。
「ですよね。ところで、こちら依頼書なのですが…」
姫さんが依頼書を肩掛けカバンから取り出し、ツケヒゲ氏に一読して頂いた。読み込むうちに、彼の眉間のしわが怪訝そうに深くなっていく。
依頼書には、周辺で狩られた。或いは強盗された被害が書き込まれていた。
「…妙でやんすね。この種類と量は。…多すぎる」
「やっぱり、そう思います?」
「あっしら見た目通り食わないし、この紙の場所なら自活も余裕でイケるはずっす。だのにこの春先に草食竜種が数十頭も、綺麗に骨だけ…」
「やはり、ミノとかか…?」
「ミノタウロスなら、草がもっと容赦なく無くなってるはずっす。…きな臭え。2人だけで行かれるんで?」
「ああ。魔法でも何でも使って、探索を中心に慎重に行くべきだな。無理なら報告だけにしよう」
「無理は禁物ですね。行きましょうか」
「御武運を、お武家様方。バケモノに出会わないよう祈っときやすんで、是非、無事のお帰りを」
キャラバンたちを後にして、街道は麦畑に姿を変えた。遠くには大柄な獣のような特徴を持つ人々が、畑の世話をしている。軽く手を振ると、向こうも挨拶代わりに手を振り返してくれた。
姫さんが、繋いでいた手を離れた。
「あ、今寂しいって思ったでしょ」
「思ったよ。だから早く召霊しておくれ」
「おまかせあれー…、です」
姫さんは肩掛けカバンから、包みを取り出して紐解いた。中には指先ほどの大きさの、削った欠片が入っていた。
削蹄した馬の蹄だ。それと適当に草が生えていて、土が多く無くなっても問題なさそうな場所に、蹄の欠片を土の中に埋め込んだ。
魔術。
真に強き言葉を囁き。律と理を捻じ曲げ、摩訶不思議な現象を呼び起こす、モノ。
数多の戦の果てに、魔を宿す者たちから人類種が奪い取り。
この星を固めし竜に、賜り、教えを乞い。
…神々が、幽き時代に遺し給うた、秘すべき術。
妖精の姫が。風に揺れる紅花のような唇で、呪文を世界に囁いた。
《毛並み麗し蹄の御霊よ、その健脚にて群れをなせ》
姫さんの呪文を受けて、馬のいななきが聞こえたかと思うと、土がひとりでに草と絡み合う。
3度まばたく間に、土と草で出来た馬がそこに立っていた。
「いつみても見事な物だな。本当に…」
「あたしとグリンですからねっ、えっへん」
「よろしくな。グリン」
手を差し出してもフイッと顔を背けられた。以前は片足を交互に高くあげて軽く威嚇されたので、仲良くはなっているのだろう。
姫さんはグリンと額と額を愛おしそうに鏡合わせする。敬意に溢れた、搭乗前の儀式だ。抜き指の長手袋に包まれた手で、草で編まれた手綱を掴み、石の
「前でも後ろでも良いですよ。どうぞ」
「じゃあ、後ろで」
鐙から足をどけて踏みこませてらう。馬鞍の後ろに飛び乗って馬鞍の端を掴んだ。出発だ。
街道を少し外れ。真っ平らな台地や、斜めになだらかに下がる丘を越え、岩壁と木々に囲まれた道を進む。目的地の狩猟小屋が、踏み均された草道の向こうに見える。
その奥には、割れた岩間に狭い道の明光が漏れていた。
喋っていた姫さんが黙って手綱をゆっくり引き、グリンが流すような疾走から、人の歩行程度に速度を緩めた。
俺は足音を立てずに飛び降りる。我が店の革靴はこういう時便利だ。他店の鉄靴ではこうはできない。姫さんも続いて降りた。そのまま長い耳を澄ませる。
彼女の指先が動く。小屋の中。手信号で示された数は12。いずれも近く。極端に大きな呼吸音は無し。…やりますかと、彼女が仕草で問う。
頷いてロング・ソードを、鍔鳴りさせず静かに抜く。両手で掴み、握りを強く合わせた。彼女も細身のロング・ソードを静かに引き抜き右手に、魔術杖を左手に構える。
「(静かにね、グリン…)」
姫さんがグリンに囁いた。普通の馬ならここで残すが。いななくどころか呼吸も無く、蹄の音も少ないグリンはとても頼もしい。
慌てず汚れた窓の破れ目から、小屋の中を確認。姫さんの優れた耳通り、12
記憶では、小屋唯一の扉は外開きで頑丈。
姫さんが黙ってグリンを指さした。囮にする提案だ。俺は首を降って鞄と毛布の隙間から、大釘2本を取り出した。
小屋の入口方向に回り、身を潜める。2匹のゴブリンが、骨槍を持って警戒している。片方はこっちに、背を向けている。
姫さんと目を合わせ頷き合う。剣を、意識して握り込む。
意識が高揚し、喉が渇く、心臓の拍動が高鳴る。
目を、見開き。相手を見据えた。
弾けるように、壁影から飛び出し! 姫さんがグリンと共に仕掛けた!
大柄なグリンに目を奪われたゴブリンは、低く風のように駆け抜けた姫さんに、瞬時に気づく事が出来なかった。
「…ふっ!」
奴は咄嗟に槍で受けようとした。それが間違いだった。正眼の構えから繰り出された、烈帛たるロング・ソードの一撃。心臓こそ逸れたが、腹と胴の中心に深々と突き刺さった。
パッと…。血の花が、咲く。
衝突の際。手の内を締め、次いで肉を抉り。臓腑を抉る事を忘れない。必殺。或いは生命そのものを徐々に削り落とす。死に至らしめ、殺せる一撃。
「っ…!、ジャッ!」
一瞬で逃れられない死を覚悟したゴブリンは、手を滑らせ、穂先を握り、少しでも外敵に手傷を負わせるため、殴り込むように小さな黒影に迫ろうとした。
生き物は一撃で動けなくなる事は滅多にない。1度生まれた者は、簡単には死なない。
必ず、死を眼の前にして、足掻く。だが…。
そこにはもう、誰も居なかった。
彼女は剣をすでに手放していた。見れば、もう脇に躊躇なく転がり込んで、魔術杖を向けている。
剣が突き刺さったまま、ゴブリンは呆気に取られている。グリンが勢いよく駆け抜けて、ようやく振り返ったもう1人ごと突進し、吹き飛ばした。
「(今だっ…!)」
俺はすぐに扉に駆け込んで、大釘を2つ扉下に打ち込んだ。騒ぎに気がついたのだろう。小屋の中が騒がしくなる。扉に体当たりするが、打ち込まれた大釘のせいで開かない。
「裏手に回る! 周囲の警戒を!」
「はい!」
増援を警戒する号令を出し、その場をグリンと姫さんに任せる。裏手の窓前に陣取り、狭い窓を割って慌てて出てくるゴブリンを、討伐して行った。
左手のガントレットで、ロング・ソードの切っ先を掴み。棍棒と押し合い、そのまま剣柄で滑らせるように殴り抜ける。
「グ、ェ…っ!」
隙を見逃さず。今度は反対側の切っ先で、ガントレット事容赦なく振り回し、喉元を逆手にかっさばき抜く
血の池が地面に広がり、ゴボゴボと水に溺れるように最後のゴブリンは絶命した。
「………いるか?」
「いえ…。もう、居ないようです」
ロング・ソードに血振りをくれる。殺害した
臓物臭い血の匂いが、魔術の破壊痕跡や、暴れ回った足跡。血風荒んだ戦場に佇む。
ようやく、襟元を少しだけ緩めた。手傷はほとんど負わなかった。
「囮のほうが、良くありません?」
「悪かないが、増援が来ると挟み撃ちがキツイ。逃げ道があっても、そこに1体でも居たらアウトだ。この手なら成功さえすれば。警戒しながら1体ずつ、こっちが挟み撃ちに出来る」
大釘を引き抜き回収しながら、彼女に答える。扉は攻撃されていたが、ゴブリンの膂力ではやはり破壊できなかったようだ。血の匂いは、梢を抜ける風に消えて行った。
「氷か岩の魔法で封じるのもおすすめだぞ。水が豊富なら、革袋で湿らせるか、水魔法のあと扉ごと凍らすのがベストだ。土は止めたほうがいい。掘られる」
「えげつなーい…」
「そんな褒めるなよ、よく勉強してるだろ?」
「紙切れさんって下級指導員…、ですよね?」
「中級まで受かっているが。実働が足りないし、駆け出し指導するのを評価されててね…」
店員との2足のわらじで1年だ。まだまだ実績が足りない自覚があって、中級への昇格は俺の方から辞退していた。
評価されているのはどちらかと言うと、駆け出し冒険者への選別能力なんだが…、まあ同じことだ。
「イケないこと無いと思いますけど…」
「年齢もある。今はついて行けるがな…、よし、次はどうする?」
「彼らを調べて、裏の池で血を軽く落として1通り回って見ましょ」
「だめだ。血を落としたら小屋も調べて、順番に休憩する。今回は少数だからな、万全を常に整えた方が良い」
「………了解です。うん」
戦闘では想像以上に喉が乾く。圧倒し手傷を負わなくても、当然消耗もする。急ぎの状況では無いのなら、小休憩は小まめに取るべきだ。
姫さんは一瞬、何か言いたげだったがすぐに素直に頷いてくれた。2人と1頭だけな事と、ツケヒゲ氏の言葉を思い出してくれたのだろう。
小屋の中は変わった事はなかった。だが、座り込んでいた2体のゴブリンには、すでに背中に大きな手傷が刻まれていた。
何かが、居る。確実に。
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