第2話 呪文と囁き

遠くには街道沿いの麦畑が見える。初夏の開花を目指し、青々と葉を伸ばしていた。点々と畑仕事に勤しむ人々が見える。挨拶代わりに姫さんと手を軽く掲げれば、気がついた何人かが、愛想良く手を振り返してくれた。


街道には鱗持ち、逞しく太い2足の草食竜アミトスや、4足の大研蜥蜴ジャイアントホーンドリザードが、キャラバンを引いている。


いくつかのキャラバンは、足を止めて交易を行っているようだ。ゴブリンたちの根城はおおよそ判明している。まずは情報収集だな。


停まっているキャラバンに近づくと、俺達の影に驚いた雲雀の声が響いた。数人の様々な種族の子供たちが反応し、俺達を後にして雲雀を追いかけていく。


「コラァ! ガキ共、待つんす!」


キャラバンから飛び降りたのは、疣沼人ゴブリンだった。



疣蛙イボガエルのような、デコボコのでき物が浮かぶ肌。背丈は追いかける子供とおよそ同等。横に広い顔とカエル程ではないが、突き出た大きなギョロ目。低くそりさがった鼻に、ヒレのような耳。…体毛は無いはずだが、何故か彼はドワーフのような、立派な口髭を生やしていた。


「こんにちは、どうしたんだ?」

「ガキ共に背中に落書きされたんすよ。ほら…」


声を掛けると、彼がくるりと背中を見せた。ゴブリンにしてはかなり流暢な人語だ。彼は川獣の革で出来た湿り気のある、少し豪奢な服を着ている。

その背部には、筆で書かれた、下手くそな落書きが書き込まれていた。


「まあ、よければ見てって下だせえ。今朝は良いひしおが手に入ったんで」

「ほう、許可書も見せて頂いて、味見いいかな?」

「よござんすよ。あっしはツケヒゲと申します。こちっでさぁ」


販売許可証を一読させて頂いて、本物と確認した。川魚の加工品や、日持ちするキノコ漬けなどを売っているらしい。魚のようにエラこそ無いが、何よりも川の泥を愛する彼ららしい販売物だ。


「タキツボのキャラバンに、ヨウコソ」


幾分か柔らかい顔つきのゴブリンに、挨拶されて小さな革袋を差し出された。きっと女性なのだろう。

軽く中身を取り出して1舐めしてみる。口の中に深いコクが広がった。


「ん~~、お酒飲みたい…!」


同じように舐めて、少しはしたないが足をバタバタさせて姫さんが喜んだ。機嫌が良いと彼女が良くするんだ。まさに妖精の姫君で、実に可愛らしい。


「結構遠くからかな?」

「へぇ。奥沼地の自治区からで。冬の断食が終わって、雪の精が負け始めてから来やした」

「1袋貰おう。実は、君の同族退治に出かけるんだが…」

「おっと、…それはそれは、お疲れ様です」


料金とチップを少し払うと、彼は深々と頭を下げて礼を言ってくれた。姫さんが少し、彼に質問した。


「お礼を、言うんですか? 同族なのに…」

「あっしら同族だからでやんすよ。人様に飼われた犬を、野犬とかと同じとして扱えますかね。縄張り争いどころか、まず空腹なら殺し合いでしょ?」

「まあ、そうもなるな…」

「思う所がないわけじゃないんですが、まったくの同族同士でケジメつけるとなると、見逃しや気まずさがですね…」


酷く野生化したゴブリンは、喋らないので彼ら独自の言語で口無しと呼ばれる。自治区の沼地で罪を犯して放逐されたか、他の何らかの理由で野盗と化した者たちだ。


奴らは言葉が無いが、能無しでは無い。手強い敵で、その証拠に冒険者ギルドで出される討伐依頼には、社会貢献を高く評価される。

総じて、彼らは油断のならない妖精種の1つと謳われるのだ。


「ですよね。ところで、こちら依頼書なのですが…」


姫さんが依頼書を肩掛けカバンから取り出し、ツケヒゲ氏に一読して頂いた。読み込むうちに、彼の眉間のしわが怪訝そうに深くなっていく。

依頼書には、周辺で狩られた。或いは強盗された被害が書き込まれていた。


「…妙でやんすね。この種類と量は。…多すぎる」

「やっぱり、そう思います?」

「あっしら見た目通り食わないし、この紙の場所なら自活も余裕でイケるはずっす。だのにこの春先に草食竜種が数十頭も、綺麗に骨だけ…」

「やはり、ミノとかか…?」

「ミノタウロスなら、草がもっと容赦なく無くなってるはずっす。…きな臭え。2人だけで行かれるんで?」

「ああ。魔法でも何でも使って、探索を中心に慎重に行くべきだな。無理なら報告だけにしよう」

「無理は禁物ですね。行きましょうか」

「御武運を、お武家様方。バケモノに出会わないよう祈っときやすんで、是非、無事のお帰りを」


キャラバンたちを後にして、街道は麦畑に姿を変えた。遠くには大柄な獣のような特徴を持つ人々が、畑の世話をしている。軽く手を振ると、向こうも挨拶代わりに手を振り返してくれた。


姫さんが、繋いでいた手を離れた。


「あ、今寂しいって思ったでしょ」

「思ったよ。だから早く召霊しておくれ」

「おまかせあれー…、です」


姫さんは肩掛けカバンから、包みを取り出して紐解いた。中には指先ほどの大きさの、削った欠片が入っていた。


削蹄した馬の蹄だ。それと適当に草が生えていて、土が多く無くなっても問題なさそうな場所に、蹄の欠片を土の中に埋め込んだ。


魔術。


真に強き言葉を囁き。律と理を捻じ曲げ、摩訶不思議な現象を呼び起こす、モノ。


数多の戦の果てに、魔を宿す者たちから人類種が奪い取り。

この星を固めし竜に、賜り、教えを乞い。

…神々が、幽き時代に遺し給うた、秘すべき術。


妖精の姫が。風に揺れる紅花のような唇で、呪文を世界に囁いた。


《毛並み麗し蹄の御霊よ、その健脚にて群れをなせ》


姫さんの呪文を受けて、馬のいななきが聞こえたかと思うと、土がひとりでに草と絡み合う。

3度まばたく間に、土と草で出来た馬がそこに立っていた。


「いつみても見事な物だな。本当に…」

「あたしとグリンですからねっ、えっへん」

「よろしくな。グリン」


手を差し出してもフイッと顔を背けられた。以前は片足を交互に高くあげて軽く威嚇されたので、仲良くはなっているのだろう。


姫さんはグリンと額と額を愛おしそうに鏡合わせする。敬意に溢れた、搭乗前の儀式だ。抜き指の長手袋に包まれた手で、草で編まれた手綱を掴み、石のあぶみを登り。草藁の馬鞍に飛び乗った。


「前でも後ろでも良いですよ。どうぞ」

「じゃあ、後ろで」


鐙から足をどけて踏みこませてらう。馬鞍の後ろに飛び乗って馬鞍の端を掴んだ。出発だ。



街道を少し外れ。真っ平らな台地や、斜めになだらかに下がる丘を越え、岩壁と木々に囲まれた道を進む。目的地の狩猟小屋が、踏み均された草道の向こうに見える。

その奥には、割れた岩間に狭い道の明光が漏れていた。


喋っていた姫さんが黙って手綱をゆっくり引き、グリンが流すような疾走から、人の歩行程度に速度を緩めた。


俺は足音を立てずに飛び降りる。我が店の革靴はこういう時便利だ。他店の鉄靴ではこうはできない。姫さんも続いて降りた。そのまま長い耳を澄ませる。

彼女の指先が動く。小屋の中。手信号で示された数は12。いずれも近く。極端に大きな呼吸音は無し。…やりますかと、彼女が仕草で問う。


頷いてロング・ソードを、鍔鳴りさせず静かに抜く。両手で掴み、握りを強く合わせた。彼女も細身のロング・ソードを静かに引き抜き右手に、魔術杖を左手に構える。


「(静かにね、グリン…)」


姫さんがグリンに囁いた。普通の馬ならここで残すが。いななくどころか呼吸も無く、蹄の音も少ないグリンはとても頼もしい。

慌てず汚れた窓の破れ目から、小屋の中を確認。姫さんの優れた耳通り、12人程疣蛙イボガエルのような小柄を確認。…粗末な草食竜の皮服と、骨の棍棒、口の泡と、ぐわりと広がり、深く尖った眦。凶悪な顔つき。どうみても野生。伝え聞く、奥沼地の野伏達ではなし。2人は目を閉じて座り込んでいる。

記憶では、小屋唯一の扉は外開きで頑丈。


姫さんが黙ってグリンを指さした。囮にする提案だ。俺は首を降って鞄と毛布の隙間から、大釘2本を取り出した。

小屋の入口方向に回り、身を潜める。2匹のゴブリンが、骨槍を持って警戒している。片方はこっちに、背を向けている。


姫さんと目を合わせ頷き合う。剣を、意識して握り込む。

意識が高揚し、喉が渇く、心臓の拍動が高鳴る。


目を、見開き。相手を見据えた。


弾けるように、壁影から飛び出し! 姫さんがグリンと共に仕掛けた!


大柄なグリンに目を奪われたゴブリンは、低く風のように駆け抜けた姫さんに、瞬時に気づく事が出来なかった。


「…ふっ!」


奴は咄嗟に槍で受けようとした。それが間違いだった。正眼の構えから繰り出された、烈帛たるロング・ソードの一撃。心臓こそ逸れたが、腹と胴の中心に深々と突き刺さった。


パッと…。血の花が、咲く。


衝突の際。手の内を締め、次いで肉を抉り。臓腑を抉る事を忘れない。必殺。或いは生命そのものをに削り落とす。死に至らしめ、殺せる一撃。


「っ…!、ジャッ!」


一瞬で逃れられない死を覚悟したゴブリンは、手を滑らせ、穂先を握り、少しでも外敵に手傷を負わせるため、殴り込むように小さな黒影に迫ろうとした。


生き物は一撃で動けなくなる事は滅多にない。1度生まれた者は、簡単には死なない。

必ず、死を眼の前にして、足掻く。だが…。


そこにはもう、誰も居なかった。

彼女は剣をすでに手放していた。見れば、もう脇に躊躇なく転がり込んで、魔術杖を向けている。


剣が突き刺さったまま、ゴブリンは呆気に取られている。グリンが勢いよく駆け抜けて、ようやく振り返ったもう1人ごと突進し、吹き飛ばした。


「(今だっ…!)」


俺はすぐに扉に駆け込んで、大釘を2つ扉下に打ち込んだ。騒ぎに気がついたのだろう。小屋の中が騒がしくなる。扉に体当たりするが、打ち込まれた大釘のせいで開かない。


「裏手に回る! 周囲の警戒を!」

「はい!」


増援を警戒する号令を出し、その場をグリンと姫さんに任せる。裏手の窓前に陣取り、狭い窓を割って慌てて出てくるゴブリンを、討伐して行った。



左手のガントレットで、ロング・ソードの切っ先を掴み。棍棒と押し合い、そのまま剣柄で滑らせるように殴り抜ける。


「グ、ェ…っ!」


蟇蛙ヒキガエルが鳴くような悲鳴を上げて、ふらふらと奴は武器を手放した。

隙を見逃さず。今度は反対側の切っ先で、ガントレット事容赦なく振り回し、喉元を逆手に


血の池が地面に広がり、ゴボゴボと水に溺れるように最後のゴブリンは絶命した。


「………いるか?」

「いえ…。もう、居ないようです」


ロング・ソードに血振りをくれる。殺害した血袋ゴブリンの衣服で、刀身をぬぐい清める。

臓物臭い血の匂いが、魔術の破壊痕跡や、暴れ回った足跡。血風荒んだ戦場に佇む。

ようやく、襟元を少しだけ緩めた。手傷はほとんど負わなかった。


「囮のほうが、良くありません?」

「悪かないが、増援が来ると挟み撃ちがキツイ。逃げ道があっても、そこに1体でも居たらアウトだ。この手なら成功さえすれば。警戒しながら1体ずつ、こっちが挟み撃ちに出来る」


大釘を引き抜き回収しながら、彼女に答える。扉は攻撃されていたが、ゴブリンの膂力ではやはり破壊できなかったようだ。血の匂いは、梢を抜ける風に消えて行った。


「氷か岩の魔法で封じるのもおすすめだぞ。水が豊富なら、革袋で湿らせるか、水魔法のあと扉ごと凍らすのがベストだ。土は止めたほうがいい。掘られる」

「えげつなーい…」

「そんな褒めるなよ、よく勉強してるだろ?」

「紙切れさんって下級指導員…、ですよね?」

「中級まで受かっているが。実働が足りないし、駆け出し指導するのを評価されててね…」


店員との2足のわらじで1年だ。まだまだ実績が足りない自覚があって、中級への昇格は俺の方から辞退していた。

評価されているのはどちらかと言うと、駆け出し冒険者への選別能力なんだが…、まあ同じことだ。


「イケないこと無いと思いますけど…」

「年齢もある。今はついて行けるがな…、よし、次はどうする?」

「彼らを調べて、裏の池で血を軽く落として1通り回って見ましょ」

「だめだ。血を落としたら小屋も調べて、順番に休憩する。今回は少数だからな、万全を常に整えた方が良い」

「………了解です。うん」


戦闘では想像以上に喉が乾く。圧倒し手傷を負わなくても、当然消耗もする。急ぎの状況では無いのなら、小休憩は小まめに取るべきだ。

姫さんは一瞬、何か言いたげだったがすぐに素直に頷いてくれた。2人と1頭だけな事と、ツケヒゲ氏の言葉を思い出してくれたのだろう。


小屋の中は変わった事はなかった。だが、座り込んでいた2体のゴブリンには、すでに背中に大きな手傷が刻まれていた。


何かが、居る。確実に。

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