閑話 騎士団のお仕事


 ──召喚術とは術者によりコントロールされ、術者の意思によって解除、あるいは術者の死亡によってその契約は無効となる。必要性の急増により誰でも普遍的に術の行使が可能になる術式が広まったのは多くの魔術師が知るところではあるが、現在使用されている術式の多くは故・ボナヴェントゥーラ=アレッサンドリーニ(以下、氏と称する)によって開発されたものを礎に持つ。


 本来、召喚術は空間転移の側面を持つことから『時』と『無』の属性を操ることが必須であるが、氏の術式を用いることで自身の持つ属性の魔力・位階と近しい召喚従魔(以下、従魔と称する)のみに限定することでその制限を撤廃することを実現、実用化に成功している。この術式は制限を設けることで普遍性を獲得したものだが、一方で元来召喚できる従魔をも制限されるというデメリットを包括しており──




「……い、先輩!」


「……どうかしましたか、トビア」



 読んでいた本を閉じ、テレンツィオは声のする方へ目線を向ける。

 深緑の髪を短く切り揃え、暗い茶葉色の瞳をこちらに向けてくるのは新人騎士団員のトビアだ。ここは書庫ですから声は控えめに、と小さく咎めると、あ! と少しだけ大きな声の後に失礼しました、と今度は声を潜めて謝罪をひとつ。



「……それで、何かありましたか?」


「はい! ……王太子殿下がお呼びです」



 元気よく返事をしたトビアに司書が睨みをきかせたのが目の端に映ったのか、しっかりと声を落として告げられたのは待ち望んでいた面会の知らせ。伝達ありがとうと短く告げ、手にした書物を書棚に戻すと、静謐な空気の満ちる書庫を後にした。



「お呼びでしょうか、皇太子殿下」


「何をおかしなことを。呼んで欲しかったのはお前の方だろうに」



 くすくすと笑う声と、「いいからこちらへ」というお許しがあり、テレンツィオは垂れていたこうべをあげて勧められた椅子へと向かう。

 燃えるような赤毛を惜しげなく垂らし、深海から色を汲み取ったような深い青の瞳は好奇に染まっている。男性の装いをしていなければ、どこかの国の姫だと紹介されても疑いを向けることないだろう、と思わせるほどの整った中性的な顔。

 ゆったりと寝椅子に体を預けているのはこの国の皇太子。6人いる王の血族の中で、次期王位継承者との声が高いカルセドーニオ=ヴィットーリその人である。



「……失礼いたします」


「そんなに固くならなくてもいいと言っているのにな。ほら、昔のように接していいぞ」


「職務中ですので。別の機会であれば、そのように」


「まあ、それもそうか」



 とはいえ、皇太子ともあろう人が昔のように城を抜け出してくることなど、今となってはほぼ不可能に近い。社交辞令のようなものだ。


 少し拗ねたように眉を寄せる癖は、小さな頃から変わっていない。

 何を隠そう、テレンツィオと皇太子は昔馴染みというやつで、幼い頃に引き合わされてからの縁だ。それなりに仲は悪くないと思っているが、立場は弁えているつもりだ。人脈として少しばかり頼ることはあっても、公私の混同はしない。

 


「さて、戯れもそこそこに、だな。貴殿の欲しがった『召喚術の原典』の在処だが……」


「……! 見つかったのですか!」


「いいや、こればかりはこちらでもなんとも」



 彼の魔術師が独自に開発した魔術で隠されてはな。

 やれやれ、と物憂げにゆるく首を横に振る皇太子の所作は洗練されていて、ともすれば見惚れてしまいそうなものだが、テレンツィオにその余裕はない。昔馴染みだからといって皇族の伝手を濫用するのは、と考えているテレンツィオが苦渋の判断で頼ったというのに空振りとは。


 皇族に仕える魔術師を欺けるような高度な術式であれば、その隠し場所を探し当てることは不可能に近い。召喚術の原典における術式の構造が分かれば、解除への糸口が掴めると踏んでいたのだが。



「とはいえ、収穫なし、ではこちらの顔が立たぬからな。気になる話は掴んでいるぞ」


「……といいますと?」


「これだ」



 すっと皇太子が取り出したのは古い羊皮紙を束ねたもの。ほい、と投げてよこすものだから慌てて受け取り、中を検めると、魔術に使用する素材のリストのようだった。几帳面な性格だったのか、数量の推移が事細かに記載されている。



「これは?」


「彼の魔術師の隠し部屋から発見されたらしいぞ。それにほら、そこ」



 何箇所かに付箋が貼られている。

 その該当箇所を確認し、そして皇太子の言いたいことを汲み取る。



「……この素材は」


「西の国でしか採集されないものだな、私の記憶が正しければ」


「それが増えてる、ということは……」



 西の国との交易は戦争が本格化した100年前からほぼ途絶えている。両国を通行する行商人は厳しく制限され、2つの国のどちらにも与さない種族や商会に限られているのが現状。

 そのため、元々西の国原産の素材や食材などは国によって管理され、一般の魔術師の手に渡ることはほとんどない。……密輸や違法業者を介さない限りは。


 そういった類いのものが、不思議と増加している箇所が見られる。それも、かなりの頻度で。



「……西と繋がっている、ということでしょうか」


「可能性はあるんじゃないか? そもそも、向こうが召喚術を使い始めた時期も気にはなっていた」



 ほら、と皇太子の指差す先には西の国が召喚術を使用する5年ほど前。東の国内では滅多に見ることのない貴重品が軒並み増加しているのが見て取れる。



「……術式の流用、ですか」


「可能性の話だが。魔術師っていうのは自己の魔術の研鑽には手段を選ばないところがあるだろ? 彼のように『天才』と称されるほどの魔術師であれば、そういったことがあってもおかしくはないと、私は考えるがね」



 とはいえ、もう亡くなった人物に問いただすことはできないが、と肩をすくめて見せる皇太子。


 可能性の話、といいつつもテレンツィオにこの話を持ち出している以上、それなりに“匂う”ということだろう。西と繋がっているのであれば、召喚術の原典も向こうへ持ち出されている可能性はある。もしくは、原典の写しが残っている可能性も。



「あとは貴殿の“蝙蝠”に聞いたらどうだ? もしかしたら既に何か掴んでいるかもしれん」


「そうですね。……個人的な事情にご助力いただき、お礼申し上げます」


「ふふ、貴殿からの頼みごとなど、いつぶりだったか。つい楽しくなって張り切ってしまったところだ」



 いつでも気軽に頼ってくれていいぞ? と茶目っ気を見せる皇太子に、機会がありましたら、と笑ってそつない返答を返す。一番アテにしていたこともあって落胆も大きいが、そんなことも言っていられない。早々に退室の許可を得て、早足で城内にある自室へと滑り込む。


 懐から丸鏡を取り出すと、複雑に組み上げられた意匠に魔力を通す。


 ほどなくして、鏡面が揺らいで別の景色を写し出した。



『どーした、隊長サマ』


「……相変わらず軽いですね、人払いは済ませていますか?」


『何年間諜スパイやってると思ってんだよ、万全だって』


「ならいいですが」



 鏡面の向こうで気怠る気に喋るのは、黒髪のところどころを派手な緑に染めた男。西の国に潜り込んでいるガウナーだ。どこか高いところにいるのか、黒髪は風を受けて靡いている。


 手短に西の国に『召喚術の原典』があるかもしれない、という旨を伝えると、「そりゃ好都合だ」と鏡面の向こうで男が笑う。



『今日から西の国こっちはお祭り騒ぎだからな! 他所からきたお偉いさんの警備やら接待やらで禁止書架の警備も甘くなるだろ』


「祭り、ですか」


『なんでも10年に一度だからって、どこもかしこも準備に駆け回ってるって話だぜ? 特に今年は今年100年ぶりにエルフ族も次期族長連れて訪問するってんで大騒ぎだ!』


「……エルフ族?」



 ぱっと脳裏に浮かぶのは辺境の森で会ったエルフ族の少年。確かハルラスといったか。少年らしからぬ鋭い目付きを思い出し、やけにアレッタに執心していたな、と思い返す。

 確かエルフ族は、西にも東にも与する意思を見せていない一族だった。東西どちらの通行証を有する行商を可能とする、数少ない行商ルート。せっかく接触する機会があるのだから今度探りを入れてみてもいいかもしれない。主人アレッタを利用する形にはなるが、最終的には少女のためになるのだから仕方がない。次の機会に提案してみることにしようと考えていると、鏡越しにガウナーの声が聞こえてくる。



『お、噂をすればエルフ族だぜ』


「……貴方という人は。野次馬ですか?」


『偵察だよ、てーさつ! どれどれ〜っと!』



 遠見の魔術を詠唱する声が聞こえて、テレンツィオは溜息を吐く。

 こと、情報収集においては優秀なガウナーだが、彼のいう『面白そうなこと』に首を突っ込む性格は痛い目を見たところで直らないものらしい。このせいで何度か修羅場に発展しているはずだが。


 要件は伝えた。これ以上は、と通信を遮断しようとしたところで、ガウナーの声が耳に入る。



『あれが噂の『妖精姫の婚約者』か』


「……妖精姫の婚約者?」



 あの森にいる妖精たちには何度か会っているが、『姫』と呼称されるような立場のものはいなかったはずだ。そもそも、気位の高いエルフが自ら望まない存在を婚約者に据えるはずもない。……あの少年は、どう見てもアレッタに懸想していた。だとすれば?



「……ガウナー、そのエルフとやらを映してください」


『なんだ? 隊長も気になって……』


「いいから、今すぐ」



 わかりますよね、と僅かばかり怒気を滲ませて笑みの形を作る。おーこわ、と素直に鏡面を移動させた先には、豪奢な6頭立ての馬車。窓は解放され、そこから見えるのは思った通りエルフ族の少年と、空色の髪と透き通った飴色の瞳の少女。見たことのない白いドレスを身につけた少女は、少年の腕を掴んで親しげに談笑していて──どこからどう見ても、テレンツィオの『ご主人様』だ。



「……ガウナー、いいですか。あのエルフ族の動向を探ってください」


『ん? 別にエルフ族とは敵対してねぇし、わざわざ探り入れる必要が……』


「いいですね?」


『……はあ、なんかあんだな? 一応わかったけど、今度説明を、』



 聞き終わる前に通信を切断し、自室の窓を開ける。

 バルコニーに出ると、そのまま手すりを飛び越えて4階の高さから飛び降りる。真下にあった石畳はひび割れてしまったが、後で修復させることにする。近くにいた騎士団員に「急用ができた」と伝えるよう言付けて、厩舎にいる自身の馬に跨ってその手綱を握った。




◆◇◆




「アレッタ様!」



 屋敷の自室からアレッタの部屋へ移動するが、そこに空色の少女の姿はない。くーんくーんとおやつをねだる白い犬が残されているばかりだ。

 水回りを確認するが、昨日テレンツィオが見た配置のまま使った様子はない。少なくとも一日は経過していると見ていいだろう。


 気配を辿るが、随分と遠い場所で反応がある。

 先程鏡越しに見えた光景は嘘ではないらしい。



「……ご主人様の行き先を知りませんか、ヴェルデ」


「きゃうん?」



 返事がないのを承知で問いかけてみるが、子犬は首を傾げるだけ。それもそうだ。まだ何もわかっていない子犬に聞いた自身が愚かだ。流石に頭が回っていないらしいと気付いたテレンツィオは、外へ出ることにする。どうせ向かう先はエルフ族の居住区だ。ことを仕組んだのが誰かはわからないが、事情を知るもののひとりやふたりいるだろう。……いなければ吐かせるまでだが。


 小さなドアをくぐったところで、こちらへ向かってくるエルフと鉢会う。弓を担いでいるその顔には見覚えがある。以前エルフの居住区に立ち寄ったときに会った警備のエルフだ。

 あのときと違うのは、その手にヴェルデの食事があること。


 にこりと笑みを浮かべたテレンツィオは逃げられないうちに目の前のエルフの肩を掴み、くるりと反転させてエルフ背中を家の壁に押しつける。退路を絶った状態で、笑みを崩さないまま問いを投げかける。



「アレッタ様の行方をご存知ですね?」


「あ、ああ、それに関しちゃ、アレッタから言伝を預かってる」


「…………ちなみに、なんと?」


「『心配しないで、すぐ戻るから大人しくしてること』……ってさ」


「………………」



 つい、言葉を失ってしまった。

 この間、軽率な行動で命を脅かすような事態になったのは主人アレッタの方だというのに?



「ふふ、『大人しくしてること』、ですか。それはご主人様によーく言って聞かせてあげないといけませんね」


「あー、な? まあ、あれでアレッタも頼まれたら断れないとこあるから、さ?」


「お気遣いありがとうございます。ついでにもうひとつ、頼まれてはくれませんか?」


「いやー、今エルフ族の重鎮はみんな出払ってて、自分なんかでは役に立たねぇっていうか……」


「いえ、難しいことはありませんよ。少し拝借したいものがあるだけですので」


「いや、待てって、できることなら協力してやりてぇけどさ! 一族の沽券に関わるようなことは……!」




◆◇◆




 ドアの外でわぁー! と声がしたが、ヴェルデは大人しく『待て』の状態で待っている。そうしていればおやつを持ったひとがきてくれるからね、とエルフに言われたからだ。ご主人さまも、いい子にしてたらすぐ帰ってくると。


 ヴェルデはいい子なので!

 しっぽをぱたぱたさせて待っている。


 しばらくすると、ご主人さまのお世話係のニンゲンが戻ってくる。さっきと違うのは、エルフの匂いが染みついた服に着替えていること。



「ヴェルデ、いい子でお留守番していてくださいね」


『うん! ヴェルデ待てるよ!』


「いい子ですね。すぐご主人様も連れて帰ってきますから」



 わふわふと頭を撫でられて、ヴェルデは目を細める。

 このニンゲンも、別に悪いヤツではないらしい。おやつもくれるし、なでてくれるし。ご主人さまに悪いことしたら黙っていないけど、今のところは許してやる!


 ひとしきり頭を撫でたニンゲンは、「では、いってきますね」と家を出て行った。

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