ぎょうてんとぎょうしょうにん


 新しい同居人ならぬ同居犬、ヴェルデの正体は意外なところから明らかになった。


 名前をつけたら声が聞こえるようになったとはとても言えず、テレンツィオには何も言わずに過ごした翌朝。恒例の妖精たちとのお茶会にて、馴染みの妖精から『あら、クー・シーの子どもじゃない』と言われて、詳しく話を聞くことができた。


 クー・シーは犬の妖精。

 妖精の守護を司り、妖精のために脅威を追い払ったり、狩りなどの行動を共にしたりする。妖精の世界と人間の世界を行き来することが可能で、人間を襲うこともあるらしい。緑色の毛並みをしていることが多いらしいが、ヴェルデの体は真っ白。瞳が緑色なのはこのせいかもしれない。問題は標準的な大きさで、大人の牛くらいの大きさまで成長するらしい。牛は大体大人サイズで600〜800kgくらい。そんなに成長されたらアレッタの家には入れなくなってしまう。



「ヴェルデ、取っておいで!」


『わーーーーい!』



 家の前の庭でお手製フリスビーを投げる。

 それなりに飛距離はでているはずだけど、遊び盛りの子犬はすぐに追いついてしっかりとキャッチしている。わふわふと息を荒げてフリスビーを持って帰ってくるのはかわいいし、きちんと指示を聞いてくれているのは頼りになる。意思疎通ができるのなら、本当に護衛のようなことも可能かもしれない。……将来的には、の話だけど。



「ヴェルデ、まって、その勢いで向かってきたらうわわ!」



 口にフリスビーを咥えたままアレッタの胸に飛び込んできた子犬を小柄なアレッタは抱えきれずに地面に倒れ込む。まだまだ生まれたばかりの妖精。加減や常識を覚えもらうのはこれからだ。



「もう、だから言ったのに……」


『でもご主人さま、たのしいよ!』


「そうだね、よかったね……」



 さっきから草むらで転げ回り、土の中に鼻先を突っ込み、庭の柵を飛び越えて駆け回るのはさぞかし楽しいだろう。朝から一緒に遊んでいるアレッタはすでにへとへと。体力もすっからかんだ。

 大型犬には散歩と運動が通常より必要だが、子犬であればもっと必要になるだろう。これはテレンツィオにも散歩を頼むことになるかも、と思っていると、草を踏む足音。



「……何やってんだ、アレッタ」


「あれ? 珍しいね、こんなところまでくるなんて」



 金色の髪を高い位置で結い上げ、グレーの瞳を訝しげに細めたエルフ──ハルラスが倒れ込んだアレッタを見下ろしていた。


 エルフは基本的に排他的だ。自分の興味関心のあるものを突き詰める傾向があり、それ以外にはあまり目を向けない。現にエルフの多くは居住区の中で各々好きなことをやっているものが多い。ハルラスは次期族長ということで狩りや魔法、統治の方法などを学んでいると聞いている。森の中の見回りなんかもその一環で、近くを通るときは寄ってくれるがそれ以外ではあまり見かけない。やっぱり忙しいんだな、という印象だ。


 永い時間を生きるために普通の人とは時間の感覚が異なるというのは感覚的に知っているので、彼らからしたらそれなりに頻繁になるのかもしれないけど。このところいろいろあったアレッタからすると、久しぶりに会ったような気持ちになる。



「何かあった? 見回りでもなさそうだし……」



 白い毛玉をわしわしと撫でつつ上半身を起こすが、いつものお付きのエルフがいない。見回りのときは数人の護衛を引き連れていたと思うのだが。


 珍しいこともある、とハルラスを見上げると、手に何かを持っているのがわかった。バスケットのように見えるが、布がかかっていて中身を窺うことはできない。



「……ハルラス?」


『ねえ! おいしい匂いするよ!』


「あ! こらヴェルデ!」



 しっぽをぶんぶんと振った白い毛玉がぴょこんとエルフの少年に飛びかかる。いきなりのことに驚いたらしいハルラスは「うわぁ!」と短く声を上げ、後ろに体を引く。その拍子に手にしていたバスケットが宙に放り出される。

 そんなことで勢いが止まるわけもないヴェルデをアレッタは魔法で空中に押し止め、飛び散ったハルラスの手荷物も咄嗟に宙で固定する。


 しゃかしゃかと空中で手足を動かす白い毛玉には、急に飛びついちゃだめでしょ、とひとことお説教。宙に浮かぶ荷物たちを元あったようにバスケットへ詰めていく。果物に焼き菓子に、蜂蜜の瓶と青い花を集めた花束と小さな箱がひとつ。ピクニックにでも行く途中だったのかな。最後に布を被せてエルフの少年の元へ向かう。



「うちの子がごめんね、はい!」



 多分割れたり壊れたりはしてないと思うけど。

 そう伝えつつバスケットを渡すが、ハルラスは受け取ろうとしない。何かあったのかと顔を覗き込むけど、目がうまく合わない。



「どうしたの? 何かあった?」


「……何かあったのはお前の方だろ」



 ついつい彼に対してはお姉さんムーブをしてしまうアレッタだが、確かに『何かあった』のはこっちの方だ。先日エルフの長──ハルラスの父親が謝罪にきたくらいだ、アレッタの事情を詳しく知っていてもおかしくはない。

 思えば、このバスケットに入っているものはアレッタの好物ばかり。



「もしかして、お見舞いに来てくれたの?」


「……わりぃかよ」


「ううん、うれしいよ!」



 これわたしに?

 手にしたバスケットを見せて確認すると、こくんと小さくうなづくハルラス。ありがとうと笑みを乗せ、せっかくなので再度バスケットの中身を見せてもらう。さっき見た小さな箱が気になっていたのだ。

 アレッタの手のひらに乗るくらいの白い箱。

 青いリボンで飾られたそれは、夢惑いではあまり馴染みのないしっかりとした装飾だ。落とさないようにそっとリボンを解いて箱を開けると、中から出てきたのはイヤリングだ。ゴールドを基調にしていて、線の細いチェーンが耳たぶと軟骨部分をゆるくつないでいる。青色の宝石が蝶を模るようにカッティングされ、彩りを添える。


 ──自意識過剰でなければ、アレッタをモチーフにしていると思う。多分。

 この世界での貴金属類には詳しくないが、本当にそうであればオーダーメイドなのでは?



「……これって結構高いんじゃ……?」


「そうでもねぇよ、姉さんたちのついでに作ったし」



 ハルラスには3人の姉がいる。

 そのうちのひとりは森を出ているため、外の街での買い物も容易だろう。しかし“作った”というのであればそれなりの手間がかかっているのでは。



「もらえないよ、お見舞いなら他のものでじゅうぶん……」


「〜〜っ! いいから!」



 ぱっとアレッタの手からイヤリングを奪い取ったハルラスは、そのまま膝を折って視線を合わせる。



「……お前の耳の長さに合わせてあるんだから、お前がつけろ」



 エルフは人間よりも耳が長い。

 一方でアレッタも妖精の血が混じっているので少しだけ耳が尖っているが、エルフほどではない。中途半端なアレッタの耳に合わせて作ったのであれば、確かにエルフ族に返しても使えないだろう。



「……ほんとうにいいの?」


「……いいって言ってるだろ。ほら、つけるから耳こっち向けろ」



 なんだか少し早口のハルラス。

 ここまで言われて断るのも違うだろう。今度なにかおいしいものでも差し入れすることに決めて、アレッタは「ありがと、じゃあおねがい」と耳を寄せる。


 少し間があって、そっと耳に冷たいものが触れる感覚。それから、しゃらんと繊細な金属の揺れる音が聞こえる。両耳に音が響いて、アレッタは正面にいるハルラスに耳を見せる。



「どう? 似合ってる?」



 生憎と鏡を持っていなかったので聞いてみたが、ハルラスはその場で固まって動かない。どうしたのかと思って顔の前で手を振ってみると、急にハルラスが立ち上がる。



「……オレが“いい”っていうまで外すんじゃねぇぞ……!」



 よくわからない捨て台詞を残して、そのまま走って行ってしまった。



「……なんだったの……?」



 純粋にお見舞いにきてくれたのはありがたいし、心配してくれた気持ちもうれしい。

 にしても、普段のハルラスらしくない言動が多かったような。


 違和感はあるけれどその正体をうまく掴めず、アレッタは首をひねる。



『ご主人さま〜そろそろおろしてよ〜!』


「あ、ごめん!」



 空中で足を懸命に動かしているヴェルデのことを思い出し、魔法を解いてやる。ようやく地面を走り回れるようになった白い毛玉に『あの丸いやつ、もういっかいなげて!』とせがまれ、アレッタは違和感を頭の片隅へ追いやった。




◇◆◇




 ──コンコン



 控えめなノック。

 散々ヴェルデと遊び回ったアレッタは、はーいと少しだけ気だるげに返事をしつつドアへ向かう。ドアノブを回すと、ふんわりと甘い香水の匂いが部屋の中へと舞い込む。この華やかなのに落ち着くような香りに、アレッタは覚えがあった。



「カレナリエル!」


「久しぶりね、アレッタ」



 外套のフードを後ろに下ろした先から溢れる美しい金の髪、グレーの瞳。エルフ族の特徴である長い耳には美しい装飾品、紅を引いた唇はにっこりと美しい笑みを浮かべている。ハルラスの姉であり、森の外に出て商人をしているカレナリエルだった。

 族長の2番目の娘であるカレナリエルは、夢惑いの外に対する興味が強かった。特に行商に関わりたいと思った彼女は父親である族長と揉めに揉め、家出のような形で夢惑いを出たと聞いている。それも100年くらい昔の話で、今では和解して族長お墨付きの行商人として通行証をもぎ取ったらしいけれど。


 せっかくだからと庭のテーブルセットに案内し、紅茶とクッキーを用意する。いつもありがとう、最近はどう? なんて世間話や今回の積荷のおすすめはこれよ、とお菓子作りに必要な道具と食材の説明を受けたりする。

 うんうんとにこにこで応対するアレッタ。あれもいいしこれもいいけれど、まだ家のストックがあるものも多い。そう思えば、彼女が来る日取りには少し早い気がする。



「いつもより少し早くない?」


「あら、聞いてないのかしら? もうすぐ西の国で大きな祭りがあるのよ」



 せっかくだから、と教えてくれたカレナリエルによると、10年に一度、西の国と同盟を組んでいる国や種族を集めた祭りが開かれるらしい。国をあげての大きな祭りのようで、商人にとってはまさに“稼ぎどき”なのだという。

 戦争中なのに? と純粋な疑問をぶつけてみたが、戦争中だからこそよ、と笑みを返される。確かに、ずっと鬱屈な気分では精神的に保たない。適度に息抜きをしないといけないのだろう。



「じゃあこのあと西の国に?」


「ええ、そのついでに未熟な弟の様子でも見ていこうと思って」



 なんやかんやと、カレナリエルも他の姉たちもハルラスのことを気にかけているのだ。

 近くを通ることがあれば「顔を見にきた」と夢惑いに寄ってくれるし、お土産も買ってきてくれている。たまにそのおこぼれにあずかっているアレッタもついでに気にかけてもらっていて、森の外のお菓子なんかをお土産にもらったこともある。



「それよりアレッタ、その耳の飾り……」


「そう! これってカレナリエルたちが作ってくれたって聞いてるんだけど……」



 耳を飾る金の鎖と青い蝶の宝石に触れて、アレッタはカレナリエルを見上げる。行商を生業とする彼女なら、装飾品のひとつやふたつ手配するのは造作もないだろう。ついでにこっそり金額の目処がつけば、それ相応のお返しができると思うのだけど。


 そういった旨を遠回しに伝えてみるが、目の前の美しいエルフはにこりと笑みをひとつ。



「いい? アレッタ、男の見栄を詮索するものではないわ」


「でも、お返しを考えないと」


「いいのよ! くれるっていうんだから貰っておけばいいの。それでお返しを期待するような器量の小さい弟に育てた覚えはないわ」


「……そういうもの、ですか?」


「ええ、そういうものよ」



 それでも気になるなら、またお菓子でも持って行ってあげなさい、と助言され、アレッタは曖昧にうなづく。


 高いものを貰ったままなのは落ち着かないが、身内からそう言われるのであればそういうものなのだろう。あとはアレッタの気持ちの問題だ。できるだけいいお菓子を作って持っていこうと心に決めていると、それより、とカレナリエルが次の言葉を継ぐ。



「アレッタはうちの弟のこと、どう思う?」


「どうって……?」


「好きか嫌いでいえば?」


「きらいじゃないし、多分良くしてもらってるとは思う……けど!」


「……けど?」


「子ども扱いされてると思う!」



 ぷくっと頬を膨らませるアレッタ。

 確かにハルラスは年齢的に年上だが、見た目は少年、精神年齢的にも少年くらい。対するアレッタは生まれて数年、見た目こそ6才くらいだが中身はしっかりとした大人だ。このあたりがお互いの位置関係を難しくしているとは思うが、アレッタもハルラスも互いに相手を年下として扱っている節がある。

 

 現にハルラスはアレッタに対してほっぺをつねったり頭を撫で回したりと子どもを揶揄うような言動が目立つ。もう大人だからやめて、と言ったこともあるが、改善されたことはない。



「わたしの方がお姉さんなのに!」

 

「ふふ、それもそうね」



 ぷりぷりと怒るアレッタの頭を優しく撫でるカレナリエル。

 ハルラスにされるとなんだか癪に触るのに、彼女に撫でられるのは許してしまうのはなんでだろう。姉としての威厳がなせる技なんだろうか。



「そういえばアレッタ、あの窓から脱走しようとしてる子犬ちゃんは大丈夫?」


「脱走って……あ! こらヴェルデ!」



 家にひとりで残されて寂しかったのか、つまらなくなったのか。鼻先をガラスにぺったりつけ、窓の鍵を肉球でこじ開けようとしている白い毛玉を見つけて、アレッタはもう! と家の中に走って戻る。



「……耳飾りまで贈っておいて、うちの弟は奥手なのねぇ」



 アレッタの淹れた紅茶をひとくち。

 なんの説明もなく贈ったハルラスもハルラスだが、特に疑問も持たず受け取ったアレッタもアレッタだ、とカレナリエルは思う。



「まあ、こうなったら姉の腕の見せどころ、かしらね」



 いいことを思いついた、とばかりに席を立った彼女は、「急用ができた」とアレッタの家を後にする。

 これがアレッタの命運を左右することになるとは、誰も思っていなかった。

 

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