わんぱくとわんだふる



「ふんふんふ〜ん、今日はりんごっぽい果物のパイ〜」



 夢惑いの木に実っている果物を採取しに、アレッタは森の中にいた。ふよふよと背中の翅を動かすと、小柄なアレッタの体は宙に浮く。あれから慣れるために翅を使う練習をしたが、その成果は出ているようだ。


 手を伸ばし、2mくらいの木の上でつやつやに実った果実をもぎ取る。夢惑いに生息する木は水晶みたいに透き通っているが、太陽の光の加減でピンクや紫や青などのさまざまな色に見える。


 その果実はというと、小ぶりのりんごのような形状をしている。色は深い海の色に似た青。中身が透けているかといえば、日に透かすとちょっと見えるかも、くらい。ぼんやりと、中心にある小さな種が円を描くような形で実っているのがわかる。

 味はそのまま食べるには酸っぱいけど、調理すれば美味しくなる。火を通すと甘くなるようで、りんごの要領でパイやタルトにしてよくお茶会にも出している。

 

 最初はこれ食べてもいいの? と多少不安にもなったが、エルフ族に聞いても「食べられるならいいのでは?」とのことだったのでちょこちょこいただいている。あんまり他の種族ひとが食べているところは見たことないけど、妖精たちは美味しく食べている。

 夢惑いの中ではお菓子作りがそれほど盛んじゃないし、ご飯向きの食材でもないからかな、と勝手に納得している。



「せっかくだから2台焼こうかな!」



 この前いっぱいお菓子もらったお返しに。

 自分の手で採集しながら、魔法でもいくつかもいでバスケットへ入れる。テレンツィオの家でもらったバスケットだ。返すよ、といったのだけど、せっかくですからとなぜかそのままアレッタの家にある。

 そのほかにも大きな鍋やフライパンなど、テレンツィオの家から持ち込まれた調理器具が少しずつ増えている。


 宣言通り夕食前にこちら戻ってきたテレンツィオは、アレッタの見たことない食材や調味料をたんまり持っていた。それらを使って手早く調理すると、翌日分の朝食や昼食の仕込みも終わらせて、「しばらくは騎士団の仕事を片付けてきますから、こちらを」とにっこり。出張家政婦のような仕事ぶりで何品もの料理を作り置きして向こうへ戻っていった。


 そんなに気を遣ってもらわなくても体は動くようになったし、魔法を使う魔力も戻ってきたからとは伝えたのだが、しばらくは栄養のあるものを、と引いてくれず。せっかく作ってもらった料理も美味しそうだし、好意を無駄にするのはなと思って、ここ数日はすっかり甘えぱなしだ。そのお返しでもある。

 お菓子ならアレッタも得意だし、夢惑いの果実なら人間の食卓には並ばないだろうし。珍しいから少しくらいは喜んでもらえるだろう。


 艶やかに実った果実でバスケットいっぱいにしていると、森の奥の方からきゃんきゃんと甲高い声が聞こえた。複数人で何か揉めるような声も。


 夢惑いの中で大きな戦闘は御法度だ。

 外敵も少なく、他の種族を喰らう魔物も多くはないのでこの取り決めは私的な戦闘を抑えるためのものでもある。ほかにもいくつか森の中の取り決めルールはあるが統制するのはエルフ族で、これを破ればそれなりの処罰が下る。

 だからといって、小競り合いがなくなるわけではなく。

 


「……やっぱり、ケット・シーだ」



 ふよふよと葉の影に隠れて近付くと聞こえてくる猫語混じりの喧騒と、変わらずきゃんきゃんと空気を割く甲高い声。向こうから見えないようにこっそりのぞいてみると、池の淵に複数の妖精猫ケット・シーがいた。大きさはアレッタより少し小さいくらい。猫の姿で二足歩行し、服を身につけて、人間の言葉と猫語を巧みに操る。彼ら独自の国を作ったり魔法や剣技を磨いたりする一方で、普通の猫に混じって人間と友好な関係を築いていたりするのが一般的なケット・シーだ。

 しかしなぜかアレッタとは折り合いが悪く、姿を見るたびに敵意を向けられ、攻撃を受けることもよくある。

 アレッタとしては猫のお腹に顔を埋めてみたい気持ちはあるので仲良くなれないかなと思うが、これは割愛。


 問題はケット・シーたちがやっていることだ。

 池に向かって猫猫囂囂にゃんにゃんごうごうと声を上げている先には、真っ白な毛玉がぱしゃぱしゃ水飛沫を上げてもがいている。溺れているように見えるが、ケット・シーたちが助けようとしている素振りはない。それどころか、必死に岸へ向かってくる白い毛玉を追い払うようにしている。



「それはダメだよ……!」



 悪意があるにしろないにしろ、命を脅かす行為は流石に見過ごせない。彼らにも言い分があるのかもしれないが、ここで放置して帰る選択肢はアレッタの中にはなかった。


 翅を振るわせて、金の鱗粉を放出する。

 尚もきゃんきゃんと声を上げる白い毛玉の回りの水を持ち上げて、水槽のような形で固定する。これで溺れることもないだろう。



「事情は知らないけど、溺れるのをそのままにして見物するのは趣味が悪いと思う!」



 突然のことに驚いている様子のケット・シーたちの前にふよふよと飛んで姿を現す。

 にゃごにゃごと猫語で何か言っているが、開き直ったように数匹のケット・シーが言い募る。



『そいつがわれわれの敷地内に入ってきたのがわるい!』

『それに魚も食った!』

『セイサイを受けて当然だ!』



 そう言われると、びしょ濡れの白い毛玉はくーんと悲しげに鳴き、頭は項垂れている。毛が多くてよく見えないが、大型犬の子犬のようだ。言葉はわからないけど反省しているようにも見える。これ以上は当事者たちだけでは拗れてしまうだろう。どうしたものか、と少し考えたアレッタはケット・シーたちに尋ねてみる。



「まだ子どもみたいだから、許してあげられないかな?」


『知らなかったとはいえ、勝手に魚を食うのはよくない!』


「お魚がたくさんあれば許してくれるの?」


『おまえが代わりに魚を獲るというのか!』


「まあね、それで丸く収まるなら」



 アレッタは魔法で池を泳ぐ魚を二十匹ほど捕らえる。

 茂みにある蔦を引き寄せて、順番に尻尾の付け根を縛って持ち運べるようにする。びちびちと息のいい魚を束ねてケット・シーの足元に置いた。



「それでどう?」


『もっともっとだ!』



 魚を前足で担いだケット・シーがやいのやいのと騒ぐので、追加で三十匹ほど魚を捕まえると、満足したように帰っていった。


 猫語が聞こえなくなったのを確認して、アレッタはびしょ濡れの白い子犬を地面に下ろす。水で作った水槽を戻して、白い子犬を魔法で持ち上げてみる。この子には問題なく使えるようで、くるりと一回転してもらって怪我がないことを確認。ついでに濡れた毛並みを元に戻してあげる。


 アレッタの魔法は生き物によっては使えないこともある。明確な線引きとしてはゲーム内で使用可能なキャラは操れないのだが、知性があったり高位の魔獣も操れないことがあるので、はじめて見た生き物は操れないものとして扱っている。相性的なものがあるのかな、と思っているが、誰かが正解を教えてくれるわけでもないので答えはわかっていない。


 真っ白でふわふわの毛並みに戻った子犬は、自分が浮いているのが不思議なようできょろきょろと忙しなく視線を動かしている。地面に戻すと、ふるふると身震いした後に自分の体の匂いをすんすんと確認している。



「うん、怪我もなし! もう他の種族のところに入っちゃだめだよ! これあげるから」



 いっぱいになったバスケットから青い果実をいくつか見繕う。

 子犬が食べられるかはわからないけど、夢惑いにいられるのなら普通の犬ではない・・・・・・・・。好みかどうかはまた別だけど。


 くんくんと匂いを嗅いだ子犬が、勢いよくひとくち齧る。しかし、やっぱりそのままだと酸っぱいのかきゅーん! とびっくりしたような声をあげる。



「やっぱりだめなんだ……ちょっと待っててね」



 味見用に、と持ってきた蜂蜜とジャムを鞄から取り出す。魔法で火を起こし、手早く青い果実をの芯をくり抜いてできた穴に蜂蜜を入れ、加熱する。魔法の炎なら温度管理も時短も簡単。あっという間に焼きリンゴ的なものの完成だ。

 熱すぎるといけないので薄くカットし、持ってきたお皿に盛りつける。



「じゃーん! アレッタ特製、焼きリンゴ的な何か!」



 これでどう? と白い子犬に差し出す。

 すんすんと鼻先を近づけてきた子犬は、注意深そうに匂いを確認した後に、ひとくち口にした。今度はお気に召したようで、がつがつとお皿の中身を平らげた。追加でいくつか焼いたあと、アレッタもお腹が空いてきたので少し分けてもらうことにする。

 次々とお腹の中に収めていく子犬の横に座ってひとくち。

 いつもならバターを入れるが、なくてもしっかりと蜂蜜の甘みが満足感を与えてくれる。むしろこの方が果実そのものの風味や甘さを感じられていいかもしれない。それに外で食べるのも気分がいい。最近は食事を作ってもらっていることが多いので、自分で簡単に作るシンプルなものも染み渡る気がする。無意識でぱたぱたと翅を羽ばたかせていると、くーんと白い子犬の鼻先がアレッタの肩をつつく。



「ん? なあに、まだ食べ足りない?」



 アレッタのお皿にある一切れを差し出すが、子犬の興味は別のところにあるようで。すんすんとアレッタの匂いを確認した後にぺろりと頬を舐められる。



「わわ、ちょっとまって、ふふ、くすぐったいって!」



 アレッタの目の前が白い毛並みでいっぱいになる。

 子犬とはいえ大型犬だ。アレッタの小さな体と大体同じくらいの体積でのしかかられたら簡単にひっくり返ってしまう。顔の周りをぺろぺろと舐め回され、ふわふわの尻尾はぶんぶんと振り回されている。多分、お礼のつもりなのだろう。せっかくなので至近距離にいる子犬を撫でさせてもらい、存分にふわふわを堪能しておく。


 

「はい、もう終わり!」



 しばらくはなすがままにしていたが、いつまでも終わらないお礼に魔法で子犬を持ち上げる。空中で手足をぱたぱたさせている間に、ハンカチで顔の周りを綺麗にする。子犬を地面に戻すと、きゅーんきゅーんと甘えたような声でアレッタの周りを回る。



「……だめだからね、きみは連れていけないから」



 アレッタの家は身の丈に合わせて小さい。

 子犬とはいえ、きっとこれから大きくなるだろうこの子を置いておける場所はない。いろいろ取り出した荷物を片付けて、最後にアレッタは真っ白な頭を撫でる。



「じゃあね、今度は迷惑かけないようにするんだよ」



 ふわりと宙に浮いたアレッタは、バスケットを手にその場を離れた。




◇◆◇




「……アレッタ様、その犬はなんですか?」


「だって、ついてきちゃって……」



 アレッタの部屋にはテレンツィオ、そしてふわふわの子犬がアレッタの足元できゅるんとした目をしている。


 本当に連れてくるつもりはなかった。

 アレッタも懐かれるのは悪い気分ではなかったし、子犬があのまま生きていけるか心配にはなっていた。けれど生き物と暮らすのは最後まで面倒を見る覚悟と金銭的な余裕があることが求められる。あの場でこの子の一生を背負う覚悟は決められなかったし、だから別れを告げた。

 しかしいくつか果実を追加で取った後に家に戻ると、家の前でこの子犬が待っていたのだ。



「……まだ子犬だから、きっと寂しくなっちゃったんだよ」


「だからといって飼うつもりですか?」


「……だめ、かな?」



 子犬はどこか不安げにアレッタを見上げる。

 さっきみたいに、何も知らないこの子が他の種族の琴線に触れて命を散らすのは少し心が痛む。アレッタなら多少のことは守ってあげられるし、こんなに懐いているこの子を突き放すのも心苦しい。

 いろいろ考えたけれど、前世で動物を飼っていた経験もあるしなんとかなると思う。普通の犬ではないだろうから、そのあたりは勉強しつつになるけど。


 胡乱げに子犬を見ていたテレンツィオだが、重い息を吐いてアレッタと目線を合わせる。



「……アレッタ様が決めたのであれば、僕からは何も言いません」


「それっていいってこと?」


「最後まで面倒を見てあげてくださいね」


「それはもちろん!」



 やったね、子犬くん! と白い毛並みを撫で回す。

 一時的とはいえ、同じ家に暮らすテレンツィオの同意が得られてよかった。アレッタはもう飼うつもりでいたから、子犬専用のクッションを作ったりしたのだけど。わしわしと頭を撫で回すと、合わせて尻尾もぶんぶん振り回される。



「じゃあ名前を決めないとね!」



 真っ白な子犬はアレッタのことをまっすぐ見上げる。

 まんまるな目はよく見ると深い緑色をしている。決めた、とアレッタは率直に名前を決める。



「じゃあきみの名前はヴェルデ! 今日からよろしくね!」


『うん、わかった! ご主人様さま!』


「……え?」



 さっきまでくーんとしか聞こえなかった子犬の──ヴェルデの声が聞こえるようになる。『ご主人さまに撫でられるのすきー!』と無邪気に頭を寄せてくる子犬に、アレッタはテレンツィオの方を見る。



「……聞こえた?」


「何がですか?」



 どうやら、この子犬の声はご主人様アレッタにしか聞こえていないらしい。

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