ほうもんとほうれんそう


 ──コツコツ



 朝ごはんを食べ終えて、紅茶でも入れようかと思っているときに窓ガラスを叩く音。

 妖精たちのノックにしては硬い音だな、なんて思いながら開けると窓の外にいたのは銀色の小鳥。エルフの族長のものだ。くるりと室内を旋回した銀の小鳥はアレッタの肩に止まると、一方的に「今からそちらへ訪問する。用意しておくように」と言い放つ。



「う、うそ……!!」



 のんびり気分だったアレッタが慌てて飛び上がり、肩に止まっていた小鳥も飛び上がる。そのままぱたぱたとクローゼットへ駆け寄ると、所謂礼服に当たる洋服を引っ張り出す。

 これは伝言を伝えるだけで相互に会話できないタイプの小鳥だ。つまり、『こちらの都合は関係なく行くから覚悟しろ』ということ。エルフの族長がこの小さな小屋にやってくる。問答無用で、準備する時間もないまま。



「きみもできるだけ正装に近い格好にして……! 戸棚の一番奥にある赤い缶の紅茶も出せるよう準備して、お茶請けに何か……!」


「それほど気を遣う必要が?」


「エルフの族長は規則とか体裁に厳しいの! 前なんて『身を清めるのは朝露の雫を集めたものでないと』とか『食事に使うシルバーはアラクネの布で磨いたものでなくては』とか『妖精に人工物は相応しくない』とか! ちゃんと準備しててもいろいろ言われるのに……!」


「………………」



 ぱたぱたと走り回りつつ、魔法で出迎えの容易をするアレッタを、テレンツィオがひょいと持ち上げる。



「ぅえ……!? なに……?」


「アレッタ様、落ち着いてください」


「で、でもお迎えの準備が……」


「いいですか、アレッタ様が起き上がれるようになったのは?」


「……昨日の夜だけど」


「ええ、その通りです。そしてその状態は一般的に『病み上がり』です。むしろ寝巻きでベッドにいるくらいがちょうどいいとは思いませんか?」


「……そう、かも……?」


「というか、多少塩らしくしている方が話は進むと思いますよ」



 そのままベッドに降ろされて、布団までかけられた。動こうとすると視線で諌められるので、仕方なくアレッタは魔法で身の回りだけ整える。テレンツィオが室内を整えて簡単につまめる軽食と紅茶の用意をした頃に、扉を叩く音が聞こえた。


 テレンツィオが恭しく扉を開けると、目付きの鋭い護衛のエルフが2人。その後ろから族長が顔を出した。



「……相変わらず狭い家だな」


「体が小さいので、このくらいがちょうどいいんです」



 頼れるエルフではあるのだが、ちょっと口うるさい。息子のハルラスも『いちいち様子見に来てはケチだけつけて帰るような性格』と言っていた。細かいところに気がつく性格は、一族の長としては向いているのかもしれないけど。


 アレッタの家の中で一番マシな椅子に腰かけた族長は、ベッドで横になるアレッタを見て眉を寄せる。そして、あろうことか深く頭を下げた。



「え……!? あの、何して……」


「……すまなかった」


「えぇ!? いえいえ……! 頭をあげてください……!」



 エルフ一族の、ひいては森の長とも言える彼に急に頭を下げられて流石に上半身を起こす。何か謝られることあったっけと思いつつ、大丈夫ですからと説得するとようよう下げた頭を持ち上げた。



「……あの、大変失礼かとは思うんですが……こちらが謝罪を受けるようなことってありましたっけ……?」


「………………まったく、お主はそういうところがな」


「すみません……! 特に思い当たらなくて……!」



 呆れたように眉間の辺りを抑える族長。部屋の奥ではテレンツィオまで呆れた顔をしている。



「…………神殿へ向かうように行ったのはこちらだ」


「あ!」



 言われてみればそうだ。

 けれどあの龍への感情と受けた傷の回復にかかりきりですっかり忘れていた。



「大丈夫……ではなかったですが、そこそこ元気になってきたので今はもう大丈夫ですよ」


「……そうか」



 これは見舞いの品だ、と護衛のエルフが大きな瓶を取り出した。はちみつよりも少し色の濃い黄金色。けれどアレッタにはわかる。あれはこのあたりではお目にかかれない、北の方の地域で生産されているメープルシロップだ。しかも最高級グレードの!



「……! いいんですか……!?」


「詫びにもならんがな。……他に必要なものはあるか?」


「……そうですね、必要なものとご容赦いただきたいことが」



 メープルシロップから目を離し、族長へと向き直る。

 必要なものは決まっている。魔法に詳しい人間への仲介だ。以前聞いたときに『森の外の有識者』の存在を仄めかしていたのだから、心当たりがあるのだろう。主従関係の解消のために使えるものは使っておきたい。これには族長も快く了承してくれた。



「もうひとつは……虹龍様へ敵対行為を行ったことを見逃していただけないかと……」



 あのような状況ではあったが、虹龍を神として敬うエルフとしては何らかの処罰を下すのが普通だろう。今回の訪問もそのために来たのかもしれないし。謝ってくれるくらいなら見逃してはくれないかな、という淡い期待を込めてみる。



「……ユルルユングル様はお主たちを許すな、と仰った」


「そ、そんな……!?」


「しかし、今回はこちらの手引きでもある。族長の権限でなかったものとしよう」


「あ、ありがとうございます……!」



 その代わり、今後は神殿へ近付くことを再度禁ずる、と言われたが、頼まれたってもう行かない。国外追放ならぬ森外追放されなくてよかった……!


 また連絡する、と話を切り上げた族長は、護衛を引き連れて小さな小屋を後にした。



「お咎めがなくてよかったですね」


「うん、まあ向こうも多少は責任感じてたみたいだし……それより!」



 客人が帰ってベッドから飛び降りたアレッタは、ベッドサイドに置いてあった大きな瓶を抱きしめた。



「メープルシロップだよ、しかもゴールドの!」


「すごいんですか?」


「それはもう!」



  夢惑いは東西の国のちょうど国境付近、位置的には南側にある。人間を寄せ付けないせいで東西どちらの領地にもなっていないのが現状だ。稀にやってくる行商人は人間以外の種族かつ、族長の許可を得ないと通行を許されない。

 そんな交易状況で最も入手しづらいのが北の方の品々だ。北の方から商品を運んでくる場合、問題になるのが保管温度と交易路。揺れの少ない馬車は高価だし何より戦時中である。遠回りせざるを得ないことも多い。その間は常に温度管理の魔術を使う必要があるわけだが、長距離移動中にずっととなるとコストがかかる。北から南へ下りつつ商売するのであれば、ほどほどのところで北の商品を売り捌いた後で新しい商品を仕入れて次の商売をするのが効率的だ。


 そういうわけで、この夢惑いにくる頃には北から届いた商品はほぼ完売。あったとしてもコストを補填するためのいいお値段になっているというわけだ。


 メープルシロップは寒い地域──前世で有名なところだとカナダあたりが主な原産国だ。この世界でも例に漏れず、北の方の特産品。アレッタが入手するには少しばかりハードルの高いお品物だった。



「どこがちがうんですか?」


「どこって! 全然ちがうよ!」



 はちみつも確かに美味しい。

 こっくりした甘さに花の香り、とろりとした黄金色は見た目にも楽しくビタミンも豊富。花の種類によって甘みや香りが変わってくるのも魅力のひとつだ。


 一方でメープルシロップは樹液を煮詰めて作られる。

 収穫時期などによって色や香りが変化し、味も値段も変わってくる。今回お見舞いでもらったのは最高品質のゴールド。これは最も早い時期に収穫されたもので、色は透き通るような金色。味も繊細で上品な甘さが特徴だ。



「まったく違うしそれぞれの楽しみ方が……って聞いてるの!?」


「ええ、聞いていましたよ」



 口ではそう言いつつ、使用することのなかった紅茶のカップを片付けている。絶対聞き流している! と頬を膨らませるアレッタだが、向こうはどこ吹く風。

 まあでも興味のない話を長々と聞かされてもイヤかもしれないな、と思い直してメープルシロップの瓶を大事に大事に戸棚に片付ける。



「あ、話は変わるんだけどさ」



 テレンツィオの若草色の瞳がこちらを向いていることを確認して、アレッタは口を開く。



「そろそろ自分の家に帰りたいと思ったりしない?」




◇◆◇




 暗めの赤を基調とした調度品、立派な天蓋付きの寝台には金の装飾が複雑な紋様を描き、テーブルセットにも見事な意匠が彫り込まれている。立派な部屋にアレッタも目を丸くする。



「す……すごいね……!」


「アレッタ様の家なら10個は入りますね」


「10個は言い過ぎじゃないかな!? ……たぶん、5個くらいだもん」



 どうぞ、とテレンツィオに促されてソファへと腰かける。触れた布地もなめらかでふかふか。絶対高い生地だ……! と感動していると、部屋の外で受け取ったらしいワゴンを押してきたテレンツィオが紅茶を淹れてくれる。そのティーセットも、素人目で見てもわかるほどに美しい。香りのいい紅茶の入ったカップを受け取ったが、落とさないように気をつけるので手いっぱいで味がわからない。


 普段からこんな生活してたらアレッタの家や食事に文句を言うのもうなづける、と納得してしまう。



「それにしても、こんな簡単に空間移動できるものなのですね」


「まあね! これできみの本来のお仕事にも戻れるね!」



 並べられた宝石のようなお菓子をそろそろと手に取り、いろんな角度から眺めながらにこりと笑う。ゲームの仕様なのでアレッタの功績ではないのだが。


 この簡易アクセス設定はマップ上でよく使う地点を選択しておくと一瞬で場所が切り替わる、というもの。メニューから設定できる上限が2ヶ所だったのでひとつをアレッタの家に、もうひとつをテレンツィオの家にすればいいと思って提案したのだ。



「この部屋がアクセスポイントになってるから、わたしの部屋との行き来ができるのはここからだけ。召喚術と紐づいてるから、きみしか通れないと思ってね」


「承知しました」



 これでテレンツィオが抱えていた問題のいくつかは解消されたと言っていいだろう。騎士団としての職務を行う上での魔術の制約もなくなったし、辺境の地である夢惑いに来る手間もショートカット。うんうん、便利な世の中最高!


 同じようにアレッタも移動はできるが、急に子どもが現れたところをこの家の人に見られるのはよくないだろう。よりにもよって、一目で異形とわかる蝶の翅なんて生やしているのだから。街の中でお買い物もちょっとだけ憧れるけれど、いざというとき以外は使わないようにしよう。



「何日か経ってるわけだし、一回顔とか出してきたらいいんじゃないかな?」


「しかし……」


「わたしのことなら大丈夫! もう家に帰るから」


「………………」



 少しばかり考え込むテレンツィオだったが、己の職務のことも気がかりだったのだろう。わかりました、と承諾する。その足で部屋を出ると、いくつかのお菓子をバスケットに詰めてアレッタに渡してくれる。



「夜にはそちらへ戻りますので」


「しばらく来なくていいのに……」


「おや、僕のことを追い出すつもりですか?」



 にっこりと笑ってはいるが、これは本心から笑ってるやつじゃないな、というのがそろそろわかってきた。そういうつもりじゃないけど、と小さく口籠もる。アレッタが目覚めてからのテレンツィオは口うるさいお母さんみたいでちょっと離れたい気持ちがあるのは許してほしい。


 それに、追い出すつもりならこのまま家に帰った後でアクセスポイントを解除すればいいだけなのだが、そもそも最初は自分の足で夢惑いに来ているのだから意味をなさないだろう。



「わかった、じゃあ待ってるから適当に帰ってきてね」


「夕食を作る時間には戻りますので、お菓子を食べ過ぎないようにしてくださいね」


「子どもじゃないんだから、そんなこと……」



 しないよ、と言いかけて、手元にあるお菓子のたっぷり入ったバスケットをちらりと見る。アレッタもお菓子を作るが、やっぱり夢惑いの中では材料が限られてくる。たっぷりのバターや生クリーム、品質の高いチョコレートなんかは手に入りづらい。痛みやすい生のフルーツなんかもそうだ。それらをふんだんに使ったお菓子が、アレッタの手に。

 少しだけ誘惑に負けそうになったが、ふるふると首を横に振る。



「……そんな子どもみたいなことしません!」


「少し迷いましたよね?」


「ちっ、ちがいますーー!」



 もう! じゃあわたし帰るから!

 子ども扱いされて頬を膨らませたアレッタがテレンツィオに背を向ける。そのまま、靴のつま先を3回合わせて音を鳴らす。視界が一瞬で切り替わり、豪奢な部屋から手作り感あふれる見慣れた部屋へと帰ってきた。



「うーーん、やっぱおうちが一番!」



 ベッドサイドにバスケットを置き、小さなベッドへダイブする。


 きらきらの部屋も高そうなカップも宝石みたいなお菓子もいいけれど、自分で作ったこのお部屋が一番安心する。ちょっとお行儀が悪いけど、ごろんと寝っ転がったまま魔法でバスケットからお菓子をひとつ。ぱくりと口にすればほどよい甘さが広がって、思わず頬が緩む。



「ん〜〜おいしい! さすがお金持ちの家のパティシエさん!」



 もういっこだけ食べちゃおう、と別のお菓子を選ぶ。機会があれば作ってるところを見たいなと思うが、きっとそんな機会は訪れない。できるだけ早く関係を解消するのが目的なのだから。


 また今度持ってきてもらおうと心に決めてアレッタは、最後にするからとチョコレートに手を伸ばした。



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