どうようとどうしよう
「やだやだやだ! 降ろして、降ろして……!」
ひょいと抱えあげられるアレッタ、平然と持ち上げるテレンツィオ。向かう先は、というとバスルームである。
「『お風呂に入りたい』と仰ったのはアレッタ様ですよね?」
「『自分で動けるようになったら』って言ったの! むりむり、ぜったいやだ……!」
「帰ってきた日にも僕が風呂に入れてますが」
「それでも! やだってば……!」
かろうじて動かせるようになってきた首をゆるく横に振るけれど、子どもをあやすように「すぐ終わりますからね」と頭を撫でられる。ちがう、あやしてほしいのでもなく、わがままを言っているつもりもない。恥ずかしいからやめてと言ってるだけ。
体なら清拭で十分だし、動けないアレッタを抱えて風呂に入るのはひと苦労だろう。
というよりこの従魔、
「さっきのは治療行為として飲み込むけど……! お風呂は自分で入りたいの……!」
「ある意味これも治療行為ですよ」
「うぅ、そうかもしれないけど……!」
問答している間にバスルームへの扉はもう目の前。
どうしよう、どうしよう……!
動かないこのポンコツの身体のせいで恥の上塗りになってしまう。意識がないときはもう仕方ない。事実はあったとしても記憶にはないのでないものとして扱える。でも今はしっかり覚醒している。誤魔化しようがない!
「うぅ、やだやだ……動いてよぅ、わたしの体……!」
魔力を付与してものを動かすときのように、意識して腕に力を入れる。めいっぱい、ちからをこめて。
──その願いは、思わぬ方向で遂げられる。
「えっ……うそうそ、なんでっ……!?」
アレッタの体は、テレンツィオの腕から逃れることに成功した。今まで
ぱたぱたと羽ばたく蝶の翅は、アレッタの意識とは関係なく上へと登っていき、背中が天井にこつんとあたる。下の方では焦った様子のテレンツィオがアレッタの名前を呼んでいるが、アレッタにも何がなんだかわかっていない。
そもそも、背中の翅は飛行のために使えた試しがなかった。
産まれたばかりのときに何度か試行錯誤してみたものの動かすことしかできなかったので、飾りだとばかり思っていた。ゲーム内でも『アレッタ』が空を飛ぶ描写はなかったので、
「アレッタ様、こちらへ飛び込んで来られますか?」
「わ、わかんない……! 空飛んだのなんてはじめてだから……!」
「……わかりました、少々お待ちください」
言い終わる前に、テレンツィオが大きく跳躍する。
それほど高くない天井へと軽々届いたテレンツィオの腕がアレッタを捕まえて着地する。
「び、びっくりした……!」
「……それはこちらの台詞ですが」
「だって! わたしだってこんなことできるなんて知らなかったもん!」
逆ギレとわかっていながら、抱えられているテレンツィオの胸板をぽこぽこと殴っておく。元はといえばお風呂の介助なんてしようとするから……!
「……アレッタ様? その、腕は……」
「なに……!? わたしごときに叩かれたって痛くも痒くもないんでしょうね!」
「違います、そうではなくて……動かせるのですか?」
「……え、あれ……?」
抗議のぽこぽこを止めて、自分の手を見る。
ぎゅっと握ったり、上に上げてみたり、ぐるぐる回してみたり。足も、首も。そのどれもが、アレッタの思う通りに動かすことができる。
「や、やったーーーー!! うごく、動くよ……!」
「よかったです、アレッタ様」
「これでお風呂もひとりで入れる!」
「……大丈夫ですか? 急に動けなくなったりしたら呼んでくださいね」
「絶対に大丈夫とは言えないけど……! 何かあればちゃんと呼ぶから!」
そっと床に降ろしてもらい、自分の足がきちんと機能することを確かめてバスルームへの扉を開けた。
呼ぶまでは絶対に入ってこないでよ! と言い放っておくのも忘れずに。
「うーん、なんだったんだろう、さっきの」
湯船代わりの大きな桶にお湯を張り、先程のことを思い返す。
これまでにあの翅で空を飛べたことはない。それに急に身体の感覚が戻ってきたのも気になる。
「……なんか、少し大きくなってる?」
ついでだからとお風呂にある鏡で背中を確認すると、白に金の鱗粉で描かれている蝶の翅がひとまわり大きい気がする。そんな急に成長する? と疑問が湧いてくる。アレッタは蛹から生まれ、その瞬間から今のカタチをしていた。つまり、今の状態が成体であり、成長することはないと思っていた。
かと言って生みの親は知らないし、アレッタと同じような種族も夢惑いにはいない。尋ねるとすれば妖精たちかエルフの族長くらいだけど、向こうからしたら「そんなこと聞かれても」になるかもしれない。
……取り急ぎ、身体は問題なく動いているから後回しにしよう。うん、そうしよう。
いろいろなことがありすぎたアレッタは、一旦考えるのを放棄して湯船に浸かる。
「ふぅ、生き返る……」
お風呂の鉄板の台詞だと思っていたけど、今の状況で使うと別の意味でも生き返ってきたばかりだな、と小さく笑う。そもそも、あの龍も悪いとアレッタは思う。飲んだらどうなるか先に言ってくれていたらこんな死にかけることもなかったのに。
お湯の中で手を握ったり開いたり。
うん、ちゃんと動く。
さっきまでもどかしい気持ちだったのが一気に晴れる。
穏やかに生きるためには何よりも健康が最優先。この調子で懸念事項を順番に片付けていこう。
「でも森の中でわからないとなると……?」
ただでさえ狭いコミュニティの中で、これ以上頼れる伝手がない。かといって森の外にはもっと疎い自信がある。
いや、マップだけならゲーム知識で頭に入ってるが、人脈的に頼れるものがない。うむむ、と天井を仰ぐ。テレンツィオの方で調べてもらって何か手がかりがあればいいけれど。任せきり、というのも座りが悪い。仮にも主人として。
「もうすぐ行商人の人がくるって言ってたし、一回聞いてみてもいいかも…………ん? あれ?」
頭を桶の縁に預け、視界に広がる天井のはしっこに何か見える。……いや、ちがう。天井に見えるのではなく、
「……メニュー?」
ぱちくり。瞬きしても別の場所に視界を移しても消えることはない。
見間違えるはずがない。
散々やり込んだゲーム──『黎明のコンヴォカツィオーネ』のメニューアイコンだ。
うそでしょ、と指先でアイコンに触れると、見覚えのあるステータス画面が表示される。召喚済みユニットは一体。テレンツィオ・デル・テスタ。同じように触れれば、HPやMPなどのステータス画面に移動する。うん、とても見慣れた画面だ。
「いやわたしにはわかりやすいけど……! 他のひともこんな画面になってるの……?」
今回の召喚契約自体がイレギュラーだから同じとは限らないけれど、これならテレンツィオの懸念を多少晴らしてあげられそうだ。
「なるほどね、スキル発動が手動になってるから自分で魔法を発動できなくなってたのかな……じゃあこれはオートで……あ、スキルポイント振れる! 結構あるね……試しにいくつか振ってみて、あとは本人の希望聞いて好きなものに振ってあげた方がいいかな……」
てしてしと手慣れた動きで育成と設定を済ませる。
一時的とはいえ、これで今度の戦闘で苦労かけることもないだろう。
「これでよし、あとは簡易アクセス設定を決めて……基礎ステータスもレベル上げて……あ、絆ポイント……」
ゲーム内で親密度が視覚化されている、よくあるやつ。
召喚したばかりは0、最大値は10だ。このポイントが高いと能力も向上するし、レベルに応じたストーリーイベントも開放されるのだが。
「……ゲームの中とはいえ、こんなもの他人に見られたらいやだよね」
前世ではストーリーを解放するためにポイント集めしたり、パーティに入れて連れ回したりしたものだが、今となってはアレッタも
そのうち解消する関係なのだから、お互いの生活に支障が出なければそれでいい。
メニュー画面を閉じたアレッタは、のぼせる前にとバスルームを後にした。
◇◆◇
「……アレッタ様、僕に何かされましたか?」
「あ、わかるんだ!」
お風呂から出てきて開口一番、にっこりと文句のつけようのない笑みと裏腹に不満を滲ませた台詞が降ってくる。
隠すことでもないか、とスキルの解放とかステータスを強化したことを伝えて「もう安心していいよ!」「他に強化したいところがあったら言ってね!」とにっこり。
喜んでもらえると思ったのに、返ってきたのは呆れ顔と重めの溜め息。首を傾げているとテレンツィオは膝を折り、真剣な顔でアレッタと目を合わせる。
「アレッタ様、今後は何かする前に一度相談してください」
「……もしかして、びっくりさせちゃった?」
「ええ、そうですね。急にいくつかの制約がなくなったので、最悪の状況が脳裏を
主従の縁が残っていたので冷静になりましたが、というテレンツィオの顔には揶揄う様子はない。この場合の“最悪”はテレンツィオのいないところでアレッタが死ぬこと、だろう。
夢惑いにそんな暗殺者みたいな方法で殺すモノはいないと思うけど、さっきから過保護モードのテレンツィオからすれば心配になってしまったらしい。
「……別にそんな心配しなくても……」
「アレッタ様?」
「わかったって! ちゃんと言うようにする」
「……本当ですか?」
「こんなことで嘘ついても仕方ないでしょ」
隔離されてたら言うどころじゃないと思うけど、という言葉は飲み込む。
この前みたいに別の場所にいたら無理だし、そもそも四六時中一緒にいるわけにもいかない。とはいえ、この関係が続く以上は一蓮托生。頭の片隅にはメモしておくようにしよう。
「それより今日の夕ごはんは作った? まだならわたしが……」
「アレッタ様はしばらく消化の良いものを召し上がってくださいね」
「消化のいいものって……」
「僕が作りますから座っていてください」
「パンケーキは? はちみつたっぷりかけたスコーンは?」
「まだ駄目です」
「そんな……! もう動けるようになったのに!」
「つい先程のことでしょう? ほら、こちらで我慢してください」
ひょいと抱えられるアレッタ。ベッドに乗せられると、冷えたコップにはちみつ水がたっぷりと注がれる。淡い金色の液体に、アレッタも喉の渇きを思い出す。
受け取ってコップの中身を飲み干す頃にはもう夕食が用意されており、これ以上文句を言うこともできずに美味しくいただく。
なんか、主人扱いというより子ども扱いじゃない? と思うけれど、気持ちはありがたいので騙されることにする。自分で布団に潜り込み、アレッタは明日のことを考えてつつ眠りについた。
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