たいけつとたいしょうりょうほう
あれほど頑丈そうだった真っ白な大扉が、今となってはただの瓦礫に成り果てている。
扉を全壊させた張本人──テレンツィオは、どこから出したのか身の丈ほどの大剣を片手に携え、にっこりと微笑みを貼りつけている。
「言っておきますが、先に手を出したのはそちらですからね」
『ふむ、それを壊すとは。それなりに力はあるらしい』
「無視ですか。……流石、古代の龍は下々のことはどうでもいいようですね」
『──我は助言を請われた。そして実行した。これは慈悲であり、慈愛の感情からだ』
「……命を潰すことが慈愛とは、高貴な方は考え方が高尚ですね」
テレンツィオの声が近づいてくるのが聞こえる。
残った意識を集めてみるが、どうやっても龍の手のひらの上でうずくまること以上のことができそうにない。
考えてみれば、アレッタの命が尽きるまでは主従関係は継続する。従魔の痛みは
アレッタを襲う激痛は確実に命を削り、その影響が従魔であるテレンツィオにも伝わったらしい。
「あなたからみれば最善の方法かもしれませんが……巻き添えになるこちらの身も考えて欲しいものですね」
『お前にとっても悪い話ではないだろう。少し待てば契約は白紙だ。しがらみもなくなる』
「……大衆を守る騎士団としては、目の前で尽きようとしている命を見過ごすのは信念に反しますので」
『いいのか? 我を傷つけるのは大罪になる。お前如きの軽い首では全く足りん』
「必要がなければこの剣を振るうつもりはありませんよ。僕はご主人様を返していただければそれで構いません」
『──わからんな、どうして
「……そうですね、僕も不服ですが……どうやら、アレッタ様と過ごす時間は、案外悪くないと思っているようでして」
──ですから、返してもらいます
いい終わるのと同時に床を蹴ったテレンツィオが、虹龍の持ち上げられた手──アレッタの元へと肉薄する。
けれどその剣先は圧縮された魔力が壁となり、黒き鱗には届かない。アレッタが近づいたときにはなかったが、障壁のようなものを張ることができるらしい。二撃、三撃と剣が振り下ろされるが、傷ひとつつく様子はない。
「……簡単に片付くとは思っていませんでしたが……想像以上に硬いですね」
であれば、とテレンツィオが短く詠唱する。
瞬く間に剣身が炎に包まれ、辺りを赤く照らす。その勢いのまま跳躍するが結果は変わらない。続け様に水、風、雷と多彩な属性を纏わせて攻撃を仕掛けるが、龍のひと薙ぎで全て無に帰す。
その様子を、アレッタは見ていることしかできない。
(……なんとか、しなきゃ)
身体のほとんどに感覚がない。
でも、やらないと。
……このまま放っておけばテレンツィオは解放されるのに。
それでもと、アレッタの命を守ることを選んでくれた彼に、少しでも報いるために。
懐から、小さな瓶をなんとか取り出す。
そこに詰めてあるのは金の鱗粉。アレッタの翅から集めたものだ。何かあったときのためにと持ち歩いているものだが、本当に使うことになるとは。
まだ感覚のある右手と歯で少しずつコルクを抜いていく。ようやく中身を開けたときには、テレンツィオは肩で息をしていた。
(……急がないと)
魔力を補給したアレッタは、まずテレンツィオに
そして、残った魔力で
(……やっぱり、少し魔法が効いてる)
完全にとはいかないが、少しだけ魔法で動かすことができそうだ。
おそらく、先程体内に入れた虹色の液体は虹龍の魔力を凝縮したもの。激痛は自分以外の魔力に侵食されて──死に向かっている部位と言える。死んでしまえばそれはもう『物』だ。アレッタの操る魔法の範疇になる。
じりじりと自分の身体を移動させる。
動かすたびに神経を焼くような痛みが走るが、うだうだ言ってる暇はない。
「………テレンツィオ!」
せいいっぱい喉を震わせて、彼を呼ぶ。
剣を構える若葉色の瞳と目が合う。
「……受け、止めて……!」
無理矢理に魔法で動かしていたアレッタの身体が、龍の手からこぼれ落ちる。アレッタに受け身を取る力は残っていない。テレンツィオが間に合うのを祈るだけ。
重力に従って落下していたアレッタの小さな身体の下に、テレンツィオが滑り込む。荒い息で抱き止めたテレンツィオが、珍しく焦ったようにアレッタの名前を呼ぶ。
「アレッタ様、アレッタ様……! ご無事ですか……!?」
「……無事では、ない……かも……」
結構ギリギリでさ、とへにゃりと笑うと、テレンツィオは険しい顔をして。
──いきなりアレッタの口に指を突っ込んだ。
喉の奥を異物感が、そして急速に吐き気が襲ってくる。ゔぇ、と顔を横に向けて胃の内容物を吐き出す。何度かえづき、吐き戻した後にようやくテレンツィオは指を抜く。
涙目になったアレッタが視線を落とすと、先程体内に取り込んだ虹色の液体が混じっていることに気付く。少しだけ痛みが引き、ぼんやりと感覚が戻ってきている気がした。
「高貴な方のお手を煩わせたようですが、僕たちは別の方法を探します」
『──無謀だな。我に任せればすぐに済むというのに』
「生憎、間に合っておりますので」
虹龍に背を向けたテレンツィオは、ゆっくりアレッタを抱え直してやわらかく笑う。
「……帰りましょう、アレッタ様。僕たちの家へ」
その言葉にうなづいたのだったか。
アレッタの意識は限界で、その後のことは覚えていられなかった。
◆◇◆
※ここからはテレンツィオ視点です。
読まなくてもおはなしは続きます。
意識を失ったらしい
アレッタが死ぬことは確かに話が早く片付く。
自分の手が汚せない以上、他人に殺してもらえるのは好都合だ。これで自由に魔術が使用できるし早々に任務へ戻れる。手を出さないのが最も効率のいい方法だ。……そう理解はしていた。
テレンツィオの思考を上回る、従魔の契約。
縁を通じて伝わる主人の痛み、助けなければという義務感、このままでは死んでしまうという焦燥感。
自分のものではない感情が、彼を無謀な戦いへと駆り立てた。それは今も続いており、主人を死なせないための方法を探さなければという気持ちが先立ち、他の思考が働かない。
逸る足は、最も信頼できそうなエルフ族の居住地に向かっていた。
領域に足を踏み入れた途端、鈴の音が空気を揺らす。
エルフの到着を待つのももどかしく、早足で道を進む。
わらわらと集まってきたエルフたちは武器を携えていたが、腕の中でぐったりと意識のないアレッタを見て顔色を変えた。あっという間に族長の間に通され、寝台に寝かされた。
「……これはどういうことだ」
「それはこちらが聞きたいところですがね」
エルフの長も姿を見せ、アレッタの様子に顔を顰める。
ことのあらましをかいつまんで説明すると、エルフの族長は片手で顔を覆った。「まだ早かったか」と小さく呟くのが聞こえる。
「……何かご存知だったのですね?」
「……詳しくは何も。ただ、虹龍様はこの子を気にかけておられたからな……悪いようにはしないと思っていたのだが」
族長と目が合わない。
テレンツィオは眉根を寄せる。
隠していることがあるのは別にいい。問題は、主人を回復させられるかどうかだ。
「……状況を聞くに、虹龍様の魔力がアレッタを喰っている。これには、彼女自身の魔力で対抗してもらうしかあるまい」
あれを、と族長が短く他のエルフに指示を出す。
ほどなくして、小さな小瓶に詰めた金の粉をいくつか抱えて戻ってきた。テレンツィオも見覚えがある。アレッタの鱗粉だ。
「……あの子は自分の価値をわかっておらん。こうして、身を切り売りするような形でしか生きていけなかったのもあるが……今回はこれで足りるだろう」
いくつかの小瓶の栓を抜くと、金の鱗粉をアレッタの身体にまぶしていく。血の気がなく、真っ青だったアレッタの皮膚が、鱗粉に触れた箇所からほんのりと赤みを取り戻していく。
「……あの子のことだ、きっと自分の家にも同じような瓶を隠し持っているだろう。回復するまで同じようにしてやるといい」
「……他にできることはないんですか?」
「虹龍様の魔力を超えるものなど、そうそう手には入らんよ」
あとは経過を見守るしかないらしいと知り、テレンツィオはエルフの居住区域を後にする。腕にはしっかりと主人を抱えて。急ぎ足で小さな家に帰り、先程よりは僅かに穏やかな呼吸をする主人を寝台に寝かせる。
従魔の契約による感情も、少しは落ち着いたようだ。
「……体感してわかりましたが、これは強力ですね……」
テレンツィオは新しい召喚術の開発に携わっている。
今まで以上に効率よく威力を上げ、できるだけ長く従魔との契約を持続させるのが目下の課題であった。
テレンツィオがアレッタを召喚しようとしたときに使用した魔術は、開発中のもの。それには新しい要素として『感情』と『魂』を紐付けた彼の理論が組み込まれていた。それが跳ね返されたとなれば当然、今回の契約にも反映されていることになる。
強力な魔獣には思考も感情も存在する。
であれば、それらをコントロールし、主人に好意的な感情を無理矢理持たせるようにすれば裏切りもなく、意欲的に命令に従う。やはり理論は正しかった。
「……やはり、試運転は重要ですね」
魂の共鳴による威力増強も効果が認められた。
あの龍との戦いの中で、主人に名前を呼ばれたとき。これまでにない、本来の魔力以上の力が湧き上がるのを感じた。これも経過次第ではあるが、今後の研究に活かせるだろう。
「……早期の解除が目的でしたが……もう少し研究材料が揃ってからでも遅くはないですね」
自分が従魔になる経験もそうそうない。
命令を無理強いしない主人を探すのもひと苦労だ。
こう見えてテレンツィオには敵も多い。付け入る隙をみすみす晒すのは得策ではない。
ならば、しばらくはこのままというのも悪くはない。
「……それに、あのとき言ったことは別に嘘でもないですからね」
主人の死の危機に際し、走馬灯のように過去の出来事がフラッシュバックした。これは彼の組んだ理論で言えば『主人との思い出を懐古させることで死ぬことを回避するための感情を植え付ける』ための仕掛けだが、改めて一日を振り返ると彼女の反応を見るのは案外悪くない、と思い直したのだ。
ゆっくりと呼吸するアレッタを見下ろし、僅かに汗ばんで張りついた前髪をそっとよけてやる。
「……下僕を心配させるのは主人失格ですよ、アレッタ様」
答えが返ってこないのを承知で、恨み言を言ってみる。
彼女であればなんと返すだろうか。
『下僕はやめてって言ったと思うけどな』
『意地悪で言ってるなら、こっちにも考えがありますけど』
子どもっぽく頬を膨らませて、睨み上げてくるだろう光景を想像して、少しだけおかしくなる。うん、やはり、悪くはないらしい。
答え合わせができる日が早く来ることを祈りつつ、テレンツィオはアレッタの布団をかけ直した。
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