しっぱいとしったかぶり


「な、なんでぇ……!!」


「なんで、と言われましても」



 もう一度ご覧になります? と聞かれ、もう見たくない気持ちと現実に向き合わなきゃいけない気持ちの狭間で、渋々後者を選ぶ。おそるおそるテレンツィオの首元にある──本当であればなくなっているはずの魔法紋を見る。


 そこには昨日と変わらず、アレッタの魔力の色の魔法紋がくっきりと残っていた。



「ぅえ、こんなの聞いてない……!」


「アレッタ様、そう言いたいのは僕の方ですが?」


「うぅ……! わかってる、わかってるから……!」



 どうしよう、どうしよう、と頭の中がぐるぐるする。

 アレッタの知っているこの魔法は、前世のゲーム知識だ。詠唱のことばを知っているだけで、魔法そのものの仕組みを理解しているわけでない。だから『魔法が解けない』なんて事態になっても対処法なんてわからないのだ。



「……アレッタ様がかけた魔法ですよね?」


「そうなんだけど……そうなんだけどね? わたしが作った魔法じゃないから……その、事細かに知っているか、といえばそうではないというか……」


「昨日のお話しでは『時間が経てば解ける』とおっしゃっていらかと思いますが?」


「そうだと思ってたし、わたしの知ってるこの魔法は時間経過で解けてたもん……!」



 魔法の仕組みなんてわからないよ! 開発者の人に聞いて! と叫びたい気持ちはあるが、ぐっと喉の奥に留める。ここはゲームの中。開発者の人がいたとしてもこちらから干渉することは不可能と言っていいだろう。大体、ゲームの時間軸から20年くらい前にいるのだからどういう扱いになるのかもさっぱりだ。


 それはそれとして、問題はテレンツィオだ。

 今日にでも元いたところに帰ってもらうつもりだったのに、このままでは帰るどころではない。かと言って、アレッタに打てる手もない。



「……仕方ない、エルフの長に相談してみる」


「長というと、昨日の少年の一族ですか」


「うん、滅多なことでは会えないんだけど、この森では一番魔法に詳しいから……あと、ハルラスに『少年』って言うとすごく怒るから気をつけた方がいいよ」



 わたしも本人に言って怒られたことあるから、と言い含めて気を引き締める。

 方針が決まれば行動あるのみ。

 アレッタはベッドから抜け出たままの姿で戸棚の引き出しを開ける。魔力で手元に引き寄せたのは、ガラス細工でできた小さな青い鳥。


 ふぅっと魔力を込めて息を吹きかけると、鳥が身震いするようにガラス細工が命を宿す。アレッタの手のひらの上でぴょこりと跳ね、小首を傾げている青い鳥に言葉を吹き込む。小さな翼を広げたガラスの鳥は、くるりと身を翻して一直線に飛んでいく。



「緊急連絡用の魔法だからすぐに返事がくると思う、から……もうちょっとまってて!」



 寝巻きのままの髪をくくり、ぱっと見だけはなんとかする。そうしている間に、窓から銀色の小さな鳥が舞い込んでくる。同じようにガラスでできた小鳥は、アレッタの差し出した手のひらの上に着地した。


 銀の小鳥が小さな嘴を開くと、壮年の男性の声が聞こえてくる。



『……朝から騒々しいな』


「すみません、どうしてもお話しさせていただきたくて」


『事情はおおよそ聞いたが、自分でかけた魔法が自分で解けないとは……愚の骨頂ではないか』


「うぅ、すみません……自分でもそう思います……」


『とはいえ、お主の魔法は独自の系統だからな。我々でも紐解くのは容易ではない』


「そこをなんとか……なりません、か……?」


『ふむ、そうだな……』



 少しばかり考えるような間をおいて、エルフの長は言葉を続ける。



『ときにお主、満月の夜は暇か?』


「満月の夜?」



 満月、といえば来週くらいのことだ。

 特に仕事もないアレッタには用事があることの方が珍しい。時間はあるよ、と伝える。



『ではそのまま空けておくように』


「……なんですか、急に」


『教える代わりに少しばかり頼まれてくれ』


「内容がわからないとこわいんですが……」


『そう言っていられる立場か?』


「うっ……」



 泣きついているのはこっちなのだ、対価を求められても文句は言えない。まあ死ぬようなことはないだろう。女は度胸、そしてまずは目先の問題の解決が最優先。



「……わかりましたよぅ、大丈夫です! それで、どうしたらいいと思います……?」


『ユルルングル様に謁見するのが一番早いだろうな』


「え、でもそれは……わたしは禁じられている・・・・・・・・・・・のではなかったですか?」


『やむを得ん。手配はしておこう』


「でも、急にそんな……」


『他に提示できるのは、森を出て有識者にあたるしかないが』


「……わかりました、伺います」



 話はまとまった、とばかりに銀色の小鳥は嘴を閉じ、翼をはためかせて持ち主の元へと帰っていった。



「ユルルングル様、とは?」


「……この森の主、というか……神様みたいな存在、かな」



 この森の最奥、神殿の地下深くに住まう龍のことだ。

 太古の昔にこの森に辿りつき、今の夢惑いを作ったとされる本物の神話上の生物ドラゴン。それがユルルングルだ。この森が人を惑わすのは、の龍が人嫌いであるから、とされている。



「……ぅえ、気が重いなあ……」


「何がそれほど懸念なのですか?」


「……聞いてたからわかると思うけど、わたし、ユルルユングル様との謁見禁止令出てるんだよね」



 ──理由は知らない。

 ただ、そうとしか聞いていないし、神殿の付近には警備隊がいるから容易に入ることもできない。古代の龍に興味はあったけれど、危険を犯してまで忍び込むようなことはしなかった。……というかできなかった。


 ゲーム内で夢惑いの森が登場するエピソードは、この神であり森の主である龍が死んでしまうところから始まる。遥か昔から大地や森に供給されていた龍の魔力が急に消失し、暴走を始めたのだ。それまで入った人間だけを惑わしていた森の木々はその枝葉をぐんぐん広げ、人間の生活圏を脅かすようになった。その結果、近隣のいくつかの町が眠りにつくようになり、問題解決に向かうのが主人公一行になる。


 このエピソードで主人公を竜のところまで案内するのがゲーム内の『アレッタ』の役目なのだが、今は割愛。


 終盤ではボスである龍の幻影と戦うことになるのだが、これがめちゃくちゃに強い。このエピソード自体が2周目以降の要素ということや、いろいろな条件を満たさないと表示されないイベントであることを抜きにしても格段にレベルがちがうのだ。


 幻影との戦いですらあんなに苦戦したのに、生きている状態のユルルユングルと対峙する勇気はなかった。



「会わなくて済むなら会わないままでよかったんだけどな……」


「ひどいですね、あなたの下僕になった僕をこのままにしておくつもりですか?」


「……うそだって、ちょっとだけ行きたくないなって思っただけ」



 小憎たらしいことばかり言ってくるくせに、こういうときだけ子犬みたいな顔して同情引いてくるんだからタチが悪い。くそぅ、このイケメンめ。



「よし! 行かなきゃいけないとなれば身支度しっかりしないと!」


「お手伝いしましょうか?」


「だからぁ! いらないってば!」



 ほら早く出てって! とぐいぐいテレンツィオの背中を押して家の外へ追い出す。こんなことなら自分の部屋にもちゃんとドアをつけるべきだったか。一人暮らしの楽さに誘惑されてそのままにしていたけど、次に改築する機会があれば絶対的に自室にはドアをつける。カギも絶対に!



「準備できたら呼ぶから、迎えのエルフがきたら教えてね!」



 それだけ言い放って、勢いよく扉を閉めた。




◇◆◇




 ぼんやりとした青い炎だけが、暗くて細い道筋を照らしている。

 日の当たらない地下の空気は少しひんやりしていて、ふるりと身震いする。……こわくて震えてるんじゃないから。本当に寒いのもあるんだから。



「……ついてこなくてもよかったのに」


「そうはいきません。アレッタ様が行くところが僕のいるところですから」


「……最悪の場合、殺されちゃうかもしれないよ?」


「そうなれば、全力で抵抗する他ありませんね」



 テレンツィオが悪戯っぽく笑う。

 彼の戦闘能力がどのくらいなのかは知らないけれど、龍と対峙するというのに打ち負かす自信があるらしい。そのくらい言える度胸がないと第一騎士団の団長は務まらないのかもしれない。



「……おねがいだから先に手は出さないでね、そうなったらもう言い訳できないから」


「心得ております」


「話もわたしがするから、きみは後ろの方で待っててね。いい? 絶対だからね!」


「もちろんですとも」



 やけに上機嫌で、イヤな予感がする。

 釘は刺しておくけれど、どこまで言うことを聞いてくれるのかわからない。最悪、威圧されただけで『睨みましたよね』とか言って応戦しかねない危うさがある。そんなことを始めるのは当たり屋か古のヤンキーくらいで十分。お伺いを立てている立場で戦闘なんてけしかけたら、もうこの森にはいられない。


 アレッタの目標はこの森で戦争に関わらず、静かに暮らすこと。家も増築したばかりなのに追い出されてはたまらない。

 本当におとなしくしててね! と何度か言い含める頃に、神殿の最奥へと辿り着く。


 それまでの道とは打って変わり、ぽっかりと空いた大きな空間に繋がる。

 地下空間だというのに2階ほどの高さまで掘られている。青い炎が壁面の地層を照らし出し、奥へいくほど虹色のような複雑な色が混ざっていく。


 最も虹色が集まる場所。強大な魔力の根源の方向に、なめらかな白磁のような真っ白な扉が聳え立つ。



虹龍こうりゅう様、客人をお連れしました」



 案内人兼警備兵のエルフが声を上げる。

 空間を支配する魔力が揺らぐ。

 音もなくゆっくりと、白磁の扉は口を開けた。



『──入るがいい。しかし、許すのは小娘だけだ』



 声が脳を直接揺らす。

 普段なら「の……脳内に直接……!?」なんて冗談も言えるけど流石にそんな場合ではない。

 後ろにいるテレンツィオに目線で「おとなしく待っててね」と伝え、ひとりで真っ白な扉をくぐる。アレッタが通ると、背後で扉が閉まる気配を感じる。少し心細いけど、ここからはアレッタがなんとかしなければならない。


 中は扉と同じ素材でできるているようで、白磁の柱が目に眩しい。まっすぐに伸びる道の両脇には虹色の水が流れ、水流に合わせて色を変える。青い炎に照らされているのは確かに神聖な感じがするけど、身体を押しつぶすような膨大な魔力は恐怖を想起させる。


 自分を奮い立たせるために少しだけこぶしに力を入れ、その場で片膝をつく。立てた膝の上に、祈りを込めて自身の両手を組み、頭を垂れて瞼を閉じる。

 アレッタの知る限り、最も古い敬意を示す形だ。

 

 どこかこちらを伺う様子だった龍が、『ほう、それを知っているか』と短く声を漏らす。

 


『なるほどな、ただの小娘ではないらしい』


「……そう言っていただけるとは、恐縮です」


『いいだろう、顔を上げよ』



 許しを得て、アレッタはようやく視線を最奥へと向ける。

 ゆるやかに尾を遊ばせ、真っ黒な鱗に覆われた巨躯から伸びる首がこちらに向けられている。美しい金色の瞳は鋭く細められ、訝しげにアレッタに刺さる。


 ──これが、『虹龍 ユルルユングル』だ。

 太古の昔は虹色の鱗をしていたとされるユルルユングルだが、200年ほど前にその色を失ってしまったらしい。その原因は、前世のファンブックにも書かれていなかった。今後のゲームのストーリーで明らかになります! との告知はあったがそれを知る前に死んでしまった。……いけない、余計なことを考えないようにしないと。



『……我を前にして別の思考に耽るとは、大した度胸よな』


「いえ、そんなつもりは……」



 神話の存在である龍だが、高次であるほどその能力は計り知れない。ユルルユングルの歴史は古く、その産まれは創世の時代ともされる。ひとの脳内を覗き見ることなど造作もないだろう。

 できるだけ今回おねがいしたいことだけ考えるように努めるけど、できているかどうか。



『──それで、我に頼みがあると?』


「……恐れながら申し上げます」



 これまでの経緯をかいつまんで説明し、打つ手がないことを伝える。エルフの長から伺うよう言われたことも。



「……助言を賜りますよう、お願い申し上げます」


『──話には聞いていたが、これほどとは』



 ……話? 一体なんの?

 尋ねたい気持ちはあったが口を挟むのは憚られ、疑問を頭の端へと追いやる。今考えるべきは魔法の解除をお願いして、できるだけ早くここから立ち去ることだけ。痛いほどの視線を避けるように、頭を下げて言葉を待つ。


 どのくらい経っただろうか。

 僅かな時間だったとは思うが、重力にも似た魔力の圧と沈黙で時間の進みが遅く感じる。

 ゆっくりと虹龍が首をもたげたのが気配でわかる。



『──こちらに来るといい』



 アレッタの身の丈以上もある爪で示されたのは、龍の足元。距離にして2mもない場所。離れた今の位置でもこれほどの魔力の圧があるというのに、そんな近くに行って耐えられるのだろうか。一瞬考えたけれど、助言してくれるというのに逆らうわけにもいかない。

 おずおずと、目の前に伸びた真っ白な道を進む。


 一歩進むごとに龍の圧倒的な魔力が濃くなっていく。

 けれど、思っていたよりは平気みたいだ。


 無事に示された場所まで歩くと、『乗れ』とばかりに龍の手が迎えにくる。本当に? の意味を込めて龍を見上げるが、『早くしろ』と急かされるので慌てて駆け寄る。

 土足で乗るのも気が引けるので──これは日本人の感覚かもしれないけど──黒い鱗の上に座ることにする。鱗は思っているよりやわらかく、触れているところから熱が伝わってくる。


 アレッタが座るのを待って、虹龍は手を目線の位置まで持ち上げた。


 間近で見る金の瞳は迫力が違う。

 どこまで見透かされているのだろうか、底のしれない金色が視界いっぱいに広がる。瞳孔がギョロリと、品定めするように上から下へと降りていく。『……なるほどな』と呟いた虹龍は、つい、と空いた方の手を軽く振る。その動きに合わせて周囲を流れる虹色の水が一滴、アレッタの前へと移動する。球の型でふわふわと浮く虹色の水は、ゆらゆらと動くたびに異なる彩りを見せる。

 こんなことを考えている場合ではないんだけど、本当に綺麗だ。叶うなら、瓶や器に入れて飾っておきたいくらいに。



『手を出せ』


「……? こう、ですか?」



 水を掬うときのように器の型にすると、そこへ虹色の水がするりと落ちてくる。不思議と、ほんのりあったかい。



『それを飲め』


「飲むって……これを飲んだら魔法が解除できるということですか?」


『──いいから、早く飲め』



 煮え切らない返答だが、従わないわけにもいかない。

 そもそも助言をもらいにきているのだから、これが答えということなんだろう。


 手のひらで波打つ虹色の水を見つめ、意を決して口をつける。

 味は特にない。ほんのり熱を持った液体が、嚥下と共に喉を滑り落ちていくのがわかる。



「……飲みましたが、これで何が……っ!?」



 突如、燃えるような痛みが心臓部に走る。

 咄嗟に左胸を押さえる。無意識に治癒魔法を唱えるが意味はない。

 息は荒くなり、心臓は早鐘を打っている。

 激痛は左胸を中心に、徐々に身体へと広がっていく。



「……っ、何を……したんですか……!」


『──縁を切るには上書きするしかない。多少の痛みはあるが問題ない。我が責任を持って元に戻そう』


「……元に、戻すって……ぅぐっ!」



 焼けた鉄を無理矢理内蔵に押し当てられるような激痛に、脂汗が滲み出る。

 熱は体内を這いずり、感覚を削っていく。左側はもう使い物にならないだろう。


 戦闘なんてしたことないし、ゲームでいうHPゲージは見えないけれど──おそらくこのままだとアレッタは死ぬ。この龍は一度アレッタを殺して、そのあと元に戻すと、そう言っているのだ。


 ──きっと相談する相手が間違っていた。

 神話上の生物の感覚に、わたしたちがついていけるわけがなかった。

 太古の龍になら死んだモノを甦らせることができるのかもしれない。でも甦ったそれは、本当にアレッタなのだろうか。


 激痛が思考も魔力も奪っていく。

 抵抗はしてみるものの、すでに体内を蝕む龍の魔力には敵いそうにない。



(……でも、これで彼は解放してあげられるのかもしれない)



 ──召喚術は召喚者が死亡すれば解除される。

 それはアレッタにもわかっていた。それを自分でやるのはこわかっただけで。


 アレッタには身内がいない。

 特に重要な役割があるわけでもなく、仕事もないから誰かに迷惑をかけることもない。

 死ぬのであれば、アレッタの方が都合がいい。

 騎士団の団長を務め、未来のゲームの主人公を生む彼に比べれば。


 ──意識がもう保たない。

 ふらりと自分の身体が傾くのを感じるが、それを支える力もなくゆっくりと倒れ込む──その刹那。



 脳を揺らすほどの轟音が空気を割く。

 残った力で視線を動かすと、閉じられていた白磁の扉が破壊されているのが見えた。



「……随分と可愛がっていただいたようですが……返してもらいますよ」



 ──僕のご主人様ですから。

 大剣を片手で振るうテレンツィオが、見たことのないような笑みでこちらを見ていた。

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