閑話 夜の太陽
※こちらはテレンツィオ視点です。
読まなくてもおはなしは続きます。
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──物音を殺して、階段を降りる。
聞こえてくるのは、ベッドにいるだろう少女の小さな寝息だけ。
他の気配がないのを確認して、テレンツィオは少女──アレッタを見下ろす。
ここまで近くにきたのに全く気付かず、幸せそうに口元を緩めて眠るアレッタ。その細い喉元に、そっと手をかける。片手でもかんたんに折れそうな首を絞めるためにと力を込めようとして──それができないことに、少しだけ落胆する。そして同時に、当然だとも納得する。
経緯はどうあれ、テレンツィオとアレッタは主従関係にある。
従魔である今の彼では、
殺すために首にかけていた手を外し、痛みを放ち始めた己の首元の触れる。
排除することで事が済むなら、これほど簡単なことはない。そう考えてここまでやってきた。召喚術によって結ばれた契約は、従魔の側からは解除できない。それは人間側が主人になることを前提とした魔術であるからであって、召喚しようとした相手から拒絶されることも、魔力を辿って反撃されることも想定されていない。
その
「……本当に無防備ですね」
自分の家にほぼ他人と言ってもいい男を招き入れておいて、しかも防御魔術もなしとは。
部屋を作ったから、と言われて室内を検めたが何の魔術も仕込まれていないどころか、『何してるの?』と訊く始末。あの様子では何もわかっていないのだろう。
このような辺境の地にいては警戒心というものも育たないのものか。
相も変わらずすやすやと夢の中にいるアレッタを横目に、テレンツィオは小さな小屋の扉を開けた。
◆◇◆
『──それで、殺すのも解除もできずに優雅に天体観測ってわけか?』
「この魔境に来るまでを『優雅』と言えるのでしたら、きっと西の国へ潜り込むのも楽しい旅行になりそうですね」
『はは、違いねえ』
皮肉で言っているのに、鏡越しの相手は愉快そうに笑う。実際に西の国へ
戦争の相手である西の国で脅威なのは人間だが、テレンツィオのいる魔境──夢惑いの森では人間以外の全てが脅威だ。ただでさえ未開の地。野生動物と同じ頻度で強力な魔獣が顔を出す。間違って現住種族の縄張りに足を踏み入れれば一斉に攻撃を受ける。気まぐれな妖精に遭遇すれば抵抗する間もなく魔法に絡め取られる。それなりに戦いを経験してきたテレンツィオも眉根を寄せるほどだ。
敵は生き物に限らない。
生い茂る樹木は水晶のように透き通り、日の光を受けてピンクや青、紫に色を変える。そこから放たれる魔力は人間の意識を混濁させ、果てには幻覚から目覚めなくなるという。
そんな魔境に居を構える魔獣がどんなものかと思えば。
見た目は完全に子ども、言動も多少賢しいところはあれど基本的には無邪気な子どものような言い方が目立つ。とてもテレンツィオの召喚術を跳ね返した術者とは思えなかった。
『直接触れば術式の解析もできるって言ってたのはお前じゃないのか?』
「試しましたよ。……けれど無駄でしたね。人間の魔術系統とは全く異なる理論で構成されているようで」
手も足も出ませんでしたよ、と両手をあげて降参の意を示す。召喚術の研究者であり、新しい術式の開発にも関わっているテレンツィオでも無理なら諦めるしかない。少女曰く、『明日になれば解除される』とのことだったが。
そっと首を確認するが、金色の魔法紋はしっかりと存在を主張している。
『にしても、天下の第一騎士団の団長様が……くくっ、子どもに振り回されてるとはな!』
「仕方ないでしょう、反発する気持ちはあっても体はいうことを聞かないんですから」
『ふーん……お前ほどの術者がなす術なく言いなりとはな。……相当な格差があるな』
「でしょうね」
魔獣には12の属性と12のランクがある。
魔術師も同様で、基本的に召喚術で呼び寄せられるのは己と同等のランクかそれ以下の魔獣だ。実力以上の魔獣は召喚を跳ね返し、契約は不履行になる。それでも、ランクが少し上くらいであれば契約の内容次第では召喚に応じることもあるのだが。
術式を跳ね返すどころか上書きし、相手を完全に支配するとなれば相当の実力差になる。誰でもない、テレンツィオ自身が一番そのことを痛感していた。
「まあ、久しぶりの長期休暇と思って気長にやりますよ」
『ははっ! お前も大概肝が座ってんな!』
「君には負けるでしょうがね」
『言うねえ、まあ間違いじゃねえか』
鏡の向こうで衣擦れの音がする。
彼は敵国で女とベッドを共にしながらこんなギリギリの会話をしているのだから、鋼鉄の肝の持ち主に違いない。
『さて、定期報告はこんなもんか。さっきは急に食材が欲しいとか言ってきたが、他にいるもんあるか?』
「そうですね、せっかくですからそちらの酒でも」
『お、いいねえ! だが、言っておくが
「それは、僕に言ってます?」
『そうだったな、騎士団全員相手にしても酔い潰せなかった団長サマに言う台詞じゃなかったな』
ほらよ、と鏡の向こうからぬっと酒瓶が現れる。
鏡面は水面のようにさざなみが立ち、ゆらゆらと景色を揺らしながら空間を繋ぐ。謝辞と共に受け取った酒瓶は、球の形をしていた。天球儀のように中央の球体を支える形になっている瓶をくるりと回すと中の酒が出てくる仕組みらしい。恒星の軌道を描くような形のホルダーには小さなグラスが付属しており、今すぐにでも月見酒ができそうだ。透き通ったガラスの中では黄金色の液体がゆったりと波を立てており、月明かりに透かしてみると蜂蜜のようにとろりとした光が落ちる。
「そちらの女性に贈る物だったのでは?」
『まさか、一晩寝ただけの女に飲ませるくらいならそのへんの猫にでも飲ませた方がその酒も喜ぶだろうさ』
この男にそこまで言わせるのなら、それなりに値の張る酒らしい。ありがたく懐に収めると、先程よりしっかりと布の擦れる音が聞こえる。
『おっと、どうやらオレのお姫様が目覚めそうだ』
「今日限定の、でしょう?」
『言わなければいつまでも夢の中にいられるさ』
「……いつか身を滅ぼすとしたら、それはきっと君が捨ててきた女性たちが団結したときでしょうね」
『ははっ、そうならないように今日はめいっぱい甘やかすことにするさ』
「……健闘を祈りますよ、ガウナー」
『ありがたく受け取っておくよ、団長殿』
鏡面の揺らぎが大きくなり、それが収まるとテレンツィオの顔が映り込む。通信が切れたのを確認して、まだ暗いままの空を仰ぎ見る。小さな小屋の屋根の上から見る夜空は確かに見応えがある。天体観測と揶揄われたが、あながち間違いではないかもしれない。
少しだけぼんやりと天球を眺め、先程もらった蜂蜜色の酒を少しだけグラスに注ぐ。少しだけ口に含むと、見た目の可愛らしさからは想像もできないほどの熱が喉元を過ぎていく。これは確かにキツイ酒だ。しかし顔を覗かせる旨味と辛さのバランスはテレンツィオ好みだった。
「……どうしましょうかね……」
脳裏に浮かぶのはあの空色の少女のことだ。
幸い、懐柔するのはそう難しくはないだろう。
──問題は、どうやって配下に置くか。
戦争の最中、戦力の増強はいついかなるときでも求められる。あの少女の魔力があれば一般の騎士2000人分の働きは望めるだろう。しかし召喚術で縛るのは不可能。また返り討ちに遭っては元も子もない。
「……もう少し、様子見ですかね」
グラスに残った酒を一気に飲み干し、屋根からひらりと飛び降りる。扉を開け、全く気にすることなく眠り続ける少女を一瞥し、何事もなかったようにテレンツィオはあてがわれた部屋へと戻っていった。
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