あいさつとあいいれない

 コポコポとカップに薔薇色の紅茶が注がれる。

 いい匂いが鼻をくすぐるが、アレッタの気を晴らしてくれるわけではない。原因は明白。目の前の椅子に腰掛ける青年──テレンツィオのせいだった。


 あの後、自分に非があることを認めたアレッタは潔く謝り、「時間経過で元に戻りますよ」ときちんと伝えた。もっと詳しくいうと15ターンで効果が切れるのだが、そこは割愛。時間にして半日もあれば完全に効果はなくなるはずだが、「本当に効果がなくなるか確認してから帰ります」とにっこり。あれやこれやと丁寧に説明したのだが、確認が終わるまでは留まるの一点張り。


 「お茶も出ないのですか?」と煽られ、仕方なくお湯の用意を始めたのだ。



「……悪かったとは思うよ。思うけど寝起きの女の子の家に突撃するのはよくないんじゃないかな?」


「戦闘中に魔力使用の制限を受けて、上級魔術が使えなくなった僕の気持ち、わかりますか?」


「う、それは、悪いと思ってるけど……!」



 不注意とはいえ、第三者に迷惑をかけたことには違いない。アレッタはごにょごにょと言い返す言葉を飲み込む。仕方ないじゃん、主人公の父親になる人から召喚されるなんて予定になかったんだもん。


 前世で読み込んだファンブックによると、テレンツィオは東の国でも優秀な騎士の家系の出身。召喚術が大きな武器となった情勢の中、剣の技量のみで第一騎士団まで上り詰めた実力の持ち主だ。


 しかし戦争の激化に伴い、召喚術を戦闘に組み込むために造詣を深めていく。召喚の利幅、有用性。そして召喚術による限界に気付いてしまう。『召喚できる従魔がいなくなれば、召喚術が意味をなさなくなる』という欠点に。

 その辺にいる魔物では力不足。すぐに蹴散らされて命を散らす。強い従魔でも戦いの中で死んでしまえばそれまで。戦争で有用なほど強い従魔には限りがあるのだ。


 テレンツィオは後進のため、新しい形の召喚術を組み上げた。それが、従魔と魂を繋ぐ召喚だ。そうすることで召喚者と従魔の魔力を溶け合わせ──これを共鳴という──増大させる。双方の力を最大限引き上げる魔法陣を書き上げた。この共鳴はお互いの絆ポイントが高くなるほど威力も上がるという仕様だったがこれも割愛。


 しかし、それをテレンツィオが実行することはなかった。大きくの人間はそれを机上の空論と笑い、テレンツィオは第一線で理論を実証することなく戦いの中で命を落とした。故郷に子を宿した妻を残して。


 故郷に残した息子──ゲームの主人公がテレンツィオの遺品から『新しい召喚術の理論』を発見し、実行に移すまでその理論は日の目を見ることはないのだ。

 そのおかげで主人公は人並み外れた召喚術を使うことができ、15歳という若さで皇帝直々に直属部隊に任命されることになるのだけど。



「……たいしたものじゃないけど」



 庭の薔薇で作った紅茶に花の蜜を添えて渡す。

 アレッタにとっては朝ごはんでもあるので、パンに昨日作ったジャムを付けようと冷蔵庫もどきを開ける。瓶詰めしたジャムをスプーンひとさじ味見する。うん、美味しい。さすがわたし、世界が平和になったらお店でも開こっかな。まあ、それまで絶対に召喚されないっていうのが条件だけど。



「それは?」


「これ? 昨日作ったジャムだけど……」



 振り返ると、テレンツィオの視線がジャムの瓶に向いている。心なしか、さっきよりもそわそわしているような。つやつやのジャムは急に押しかけてきた怒れる青年の心も釘付けにしてしまうものか。うーん、罪深い。



「よかったら食べる?」



 わたしも食べるし、と首を傾げて聞いてみると、こくりと素直にうなづく青年。なんだかちょっとだけかわいいな、という感想を抱きつつ、せっかくなのでたっぷりジャムを乗せたパンもお皿に乗せてあげる。



「はい、どうぞ。味は妖精たちのお墨付きだから!」


「どうでしょうね、人間の味覚に合うかどうか」


「もらっておいてその態度って、ちょっとどうかと思うよ?」


「そうは言っても、下僕の食事管理も主人の管轄では?」



 きっちりパンを受け取っておきながら、空いた手でテレンツィオは首元を覆うインナーを少しズラしてにこりと笑う。


 そこには首輪のようにぐるりと一周、金色に淡く発光する魔法紋が刻まれている。その魔力は間違いなくアレッタのもので。うっかり条件を満たしてしまったと発覚したのも、アレッタの過失だということも、現状本当にテレンツィオがアレッタの配下にいるということもこの紋様が全て証明していた。



「う、もういいでしょう? 何度も言ってると思うけど、時間が経てばちゃんと消えるってば」


「初対面の人間を完璧に信用するほど、楽天的な性格はないものでして」



 だったら迂闊に出されたものも食べない方がいいんじゃ? という疑問が一瞬よぎったけど、ジャムがおいしそうなのは絶対的な真実。アレッタのおなかもくぅと鳴く。いただきます、と手を合わせてパンにかじりついた。甘酸っぱい酸味と、とっておきの花の蜜の甘さが口の中に広がる。魔力が充電されていくのを感じて、背中の羽根がぱたぱたと羽ばたく。


 アレッタが口をつけたのを見てテレンツィオも片手でパンを持ち上げ、控えめにひとくち。途端、僅かに目を丸くする。噛みしめるように味わった後は大きな口でパンを齧り、あっという間に胃袋の中に収めた。



「どうだった? 人間の基準も満たしてるでしょ?」


「……辺境の地にしては悪くないですね」


「ふーん、そっか」



 素直においしいっていえばいいのに。

 アレッタは紅茶にもジャムを落として、こっそりテレンツィオを観察する。ファンブックには彼の息子世代の情報は豊富だ。けれど両親──テレンツィオのことについてはフレーバー程度の数行が記載されているだけ。性格とか、何が好きとか、信念とか、そういったものは書かれていない。だから推測するしかない。



(多分だけど、敬語使ってるのは『主従』の契約のせい、かな? それと、結構負けず嫌いかも)



 言葉尻にトゲがあるのは多分わたしのせい。きっと普通に喋る分には騎士的な対応してそうだな。

 由緒正しい騎士の家系だから、矜持とか誇りとかにもこだわりがありそう。早く契約解いて戦場に戻りたいっていう主張から責任感も強そうだし、若くして第一騎士団に任命されるってことはストイックに自己研鑽するタイプかな。……これはモテるね。ううん、女の子の方が遠慮して遠くから見てる子がめちゃくちゃいる系かも。隙がなさすぎると却って気後れしちゃうとこあるよね。



「何かついてますか? 『ご主人様』?」


「ご主人様はやめて欲しいかな……」


「では何と?」


「普通にアレッタって呼んでいいよ」


「ではアレッタ様、どうして僕の方を見ていたのですか?」



 『様』付けするのは主従の意識からか、それとも意地か。嫌がらせの可能性もあるけど、『ご主人様』よりは随分マシだ。アレッタにそういう趣味はないのです。



「……いつごろ帰ってもらえるのかな、と思いまして」


「ああ、お気になさらずに。数日は野営できるように荷物を持ってきましたので」


「野営って……外で寝るの!?」



 驚いて思わず身を乗り出してしまう。

 アレッタの住むこの森は、人間からは『夢惑いの森』と呼ばれる。読んで字の如く、迷い込んだ人間は夢に囚われ、長時間その状態が続けば意識が戻らないこともある。運良く意識が戻ったとしてもその魂は森に囚われ、無意識のうちに森へと足を向けることになる。


 アレッタはこの森で生まれた妖精のようなものだ。耐性はある。それでも危険性を鑑みて、結界代わりの我が家に篭りがちだというのに。

 耐性のない者にとって、長居するべき場所ではない。



「外はあぶないよ、やめた方がいいと思う」


「そうは言いましても、アレッタ様の家には僕が寝られるような場所はないでしょう?」


「ぅえ、だってひとり暮らしだし……」



 ぐるりとあたりに視線を巡らせる。

 5〜6歳くらいの体格しかないアレッタの家には、それに見合った広さと家具しか置いていない。前世の言い方でいうなら1R。仕切りも何もあったものではない。


 そもそも辺境の夢惑いの森できちんとした家がある方が珍しいのだ。妖精族やエルフ族はもう少し自然の洞窟とか木のうろを利用して暮らしているから、人工的な建築物はアレッタの家くらいのもの。それに人間のための防護魔法をかけているのもアレッタの家だけ。


 うーん、ううーん、とアレッタはひとりで唸る。

 勝手に夢惑いの森に入ってきた人間は自業自得。例え死んだとしても魔獣に美味しく頂かれてください、だ。


 けれどテレンツィオはどうだ?

 アレッタのうっかりのせいでここにいるのでは?


 外で野宿していて朝見に行ったら死んでました、ではあまりに寝覚めが悪い。



「うぅ、仕方ない! わたしがなんとかする!」


「なんとか、とは?」


「おうちを改築する!」



 ぴし、と天井を指差す。

 そろそろ保管庫も欲しいと思っていたところだ。せっかくなので2階建てにして客間を作るのも悪くない。

 この先、夢惑いの森に客人が来るかは別として。



「そんな一朝一夕にできるものでもないでしょう?」


「材料があれば、夜には間に合うかな?」


「……揶揄ってます?」


「あ、信じてない顔! まかせてよ、絶対できるから!」



 安心させようと笑いかけるがテレンツィオの表情は変わらない。

 これは実際に見せてあげるしかなさそうだ。そうとなれば、とアレッタは残った紅茶をぐいと飲み干す。



「そうと決まれば、オグニル爺のところへ行かなくちゃ」


「オグニル爺、とは?」


「ドワーフのおじさんなの。木材とか金属とか、そのあたりの森の資材管理を一手に引き受けてて。頼んだら材料全部そろうよ」



 空いたお皿を浮かせて回収して、水と洗剤もどきを操ってさくっとお片付け完了。よいしょ、と椅子から降りた後に、そういえばとテレンツィオの方を見る。



「……ちょっと外に出ててもらっていい?」


「どうしてです?」


「出かける支度するの。すぐ終わるから」


「下僕たるもの、常にアレッタ様のお側にいるべきでは?」


「……ほんと、すぐ終わるから」


「何か、やましいことでも?」


「ないない、ないから」


「ないならご一緒でも構わないのでは?」


「〜〜っ、着替えるから、外で待っててって言ってるの!」



 バン! と大きな音を立ててドアを開け、テレンツィオが座る椅子を丸ごと外に押し出す。何か言ってくる前にドアを閉めて、ついでに鍵もかけた。

 いくら見た目が6歳だからといっても中身はアラサー、人並みの羞恥心は持ち合わせているのは理解して欲しい。……言うつもりはないけど。



「よし、せっかくだし新しいワンピースにしちゃお!」



 気を取り直してベッド脇のクローゼットを開ける。

 ごそごそと寝巻きを脱いで、空色のワンピースに袖を通す。背中の翅が出せるようなカタチで作ったのがぴったりで、思わず笑みが溢れる。アレッタの髪色も空色なので色の相性もいい。

 腰まで伸びたふわふわの髪をふたつに分け、ちまちま三つ編みにする。編み終わりを白いリボンで結い、最後に鏡でバランスを確認。


 空色の長い三つ編み、透き通った飴色の瞳。

 そして、背中から生えた白地に金色の揚羽模様。


 よし、といつも通りの身姿にアレッタは鞄を肩から下げる。これがただのお出かけなら気分も弾むのだが、外で待っているのはアレッタの『下僕』。急に気鬱になってため息を吐きたくなるが、これも自分のうっかりのせい、と重たい気持ちを飲み込む。



「よし! 改築がんばるぞー!」



 誰も見ていないのをいいことに、空に向かってこぶしを振り上げる。せっかくだから屋根の色も変えちゃおうかな、などと箱庭系のゲームを思い出しつつ、アレッタはドアの鍵を開けた。

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