第9話

王室のお茶会から帰ってきて、その日の夜。

私は部屋についているバルコニーでため息をついていた。


「やっぱりいなかったか……」


「誰がですか?」


「ヒョッ!?」


突然私の後ろに現れ、声をかけてきたヴィアにわたしは悲鳴を上げてしまう。

するとヴィアは無表情ながらもはぁっと呆れるようにため息をついた。


「何度も申し上げている通り、私はお嬢様の護衛騎士です。お嬢様の側を離れることは早々ないですよ」


「何度も言ってるけどそんなぴったりくっつかなくて大丈夫だから!家の中くらい自由にしてていいから!」


一息に言いきってぜぇぜぇと肩で息をする。


「相変わらず獣のような身のこなしですね。お嬢様のその誰にどんなふうに思われても構わないと言わんばかりの立派な精神、見習いたいです」


「誰の……せいだと……」


息を整え、私は気を取り直すように髪をはらった。


「で、お嬢様。誰を探されていたのですか?」


「え、そんなのあんたに関係ないでしょ?」


「お嬢様のことなので関係あります」


「ちょ、近い近い」


ずいっと顔を寄せてくるヴィアに私は腰を逸らしながら、まぁ隠すことでもないかと話すことにした。


「友達を探してたの」


「え、イマジナリーフレンドですか?」


「違うわ!?」


「あ、それとも友達探しの方ですか?お嬢様ご友人がいなくてお寂しいのですね。おいたわしい」


よよよ、と泣きまねをして見せるヴィアに恨めしい視線を向けながら、また一つため息をつく。


「いたら、一緒に逃げようと思ってたのに」


ぼそりと呟いたその言葉にヴィアがぴくりと肩を動かす。



「逃げる……ですか?」


あ、やべ。口が滑った。

だが時既に遅し。

ヴィアは私を静かに見つめていた。いつも何考えてるかわからない奴だけど、今はさらに考えが読めない。


「ひ、比喩よ。こんな恵まれた環境から逃げるわけないじゃない」


「じゃあ、どういう意味ですか?」


「それはえーっとね、あ‼そう、明日のマナーのレッスンめんどくさいから逃げたいって言っただけよ!」


「……そうですか」


とりあえず引いてくれたようで、ヴィアは一歩後ろに下がる。

私は反らしすぎて少し痛む腰をさすりながら、ごまかすように笑った。


「そもそも、わたしが本当に逃げたとしてもあんたには関係ないでしょ?親父が私を逃がしたからってあんたをクビにするとは思えないし」


「それ本気で言ってます?」


「えぇもちろん」


私がそう言えばヴィアは遠い目をしだす。

え、何その表情。


「確か旦那様、少なくとも一日5回はお嬢様の部屋に来てません?」


「えぇ、めんどくさいったらありゃしないわよね」


「旦那様、先月はお嬢様が初めて笑いかけてくれた記念日パーティを開いてませんでしたか?」


「あぁそんなものもあったわ。シェフの一口デザートがおいしかった~というかなんで急にそんなこと聞いてくるのよ」


顔には出さないがヴィアが心底呆れかえっているのが伝わってきた。

さっきからなんなのよ、こいつ。


「たぶんお嬢様がいなくなったら私物理的にクビになりますよ?」


「はい?」


そう言われてふと親父のことを考えた。


――――

『ガラス‼ほらお前の瞳と同じ色のネックレスだぞ!』


『ほら、お前が小さいころ私に笑ってくれた写真だ。あぁ同じ写真は100枚ある。これで絶対なくさない』


『ガラス‼』『ガラス』『ガラス?』『ガラスぅ……』


――


今までの父上を思い出した上で私がいなくなった後のことを想像してみると――あ。


「あー大丈夫大丈夫、きっと何とかなるわよ!」


「お嬢様、こっち見て言ってくれません?」


「さぁ寒い、寒い‼早く部屋に入るわよ」


「お嬢様?」


後ろからヴィアの視線がブスブス刺さっている気がするが、気のせいだきっと。

大丈夫よ、心配ごとの9割は起きないって言うし!大丈夫、大丈夫。

私は自分をそう説得して、ケリーに身支度してもらってそのまま眠りについた。

明日から逃亡のためにがんばるぞと心の中でこっそり誓いながら。


――――


ケリーも部屋から下がって、ガラスの寝息だけが寝室に響く。先ほどまでガラスがいた、月光が差し込む部屋のバルコニーに、何者かの影が落ちた。

下で護衛たちが、雑談を交えながらも巡回に来たが、その人間に気が付くことなく通り過ぎて行く。

その人物はその護衛たちをあざ笑うようにふっと笑うと音もなくドアに近づき、ノブに手をかけようとした時だった。


「おや、ノックもなしですか。お嬢様よりも礼儀知らずでいらっしゃるようで」


ピタッとノブに伸ばされた手が止まる。

ローブで隠れた顔をゆっくり振り向かせればそこには同じくローブで半分顔を隠したヴィアがいた。


「どちらからの来客ですか?よければ教えていただきたいのですが」


ヴィアは挑発的にローブからナイフを取り出して、くるっと回す。


「……死にたくないなら邪魔しないで、彼女が私の昔の知り合いに似てるから確かめに来たのよ」


「なら、人違いです。お嬢様は友達なんて一人もいませんから」


二人はしばらくにらみ合っていたがふと彼女が肩を竦めた。


「……今日は帰るわ。私じゃあなたに敵わなそうだもの」


「逃がすとお思いですか?」


侵入者が踵を返そうとした瞬間、ヴィアは地面を蹴った。

しかし、侵入者が床に何かを投げ、先ほどまで侵入者をとらえていた視界は一瞬で白い煙に覆われる。


「っつ‼」


その煙が肌に触れた瞬間、ピリッとした感覚がヴィアの体に走った。

体をのけぞらせ、煙に突っ込む前に床を蹴り、一回転。


「しびれ薬入りの煙幕ですか」


煙を吸い込まないよう、ローブで口を覆いながら辺りを見回すが煙が晴れない。


「風の魔法の祝詞はたしか……」


ヴィアが口元でぶつぶつと何かを唱えれば、強い風がその場に吹き、煙が一瞬で晴れる。


しかし、先ほどまで侵入者がいた場所にはだれもいなかった。


「まぁ逃げますよね、そりゃ」


ヴィアははぁと一旦息をつくと、パンパンとローブについた土ぼこりを落とす。


「報告は……まぁいいでしょう。小物っぽかったですし。これでお嬢様の護衛外されたらたまったもんじゃないですからね」


そう言ってヴィアは横に生えていたリンゴの木に視線を向けながらその場から飛び去った。


――――


ヴィアが去った後、木の上で息を潜めていたある人物は、ふぅと安心したように息をつく。


「ひーあぶね。やっぱり公爵家は違うわ。まさかバルコニーにまで護衛がいるなんて。それに多分あの子、私がここにいること気が付いてたわよね。なんでか見逃してもらえてラッキーだったわ。もう来るなってことなんだろうけど――」


彼女の耳についたピアスが揺れる。チャリンと軽い音をならしたそれに彼女はポリポリと後ろをかく。


「とりあえず報告ね、ご主人様に」


そう言って彼女は屋敷の外へと飛び出したのだった。


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