第25話 不法侵入は犯罪です

 真夜中の零時、王城はひどく静まり返っていた。

 昼の喧噪はもはやなく、衛兵すら眠気に毒されて緩慢な動作で城内を歩く。

 回廊に取り付けられた角灯は夜気を払うように揺らめいている。


 それは至って普通のことであり、毎晩繰り返されたこと。しかし、異質な存在が一つ。時間の流れすらも遅々と感じられる真夜中、王城の広場を闊歩している姿があった。

 絢爛豪華な建物に囲まれた空き地は芝生でできており、騎士たちが訓練するには丁度よい開けた空間。


 だが、堂々と芝を踏みしめていくその姿は誰の目にも留まらない。

 筋骨隆々の身体に奇抜かつ派手な服装をした、性別不詳の謎の人物。


 ――――そう、オカマである。


 月明かりをことごとく透過させる身体はオカマなりの配慮だった。

 王城には衛兵が四六時中稼働しているのだが、オカ魔法の効果によって透明化しているため、その存在に気付く者はいない。


 否、彼女以外は――。


 ――――――斬。


 角灯の光が僅かに揺らめいた瞬間、鮮血が噴水の如く舞い、芝生を赤黒く濡らす。

 際限なく滂沱と溢れ出る液体は周囲の草に恵の雨を錯覚させるだろう。


 自身を襲った突飛な事象に当惑しつつ、身体の異常を見て何が起こったのかを冷静に理解したオカマは明るく言い放った。


「ヒドイじゃなーい。こんな手荒い歓迎なんて、オカマ、聞いたことないわぁーあ」


 切れ長の視線の先、屋根上に佇む一人の少女は息を小さく吸った。それは関心と忸怩。

 肩から臍にかけての裂傷は常人なら即死は免れない。だが、オカマと名乗った人らしからぬ存在は冷静極まっていた。まるでテキトーな挨拶を受けて憤りを感じているような、そんな日常の一コマのように。


 そして、対象を一撃で即死できなかった自らを恥じた。それは剣士としての矜持ゆえ。


「ごめんね、誰だか分からなかったから。でも、生きていてよかった」


 まるで相反したコトを語った彼女は、透明化されたオカマを確かに捉えていた。それは気配という希薄なものだったが、彼女にとってはあって当たり前の第六感。

 そして、オカマが生きていたことが本心から嬉しい様子。興味と関心はこの状況では分不相応だろうに。


「あら、物騒ね。身長と胸は適切な睡眠で豊かになるのよ」


 月光をバックにした少女は目算十五歳という若さである。

 無表情な顔は感情を感じさせない。まるで死人のような冷淡さで対象を静かに窺っている。


「あたしは怪しい者じゃないわ。危ない者かもしれないけどね」


 パチリと片目を瞬いたオカマは、されど神経を研ぎ澄ませていた。

 気配すら感じさせずに、一方的な攻撃を許したという事実が余程堪えたのだろう。不可視化の魔法を解き、戦闘態勢をとる。


 月明かりに照らされ姿を現したオカマはその存在感を解き放つ。


「おかしなことを言うね。こんな時間に不審者がいるなんて充分怪しいよ」


 至極当たり前のことを言った彼女はワインレッドの瞳を鋭く向ける。

 まるで殺気ともいえる威圧は戦闘の合図のよう。


「――オカマHealヒール――」


 と、オカマは魔力を練る。魔法によって身体の損傷を治すために。


「させない」


 僅かな魔力の揺らぎは究極に研ぎ澄まされた彼女の感覚を欺くことなどできない。

 呟き、オカマへと直線的に飛んだ彼女は剣を抜く。


 一閃となった剱が首筋を捕らえた時、


「――オカマBlowブロー――」


 放たれた拳の風圧により、少女は空中へと吹き飛んでいく。

 それと同時にオカマの拳が割断する。いつ斬られたのか、そんな思いで治癒魔法を継続させる。


 魔法の同時発動は凄腕の魔法使いであることの証明。

 二つの魔法を同時に発動してみせたオカマは速やかに全ての傷を完治させ、茶目っ気を醸しつつ言う。


「もう帰るから、見逃してちょうだい?」


「うーん、この城には友達が寝ているから無理かな」


 友人のために危険因子は排除する。そんな意味を受け取ったオカマは潔く諦めることにした。


「美しい友情、痺れるわぁー!」


 両手を自身に回し、恍惚と頬を赤らめる。


「だから……このあたしが気の済むまでカマってあげるわ!」


 中空でくるりと身を翻した少女は音もなく芝生に着地した。

 その表情は若干引いている様子。


「…………」


 オカマは魔力障壁で身体を覆っているため、斬撃は効かない。

 では、先程の斬撃はなぜ効いたのか。そこに戦闘の鍵があるように思えたオカマは脳をフル回転して思考する。


「そうねぇ、あなたはサイレントキラーガールよ!」


 いつの間にか思考が脱線し、少女にヘンな名前を付ける。

 名前がなくては始まらないというオカマの特性によって。


 途端、ちか、と斬撃が飛ぶ。まるで距離を無にするかのような速さでオカマへと迫る。

 が、豪腕に刻まれた傷はカッターナイフの切り傷のように浅かった。


「魔力障壁の同時発動か……」


 魔力障壁とは言わば防御力を付与する魔法である。先程の斬撃はオカマの障壁より威力が強かったから貫通されたのだ。そして、今回の斬撃も僅かに少女の攻撃の方が上。

 だが、明らかにダメージを軽減しているのもまた事実。


「後学のために訊いていいかしら。あたしの不可視化魔法、どうやって看破したの?」


 時間稼ぎか、或いは本心からの疑問なのか。


「心臓の音くらい消さないと意味がないよ」


 そんな人の身から逸脱するようなことを返答され、確かに、とオカマは得心する。


「認識阻害……とかの方が実用的なのかもしれないわね」


「たとえば、こんなのはどう?」


 軽く笑みを浮かべた少女は、音もなく忽然と消えた。

 まるで最初からいなかったかの如く、存在が失われたように。


 途端、空気が激しく揺れ、切れ味の良い突風のようにオカマを刻む。

 幾重にも発動している堅固な魔力障壁であっても、完全に防ぎきれずに身体の傷は無数に増えていく。


 一秒、二秒、三秒――――

 一秒増えるごとに新たな傷が二桁単位で発生する。

 全身をくまなく刻まれ、もはやシャワーを浴びたかの如く血に塗れた身体。


 体の損傷が時と共に刻まれていくという怪奇現象。

 仕組みなど分からない、知っているのはそれを為すのが彼女であるということだけ。


 そんな発狂してもおかしくない状況で、冷静に神経を研ぎ澄ませるオカマは打開策を模索する。当惑などしている場合ではない、右往左往するものならば首を切断されて終いだと強靭な精神力で理解していたから。


 顔を覆っている両腕はもはや一本に。片腕は切断されて地に落ちる。

 小さな傷も積み重ねれば容易に岩をも断つだろう。


 そして、それすら加減されているようだった。殺人が目的ならば心臓を貫くのが一番手軽だから。


 ――――と、そんな打つ手のない絶望的な現状で、オカマは何もない空間に腕を突っ込んだ。


「つーかまーえたっ!」


 何もないと思われた空間には超高速移動して姿をくらましていた少女が確かにいたのだ。

 魔法的な感覚はない、そして気配すら隠蔽している。見た目が透明になっただけの不可視化よりも遥かに実用的な不可視化である。魔法ではないという発想、それを為せるのは剣士の特権か。


 そのためオカマは気配を探るのに少々時間が掛かった。だが、不確かな未来を信じ、命尽きる最後の際で間に合わせたのだ。


 その精神力と敢行する覚悟は病的ともいうべきか。

 だが、常識に乖離するオカマであったからこそ、脱出不可の鳥籠を見破ることができたのだろう。


 結果、オカマはその存在を手で掴むことに成功した。


 首根っこを掴んだ腕にひやりとした刃が当たる。


 ――――その瞬間、腕ごと真上に投げ放つ。


 まるで先程の攻撃群が子どものお遊びというように、真実というべき殺意に反射したのだ。行動しなければ死という二択を瞬間的に迫られた結果、腕を放棄して敵を空中に固定した。


 それは正解とも言える最適解。


 足場がなければ機動力は失われる。そんな剣士の弱点を突かれた彼女は軽く嗤った。

 窮地に胸が高鳴るという、強者の特性によって。


「アルファベット・オカ魔法――――」


 敵が空中に舞う玉響の刹那。

 回復など後回しに、早くも必殺のオカ魔法を放つべく魔力を燃やす。


 間延びした刹那は、されど一瞬のこと。


「――オカマCannonキャノン――ッ‼」


 すると、オカマの口から眩い光が放たれた。

 それは言わば魔力を超凝縮したエネルギーの塊。ありとあらゆるものを消し炭にする熱量と破壊力を兼ね備えており、直撃は即死を意味する。


 広場をまるで昼間のように明るく照らし、光は天へと昇っていく。

 それすなわち、少女の死が逼迫するということ。


 途端、光は破裂し、爆音を静寂の夜に轟かせた。


 響き渡る爆音に衛兵たちは慌ただしく広場へと走っていく。

 それは突然の出来事であり、蜂の巣をつついたような大騒ぎである。


「あーあ、時間切れか……」


 衣服や身体がどろどろと崩れ落ちていく少女は、惜しみつつもそんな言葉を呟いた。

 屋根の上にいる二人は両者時間切れである。


「そうねぇ、楽しかったわ。でも、乱暴な子は嫌われちゃうわよ」


 オカマは光に包まれて消えていく。

 それはオカ魔法による分身である証左。


「次は本体に会いたいかなー」


 そんな科白を発した少女の足元には水色のスライムが溜まっていた。

 つまり、人間ではない。或いは本体でないということ。


「それはこっちの台詞よ」


「うーん、それは無理かなー」


 彼女の本体は自分ではないのだから。


「……私はこの世に未練を残した、ただの亡霊だから」


 その声を最後に二人の気配は完全に途絶える。

 残ったのは真夜中の喧噪だけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る