第20話 月光が照らす夜
フィオナは呆と空を見ていた。
雲の海が天井にできており、星など一切見えない灰色の闇。そんな面白味の無さは意外にも彼女に親近感を抱かせた。
どれほど晴れやかな蒼穹であったとしても彼女には響かない。しかしどうだろう、こんな暗く沈むような曇り空が意外にも心地良い。自分自身を投影しているかの様な情景で、できることなら自分もそこに行きたいと、そう切望させる壮大な魔力があった。
不意に手を伸ばしてみる。届きそうで届かない、遥か彼方の世界へと。
――誰を殺したい?
不意に、三年前にかけられた言葉を思いだす。
あの日も降りしきる雨が大地を打っていた。
ノイズに掻き消えそうな声で、彼女は正直に告解する。
――死にたい、と。
すると、
『もう何度も死んでいるじゃないか』
その言葉で、彼女は全ての苦悩から解放された。全身の痛みも、心の痛みも。
全てが無に帰す――魔法のような言葉によって。
旅人はそれだけを残して去っていった。
その日を境にフィオナは痛覚を感じなくなる。そして、死すらも恐れるに足らない事象へと成り果てた。
この呪われたスキルがある限り、なんど死んでも、彼女は本当の意味で死ねないのだから。
「――――」
「…………」
名も知らない彼はただ黙っている。
彼女もただ視線を送るだけだ。
ざぁ、と降り注ぐ雨は着実に彼の制服を暗く染めていく。
「君は……帰らないのか?」
開口一番、そんな当たり障りのないことをギルは訊いた。
何を訊かれても答える気のない彼女は、そんな気楽さに微笑む。
あの怪物が何なのか、聞かれたところで彼女ですら理解できないのだから。
「…………ええ」
再びの沈黙が場を静寂へと巻き戻す。
びゅう、と突風が身体をさらし、夜の気配が増していくことを感じる。
「私のスキルは、不死よ」
唐突に暴かれたソレは、呪いにも似た異能。
ギルには意味が分からなかったが、オカマには理解できたようで、彼もその地獄を表面的にだが理解した。
生と死は表裏一体。太極から生じた二極はあらゆるものを分別し、陰と陽、天と地、流れと静止、男と女のように片方によってもう片方の概念が形成される。
もし、この世界から光が無くなれば、闇だけの世界へと変化する。そして、その世界しか知らなければ、光という概念を誰が説明できようか。自らの生きる次元を一つでも跨いでしまえば、我々には感知できない事象として完結してしまうという至極当然の摂理。
死がないということは、生すら存在しないということ。
彼女がそうだと、その一言で理解したオカマは憂う。一寸先が闇である未来に光を見いだせない彼女の人生を。
「……死にたいのか?」
ギルは正直な疑問を問うた。
不死のスキルを持つ彼女が死を望むという皮肉、それは最悪だなと。そんな先が見えない感情で。
「……ええ、私は死にたいの」
彼の言葉に、恐怖だとか不安などという心理的な生命機能をおくびにも出さずに返答する彼女。
その様子に彼は鼻白んだ。ただ、哀れだと。
――呪いは君自身が生み出しているんじゃないのか?
そんな追い打ちをかける言葉を喉で堪える。言っても意味がなさそうだから。
〝独りは寂しいわよね〟
オカマはそんな呟きをギルに落とした。
学園という活気のある世界で、自分だけが生きていないという孤独感。その感情すら彼女にはよく分からないのかもしれないこと。
――君は本当に死にたいのか? それとも、生きたいのか?
彼の疑問に答えるように、フィオナは口を開いた。
「私を殺して……」
雨音に掻き消えそうな呟きが、悲しくも彼の耳朶に響いた。
「無理だ、君は真に死を望んでいない」
「…………」
「人は死を知らない、だから、その結果を誠に望むことはできない」
彼はそんな宙ぶらりんなことを言う。
そんな屁理屈じみたギルの理論に、彼女は同意できるワケもなく。
「そう、なら――いい」
屋上には通常鍵が掛けてあり、生徒が立ち入ることなどできないため、フェンスなどは設けられていない。開け過ぎた空間はときに人の心を開放し過ぎてしまい、少し間違えれば死へとつながる危険地帯だった。
そんな魅惑的な空間で、伽藍洞の彼女がただ遠くの空を眺めるためだけに居るのだと、ギルは到底思えなかった。
――――途端、疾駆する。
夜雨を弾く屋上、彼が理由もない自殺を阻止するために。
「――ばいばい」
彼女はそう呟き、空を仰ぎ見た。
落下する世界の中、どんよりと存在する曇り空は普遍的に在るのみ。
――――そこに、
「なっ、なん――で?」
彼が視界に飛び込んできた。
自分は死んでも死ねないが、彼は死んだら終わるのだ。彼しか知り得ない意識も、ある筈だった未来も、全て無に帰すというのに。
ただ数回顔を合わせた程度の関係。
ありうべからざる玉響に、彼は言った。
「死がないなら、俺が呪ってやるよ……」
あるハズのものが無い世界――
そんな証明など人間には到底できないのだから。
そう信じられたなら――。
そんな賭けを敢行した彼は片手で腕を掴み、黄金の剣を校舎の壁面に突き立てた。
――――ズバババッツ、バリンッツ!
窓硝子を炸裂しながら落下し、唐突に停止する。
剣が刺さったのだ。そして、ギルは一階下の窓をけ破り、彼女を放った。
そこは、商業科の資料室だった。
「痛っ!」
強く身体を打ち付けて、そんな声が漏れた。
そう無意識に口から出たことで、彼女は痛みの知覚に気付く。痛みなどとっくの昔に感じなくなっていたのに。
――なぜ今になって?
そんな疑問を胸に抱きながら見やると、窓の縁から軽々と彼は姿を現した。
そして、ほれ見たことかと、軽々しく言った。
「死を恐れていない人はそんな顔しないぞ」
その言葉で彼女は顔をペタペタと触る。
自分がどんな顔をしているのか、彼女にはよく分からなかった。
しかし、知りたいと願った。自分の感情を、彼が読み取ったものを。
その時、忘却の彼方へと追いやっていた感情を呼び起こす。
――かなしいの? 私は。
なんとなく、そう思ってしまった。彼は何も言っていないのに、そう判断できた。
「死ねないと言っても不老じゃないんだろ? なら、不死じゃない。寿命を全うしたとき、君は真に死を体験できるんだ。だから、それまで色々な体験をすることだな」
スキルが不死なら肉体が無くても存在し続ける可能性はあるが、それも現時点では証明できないし、知り得ないこと。
「誰だって枯れ葉のように朽ちる。その時に、悪くない人生だったと言えるように抗ってみろよ。……それからでも遅くないさ」
彼はそう言い、窓から飛び降りた。
じゃあな、という下校時の別れのような安易さで。
何が起こったのか、一瞬理解できずにフィオナは窓に駆け寄り下を見る。
――そこには誰もいなくて、静寂の夜だけが無限に広がっていた。
てのひらから一筋の赤い線が垂れる。
ぽたり、と床に打ち付ける音を立てて。
生きる意味がない――なら、今は何だかその意味を見つけたい気分。
この痛みと、この感情の意味を。
彼女はそう、切に願った。
ぽたり、と再び鳴った小さな音。
――――それは、この上なく透明な雫だった。
◇
あの日からおよそ一週間後、私は商業科の資料室で勉学に励んでいた。
あの一件の後、帝立セントラル学園は一週間の休校を要していた。
表向きでは魔術の実験で校舎が崩れたという趣旨であったが、そのことについて私はよく知っている。
なぜなら、私がやったのだから。もっと詳しく言えば、私の悪夢に出てくる怪物をスキルによって再現してしまったのだろう。
筋肉と骨、不出来な臓器だけのグロテスクな見た目をした怪物が出てくる夢。
恐らく、ソレらは死んだ私たちなのだろう。だから、怖いなんて思ったことはない。
手を切ったとき、床に垂れた血をそのままにして寝ていると、血液の雫から怪物が生成されることがある。それは夢の中でスキルを発動している、つまり寝言のようなものだと考えている。
私のスキルは傷を治す能力なのだが、そのイメージを夢の中でしてしまい、結果的に怪物を治してしまう。
意志を以て作っていないため、コントロールができない。
そのため、寝る時は注意しているのだが、どうやら私は殺されたようで、その血で怪物が無数に誕生したのだろうか。
怪物が暴れ回った校舎は一週間で元の姿へと戻り、私は何食わぬ顔で優等生をしていた。
試験も延期されたが、近いことには変わりないから。
ふと、窓際を見る。
彼によって私は生きる目的ができた。何をしたとき、自分はどう思うのか。その疑問を解消させなければ死ねないと。
その彼は今、私の正面で勉学に励んでいる。
魔術理論の教科書を開いて唸って首をかしげて頁を飛ばす。その繰り返し。
正直、彼のがいるから何かが変わるワケではない。
――もしかしたら、あの夜のように意味があるかもしれない。
つまり、何でもしてみようと決めたので――。
「…………」
無言でノートを渡した。
私はこう見えて成績は優秀なのだ。商業科の首席であるのもこの場所を見つけられたのが大きい。学生の先人たちの資料が無数にあるのだから、それだけ理解も深まるというもの。
それを私なりにまとめたため、実用的なノートだと思っていたのだが。
「なぁ、君。凄いな、こんなの解読できるなんて」
彼が話しかけてきた――。
名前も知らないが、彼だって知らないだろうからお互い様だ。
私は軽く嘆息した。私の行動が彼にとっても無意味だったのかと。
そして軽く笑った。解読なんて大袈裟すぎると。
「……馬鹿だと思ったのか?」
「してない、馬鹿になんてっ……ふふっ!」
ぽかんとした彼が異様に面白いと思った。それはきっと、私にとって意味があること。
今日のために過去の全てが意味を成したのだろうか。そう思えば、少しくらい今を楽しめる気がする。
彼は飽きたのか、がらがらと扉を開けて退室してしまった。
私は再度気を取り直して集中しようとしたとき――
「ここにギルはいませんこと⁉」
そんな明朗快活の声が発せられ、私はびくりと身をすくめた。
慌ただしく扉を開けた彼女は息を切らしながらこちらを見る。
「……あなたは?」
そんな言葉を言ってみた。意味があるのか、はたまたないのか。それは言ってみなければ知り得ないことなのだから。
「名を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀ですわよ」
――そうなのだろうか。
彼女が貴族だったら、社交界の常識なのかもしれない。それは、私にとって有益な情報である。
「クリスティーナ・ロンリー・ガーネットですわ。知りませんこと?」
「初めて聞きました……」
「…………」
彼女は憮然としているのか唖然としているのか。そんな所作には意味があるのか、そう俯瞰する私はクリスティーナにとって意味があるのだろうか。
「……あなたのお名前は?」
「フィオナ・アルツ……」
「フィオナ様! わたくしとお友達になりませんこと?」
唐突に、そんな科白を言ってから含羞する彼女は上気した顔を下に向けて、上目遣いでチラチラとこちらへ視線を送る。
――どうしようかな?
そんな迷いを抱いたら、想像してしまう。
私に友人ができたなら。
果たして、どんな意味が生まれるのだろうと。
そんな戸惑いに私は微笑んだ。今私はバカバカしい事を考えていた、と。
彼女はただ、私と友人になりたいだけなのに。
――本当にそうだったらいいな。
「……よろしく、クリス」
私の言葉で、ぱぁ、と明るくなったクリスは屈託のない満面の笑みを湛えていた。
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